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五分で読める AI短編小説集

最後の訪問者

作者: アイキカイ
掲載日:2026/02/20

 その依頼は、妙に具体的だった。

「私の家に、誰かが入っています」

 電話口の女は、落ち着いた声で言った。

「でも、盗まれた物はありません。壊された物もない。鍵も閉まっています。ただ──」

 少し間があった。

「家具の位置が、変わっているんです」

 私はメモを取る手を止めた。

「警察には?」

「相談しました。でも被害がないので、気のせいではないかと」

 なるほど。

 私は言った。

「現場を見ましょう」

 住所を聞く。

 都内の古い住宅地。

 二階建ての一軒家。

 翌日、私はその家を訪ねた。

 依頼人は三十代半ばほどの女性だった。

 やつれた印象はない。

 むしろ理知的で整った顔立ち。

「来ていただいてありがとうございます」

 室内に通される。

 きれいに片付いている。

 物は少ない。

 几帳面な性格が見える。

「どのように変わっているのですか」

 彼女はリビングを示した。

「昨日は、ソファが窓側でした」

 今は壁側にある。

「テーブルも、向きが違います」

 確かに回転している。

「最初は自分が動かしたのかと思いました。でも──」

 彼女はキッチンを指す。

「食器棚の中も変わっているんです」

 開ける。

 皿が整然と並んでいる。

「どこが?」

「私、同じ種類ごとに重ねます。でも今は、大きさ順です」

 几帳面な人ほど気づく違和感だ。

「侵入の痕跡は?」

「ありません。窓も鍵も」

 私は家を一通り見た。

 玄関。

 寝室。

 浴室。

 どこも整っている。

 ただし。

 妙に「整いすぎて」いる。

 生活の揺らぎがない。

 私は尋ねた。

「同居人は?」

「いません。一人暮らしです」

「恋人は?」

「いません」

「合鍵を持つ人は?」

「いません」

 私はリビングに戻る。

 ソファを見る。

 床にわずかな擦れ跡。

 確かに動いている。

 でも。

 力任せに動かした跡ではない。

 静かに、慎重に移動した痕。

 私は言った。

「侵入者は、荒らしていません。むしろ整えています」

 彼女は小さくうなずく。

「ええ。まるで……」

「住んでいるかのように」

 彼女は顔を上げた。

「そうなんです」

 沈黙。

 私は窓を見る。

 外からの侵入は難しい。

 玄関も同様。

 私は言った。

「この家に、もう一人いる可能性があります」

 彼女は苦く笑った。

「幽霊ですか?」

「いいえ」

 私は言う。

「あなた以外の“住人”です」

 彼女の表情が固まる。

「どういう意味ですか」

 私はゆっくり言った。

「この家には、あなたが知らない生活がある」

 彼女は首を振る。

「そんなはずない。私はずっと一人で」

 私は遮った。

「昨夜は何時に寝ました」

「一時ごろ」

「今朝起きたのは」

「七時」

「その間、あなたの記憶は連続していますか」

 沈黙。

 彼女の呼吸が浅くなる。

「……寝ました。普通に」

「確信できますか」

 彼女は答えない。

 私は続ける。

「家具は、夜の間に動いている」

「だから侵入者が」

「鍵は閉まっている」

 沈黙。

 私は静かに言った。

「侵入者は、外から来ていません」

 彼女の目が揺れる。

「ではどこから」

 私は言う。

「ここから」

 彼女の胸を指した。

 彼女は後ずさる。

「……私が?」

「もう一人のあなたが」

 部屋が静まる。

 私は続ける。

「この家には、二つの生活があります」

「一つは、あなたが覚えている生活」

「もう一つは、あなたが覚えていない生活」

 彼女は首を振る。

「そんな……」

「家具を整える人は、几帳面です」

 私は食器棚を見る。

「あなたよりも」

 彼女の顔が青ざめる。

「つまり、夜のあなたは別人です」

「解離性の状態。もう一つの人格」

 彼女の唇が震える。

「……私が、動かしている?」

「ええ」

 私は静かに言う。

「もう一人の住人は、あなたです」

 長い沈黙。

 時計の音。

 彼女は椅子に座り込む。

「……気づかなかった」

「多くの場合、本人は覚えていません」

