これは奪還のための戦いです
高校デビューしてまで手に入れたかったはずのものは手に入らなかったけれど、実際には大して欲しくもなかった──
私、笹倉結奈は、高校入学後わずか3ヶ月にしてこの事実を知った。
これは決して、手に入らなかったが故の負け惜しみではない。
むしろそうだったならよかった。
もしそうなら、まだ心の整理がつく気がするから。
切望して努力して、それでも駄目だったというほうが。
きっかけは誤爆。
私にとってははじめての経験だったけれど、ありきたりの話なのだと思う。
しょうもなくて、ネタにもならない。
──打ち上げ、どうする?
今日は、1学期の期末考査の最終日だった。
私は、高校に入ってすぐに仲よくなった(と思っていた)同じクラスのグループに声をかけた。
──中間考査のときみたいに今日も行かない?
中間考査が終わったその日に、このメンバーでショッピング・モールへ行ったのだ。
歩き疲れたあとはファミレスに入り、時間切れになるまでおしゃべりした。
その打ち上げは、中間考査が始まる前から決まっていたのに対し、今回はまだ何の話もでてなかった。
どうして、その時点で気がつかなかったのか。
普通なら気づくと思う。
しかし、おめでたい私は、なぜか今回も打ち上げをするものと思い込んでいた。
初回こそ前もってきっちり約束しておく必要があったけれど、2回目以降は暗黙の了解みたいなものがあるのだと。
私からの提案に、皆が一瞬静止した。
それからすぐに曖昧な笑顔の連鎖。
おかしな空気に引っかかりを感じはした。
──あー、ごめーん。今日は用事があって。
──私もなんだ。
──私も。
──また今度ね。
それでもまだ私はそれらの言葉を信じた。
──そっか。私も急に誘ってごめん。うん、また今度!
そうして、丸々空いてしまった午後。
帰宅し、自分の部屋に引きこもった。
退屈だった。
ちょうどその瞬間には、漫画を読むのにも疲れて、ベッドの上でぼんやりと考え事をしていた。
中学のときだったら、こんな暇なときには……
小さくて軽い球がカツン! と音を立てた気がした。
と、頭のすぐ横に放ってあったスマホの画面が光った。
持ち上げずに、画面だけ自分のほうに回転させると、通知バーが表示されていた。
『カラオケ楽しかったね』
『またこの4人で行こうね』
即座に理解した。
私を除いたメンバーで打ち上げに行ったのだ。
私を除いたトークグループも存在するのだろう。
そして、そっちのグループのほうに送信しようとして誤爆した──
画面から光が消えるのと同時に、私の胸も幕が下りたように真っ暗になった。
今私の中にあるこの感情は、どういう種類のものなんだろう?
ハブられたことに対する哀しみ?
違う、と反射的に思った。
だって、私は自分が無理をしてあのグループに混じっていたことを知っていたのだから。
哀しみと似ているようで、異なるこれは……
ああ、そうか。
私は虚しいんだ。
ハブられてもすんなり納得できてしまうようなグループに、3ヶ月も付きまとってしまった。
その間、思い描いていた高校生活とは程遠かったにも拘らず、どうしてそれほど固執してしまったのか……
メッセージを開こうとしたけれど、すでに取り消されたあとだった。
しばらく待ったけれど、フォローのメッセージはくる気配はない。
何のメッセージも受け取らないスマホの画面を眺めながら思い出すのは、彼女たちの顔ではなかった。
──花凛。
声には出さず、その名前を呼んだ。
胸の芯みたいな部分がズーンと重くなる。
──花凛、花凛、花凛!
本人のいないところで、無言で喚いたところでどうにもなるはずがない。
まあ、本人の目の前で、声に出して訴えたとしても、やはりどうにもならないだろうけれど。
それでも喪失感が私にそうさせた。
私はどうして花凛を裏切るような真似ができてしまったのだろう?
