神語りの娘?
なぜすぐに気が付かなかったのかはわからない。調査隊と護衛隊は合わせて三十人ほどで、けっして全員の顔がわからなくなるような人数ではないはずだ。しかし、その娘はいつの間にか一行に紛れ込み、数日の間それを悟らせなかった。
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見覚えのない娘に「お前は誰だ」と訊いたのは、三つのギルドのメンバーからなる護衛隊のまとめ役、剣士のアシャルだった。
「深緑の外套に身の丈ほどの黒い杖……。お前は神語りだろう。なぜこの旅に紛れ込んでいる」
「あら、バレてしまいましたか」
娘は慌てる様子を見せず、座っていた岩から立つと二度ほど黒いロングスカートをはたいた。アシャルの指摘でようやく見知らぬ娘がいることに気が付いた者は驚き、慎重に様子をうかがっている。
娘は多くの視線に臆することなく、肩より少し短い黒髪の乱れを直すとにっこり笑って名を名乗った。
「セフィ神教ユファリリア王国大神殿付き五級神語り、ジル・メンフィスと申します。大教主様の密命を受け、こっそりと紛れ込んでおりました」
ジルの言葉に、何人かが首を傾げ、何人かが目を丸くした。
神語りはそもそも神殿内での発言力が弱く、高い地位を得るものはいない。しかも五級となると神語りの中でも最下級。なぜ底辺にいる人間が頂点にいる人間に密命を受けるのかと、首を傾げた者は不思議がった。
目を丸くしたのは護衛隊の、それぞれのギルドで魔術師を名乗る者たちだった。ユファリリア王国でメンフィス家というと、土の魔術の大家として長い歴史を持つ『東のメンフィス』以外にないからだ。直系にしろ傍系にしろメンフィス家の人間が神語り、しかも五級。そのことに驚き目を丸くしたのだ。
「密命の証拠は?」
「紛れ込んだのがバレたら渡すようにと、大教主様から調査隊の代表者宛に手紙があります」
アシャルはジルが差し出した封筒を受け取ると、開けることなく調査隊の隊長に渡した。
「移動をしながら確認する。その娘から目を離すな」
「はい」
アシャルは隊長の命令にうなずくと、ロランを振り返った。
「“白刃ノ舞手”で見張ってくれ」
「わかった」
アシャルとロランのやりとりを聞いて、ジルがロラン達を見た。
「……」
「よろしくお願いしますね」
どこにでもいそうな柔和な顔立ちの娘だが、その黒い瞳はどこにでもいる娘の目ではなかった。
黒い宝石のような瞳は奥のほうに光を隠しているように感じられ、しかもその光がどうにも油断ならない。何に対しても興味をもたなさそうでいて、気が付けば自分のことを全て見通されているようにも感じてしまう目だ。
「ギンジ、ヒューイ、目を離すな」
「了解」
「はーよ」
油断はできないと、ロランは気を引き締めた。
★・・・★・・・★
ユファリリア王国はセフィ神教を国教とする国だ。セフィ神教の神殿はいたるところにあり、ギルドの街アーノルドに暮らすロランも馴染みが深い。だから神語りというものにも偏見がしっかりあった。
神語りとはなりたい神職につけなかった人間。ようは負け犬。神殿からほとんど離れることなく、ただ毎日ひとつ覚えのように神話を語り続ける人間。
が、しかし。
「……あんた元気だな」
「山歩きは慣れていますから」
北の辺境領に変事ありと王城に領主から報告が届き、調査隊は発足された。護衛にはアーノルドの中でも指折りの有力ギルドから数人ずつ集められ、装備も必要なものならすぐに用意された。しかし、馬車どころか馬がこの旅にはない。辺境領の領主から絶対に馬を使って来てくれるなとあり、全員が徒歩なのだ。そして調査隊の隊長は、馬車がないのならとにかく速く到着する道をと山でもなんでも越えることを選んだ。
今日一行が歩いているのはそこそこ険しい山だ。調査員の中には護衛隊の人間に背負われているものもいる。だというのに、ジル・メンフィスの足取りは軽い。とにかく軽い。
杖を持っているから片手だというのに、ジルは足を滑らすことも止めることもない。必要ならひょいひょいと木の根を飛び越え、岩を身軽によじ登る。