 彼女は部屋を見回す。

 整った空間。

「じゃあ……侵入者はいない」

「はい」

 私は言う。

「この家にいるのは、あなた一人です」

 彼女は深く息を吐く。

 肩の力が抜ける。

「よかった……」

 私はうなずく。

「危険性は低い。ただし治療は」

 そのとき。

 背後で音がした。

 カチャ。

 私は振り返る。

 寝室のドアが、ゆっくり閉まった。

 彼女も見る。

「……今、閉まりました?」

「ええ」

 私は立ち上がる。

 寝室へ向かう。

 ドアを開ける。

 中は空。

 ベッド。

 クローゼット。

 窓。

 誰もいない。

 私は床を見る。

 足跡はない。

 彼女が言う。

「……風?」

 窓は閉まっている。

 私は黙る。

 リビングに戻る。

 テーブルを見る。

 ペン立てがある。

 さっきは机の右端だった。

 今は左端。

 私は止まる。

 彼女も気づく。

「……動いてます」

 沈黙。

 私は言った。

「……もう一つ可能性があります」

 彼女の声が震える。

「何ですか」

 私はゆっくり言う。

「もう一人の住人は、あなたではない」

 空気が凍る。

「では……誰が」

 私は家全体を見る。

 整いすぎた空間。

 生活の揺らぎの欠如。

 そして。

 私が最初から感じていた違和感。

 私は言う。

「あなたが知らない生活があると言いましたね」

「ええ」

「それは訂正します」

 彼女を見る。

「この家にある生活は、一つだけです」

 彼女が瞬きをする。

「……?」

 私は静かに言う。

「それは、あなたの生活ではない」

 沈黙。

 彼女の顔から血の気が引く。

「……どういう」

 私は部屋を指す。

「この家は、誰かに整えられている」

「あなたではない誰かに」

 彼女は震える。

「侵入者……?」

 私は首を振る。

「違う」

 ゆっくり言う。

「住人です」

 彼女の瞳が見開く。

「あなたは──」

 私は止めを刺す。

「この家に住んでいない」

 世界が止まる。

 彼女の呼吸が消える。

「……え?」

 私は静かに言う。

「あなたの生活痕は、どこにもない」

「衣類の摩耗。使用頻度の偏り。匂い。癖」

「すべて一致しない」

 彼女は首を振る。

「でも私はここで暮らして」

「暮らしていません」

 私は言う。

「あなたは訪問者です」

 彼女の目に涙が浮かぶ。

「そんな……ここは私の家」

 私はゆっくり言う。

「では証明してください」

 彼女は凍る。

「あなたの歯ブラシはどれですか」

 沈黙。

 浴室を見に行く。

 歯ブラシが二本。

 どちらも新品同様。

 彼女は指させない。

「パジャマはどこですか」

 クローゼット。

 衣類はすべて同じサイズ、同じ畳み方。

 タグ付きの物もある。

 彼女は言葉を失う。

「あなたの“使用された物”が、一つもない」

 彼女は崩れる。

「じゃあ……誰が」

 私は言う。

「この家の住人です」

 沈黙。

 そのとき。

 玄関の方で鍵の音がした。

 カチャ。

 私たちは振り向く。

 ドアが開く。

 男が入ってくる。

 スーツ姿。

 鍵を閉める。

 靴を脱ぐ。

 そしてリビングの私たちを見る。

 怪訝な顔。

「……誰ですか」

 女が凍る。

 男は言う。

「人の家に」

 沈黙。

 私は静かに名刺を出す。

「探偵です」

 男の眉が上がる。

「探偵?」

 私は女を見る。

 彼女は青ざめている。

 私は言う。

「依頼はこの方から」

 男は女を見る。

「……知りません」

 女の唇が震える。

「ここ……私の家……」

 男は即答する。

「違います」

 静寂。

「ここは、私の家です」

 女が崩れ落ちる。

 私は理解する。

 最初からの違和感を。

 この家には確かに住人がいた。

 整え続ける住人が。

 そして女は。

 侵入者だった。

 彼女は呟く。

「……私、どこに住んでるの」

 私は答えない。

 誰も答えることはできない。

 ただ一つ確かなのは、

 この家の家具は、

 正しい住人によって、

 正しい位置に戻され続けていたということだけだ。

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