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白と紅


「あれ、嬢ちゃん。今日は首掛けがねえのな」

そんなことを、厨房で二日酔いの料理長から言われてようやく気がついた。

一層地味になった、と笑う料理長の横を抜け、白虎宮への配膳を受け取る。

生憎だが、朝餉の時間帯はいきなり団子を作る暇も無い。つまりは忙しいのだ。

酒臭い料理長の相手は言わずもがな、首飾り一つ無くしたくらいで手は止められない。

加えて言うなら昨夜の大騒動のせいで寝不足で、思った以上に気分がすぐれなくても休んではいられない。

慌ただしい厨房で狐面の男官から届け先の紙を受け取り、新たに配膳を取りに来た小柄な鬼人の子に道を譲る。

扉の無い出入り口からようやく外に出ようとした時、白くて細い、しかし全く貧弱そうではない腕が、通路を塞いだ。

「おはよう、昨日はよく眠れたか?」

甘ったるい囁きのような声に、青は窺うような目つきで視線を上げる。

背後で聞こえる女官や料理長の黄色い声で予想はついていたが、そこにはつい二刻ほど前に見た菩薩の笑みがあった。

いちいち真面目に返すのが面倒で、「おかげさまで」と返す。

すると背景のモブから信じられないような叫び声が聞こえ、思わず慄いた。

一体なんだというのだ。

「忙しいので」

と断って腕の下を潜ろうとすると、翠麟は腕を下げて再び道を遮る。

ジト目で見上げるが怯む事も無く、青の手が塞がっているのをいい事に、あろうことか首に腕を回してきた。

「私の部屋に忘れていたよ」

そう言って身体を離すと、いつの間にやら青の首には無くしたはずの首飾りが戻っていた。

(入ってもない部屋にどうやって忘れたんだ?)

と青が首を捻ると同時に、再び背後から複数の奇声が上がる。

いい加減耳を塞ぎたい。手を塞いでいる配膳が恨めしい。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

早くこの場を去りたい青だが、今度は肩に置かれた翠麟の手がそれを許さない。

まだ何か用か。

険しくなる青の表情を余所に、翠麟は青の耳元に口を寄せた。

「今夜も待ってるよ」

(……は?)

声に出そうとした青の疑問は、もはや人間の物とは思えない声(実際に人外の物だが)にかき消された。

今度は翠麟が青の耳を塞いで被害は少なかったが、代わりに厨房で、何かが倒れる音と同時に破壊音が鳴り響いた。

さすがに振り返ると、そこではお客様用の食器をなぎ倒して料理長が昏倒していた。

二日酔いのせいだろうか、ともかく片付けが大変そうだ。

朝っぱらから仕事を増やしてくれた料理長を冷えた視線で眺めていると、何となく複数の視線を感じた。

厨房内が嫌に静かすぎる気がする。

青は、おずおずと顔を上げる。

そこでは、狐面と鬼人の子以外の女官男官たちが物凄い表情で一様にこちらを見ていた。

皆何とも言い難い、憤怒とも驚嘆とも羞恥ともとれる表情をしている。

鬼人の子は顔の前にまじないの布を吊るしているため表情が分からず、狐面は面を付けているため同じく顔が見えない。

一部を除いた皆の表情の意味が分からず多少居心地が悪かったが、

(とりあえず誰か料理長を起こしてやれよ)

と、青は思った。



***


十月の王宮は忙しい。

と言っても、十月から初めて宮に出された青としては今以外の時期がどのようなものかは知らないのだが、なんでも今王宮で働いている妖怪や神や人のほとんどは十月になって呼び戻された者ばかりらしい。

