神在餅
***
事態は、思った以上に深刻だったらしい。
「どうにかしろ!」
「む、無茶ですよ。せめて二刻はもらえないと……」
「それでは昼餉に間に合わない!」
そんな会話を、出入りの業者と副料理長が繰り広げている。
「副料理長さん」
青が声をかけると、振り返った下級神はあからさまに嫌そうな顔をした。
思ったより見た目が若い。
五十そこそこの料理長の半分あるだろうか。
随分と気位が高そうだが、どうやっても料理長にはなれそうにないタイプだ。
白い髪に紫水晶の瞳。なかなか整った顔立ちをしているのにもったいない。
「申し訳ありませんが、料理長の用意していたという材料を見せていただけませんか?」
絶対に断られる雰囲気だったのだが、『お願いします!』と後ろの二人が念押ししてくれたおかげで、しぶしぶ案内してくれた。
机の上にはすり鉢一杯にすり潰したヨモギが盛られ、隣に粉の入った大きな麻袋が一つのっている。
他にも栗の甘露煮のビンやらきび砂糖やら洗い終えて放置された大量の小豆やらが並び、大きな鍋には温めて柔らかくした餡が三分の一ほどの高さまで入っている。
用意しなければいけない量が想像させられ、白と紅は頭を押さえていた。
中途半端だが、こんなに大量に用意できたのは料理長が人ではなかったからだろう。
「ヨモギの大福ですか? 栗入りの」
「今日は上質なヨモギが入ったからな、青龍宮のお客様も楽しみにしている。今更作り置きの菓子に変更は出来ないだろう」
しかし、今から足りない餡を作り、餅を蒸して、一つ一つ栗を入れながら百以上形成するのは不可能だ。
また手間のかかる物を……と呆れる青に、副料理長は挑むような視線を向けてくる。
お前のような小娘に何が出来るのだ、と。
「わざわざこの忙しい時に案内させたのだ。何か案があるのだろう?」
「はい」
即座に答えた青に、底意地の悪い副料理長は驚いたようだった。
「要するに、ここにある材料を使ってヨモギの入った甘味をあと一刻以内に作ればよいのですね?」
そう言いながら、青は近くにあった飲み水の汲まれた桶を取り、餡入りの鍋にぶち込んで竈に乗せた。
「な、何を!」
副料理長だけでなく、白と紅も驚きの声を上げた。
餡というのは小豆を砂糖で煮詰め、わざわざ手間をかけて水分を飛ばした物。
常識的に考えてもうこの餡は使い物にならない。
「少し黙って、私に任せておいて下さい」
しかし青は、王宮に来て初めてと言っていいほど生き生きとした表情をしていた。
***
ここの料理人は、どうやら頭が固いらしい。
青としてはそういう結論に達した。
「青、次は?」
「栗の水気を切って、こっちに持ってきてください」
「分かった」
手伝ってくれている白に指示を出し、餡の鍋をかきまぜている紅の様子を窺う。
「……本当に、大丈夫なのでしょうか」
手伝ってくれるのはありがたいが、どうにも半信半疑である。
青はその鍋に再び砂糖を足し、少し余らせて自分の持ち場へ持ち帰った。
(……よし)
青は気合を入れなおし、粉の袋とヨモギの前に対峙する。
作ろうとしている物はそれほど難しいものじゃない。
桶に水を汲み、深底の器を準備する。
青は、慎重に麻袋の封を切った。
中身は、もち米六に対しうるち四で作られた上質な上新粉。
これで作ったヨモギ大福を想像して、一瞬くらりときた。
必死で持ち帰りたい誘惑に耐え、半分ほどを器に移す。
粉の重量十に対し、水は八。少し固めに作り、ヨモギの水分でほど良い固さに調節する。
もう半分も同じ作業を繰り返し、出来あがったものを紐状に伸ばし、包丁で等間隔に切って行く。
それを丸め、鍋に入れ、火が通れば完成だ。
この間、約半刻。
刻限まで充分の時間を残し、ヨモギを使った甘味が完成した。
大福や饅頭や羊羹だけが餡を使った甘味ではないのだ。
温かい餡の汁と餅を木の器によそい、栗を一つ落とす。
箸を添えて副料理長に味を見てもらおうと振り返ると、思った以上に観衆が多く、驚いて器を落としそうになった。
「いつから……」
「随分前からですよ」
「集中したら周りが見えなくなるみたいだな」
仕事を終えてちょこんと座りこんでいる二人の横で、副料理長は腕を組んで壁に寄りかかっている。
「それか?」
「はい」
青が器を手渡すと、案の定怪訝そうな顔をした。
「まるで小豆の汁物だな。名前は?」
(そんなのこっちが知りたいです)
とは言えないので、とりあえず「汁粉といいます」と答えておいた。
副料理長はつまらなそうに鼻を鳴らし、衆人環視の中で一口汁粉を啜った。
一瞬気まずい沈黙が流れる。
「……美味いな」
副料理長が小さく呟き、青は気付かれないよう小さく拳を握った。
白たちの方から、「やった」とか「よし」とか控えめな声が聞こえ、観衆からも一斉に歓声を上げる。
(なんだ、そんなに大事になってたのか)
と、青の方が若干蚊帳の外である。
「寒い日には殊に美味い」
そう言うと副料理長は空になった器を水に浸け、新しい物に汁粉を注いで青に渡した。
「悪かった、ありがとう」
「いいえ」
意外に素直だな、などと思いつつ、青も汁粉を一口啜る。
(うん、上出来だ)
甘すぎない上品な小豆のほのかな香りが広がり、喉を通った汁がじんわりと全身を温める。
「いいな、甘味は」
「ですね」
何となく、この人とは仲良くなれそうな気がした。
***
青が作った汁粉という甘味は『神在餅』という名で神々に振舞われ、後に訛って『ぜんざい』として表の世にも広まったという。
*豆知識*
『神在餅』は一説。
一休さんの言った『善哉』を説とする場合もあります。