目が醒めてしまえば不思議で仕方がないし、自分の愚かさに嫌気がさす。
ああ、そうだ。
あの日、私には魔法がかかってしまったのだ。
そうに違いない。
中学生という中途半端な年齢のせいなのか、それとも単純に私が愚かだっただけなのか……
それは、大切なものがつまらないもののように見えるという恐ろしい魔法だった。
そこから私は誤った道を進むこととなった。
始まりは、月ヶ丘高校の文化祭を訪れたことだった──
※
正門をくぐると、さっそくとりどりの屋台が並んでいて、元気のいい宣伝が目と耳に飛び込んできた。
立ち上る煙も、芳ばしいものから甘いものまで様々。
私のテンションは東京スカイツリーの高速エレベーターに乗ったかの如く急上昇した。
そこを抜けて建物の内部に入ると、今度はお化け屋敷や巨大迷路だけでなく、ジャズの生演奏や演劇に至るまで鑑賞し放題。
はじめて目にした高校の文化祭。
自分の知る中学の文化祭とは、規模も質も全然違った。
完全に別物だった。
私の目には、そこは学校ではなく、さらがらテーマパークのように映った。
月ヶ丘高校を選んで来校したのは、家から自転車で通える範囲内にあって、偏差値を始めとした諸々がちょうどいい、という至極現実的な理由だった。
けれど、あの日私は魔法にかかり、そのキラキラと輝く世界に魅了された。
それどころか、その魔法はたちまちのうちに私の深部にまで浸潤した。
テーマパークのスタッフ誰もがニコニコ笑顔で、心の底から楽しそうだった。
私より少し歳上なだけなはずなのに、ずっと大人びて見えたし、まさに青春真っ只中という空気を纏っていた。
羨ましくて堪らなくなった。
「うわあ、この高校に通えたら楽しそうだね!」
一緒に来ていた花凛が、興奮して話しかけてきた。
「……そうだね」
「結奈はこういうノリ、苦手? でも、ほら! 月ヶ丘は卓球部がまあまあ強いし!」
私のノリの悪さを明らかに勘違いしていた。
そうと分かっていたけれど、訂正しようとも思わなかった。
それほど周りの景色に夢中になっていた。
このとき、私もこの世界の住人になると決めたのだった──
しかし、月ヶ丘高校に合格すると、私はテーマパークのキャストではなく、至って普通の高校生になった。
そして、中学とは違うけれど、中学時代から地続きの日常が始まった。
あの文化祭の日だけが特別だったのだ。
それでも、あーそうだよね、と割り切ることはできなかった。
だから、あの日のキャストに最も近そうなグループに声をかけ、強引に加わった。
しかし、学校を楽しんでいるように見えた彼女たちも、実際に楽しいのは休み時間だけだった。
キラキラしているのも、好きなことをしている時間に限られていた。
そして私はというと、彼女たちの好きなことは好きになれず、彼女たちといる間は好きな振りをした。
そんなだから、会話は薄っぺらいことしか言えなかった。
彼女たちが夢中のファッション・ブランドは、素直に可愛いと思う。
しかし、自分が着たいとは思えなかった。
単純に好みではなかったのだ。
それに無理して着たところで、私では彼女たちみたいには着こなせないのも分かっていた。
毎朝のメイクも、BBクリームと色付きリップくらいなら大した手間ではないけれど、それ以上はもはや面倒になってきている。
メイクに費やす時間をなくして、その分ベッドの中にいたいくらいだ。
そのことを見透かされていた。
ハブられたのは、当然の結末だった。
※
週が明けても、胸の中心部は依然として重いままだ。
なのに、それを支える足には力が入らない。
実際のところそうでもないのだろうけれど、渡り廊下を歩いている私の足取りは不恰好のような気がする。
旧・講堂へ来るのは、花凛と部活見学に来て以来。
卓球台が常に並べっぱなしにされている、卓球部専用の練習場所だ。
「失礼しまーす」
入り口のドアを私が通り抜けられるギリギリの幅だけ開け、そろりと中へと入った。
ふたり1組になって、ラリー練習をしている最中のようだ。
球がラケットに当たったり、台の上で跳ねたり転がったりする音に混じって、キュッキュッというシューズの高音が響く。
「はーい、次はフォアとバック交代でー!」
顧問の先生は、先にネットのついた棒を持って、きびきびと歩き回っている。
床にこぼれ落ちた球を回収しているのだ。
