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春霞の桜


***



王宮に帰った頃には既に日も落ち、神々の早い夕餉はすでに終わっていた。

厨房では、副料理長が一人で掃除をしている。

見張り番が料理長だったらどうしようかと思っていたので、その点ではほっとした。

何でも、この間倒れたのは訪ねて来た翠麟が原因で、人間である料理長の元奥さんが翠麟にそっくりらしい。

実際には翠麟程の美人がそうそういる筈もないので、かなりの脳内補正がかかっていると思われるが、翠麟が青に言いよる場面を見た事で、元奥さんが浮気している場面でも想像したのだろうというのが、のちに副料理長に聞いた見解であった。

なので、料理長からは未だに微妙な距離を置かれているのである。

こちらとしては翠麟など、立場が上なので口には出さないが迷惑以外の何物でもないというのに。

「副料理長さん」

青が声をかけると、掃除の手を止めて軽く手を上げた。

「青か。今日は休みを取ったらしいな」

神在餅の一件で名前を覚えてもらえたようで、副料理長とは普通に会話ができる。

多少厳しい性格をしているのは元からのようで、副料理長止まりの印象は変わらないが、その印象の理由に、補佐として優秀だからだというのも加わった。

あの料理長にこの副料理長で丁度良いのかもしれない。

「はい、少し城下町で練り切りの材料を買ってきました。申し訳ないのですが、厨房を使わせてもらえませんか? 掃除はこちらでしますから」

「いいぞ。だが、どうせ掃除は朝もするから使った器だけ洗ってもらえればいい。手持ち無沙汰だったからしていただけだ」

やることがないので掃除など、こんな真面目な言葉を料理長からは聞けまい。

「何か手伝うことはあるか?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「隣の倉庫にいるから、終わったら呼びに来い」

今度は倉庫の整理でもするのだろう。あそこは主に料理長のせいで無法地帯だ。

厨房を出る副料理長を見届けると、白が買ってきた材料を台に載せた。

「よし、やるか」

「はい」

「やりましょう!」

楽しそうな紅を交え、おのおの着物の袖を紐で留めた。




***



豆から餡を作るには前日から吸水させておかなければならないので、今回は作り置きを拝借する。

その代りに使った分は後で返さなければいけないので、その分の白金時豆を良く洗い、桶に入れて水に浸しておく。

餅粉と上新粉、砂糖を溶かした液をゆっくりと熱して求肥という餅のようなものを作り、白餡と共にしっかりと練る。

出来た物を半分に分け、片方には紅花で淡い桜色をつけた。

「形はどうするんだ?」

意外と力仕事である練る作業を延々とさせられた白が、だんだん形になってきた練り切りを指先でちょんと突く。

自分で考えろと言いたかったが、実はちゃんと構想があった。

青は買ってきたビンを開け、中のものを取り出す。

白は少し嫌そうな顔をした。

「その、やたら高いやつ。一体何に使うんだ?」

青が取り出したのは、桜の花びらの塩漬けである。

もちろん、これを買ったのには白を納得させられるだけの理由がある。

「“さくら”の名前の由来、知っていますか?」

「いいや」

視線を向けられた紅も首を振った。

「“さくら”の語源の一つに、“田神さがみ”の“さ”、穀霊を表す言葉である“さ”と、神霊が鎮座する場所を意味する“くら”で、穀霊が鎮座する場所を表すというのがあります」

つまりは、穀物の神の拠り所という意味だ。

「あなたがこれを渡す稲荷の姫様は、豊穣を司る神様でしたよね?」

きっと、好ましく思うに違いない。

「ああ、そうだな」

白も、嬉しそうな声音で「ありがとう」と呟いた。

よっぽどその姫様のことが好きなのだろう。

羨ましいとは思わないが、悪いことではないと思う。

青は白い練り切りで作った土台に桜の塩漬けを貼り、桜色の練り切りで桜の形を作って乗せた。

器に載せれば完成だ。

「“春霞”」

青が呟いた言葉に、白も紅も首を捻った。

「……何でもありません。どうぞ」

「ああ」

受け取った白は、一刻も早く渡したいのかすぐに厨房を飛び出して行った。

時刻は子の刻。ちょうど会議が終わった頃だろう。

一仕事終えた気分で片付けに入ろうとしたが、紅が袖を引いたので一度手を止めた。

「どうしました?」

「“春霞”とは何ですか?」

「ああ……」

耳聡い紅は、まじないの布をめくってじっとこちらを見た。

何のまじないかは知らないが、度々そんなことをして大丈夫なのかと心配になる。

何はともあれ、教えなければ離さないと言わんばかりの紅の迫力に負け、青は白状することにした。

なんだか照れくさいのだが、仕方がない。

「お耳を拝借」

青は紅の耳に口を寄せ、小さな声でとある和歌を口ずさんだ。



***



「宇迦さま」

会議を終えて部屋に帰ると、思わぬ客人が宇迦の帰りを待っていた。

狐の面をつけ、麦穂と同じ色の髪をした人間の子。

昔その容姿で苛められるたびに泣きついてきた子供が、なんと立派になった事かと思う。

「どうしたの?」

「これを……」

そう言って差しだしてきたのは、可愛らしい桜の練り切りであった。

桜は好ましい。どこにいても、故郷の桜並木を思い出させてくれる。

「俺と紅と青で作りました」

「まあ、青というのは神在餅の子ね?」

「はい。宇迦さまは青の甘味をたいそう気に入ったようでしたので、手伝ってもらいました」

そう言って練り切りを手渡したのち、白は何か思い出したように言った。

「そういえば、“春霞”とは何でしょうか?」

「“春霞”?」

春に立つ霞で、春霞。そして、練り切りの桜。

「……春霞 たなびく山の 桜花 見れどもあかぬ 君にもあるかな」

「え?」

白は不思議そうに首を傾げた。

宇迦の口から、思わず笑みが漏れる。

青というのは、随分と面白い子のようだ。

「いらっしゃい、白狐。一緒に食べましょう」

「はい!」

宇迦には、嬉しそうにする白がたまらなく愛おしかった。




***


「春霞のたなびく山の桜花のように、いつまでもあなたを見ていたい。という意味です」

「そんな意味が」

紅は驚いたように青を見、ほんのり頬を赤くした。

「……素敵ですね」

「はい」

和歌というのは、秘めた気持ちを伝えるのに向いている。

いつか相手に届く事を祈りながら、木の枝に結ぶがごとく甘味に潜ませる。それが乙なのだ。

自分のことに使う機会はやって来ないだろうけれど。

なにせ和歌には恋歌が多い。

「桜のことも、歌の事も、青様は博識なのですね」

「花より団子と言いますが、団子に花はつきものなのですよ」

紅は一度首を捻った。

しかし片付けを始めた青を見て、すぐにその後に続いたのだった。


ここまで読んでくださってありがとうございました。まだ序章の序章ですが、受験のためしばらく開くと思われます。

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