プロローグ1
おうさまのにっき書き直し部分です。伏線などは生かしてあるつもりですが、設定を練り直していますので若干の祖語が生じるかもしれません。あしからず。
冬月下旬最後の日に宮廷第一書記官を退きしエレオトリス・アバーソンが父母兄弟一門の鎮魂がため、彼らの手記をもとにこれを記す。
その後エレオトリスが娘リヴィース・パトリシオ夫人により大幅な改稿がなされ、夫のイザーク・パトリシオ氏により出版、国民に広く読まれたという。
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こわい、たすけて、ごめんなさい――
炎とともに様々な感情が都を包む。
ミックがマルスと出会ったのは三年前、マルスが3歳のときだった。
季節は冬月下旬。雪は解け始め、川は水位を上げ、新たな生命が芽吹かんとした矢先のことであった。歴史的大火事が都を襲ったのだった。
怒号と悲鳴が飛び交う中でミックはがむしゃらに逃げ惑っていた。一方でマルスは母親と思しき骸に庇われながら泣いていた、はずだ。ミックも幼かったから記憶は定かではない。なぜミックがマルスに目を向けたかも分からない。気づけば彼の手を引いて炎の都を駆け巡った。犠牲者の数は分かっていない。千とも万とも言われている。あまりに被害が甚大であったためにそうした調査を行う余裕もなかったらしい。
王国政府と教会による復興と支援は迅速に行われた。教会からは炊き出しが、政府からは復興事業と称した臨時雇用が行われた。まるで火事が起こることを予見していたかのようだった。いや、予見していたにちがいない。当然だ。なぜなら王家は未来を司る神の末裔であり、先見の力があるからだ。しかし、血が薄まるにつれ、その力もまた薄まっていった。この火災の被害の大きさが王家の力の弱体化を反比例的に象徴するものであったと言える。
前代未聞の大火災によりミックとマルスを含め、多くの孤児がうまれた。到底既存の孤児院に収まりきることはなく、復興の遅れた地域はスラム化し多くの浮浪児が彷徨っている。ミックたちも同じくそこでパンを盗み、靴を磨いたり拾ったものを売ったりして何とか生をつないでいた。十歳まで生き残ることができれば軍入りが認められ、生活が保障される。実力が認められれば爵位すら手に入る。あと季節が二巡もすればミックも軍隊に入隊するつもりでいた。そのころにはマルスも一人でやっていけるだろう。
「アニキ! みてみて!」
そんなある日、マルスが財布を拾ってきた。たかがスラムに落ちているサイフだ。ろくに金が入っているとは思えない。銅貨が一枚でもあれば儲けものだ。しかしもし銀貨が入っているならば毛布を買おう。路地を通り抜ける風は日を重ねるごとに冷たさを増している。この肌寒さはもうじき訪れる冬の兆しであり死の兆しだ。風は剣、雪は槍。家という砦はなくとも毛布や外套の鎧があれば戦える。
ミックは期待と不安を胸に袋口の紐を緩めた。
――これは夢だ。
中から漏れた黄金色の輝きがミックの顔を照らす。革袋の正体は金貨だった。商人か貴族の財布に違いない。中には財布だけでは小ぶりの宝石のついた指輪まで入っていた。
身分不相応のものは災いをもたらす。そう教えてもらったのはいつのことだったか。今ミックがマルスの面倒を見ているように、ミックもまた世話をしてもらった時期があった。火災後のスラムは幼いマルスを背負いながら生きていくには過酷すぎる競争社会だったのだ。彼らが生きのびることができたのはミックの先輩のおかげと言ってよい。
金ほどその価値を理解しやすいものはない。浮浪児だろうが貴族だろうが、その輝きはそれを知らぬ者をも魅了する。その魔力にとりつかれた者はろくでもない運命を辿る。事実、ミックはある一例を目の当たりにしたことがあった。火災後、焼け出され、路頭に迷った老人が偶然金貨を拾ったところ、運悪く役人に見つかり、盗人扱いされ鞭打ちにあったのだ。そのまま金貨は役人に強奪され、老人は死にもの狂いで逃げ出した。老人の顔は遠目で分かるほど紫色に腫れ上がり、背には鞭の傷跡が縦横無尽に広がっていた。その後の行方が知れないことを考えるとどこかで野垂れ死にしたのかもしれない。
「マルス、これは金貨だ。俺たちが持っていていいものじゃない」
マルスは金貨の意味も分からず首を傾げていた。ミックだって実物を見るのは初めてだ。
「これってパンいくつ、かえるのかな」
「馬鹿! 孤児がそんなもの持ってるわけないだろ。余計な欲を出すんじゃない」
マルスは冗談で口にしたのだろうが、ミックにすればそれこそ冗談ではない。