ちょうど私の正面の卓球台を周り、私と向かい合わせになったとき、先生は顔を上げた。
「あら? 誰かに用?」
ラリー中にも拘らず、ちらっとこちらに視線を向けてくる部員もいた。
けれど、左奥の卓球台にいる花凛はずっと背中を向けたまま。
きっとラリーの相手と球だけを見ていて、私が来たことに気づいていないのだろう。
私がいなくても、ずっとここでそうしてきたんだ。
その背中が、私を締め出しているみたいに感じられた。
でも、そんなふうに感じるなんて、お門違いもいいところだ。
自分からここではない場所を選んだのだから。
遠回りしたせいで3ヶ月遅れになってしまったとはいえ、結局ここにたどり着くことができたんだ。
今から挽回していけばいいじゃない。
自分にそう言い聞かせて、気持ちを立て直す。
「卓球部入部を希望して来ました!」
ようやく花凛と目が合った。
振り向きざまに目を大きく見開き、驚い……ているのか、それとも怒っているのか……
ここからでは判別がつかない。
「あなたは確か、4月に見学に来てくれた……」
「1年3組の笹倉結奈です!」
「そう……うーん、入部希望はうれしいんだけど……」
そういう割に、ちっともうれしくなさそうだ。
「大きな大会が近くて、今大事な時期なのよね。当然エントリーも終わってるし」
「あっ!」
全日本ジュニアの1次選考のことだろうか。
それはタイミングが悪過ぎる。
考えが及ばなかったことに、今さらながら気づき、恥ずかしさを覚えた。
自分のことで頭がいっぱいだったからって、あんまりだ。
花凛の視線が冷たくて、居た堪れない。
すごすごと退散するほかなかった。
「そうですか。お邪魔して、すみませんでした」
ぺこりとお辞儀をしたはいいけれど、顔を上げることができない。
首を垂れたまま、体を反転しようとした。
そんな情けない姿の私が、可哀想に見えたのかもしれない。
「待って」
先生が呼び止めてきた。
「大会が終わったあとなら、いつでも歓迎するわ。秋には新人戦もあるの。個人戦は基本的に全員参加、団体戦は部内でトーナメントをおこなってメンバーを決めるつもりなんだけど、あなたなら十分その可能性もあると思う」
「団体戦ですか⁉︎」
その言葉に胸がときめく──
「そんなのってないと思います!」
しかし、花凛の冷たく鋭い声が、旧・講堂とともに私の胸までも鎮まり返らせた。
「私たち4月から仲間としてやってきました。それなのに突然割り込まれるなんて、私は反対です!」
「割り込みって、あなたたち同じ中学の卓球部だったんじゃなかった?」
「それはそうですけど……でも、今は違うじゃないですか」
花凛が私の卓球部入部を反対している。
突きつけられた現実に、喉仏が上がって息ができなくなった。
一時は怒っていたとしても、真面目に練習に取り組めばいずれは許してくれて、元の私たちに戻れるはず──
どこかでそんなふうに考えていた。
しかし、その考えは甘過ぎたのだ。
入部すら許してもらえないほど、花凛は私に対して怒っている。
そして、花凛の強気な態度から、1年生でありながら、主力選手として部で認められていることが窺えた。
それは、私が卓球をあっさり捨てたあとも、花凛は変わらず真剣に頑張ってきたことの証左だ。
先生は困惑の表情を浮かべている。
「一緒に全中にも出場したんでしょう? どうしてそこまで……」
一緒に部活見学に来たとき、花凛が私たちのことをそう話したのだ。
私たちはふたり揃って卓球部に入部するものと、その場にいた全員が確信していたと思う。
花凛も含めて。
しかし、そのとき、私だけは違うことを考えていた。
卓球部に入ったら、それこそ中学生活の延長線になってしまう。
一瞬にして虜になったあのキラキラな世界に仲間入りすることが叶わなくなる、と。
焦燥感にも似た気持ちに襲われた。
そうして私はそこから逃げたのだった──
先生は躊躇いがちに続けた。
「誰でも入部できる権利があって然るべきだと思うんだけど……」
「なら、」
私はすでに完膚なきまでに打ちのめされていた。
一刻も早くここから逃げたかった。
にも拘らず、花凛はまだ容赦してはくれなかった。
私のほうを真っ直ぐ見据えて、とどめを刺しにきた。
「本気度を量るために、入部テストをするっていうのはどうですか? それに合格できるなら、年度途中での入部であっても、仲間として快く受け入れることができます」
