母を斬った犯人を追い詰めることができたのは婚約破棄のおかげです
「シーラ・ノクス。お前は俺の剣の道の妨げにしかならん。お前との婚約を破棄する!」
夜会にて、伯爵令息ルハイト・ディーブル様は、私に指を突きつけて言い放った。
銀髪で、琥珀色の瞳を持ち、猛禽類のような鋭い眼をしている。
しかも、剣の達人としても知られ、残酷ならぬ“斬黒”という異名で恐れられている。まだ若いのにあちこちひび割れた両手からも、その凄まじさが伝わってくる。
私はうつむきながら、その宣言を受け入れるしかなかった。
「は、はい……」
だけど、内心ではほくそ笑んでいた。
婚約破棄は辛いけど、これで……これで母を傷つけた犯人を追い詰められる、と思えば……。
***
二年前のことだった。
私はお母様と一緒に、王都で散策を楽しんでいた。従者は侍女一人。人通りは多く、まさか王家のお膝元で危ない目には遭わないだろうと思っていた。
だけど夕刻になり、周囲が薄暗くなった頃、それは起こった。
物陰から、覆面をつけた何者かが飛び出してきて、お母様に剣を振りかざした。
「きゃあっ!」
道路に血がしたたる。覆面の犯人はどこかに逃げてしまった。
「お母様っ!」
「奥様っ!」
私と侍女が駆け寄ると、お母様は「あなたたちが無事でよかった」と気丈さを見せてくれた。
幸いお母様は命に別状はなかったけど、斬られた右腕はほとんど動かせなくなってしまった。
気にしていない素振りをしているけど、利き腕が使えないのはやはり相当なハンデだし、三角巾を巻いた姿がとても痛々しい。
捜査も行われたが捗らず、事件は迷宮入りしてしまった。
それから二年――私もノクス子爵家の娘として社交デビューを果たす。
ブルネットの髪をなびかせ、瑠璃色のドレスを着飾る。
華やかで煌めく世界に足を踏み入れたけど、血なまぐさいあの事件のことを忘れたことはなかった。
そして、ある日の夜会で、私は偶然にも見つけてしまう。
(あの目……間違いない!)
あの目の持ち主こそ、あの日お母様を斬ったあの男だ。
視力と記憶力には自信がある。絶対の確信が持てた。
(のうのうと夜会を楽しんで……許せない!)
それから程なくして、私は伯爵令息ルハイト様と婚約を結び、その婚約を破棄されることになる。
お母様……その右腕の傷の償いは、必ずさせるからね。
***
ルハイト様に婚約破棄されてから数日後、私が王都をとぼとぼ歩いていると、声をかけられる。
「これ、食べない?」
一人の青年に果実を手渡された。
青年は、繊細な細工物のように丁寧に整えられた金髪、サファイアのように透き通るような青い瞳を持ち、優しげな笑みを浮かべている。
「いただきます……」
私は渡された果実を一口食べる。程よい歯ごたえで、甘くて美味しい。
ベンチに腰掛け、穏やかな日差しの中、お互いに自己紹介をする。
青年の名はビクトル。代々王都警護官を務めていることでも名高いシュトーレ伯爵家の嫡子だ。
ビクトル様は私が婚約破棄されたことを知っていた。
「……見ていたよ。君があのルハイトに婚約破棄をされ、打ちひしがれているところを」
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「とんでもない。悪いのは彼さ。彼の家は特殊だし、剣の道に生きるのはいいが、彼はどうも貴族の道に外れたところがある」
この瞬間、ルハイト様のことを思い出し、私は腹立たしくなる。
そんな私に、ビクトル様はそっと右手を差し出す。ルハイト様に比べるとなんて綺麗な手だろう。
「僕は君のような子を放ってはおけない……。よければ、君の傷を癒やす手伝いをしたい。いいかな?」
「……はい。どうかよろしくお願いします」
こうして私とビクトル様は交際を始めた。
王都でお茶をして、食べ歩きをして、コンサートを見て、ショッピングをして……。