「慣れてるどころじゃないだろ。神語りって神殿にずっといるもんじゃないのか?」
ロランの言葉にジルは苦笑した。
「まあ、だいたいはそうですね。でも全員が全員そうではありませんよ。私などは神殿にいる時間のほうが短いくらいです」
「は? 神殿以外で仕事あんのかよ」
「神殿がすべての街にあるわけではありませんから、必要とあれば西へ東へ、ですよ」
歩きながら語るその姿に、神語りの多くが持つ引け目のようなものはなかった。
「でもさー、慣れてるってだけじゃないでしょー?」
ひいひい言いながらギンジの手をかりて山を登っているヒューイが、ジルの背中に言った。
「おれはこれでも魔術師だよ。メンフィスと言えば土の魔術師の家、土の地面と相性がいいんでしょー」
「どういうことだ?」
ロランが聞くと、ついにギンジに背負われたヒューイが息を整えつつ言った。
「魔法と違って魔術は魔力さえあれば、程度の差はあるけど誰だって使えるようになる。でも魔法と違う点がもう一つあるんだよー。魔力の質によって使いやすい術と使いにくい術に分かれるんだ。メンフィス家の血をひいてる人間の魔力は土と相性がいーい」
「それでなんで山歩きに有利ってなるんだよ」
「メンフィス家の人間が土と相性の良い魔力なのは、その昔、土を司る何かに祝福されたからだと言われているんですよ」
ジルがヒューイの言葉に続けて言った。
「ゆえに術を使っていないときでも、土の地面なら疲れ知れずで歩けると言われています。よく御存じですね」
「だって有名なはなしだものー。というか、本当にメンフィス家の人なの? なんで魔術師じゃなくて神語りやってんのさ」
おそらくその場の魔術師が気になっていたものの言わなかったことを、ヒューイは遠慮なく聞いた。ジルは特に気にする様子もなく、「本当にメンフィスです」と返した。
「これでも一応直系のメンフィスですよ」
「え、嘘」
「本当ですよ。国王の第一子であらせられるレアン王子、あの御方にお仕えしているラジ・メンフィスは、私の兄にあたります」
え、といたるところで思わずといったように声があがった。
ヒューイは目を丸くして、興奮したようにばしばしとギンジの肩を叩いた。
「ラジ・メンフィスの妹! マジで!? なんで本当に神語り!!」
「なりたかったもので」
「えーえーえー!」
「……ヒュー、煩い」
ギンジは背中のヒューイにうんざりしたように言った。この虚弱体質の魔術師は、中性的な容姿に見合った、男性にしては少し高い声をしている。声が耳に痛いのだろう。
「有名人なのか、そいつ」
「たった一人でトーリエ国軍の師団一つ壊滅させた魔術師だよ!」
「……それってすごいことだよな」
「当たり前!」
興奮し通しのヒューイの様子に微笑むと、ジルは言う。
「元々我が家は血を残すことに積極的ではないのですよ。なりたいなら魔術師に、違うものになりたいならそれを目指せばいい。それがメンフィス家の教育方針です」
「ふーん」
そういうものかとヒューイは納得したようだったが、他の魔術師は「いやいやいや」と内心異議を唱えているようだ。魔法と違って魔術というのは引き継げる。ゆえに魔術師は血を引き継ぎ魔術を引き継ぐことを選ぶ。現在皇国に存在する魔術師の家は、そうやって築かれてきたものだ。ギルドに属している魔術師の家もそういう家で、誰もが魔術師になるのは当然、とっとと結婚して後継ぎを求められるのも当たり前のことだ(まあ、ギルドに入った魔術師はそれが嫌で縁を切ったものが多いのだが)。だというのにユファリリア有数の魔術師の家が、「好きなものになるといい」ときた。異議ありと言いたくもなる。
「みなさんはアーノルドにあるギルドの方たちなのですよね」
「ああ。それがどうした」
「“獅子王”のチャリオットさんはお元気でしょうか」
ロランの顔が盛大にひきつった。
「……あんた、どういう知り合いだよ」
「昔、ちょっとお世話になっただけです。ご存じですか」
「……」
ロランは質問に応えず、ジルに黙って歩くよう促した。