いったい彼女は何者か
ヒューイがその席に呼ばれたのは、義兄と父親がどうしても出席できないからだった。火術の大家であるヒューイの生家の他に、雷術の大家、水術の大家、風術の大家、木術の大家、土術の大家から魔術師が来ていた。
「それにしても、メンフィス家は大丈夫ですかな?」
ぼうっとしていたヒューイの耳がひろったのは、雷術の魔術師の声だった。
「……大丈夫、とは?」
静かな声に顔をあげると、黒髪の青年、土術の魔術師が雷術の魔術師をじっと見つめていた。
確か名前はラジ・メンフィス。鬼才と称えられながらも、一向に出世しない魔術師らしい。
「聞けばメンフィス家で魔術師になったのは貴方一人とのこと。しかも鳴り物入りで入った割に一向に出世をしていない。そのようなことでは秘術は廃れてしまうのでは?」
露骨な嫌味だなあと、ヒューイは小さく笑った。ラジはと言えば、首を傾げている。
「秘術が廃れて、何か困ることがありますか」
「……なにを馬鹿なことを」
秘術とは、それぞれの家の者だけに伝えられる特別な術のことだ。たとえばヒューイの受け継いだ秘術は火に関わるもの、ラジならばおそらく土に関するものだろう。
「馬鹿なこと?」
「東のメンフィスともあろう家が、魔術を愚弄するか!」
「愚弄、ますますわからない」
「なっ……」
ラジは慌てる様子も強がる様子もなく、静かに続ける。
「魔術とは結局のところなにかを成す為の道具だというのが、我がメンフィス家の考えです」
「道具!?」
その考えに驚いたのは雷術の魔術師だけではなかった。ヒューイはそういうものかと一人思っていた。
「魔術を道具とは……!」
「どんなに素晴らしい術であろうとも」
顔を真っ赤にして怒る魔術師に、ラジは言った。
「使う術者がその魔術を人を殺すために用いれば、その術はどんなに素晴らしくても殺戮の道具です。逆にどんなにくだらない術でも、誰かを幸せにできればそれは人を幸せるための道具となる。秘術にこだわる必要は、だからないんです。秘術がなくとも、目的の達成に必要な術があるならそれでいい。それが、メンフィス家の考えです。そしてメンフィス家の血に流れる力とは、助ける為の力です。だから誰かを助けるのであれば、魔術師にさえこだわる必要はない」
ラジの言葉に、魔術師たちは絶句した。
「ああ、ですが秘術に関しては問題ありません」
ラジが机の上に飾られていた植木鉢に手をかざした。
「《我は汝に命名す》」
魔術発動のキーとなる言葉だったのだろう。声と言葉に込められた魔力が植木鉢を包み込み、術が発動した。
「うわぁ!」
「なんと……」
植木は鉢ごと土くれになっていた。
「このくらいのこと、メンフィスの人間ならば誰だって可能ですから」
なんでもないことのように言うが、それは恐ろしい光景だった。
メンフィス家の人間は、一言ですべてを土に還してしまう力を持つ。その光景はその証明だった。
★・・・★・・・★
「夢かー」
昨日は転移術陣の調子が悪く、一向は野宿だった。ヒューイが目を覚ましたのは簡易テントの中だ。
昔の夢だ。まだギルドに入る前のことを夢に見たのは久しぶりだったが、問題は夢の内容だ。
「そーいえばおっそろしい人だったよなー……」
魔術というのは声や言葉、陣、動きなどに魔力を込めることで発動する。他人から聴けばただの言葉の羅列でも、実際は魔術発動のキーであることなどザラである。そして魔術は魔法とは違い、自然界の法則を捻じ曲げることはできない。雨の中で火を起こすことはできないし、点けた火を維持し続けることはできない。燃やすものがなければ消えるのが火だからだ。
だというのに、ラジ・メンフィスは魔術で植木鉢を土にしてしまった。もはや法則に干渉したかのような術だった。
ヒューイは起き上がると、テントの中から外に出た。
「あ、おはようございます」
「……おはよ、ジルちゃん」
ジル・メンフィスは、少しラジ・メンフィスに似ている。
真っ黒い髪に、黒目の大きな瞳は奥底に光がある。ただラジは常に無表情だったが、ジルは微笑を浮かべている。
「ねえ、ジルちゃんもラジさんみたいに秘術を使えるの?」
「兄様に会ったことがあるんですね」
「思い出した」
あんなに驚いたのに、噂で聞いたことしか覚えていなかった。あの直後生家から放り出されたから、すっかり忘れていたらしい。
「兄様はなにをしましたか?」
「植木鉢を鉢ごと土にした」
「私にもできますよ」
あっさりと言って、ジルは誰かが片し忘れたらしい缶詰に杖をかざした。
「《我は汝に命名す。汝は土より生まれしモノ、ゆえに土へと還るもの》」
言葉に込められた魔力が杖をつたって缶詰を包み込んだ。そしてあっという間に形を失い、土の山になった。
「……うわぁ」
「メンフィス家の秘術の一つがこれです」
「魔法じゃないのに、なんで土になっちゃうの?」
「正確には土を使って対象の分解速度を速めた、という感じでしょうか。よほど特殊なものでない限り、最終的には土にかえりますから」
つまり土がないとできない術ですとジルは言う。
「私は手習いに毛がはえた程度しか魔術が使えませんから、これ以外の秘術は仕組みしかしりません」
「……これがメンフィス家の基本なんだ?」
「はい。兄様ならキーだけで発動したのでは?」
「うん、そうだった。見せてくれてありがとー」
いえお気になさらずとジルは笑った。
鬼才と称えられたラジ・メンフィスは、魔術院からほとんど厄介払いの形で王子付きの魔術師となった。最初こそ王子がかわいそうだのなんだのと魔術の大家の家々では陰口を叩かれていたが、一年たたないうちにそれは消え失せることとなった。ラジ・メンフィスがユファリリア王国内に侵攻してきた敵国の軍を、たった一人で追い返してしまったからだ。
その鬼才の妹が、ジル。
「……君は普通の神語りなのかな?」
ヒューイのつぶやきは、ジルに届かなかった。