シュトーレ家が務める王都警護官は、王都で発生した数々の事件の捜査権を有する。
ビクトル様に近づけたことは、まさに私の計算通りだった。
***
ある日、私はシュトーレ家の王都におけるタウンハウスに招待された。
伯爵家だけあって、いい家に住んでいる。ノクス家のタウンハウスより一回りも二回りも大きい。
庭では多くの犬や猫を飼っていた。ビクトル様が拾ったものを、使用人らに世話させているという。
ビクトル様の私室はよく整理されていた。できる貴族令息のお部屋という感じだ。
どっしりとした机があり、本棚には書物が詰まっており、ベッドがあり、壁には剣が飾られている。
しばらく雑談を交わした後、私は壁の剣に目をやる。
「立派な剣ですね……」
「僕も未来の王都警護官だからね。剣のたしなみぐらいはあるさ」
「ちょっと見てもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
私は剣に近づき……。
「ありがとうございました!」
「君が剣に興味があるとは意外だったよ」
「これでも、騎士や剣士が活躍する劇や小説には目がなくって!」
その後、私はビクトル様の武勇伝の数々を聞く。
すでに未来の警護官として、王都内の犯罪者を捕えたこともあるそうだ。
私はすごいすごいとビクトル様を褒め称える。この人にはその気になってもらわなければならない。
そろそろいいかな、と私はビクトル様をじっと見る。
「ビクトル様、あの剣で素振りを見せてくれませんか?」
「え、今からかい?」
「はい、ぜひ……。ビクトル様の剣捌きを見てみたいんです!」
「まあ、いいけど」
私はビクトル様とともに家を出て、近くの緑道まで案内する。
「こんなところまで来なくてもよかったのに」
「ビクトル様の素振りはすごそうですし、周囲に人がいると危ないですから」
「そう大したものではないけどね」
そう言いつつ、ビクトル様の鼻はどこか高くなっている。
「では素振りをお願いします」
「よぉし……えいっ! えいっ!」
ビクトル様が素振りを披露する。
「……なるほど」
「どうだい? 僕の腕前は」
私は声のトーンを変えた。
「こんな風に斬ったんですね。私のお母様も」
「……なに?」
私の言葉に、ビクトル様の顔が凍り付いた。
「二年も経ちましたし、記憶も薄れてしまいましたか? あなたは王都の街角で、私の母親を斬ったんです」
「……ッ!」
ビクトル様の顔色が露骨に変わった。
「何を言ってるんだい、シーラ?」
「二年前、私の母は右腕を斬られました。治療はしましたが、今も腕は不自由なままです。その時、私も現場にいたんですよ。あなたは見ていなかったようですけど」
「その犯人が僕だと?」
「ええ、あなたの顔と透き通るような青い目をはっきり見たんです」
ビクトル様は肩をすくめる。
「何を言ってるんだ? あの暗がりで、覆面していた犯人の顔がはっきり見えるわけがない」
「覆面? なぜ、犯人が覆面をしていたと? それになぜ、事件当時の現場の明るさまで知ってるんです?」
「あ……ッ!」
よほど油断していたのだろう。あまりに分かりやすい失言だった。二年という月日は罪の発覚を恐れる心を緩ませるには十分な時間だった。ビクトル様は唇を噛み締める。
「僕とて未来の王都警護官……王都で起きた事件ぐらい、知っているさ……」
「さすがですね。そう簡単に尻尾を出さない」
ビクトル様の目がついに吊り上がった。
「いい加減にしろ! だったら僕がやったという証拠を出してみろ!」
「母が受けたあの傷は、正式な立ち会いの元、宮廷画家にスケッチされ、医師にも記録されています。そして、私は先ほど部屋で、あなたの剣の切っ先の“型”を取りました。この粘土でね」
私は型を見せる。すでに粘土は固まり、証拠能力は十分だ。
