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百鬼の主 其ノ肆

しばらくして、翠麟は懐紙を片手に各々の持ち場の発表を始めた。

同僚のはずだが、名前は知らない、自ら望んで玄武宮に来た殊勝な男官たちには全員各階層で使用人の仕事があてがわれている。

白と紅は湯殿の担当になっていた。なぜか副料理長も一緒である。

王宮には各部屋に備え付けられた風呂桶とは別に、各宮に一つずつ、大きな湯殿が設けられているのだ。

「湯殿の準備ならばほとんど客の前に出なくていい。大変だが一番安全な仕事だ」

翠麟はそう言うが、青だけ紅と離れるのはやはり不満である。

ちなみに青は副料理長を差し置いて、翠麟の従者たる珪と共に厨房の担当だ。明らかにおかしな人事である。

「やはり紅さんも厨房の方がいいのでは? こちらも表には出ない仕事です」

「それでは湯殿の人数が足りなくなる。さすがに二人では厳しい」

「ならば私も湯殿へ行きます」

「じゃあ毎食の膳の用意は誰がするんだ?」

意外な事に今は翠麟の言が正論である。いくら厨房の仕事が茶を淹れたり、朱雀宮で作られた料理を受け取り盛り付けるだけとはいえ、本職でない珪一人に任せるわけにもいかない。