下手に捨てて見つかることを懸念するならば、隠すのが一番だろう。取りあえず寝床に隠し、様子を見ることにした。
これは妥当な判断であったのだろうか。
昼を過ぎるころ、スラム街含む下町で憲兵がうろつき始めた。
日が傾きかけたころ、下町やスラム街の人間は広間に集まるように通達された。
張り出された通知に目を向ける。
『大火災後の戸籍未登録者への違反内容と罰則、およびその軽減』
やたら偉ぶったタイトルの掲示であった。金持ちならともかく十分な教育を受けていない平民がそれ読めるわけもない。また、読めたところで理解できるはずもない。しかし傭兵崩れと思われる飲んだくれの中にはそこそこ博識な者も交じっていたらしい。
彼らによるとあの火災騒動により、戸籍の一部を損失したので、新たに手続きを行い戸籍登録を行うように命令を出したが、これに従わないものが多くいる。よって今最後通牒を行い、それでも従おうとしないものは他国のスパイとして投獄するか追放する、というものだそうだ。
滅茶苦茶だ。
さらに、手続きの際はこれまでの違反金と手数料含め銀貨50枚を支払えと書いてある。それが払えるようならスラム街に居着くわけがない。パン一つで銅貨3枚。銅貨百枚で銀貨一枚だ。明らかに治安を乱す浮浪児やごろつきを放逐するため、かつ私腹を肥やすために頭のネジがはじき飛んだお偉いさんが出したものだろう。
広間と呼ばれる場所は火災以来建物間に距離を設けるように命令されてできたもっとも広い空地だ。そこではずんぐりとした体格の男が何やら吠えている。
「マルス、絶対に拾った財布のことは口に出すなよ」
ミックは念のために釘を刺した。
「俺らに銀貨50枚なんて金出せるわけがないなんて、奴らは知っているんだ。たぶん狙いはあの財布だ。金貨を出そうものなら、すぐに俺らが財布を拾ったことがばれちまう。取り上げられるだけならいいが、痛い目にあわされるに決まってらァ」
「次ィ! 追い出されたくなければさっさと金を出せ! 戸籍を登録しないということは国民であることを否定することなのだぞ!」
金がなければ非国民か。浮浪児とはずいぶん的を射た表現ではないか。どこに国に属さぬ土があるというのか。足を下ろすことを許されない者は空を浮いて漂うしかないではないか。
そのような在り方は幽霊になってからで十分だ。
そんな中、聞きなれた声が響く。
「衛兵さん、俺とお袋の分だ。これで足りるんだろう?」
幼馴染のトーマスだった。
先程吠えていたデブが今度は同じくらい大きな声で笑い始める。
「ははははは、見つけた、早速見つけたぞう! 俺は運がいい! 小僧、お前、これは拾ったものだ、そうだろう?」
「ああ。この前の月に拾ったんだ。舟乗り場の桟橋の隙間に引っかかっていたんだ」
「ウソを言え! お前は今日、この辺で財布を拾った! そうだろう?」
「違う、今日は何も拾ってない」
さっさと解放されるものだと予想しており、全く事情を呑み込めていないトーマスはなぜ自分が詰問されているのか分からず、想定外の事態に目を白黒させている。
「マルス、動くなよ」
不穏な空気が漂い始め、トーマスの身を案じて落ち着きをなくしていた弟分にミックが釘を刺した。周囲も不安な顔を浮かべながら目を離せず、かといって助けにも入れずにいた。背筋が寒いのは秋が過ぎようとしているだけではあるまい。
「いいからさっさと吐け! スラムのどこに隠したんだ!?」
とうとう男がトーマスを殴った。栄養不足で痩せ細ったトーマスはあっけなく弾き飛ばされた。
マルスは幼馴染で同じスラムで生きる仲間の危機に目をつぶれるほど大人でもないし臆病でもない。対してミックは大人で慎重だった。今にも飛び出しそうな弟分の腕を兄貴分が引っ張った。
しかし、ついで男がトーマスを蹴り上げ、赤い斑点が地面に飛び散った。
瞬間、マルスはミックの腕を振りほどいた。
「やめろおおおおおおッ!!!!」
「馬鹿! 行くな!」
マルスは一直線に男に体当たりをかました。だがビクともしない。
痩せっぽちの幼子がいくら助走をつけたところで巨漢に太刀打ちできるはずもない。
何事もなかったかのように首根っこを持ち上げられて殴り飛ばされた。
「汚い餓鬼が! 寄るんじゃねぇ!」
「マルス!」
顔面蒼白でミックが悲鳴を上げた。
その呼び声に返事はない。
――アニキがよんでる……。
――でもアタマがぼうとして、へんじできない。
「そこまでだ!」
雷のような聞き覚えのない声がその場を制圧した。
それを最後にマルスは意識を失った。