「な……!」
「あなたの剣は既製品などではなくオーダーメイドでしょう。この型と傷の記録を照合すれば、あなたが犯人だと告発できるはずです」
ビクトル様はうっすら笑むと、その綺麗な右手を差し出してきた。
「よこしなよ。それ」
「よこすと思いますか?」
「ふふふ、それらの証拠だけでは不十分だと思い、僕から決定的な言葉を引き出したかったから『素振りを見たい』と、ここに呼び出したのだろうが……失敗だったな」
「なぜです?」
「なぜって……分からないか? 今ここに他に人はいない。君を殺すのに……打ってつけの場所なんだよ!」
ビクトル様は青い瞳を殺意でたぎらせ、私めがけて斬りかかってきた。
同時に、茂みから影が飛び出してきた。
影は私を守るように、ビクトル様の剣を剣で受け止めた。
「お前は……ッ!?」
飛び出した影が名乗る。
「俺はルハイト・ディーブル。こいつの元婚約者だ」
「ルハイト……! なんで、ここに……!」
「話は聞いていた。ディーブル家の使命は知っているな? シーラと証拠は必ず守る。それと、お前に制裁を加えさせてもらう」
ビクトル様の顔が引きつる。
「ナメるなぁ!!!」
ビクトル様が剣を上段に振りかぶって斬りかかるも、勝負にならなかった。
あっという間にビクトル様は右腕を斬られた。
これは最初から分かっていたこと。酷使が見て取れるルハイト様の凄まじい手に比べ、彼の手はあまりにも綺麗すぎた。それはそのまま鍛錬の差だった。
「いぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
「今の一撃は確実に神経を切断した。お前の右腕はもう二度と動くことはない」
「あぐぅぅぅぅ……!」
仕事を終えたルハイト様に、私は声をかける。
「ありがとうございました。ルハイト様」
「いや、お前こそいい覚悟だった」
一連の真相。
私は夜会でビクトル様――いえ、ビクトルの目を見て、彼こそ母を斬った犯人だと確信した。
しかし、打つ手がなかった。証拠がないし、子爵家の私では伯爵家のビクトルに立ち向かうことは難しい。
そこで私はルハイト様に接触した。
ルハイト様の“斬黒”という異名にはもちろん由来がある。決して残酷だからではない。
ディーブル家の人間は『執行剣士』という職務につく、かなり異質な家系だ。執行剣士は、賊や犯罪者といった悪しき者を、自分の判断で斬り捨てていいという強力な権限を持つ。
ただし、相応の能力と責任を求められるし、家格も伯爵家の中では低い部類に入る。ディーブル家を“悪党の返り血で成り上がった一族”と揶揄する人もいる。
だけど、だからこそ、この人に頼った。
数々の功績を上げ、世の中の黒を斬る、すなわち“斬黒”と呼ばれるほどになったルハイト様に。
私の訴えに、ルハイト様もさすがに難色を示した。
「難しいな。シュトーレ家の力は大きい。俺が動くには、確かな証拠と、欲を言えば奴が言い逃れできないぐらいの“状況”が欲しい。万一にも間違いがあれば、俺の家そのものが存続できなくなるからな」
執行剣士も、まともにぶつかっては政治や権力の面では王都警護官には敵わない。戦うには工夫が必要になる。
私は思い切って、自分の策を伝えた。
調べたら、ビクトルは気の毒な境遇の動物や女の子を見ると愛でてやりたくなるという嗜好の持ち主だった。しかし、それは最初だけで、飽きれば動物の世話はしなくなるし、女の子に至ってはとっとと捨ててしまう。シュトーレ家の威光のおかげで、それが大きく表面化することはなかった。
だから、私は――
「お前と婚約?」
「はい、それからあの人がいる夜会で、私を派手に婚約破棄してください。そうすれば、あの人は私に近づいてくるはず。私はなんとしても、証拠と状況を作ってみせます」
私の策を全て聞いたルハイト様は薄く笑った。