青にとっても専門の分野ではないが、甘味の飾り付けと同じ要領でやれば問題ない。

「……副料理長、代わってください」

本来ならば、厨房は副料理長が担当すべきだ。

少し不機嫌になりながら副料理長に視線を向けると、呆れたように溜息をつかれた。

「俺は別に構わないが、いざという時お前らだけで自分たちの身を守れるのか?」

図星をつかれ、青は押し黙るしかない。

副料理長はそんな青の背を強く叩き、俯いた視線を無理やり上向かせた。

「何かあったら俺が守ってやる。信用しろ」

似たような言葉を最近聞いた気がする。

「……はい。お願いします」

副料理長のたった一言で大人しく引き下がった青に、翠麟はやはり複雑な表情をしていた。



湯殿へ向かう紅たちを泣く泣く見送った青は、厨房に珪と二人で寂しく居残るはずだった。

発表された人事では、厨房の担当で呼ばれたのは青と珪だけだ。

しかし、一番の邪魔者がなかなかいなくならない。

「翠麟様、早く持ち場に行かれてはいかがですか?」

上級神には接客という大切な仕事がある。

青龍宮の神々と比べれば取るに足りない雑妖の泊まる玄武宮だが、その中にも偉いのはいるらしい。

ほったらかして機嫌を損ねては事だ。

それなのに、今は何故か翠麟が一番機嫌が悪そうだった。

「『奴』がここに来るのは三日目だけだ。それまでは私も厨房の仕事をする」

口ぶりから察するに、玄武宮に泊まる百鬼夜行の要人というのは翠麟の知り合いらしい。

しかもあまり良くは思っていなさそうだ。

大変お気の毒だが、青にはどうでもいい。一番気になるのはやはりこの人事である。

「それならば、副料理長と紅が厨房で、翠麟様たちが湯殿でもよかったではありませんか。掃除も夕方には終わりますし、湯焚きならば二人でも充分事足ります」

今度は青の言も正論だ。むしろ、こちらの方がよっぽど堅実な配置だと思う。

しかし翠麟はなぜか渋った。

口元を引き締め、真面目な表情で伏し目がちになる。

憂いを帯びた表情は、いつにも増して危うい儚げな魅力を湛えていた。

なにか重大な問題でもあるのだろうか。

翠麟が重々しく口を開き、そして告げた。

「私は水に濡れるのが嫌いなんだ」

青は珍しく切実な翠麟に思わず身構えていたので、その答えを聞いて素っ頓狂な声を上げてしまった。

「あんたは子供ですか!?」

「嫌な物は嫌なんだ」

悲しげな瞳をする翠麟だが、そこに同情する余地は無いと青は判断した。

「……それに、離れていてはお前を守れないじゃないか」

そっちを先に言っていれば、まだ印象が良かったものを……。

咄嗟に思いついた言い訳なのだろうが、朱雀宮に居残りしている女官が聞けば泣いて喜ぶような甘ったるい言葉を、青は副料理長顔負けの渋面で受け取った。



昼を過ぎ、ようやく仕事がひと段落ついた青は、その辺にあった木箱に腰を下ろした。

用意した食事は八十二膳。結構な数である。

しかし、盛り付けるだけであることと、珪が思った以上に器用だったこともあり、三人でやるにはそれほど多い仕事ではなかった。

しかし、思った通り不器用だった上級神様は、崩れ落ちるように椅子に腰を下ろすなり、溜息をつきながら調理台に伏せた。

「疲れた……」

「珪さんの半分も盛り付けてないじゃないですか」

青が四十膳、珪が三十膳、翠麟が十二膳という割り振りである。にも関わらず、一番時間がかかったのは翠麟であった。

青より早く、一番に仕事を終えた珪などは、何事も無かったかのような顔で埃を被ったかまどの掃除をしている。

ちなみに、基本的に使われない玄武宮の厨房はお茶も沸かせない状態だ。食品を扱う場としてどうかと思うので、早めになんとかしなければならない。

「私は細かい仕事に慣れてないんだ」

「いつも私にさせてますからね」

薄く笑った珪を、翠麟は「余計な事を……」とばかりに睨んでいた。



しかし、まだ数刻しか経ってないとはいえ平和なものである。

青は立ち上がり、少し伸びをする。

体調がすぐれないのは相変わらずだが、朝程ではない。

心配は杞憂だったのだろうか。

「少し厠へ行ってきます」

そう言って出口の扉に右手をかけると、いきなり左の腕を掴まれた。

「私も行く」

言わずもがなの翠麟である。

青は、思わず胡散臭い物を見る目で睨んだ。

ここから厠は十歩分も離れていない。

「……厠ぐらい一人で行かせて下さい」

黙っていれば絶世の美神。高慢だが残念な女の敵という翠麟の印象に、無粋で粘着質というのが加わった。後ろで珪も困ったように溜息をついている。

「い、いや。そうではない……」

翠麟は慌てて手を離した。

「どうせついでに湯殿へ行くつもりだろう。厠へ行ったら一度戻ってこい」

青の勝手で、わざわざ手間をかけさせたくないので言わなかったのに、この神様は妙なところで聡いらしい。

拒否すれば厠にもついてきそうな勢いだったので、青は仕方なく承諾した。



***



「よく来たな。ここは朱雀の厨房じゃないから茶は出してやれないが、ゆっくりしていけ」

青たちが湯殿につくと、あの副料理長が満面の笑みで迎えてくれた。

翠麟が大きく目を見開いて固まり、青などは半歩下がり、そのまま引き返そうとして翠麟に止められた。

元来顔のつくりは翠麟には及ばないものの『美形』と呼ばれて遜色がない副料理長である。

常に今の表情でいれば、翠麟に近い人気が出ることだろう。

ただしそれは、なぜか菜切り包丁より細身で先のとがっている柳刃包丁を両手に携え、血液を拭った跡にしか見えない黒い汚れを顔につけていなければの話である。

奥で、紅と白が身を寄せ合って震えていた。

「その……なんだ……、……お疲れ様」

翠麟が斜め上を見ながら言うと、副料理長は「……ああ」と言って気付いたように両手の得物を見た。

「ちょっとお客さんが来たんで、相手をしていたんだ」

歓迎でないのは言うまでも無い。

「……殺していませんよね?」

「まさか。ちょっと灸を据えてやっただけだ」

よく見ると、頬の汚れは薪を用意する際についた煤のようだった。

ほっと胸をなでおろした二人の前で、いつもの表情に戻った副料理長は両手の包丁に晒布さらしを巻いて懐にしまった。

いつも持ち歩いているかのような慣れた手つきに肝が冷えたが、あまり考えないようにしておいた。

「で、どうした? 本当に茶も茶菓子も出せないが……、青?」

ふと、副料理長が青の顔を覗きこんできた。

「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

熱を計ろうとしているのか、副料理長の手が青の前髪を掻き上げ、冷やりとした感触が額に触れる。

(……だから、今更無表情は治りませんって)

そんなに具合が悪そうに見えるのだろうか。

心配されるほどひどくはないし、青の身体だってそこまでやわじゃない。

丁重に断ろうとして副料理長の手を掴むと、突然視界が傾いだ。

身体に力が入らない。膝が崩れ、そのまま副料理長の方に倒れこんでしまった。

「おい、どうした!?」

とっさに副料理長が抱きとめ、驚いた翠麟や紅たちが駆け寄って来る。

しかし、誰よりも青本人が一番驚いていた。

締め付けられるような痛みが頭に響く。硝子を引っ掻くような高い不快な音が耳元で鳴り始めた。

「……だいじょうぶ、です」

絞り出した声が、全然大丈夫じゃなかった。

最近よく見るようになった翠麟の真面目な顔が、青を覗きこむ。

「大丈夫じゃないな」

そう言って青の腕を取り、支えながら立ち上らせた。

「紫水、騒がせて悪かった。厨房で休ませる」

「わかった。気をつけてな」

曖昧になり始めた視界の中で、面や布越しにじっとこちらを見る紅たちが見えた。

(心配かけたかな……)

少しの罪悪感を覚えながら、気だるさに襲われた青はそのままゆっくりと瞼を下ろした。


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