という事を、料理長が散らかしてくれた厨房を片付けながら狐面の青年から聞いた。

「人と言っても、混じりけがない人間は俺とお前くらいで後は鬼人やら人魚やらの半人だけどな。量はこなせないが仕事が丁寧だって重宝がられてるんだ」

「ふぅん」

青年は狐面をカタカタと鳴らした。笑ったのだろう。

この国の人間としては珍しい、色素の薄い麦穂色の髪を後ろで束ねている。

顔も見えないので今まで人間だとは気付かなかったが、狐面はずっと話しかけるタイミングを捜していたらしい。

配膳を配り終えて戻った時、後片付けもされず無人になった厨房に一人残っていたのはそういうことだそうだ。

いつの間にか片づけを押し付けられていた青としてはありがたいことである。

あと一刻経てばまた厨房で料理の準備が始まり、料理を担当する妖怪たちが戻って来るので急がなければいけない。

二人は無駄話を交えつつ片付けを進め、ようやく拭き掃除まで終えて厨房が元の状態に戻った頃には、ちょうど一刻が過ぎていた。



***


厨房の外に出たとたん、身も凍るような冷たい風が吹いた。

今日は一層神在月の寒さに磨きがかかっている。

これからもっと寒くなると思うと憂鬱で仕方がなかった。

寒さに弱い青を余所に外に繋がる扉が大きく開き、別所で芋の皮むきや鳥を潰したりなどの下準備を終えた妖怪たちがぞろぞろと戻って来る。

凍える青へ、すれ違いざまに向けられる視線がかなり痛い。

私は何か、気に障る事でもしでかしてしまったのだろうか。

狐面にそう聞いてみると、

「頑張れよ」

と肩を叩かれ、遠い目をされた気がした。が、面をしているのでやはり表情がわからない。

何故外さないのだろうか。というよりそれで前は見えるのだろうか。

とにかくよく分からないが、ここは人間にとって働きにくい場所なのかもしれない。

青は勝手に納得して頷いておいた。



***


びゃくさん! 大変です!」

青と狐面は各々自分の仕事に戻るため、掃除用の手ぬぐいを片手に朱雀宮の階段を上っていると、後ろから少女のような可愛らしい女の声が呼びとめた。

青は青なので、隣の狐面が白なのだろう。

こうか、どうした?」

一足先に振り返った白が怪訝な顔で首を傾げ、青も振り返る。

そこには小柄な鬼人の子が立っていた。

何やら焦った様子で、息も荒い。

何か気付いたような様子でまじないの布をめくり、顔を見せて青に小さく頭を下げる。

チラリとしか見えなかったが、大きな赤い目を除けば人間の女の子と変わらない顔つきをしていた。

だが、頭の小さな角は鬼の物なので、鬼人という存在なのは確からしい。

紅はパタパタと足音を立てて近づいてきた。

声を潜め、二人だけに聞こえるよう耳打ちする。

「料理長さん、まだ目覚めないそうです」

あのオヤジの二日酔いはそんなにひどいのか。

他人事のように聞く青とは違い、白は深刻そうに考え込んでいる。

「……マズイな」

「はい。下準備はヨモギを潰すとこまでしか……。作り置きの餡は余っているそうですが、量が少なすぎるとのことです」

「何の話ですか?」

いきなり首を突っ込んだ青に、二人とも驚いたように顔を見合わせた。

青は進んで厄介事に関わる性質ではないと思っていたのだろう。

概ねその通りなので、『餡』や『ヨモギ』という言葉の抗えない魅力に惹かれたというのは秘密だ。

「料理長さんは青龍宮の甘味の担当なのです。けれど今日の一件で倒れてしまい、下準備が疎かになっていることに今まで誰も思い至らなかったそうです」

紅が教えてくれたが、なんとも間抜けな話だ。

王宮の料理人がそんな事にも気付かないで今まで上手く回っていた事が信じられない。

「その……、今日は色々あったので皆気が動転していたのだと思います。あまり責めないであげてください」

何故かほんのり桜色をした顔で紅は青を見上げ、すぐに俯く。

(優しい子なんだなぁ)

鬼の名に似合わず、紅は心根の良い女の子らしい。

顔を赤くしている理由がわからないが、きっと他人の言葉に反論する事さえ気が咎めているのだろう。

勝手に納得しておいた。

「とにかく、どうにかしないとな。料理担当で手が空いている奴なんていないし、責任は……まあ、概ね俺たちの同朋にあるようだし」

と、白は気まずそうにこちらを見た。

心外だ。料理長が倒れたのは酒を飲みすぎた料理長の責任であり、甘味が用意できないのは間抜けな料理人たちの責任だ。

とはいうものの、本当に青龍宮の食事に甘味無しというわけにもいくまい。

「何を作る予定だったかは知りませんが、一応餡があるのならどうにかなるんじゃありませんか?」

怪訝そうにする二人を引き連れ、青は方向を変えて厨房に向かった。


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