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百鬼の主 其ノ漆

***


ひと悶着あることを予想していたのだが、青は意外とすんなり玄武宮の最上階までたどり着いた。

問題といえば、少し手前の物陰で男官に会ったことくらいだ。

少し尖った三角の耳をペタンと後ろに倒し、細長い尻尾が切なげに揺れていた。

(今度は猫か)

通り過ぎようと思ったが、潤んだ視線を無視出来るほど青も非情ではなかった。そして、どちらかといえば猫派だった。

「どうしたのですか?」

青が尋ねると、男官は握りしめていた物をそっと青に見せた。

「玄武宮の最上階に泊まった女性に届けるよう、朱雀の男官から仰せつかりました。白虎のお客様から預かったそうです」

そう言って取り出したのは、半紙で包まれた小さな箱だった。

「届けなければいけないのですが、どうしても踏み出せなくて……」

化け猫の男官は再び半泣きで目を伏せた。どうやら、化け犬の言っていた同僚とはこいつの事のようだ。

よく分からないが、その辺の男官に運ばせるような小包が大切な物とも思えない。

誰が届けても一緒だろう。

「私がついでに届けましょうか?」

青が言うと、突然元気を取り戻した男官は迷う素振りも見せず、「ありがとうございます!」と青に小包を押し付けて跳ねるようにこの場を後にした。

そういえば、猫とは(したた)かな生き物であった。

まんまとのせられた青だったが、別にいいかと思えるのも猫の狡いところである。

そんなこんなで青は最上階の一番いい部屋の前にたどり着いた青は、蛇の尾を持った亀の姿が大きく描かれた、大変悪趣味な扉の前で一度立ち止まった。

大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

何を見ても驚かない。例え中で何があっていたとしても、何も問題は無い。

自分自身に言い聞かせながら、かなり控えめに「膳を届けに参りました」と告げ、(ふすま)の要領で戸を開けた。



入った瞬間、翡翠色の瞳と視線がぶつかった。

一瞬ギクリとしたが、青が考えていたような状況ではなかったので助かった。

「遅いじゃない。待ちくたびれたわよ」

女は翠麟にしなだれかかった姿勢のまま、ちょいちょいと手招きをする。

青は恐る恐る畳に上がり、膳を女の前に置いた。

女は膳の前ですんすんと鼻を鳴らすと、「まあいいわ」と呟いて箸をとった。

どうやら、料理長会心の一膳は合格点をもらえたらしい。

だが、一つ問題があった。

(私は、帰っていいのだろうか……)

女は食事を始めたが、青には一言も無い。終わるまで待てということだろうか。

考えあぐねて翠麟に視線を向けると、当の翠麟は青に一切目もくれず、何か手紙のような書類に目を通している。

どうやら、手紙を読む翠麟に女がちょっかいをだしている場面だったようだ。

それにしても、少々妙な光景である。

手元の紙を見る翠麟の瞳はまるで硝子玉のようであり、普段の翠麟とはまるで別人のようだ。

美しいだけの、心の無い人形。そんな風にも見える。

表情だけでここまで変われるものだろうか。

翠麟でないような翠麟は、手紙を読み終わると、美しい顔に菩薩の笑みを浮かべて女を見た。

その顔は、最近あまり見なくなったが確かに翠麟の張り付けたような微笑みである。

「今度の膳は気に入られましたか?」

甘い、蜜の声で囁く。

「まあまあかしら。甘味次第ね」

酒はまだ口にしていないのに、女はまるで酔ったように上機嫌で応えた。

(一刻も早くこの場から去りたい)

自分は完全なる部外者だ。いちゃつくならば青から見えない場所でやって欲しい。

そう思い始めたとき、不意に翠麟が翡翠色の硝子玉でこちらを見た。

表情は、張り付けた笑みのままである。

感情のある生き物らしい表情は読み取れない。

近付くなと言われていた青だ。何か叱責に近いものがあるか知れない。

しかし翠麟の言葉は、身構えた青の斜め上を通り過ぎた。

「下がれ」

ただそれだけだった。

しかし、まさに願ったり叶ったりの命令である。

そそくさと退出しようとした青を、何故か女が止めた。

「待ちなさい」

早くも何かしでかしてしまったのだろうか。

張り付けた笑みの翠麟が、ピクリと眉を動かした。

「この甘味、作ったのはあなたね?」

(……バレた)