「入部テスト? 何をすればいいのかしら……」
「私との模擬試合です!」
その瞬間、静寂はそのままに、好奇の視線だけが私に集まった。
みんな、面白いことが始まりそうだと、ワクワクしているのだ。
けれど、私にそれを気にしている余裕はない。
血の気が引いていく。
花凛は、私の入部を認めないだけで済ましてくれるつもりはないのだ。
みんなの前で、ブランクのある私を無様に大敗させて、先生も庇えない状況に追い込んで……
それくらい私に怒って……
否、怒るなんて生優しいものではない。
私のことを恨んで、そして憎んでいるのだ。
※
「あっはっはっ、ドラマチックな展開だねえ」
「浅尾コーチ、笑いすぎ!」
慰めてもらいにきたのに、と頬を膨らませた。
「それで? 花凛と試合するのはいつ?」
「お盆明けです」
「つまり、たった1カ月半の練習で、花凛に勝たないといけないわけだ」
「勝てるはずがない……」
「そう思うなら、どうしてここに来たのよ?」
その問いに答えられず俯いた。
この場所には、どこもかしこも花凛との思い出が棲みついている。
どの卓球台にも漏れなく。
それどころか、私と花凛が一緒に過ごした時間そのものが保存されているのではないだろうか。
卓球を始めたきっかけは、たまたまそこに卓球台があったから。
父とボーリングをしに行ったはずなのに、目に入ってなぜだか無性にやってみたくなった。
学生時代に卓球部だった父は、子どもの私を相手に、あくまで遊びとして卓球を教えてくれた。
けれど、そのたった1度でハマった。
──もっと卓球やってみたい!
私はせがんだ。
──それなら、評判の高い卓球教室が近所にあるよ。
そう言って、父は私をここに連れてきてくれた。
そうして、隣の小学校に通っていた花凛と出会った。
私より1年早く入会したという花凛は、めちゃくちゃ強かった。
それなのに、驕るということがなかった。
下手な私と練習のペアを組まされても、ちっとも嫌そうにしなかった。
それどころか、ミスばかりで不貞腐れる私を励ましてくれた。
教室が終わったあとは、おしゃべりもたくさんした。
私たちはあっという間に仲よくなり、私は卓球を教わりに来ているのか、花凛に会いに行っているのか分からない状態にまでなった──
「せっかく来たんだから、もうすぐ始まる小学生クラスに付き合っていきなよ」
「ええっ⁉︎」
思わず顔を上げると、コーチはニヤっと笑った。
「今マシンの調子が悪くって」
「何ですか、それ。第一、バイト代もらっても、花凛がいないんじゃ……」
私と花凛は同じ中学に進学し、卓球部に入ったのを機に、そろって教室を退会した。
けれど、ここは教室をやっていない時間は、卓球台を1時間800円で貸してくれる。
私たちは、部活がない日には相変わらずここに来て、卓球をしていた。
すると、元・生徒、兼常連の気やすさから、コーチは時々、掃除や新しい球の洗浄といった雑用を頼んでくるようになった。
私たちは、客を使うとかあり得ないとか、人使いが荒いなあとか、ぶうぶう言いつつも、楽しんで手伝った。
それが終わると、コーチは毎回バイト代と称して、卓球台の1時間レンタルチケットをくれた。
それはもちろん、ふたりで使った。
でも、今は私ひとりなのだ。
マシンの調子も悪いというなら、なおさらもらったところで使いようがない。
そして何より、ここに来たのは小学生に球出しするためではないのだ。
私が花凛に卓球で勝てたことはない。
ただの1度も。
公式戦や練習試合だけでなく、遊び半分の対戦を含めてもだ。
ふたりとも全中に出場したといっても、私と花凛とでは、その中身はまるで違う。
地区ブロック大会の期間中たまたま調子がよかっただけで、全中では無惨といっていいほどあっさりと1回戦負けした私。
それに対して、花凛は3回戦まで勝ち進んだ。
しかも花凛を破った相手は、その後ベスト8入りを果たした。
花凛はそんな相手から1セット取っての敗退だった。
それでもここに来たのは、若い頃ドイツに渡って武者修行をしたという経歴をもつ浅尾コーチなら、奇策みたいなものを授けてくれないかと期待したからだ。
模擬戦で花凛に負けてしまっても、花凛が私の入部を認める気になる……そんな奇策を。
しかし、それが弱気で姑息な考えだということを、自分でも理解している。