「面白い。その策に乗ろう」
「よかった。私は彼に斬られてしまうかもしれませんが、これで悔いは残りません」
すると、ルハイト様は静かに言った。
「お前を斬らせはしない。必ず守る」
この瞬間、私の胸が大きく弾んだ。
そして、私たちは計画を実行に移した。
簡素に婚約を済ませ、少しして婚約破棄。案の定ビクトルは私に近づいてきた。彼がルハイト様を「貴族の道に外れている」などと評した時は、どの口が言うんだと本当に腹が立った。ルハイト様は立派な貴族だ。
その後、私は粘土の型で証拠を掴み、ビクトルの失言と激高を引き出してみせた。
策に嵌まり私に斬りかかってきたビクトルは、ルハイト様によって右腕の神経を切断されるはめになった。
――事件解決である。
捕らわれたビクトルは、身内に捜査させるわけにもいかず、王家直轄組織から取り調べを受けることになった。
それはとても厳しいもので、ビクトルはたまらず全てを白状した。
二年前――剣を特注し、腕にも自信があったビクトルは、誰でもいいから試し斬りをしたくなってしまった。標的にされたのは、言うまでもなく私の母だった。理由はたまたま目についたから。覆面をして、斬りつけ、そのまま逃げた。
その後、王都警護官であるビクトルの父はすぐに息子の仕業だと気づいたが、なんとこれを隠蔽。事件は迷宮入りとなった。捜査の最高責任者が犯人をかばっていたのだから、事件が解決するわけがなかった。
王家は大いに怒り、ビクトルは即座に牢獄に送られ、シュトーレ家は領地を没収され取り潰しとなった。王都警護官には新たな貴族が選出されることになるだろう。よりによって王家のお膝元で、職務を放棄し、真実を隠そうとした代償はあまりにも大きかった。ビクトルが無責任に拾っていた動物たちは、無事それぞれ引き取り手が見つかったというのがせめてもの救いね。
一方、ルハイト様及びディーブル家は、執行剣士として悪しき伯爵家を討ったということで大きく名を上げることになった。
私も大胆な作戦を思いついた令嬢と評価され、社交界で名の知られた存在になっていく。
さらに嬉しいニュースとして、お母様の右腕がきちんと動くようになった。
ルハイト様は剣の達人だけあってリハビリの方法も心得ており、お母様にそれを施してくれたのだ。
まだ左手に比べれば握力は弱いけど、このままいけば元通りになる日も近いという。
事件が落ち着いたある日、私は王都の公園でルハイト様と会っていた。
まず、私は丁寧に頭を下げる。
「母を斬った犯人を追い詰めることができたのは……あなたの婚約破棄のおかげです。本当にありがとうございました」
すると、ルハイト様は目を逸らしつつ――
「そのことなんだが……シーラ・ノクス。実は、またお前と婚約したい」
「……!」
「あの時、自分の母の無念を晴らすためなら、自分の命すら賭けてみせるお前の姿に、俺は心打たれた。悪を斬り捨てる使命を持ちながら、家の存続などを考えていた自分が心底恥ずかしくなったよ」
「ルハイト様……」
「そして、お前をビクトルの手から守った時、はっきりと分かったんだ。ああ、俺は……お前のことが好きなんだって。これからも一緒にいたいって……。だから……」
たどたどしくぶっきらぼうではあるけど、実にこの人らしい告白だ。
私は答える。
「私も、偽りの婚約破棄をされた時、辛かったんですよ。これで犯人を追い詰められる。でも、本当にルハイト様と結婚したかったなぁって」
ルハイト様が目を見開く。
「だから、今度こそ本当の婚約をしましょう。よろしくお願いしますね」
「あ、ありがとう……!」
喜ぶルハイト様の顔は、その“斬黒”という異名にはあまりに似つかわしくないほどに素朴な可愛らしさを帯びていた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