見た目では分からないはずだ。小豆も米も、水でさえ、材料は全て王宮のものを使っている。

恐る恐る振り替えると、女はニヤリと唇の端を歪めた。

「やっぱりそうなのね。正直な子」

どうやら(かま)をかけられたらしい。なんとも嫌らしい女だ。

「毒でも入れたのかしら。でも、人間ごときの毒じゃ私には効かないわよ」

毒なんて物騒な物は入れてない。強いて言えば、入れたのはヨモギだ。

だが女は得意気に口元を歪め、水無月を指で摘まんだ。

やはり捨てるのだろうか。先ほどさんざん失礼を働いた相手の作った甘味だ。食べる気はしまい。

だが、女はその水無月にガブリとかじりつき、半分以上を口に含んだ。やはり少々行儀が悪い。

「人間ごとぎが私に一矢報いようなんて千年早いのよ」

水無月を食みながら女が呟く。

神様ではあるが、とりあえず女が馬鹿で助かった。

突然目を見開き、へにょっと姿勢を崩して畳に伏した女を見ながら、青はそんなことを思った。



***


「どういうことだ」

部屋から出た青は、思いのほか冷静な翠麟から厨房まで連れていかれた。

翡翠の目は、お客様に粗相をしでかした女官に対する怒りというよりも、何が起こったのかわからないというような動揺でわずかに揺れいる。

人形の瞳よりはマシだが、青が見てきた普段の翠麟からはあまり想像できない表情だ。

「説明するまでもありません。ただの水無月にヨモギを混ぜただけです」

ただ女が甘味の意味を知らず、ヨモギがどういうものかを知らなかっただけだ。

だが、翠麟はわからないと言いたげに首をふった。

続きを促すように翠麟は視線を青に向ける。

いちいち説明しなければならないらしい。

「都の貴族の間に夏に氷を食し、夏の病を防ぐという風習があります。水無月は、庶民がその氷をういろうで模して作った甘味で、上に載った小豆には魔除けの意味があります。そしてヨモギも魔除けの薬。ひな祭りに食べる菱餅の緑色にヨモギが使われるのもそういう意味があります」

一つ予想外だったのは、女が魔除けの甘味を躊躇いもせずに食べてしまったことだ。

美味しそうな甘味を前にして、食べたいけれど食べられないという地味な嫌がらせのつもりだったのに。

翠麟は困ったように眉を寄せ、どこかすっきりしたような、けれど呆れたような表情でため息をついた。

「妖怪の長に直接魔除けを食わせたのか。えげつないことをする」

「本当に食べるとは思いませんでしたが」

そして、魔除けを食べて気を失うほど邪悪な神様だとは思わなかった。

翠麟はしばらく笑っていたが、やがてその表情は悲しげな物に変わった。

「もうこんなことはするな。自分の身を危険に晒す行為だとわからないのか?」

分かってる。忘れがちだが、神様に比べて人間の命は軽い。

だが、それを忘れてしまうのが誰のせいか、翠麟は分かっているのだろうか。

「……そうですね。でも翠麟様には関係ありません」

これだけ失礼を働いているのだ。少しは怒ったらどうなのだろう。

翠麟は「そうかもな」と呟いて目を伏せた。

そして次に視線を上げた時、翠麟の瞳は人形の物に変わっていた。

部屋で見た翠麟は、見間違いではなかったらしい。

一瞬、ゾクリと背筋が冷えた。

この目は嫌いだ。

「私は戻る。あと一日、お前は厨房から出るな」

そう言って厨房を出ようとした翠麟は、すぐに足を止めた。

どうしたのですか?

そう尋ねようとして気付いた。青の手が、翠麟の袖口を掴んでいた。

翠麟は振り返ると、青の顎に指をかけて持ち上げた。

「何だ?」

甘い声で、まるで誘惑するように呟く。

青はそのまま、睨むように翠麟を見た。

「あなたは誰ですか?」

一瞬、翠麟が怯んだのがわかった。

人形の瞳が大きく見開かれる。

青は少し身を引いて、顎から外れた指に思い切り噛みついた。

「痛っ!?」

動揺した翠麟の瞳に、いつもの翠麟らしい色が戻った。

やはり、こちらの方が幾分マシに見える。

「触らないで下さい。また倒れたらどうするんですか」

青はふてぶてしく腕を組み、うずくまる翠麟を見下ろす。

血は出ていないが、はっきりと歯形のついた白い指を押さえた翠麟は、少し潤んだ瞳で青を見上げた。

「お前こそ何者なんだ……」

普段の甘い声も、涙声では台無しである。

「ただの人間ですが?」

何か? と言わんばかりの青に、翠麟は呆れたようにため息をついていた。



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