だから、先ほどコーチの質問に答えることができなかったのだ。
「バイト代は、大人クラスの参加権、というのはどう?」
「ええっ? 大人クラスって?」
「小学生クラスで生徒のラリー練習に付き合ってくれるなら、そのあとの大人クラスを受けさせてあげるって意味」
「小学生クラスのあと、大人クラス……」
想像しようとしたけれど無理だった。
それほど突拍子もない提案なのだ。
「小学生のラリー相手するのは分かるけど、大人クラスってどんな……」
見学すらしたことがない。
どんな生徒がいて、どんな練習をしているのか、想像もできなかった。
「つべこべ言ってないで、卓球をしなさい。結奈のプレイにはとにかくムラがあり過ぎ。実力不足はさておき、花凛との試合までにせめて仕上げていきな!」
ぐうの音もでなかった。
「ほら、もうすぐ小学生クラスが始まるよ。着替えとラケットは?」
「一応持ってきてますけど……」
「よかった、初っ端から叱り飛ばさずに済んで。さあ、ちゃっちゃと準備する!」
こうして私は再び卓球ラケットを握ることになった──
※
私はぜえぜえ息をしながら、床に倒れた。
天井のライトが目にしみる。
「無理過ぎ……」
そう呟いたとき、視界が暗くなった。
浅尾コーチがすぐ側まで来て、陰を作ったのだ。
私のことを見下ろして言った。
「もう弱音?」
「だって、キツ過ぎ……」
これは至極真っ当なセリフのはずだ。
まず、コーチから命じられたラリー練習とは、厳密にはラリー練習ではなかった。
ラリーをできるようにするための練習(!)だったのだ。
相手はまだラリーができない、初心者も初心者。
先月入会したばかりの3年生男子だった。
毎回スマッシュで返球してくるし、返ってくる場所も左右に振られまくった。
それなのに、私には同じ強さ、同じ位置で返すことを要求してくる!
失敗しようものなら、なぜかこっちが文句を言われるのだ。
──あーもう! 笹倉さん、ちゃんとやってください。
──高校生なんだから、小学生の相手くらい楽勝じゃないの?
──もしかして卓球、下手なの?
無茶苦茶だ。
マジで許せん!
けれど、本当に無茶苦茶なのはそのあとだった。
「ラリー練習は小学生クラスでしっかりやったね?」
「あんなのラリーじゃなかったですけど……」
「とにかく、大人クラスからは勘を取り戻すために、どんどん対戦してもらっておいで。ほら、ほら」
大学の卓球部にも所属している、という大学生のお兄さんはいい。
十分理解できる。
俊敏で鋭いプレイは、見かけ通りだった。
仕事帰りだという、一般企業にお勤めの綺麗なお姉さんも、まあ、まだ想像の範囲内だ。
卓球は趣味だと言う割に、鳥肌が立つようなテクニックだったけれど、そういうこともあっていい。
聞けば、学生時代には全国大会でベスト16にもなった実力者なのだとか。
ここには卓球を習いにではなく、対戦相手に困らないから通っているそうだ。
訳が分からなかったのは、ぱっと見普通そうなおじいちゃん。
優しそうな長く垂れ下がった眉毛に似合わず、いやらしいクセ球ばかり打ってくるのだ。
しかも体力お化け。
球を打ち返し損ねた私は、そのまま床に倒れ込んでしまった。
汗だくの身体に、床の冷たさが気持ちいい。
そうして漏れ出た言葉が、『無理過ぎ……』だった。
「畑中さんは、シニアリーグの県チャンピオンなんだよ」
「最初に教えておいてくださいよ……」
「教えたところでねえ」
ごもっとも。
手も足もでない。
倒れたままの私に向かって、コーチが言い放つ。
「結奈は、花凛とのダブルスのためにもがんばれないわけだ? 花凛は結奈とのダブルスがなくなって、あれだけ落ち込んでたにも拘らず、ずっと卓球を続けてるっていうのに?」
「どうしてコーチがダブルスのことを知って……それと、あれだけって……?」
「高校生になってから、1度ここに来たんだよ。泣きじゃくりながら」
私がヘラヘラ笑いながら、卓球をやめると話したあの日だろうか……
己れの軽薄さを呪った。
個人戦のシングルスでは全中に出場した私たち。
しかし、団体戦は地区ブロックで敗退した。
団体戦では、シングルス4人とダブルス2人、合わせて6人でチームを組む。
中学時代の顧問の先生は、当初私と花凛をそれぞれシングルスに出場させようとしていたと思う。
確実に1勝取れる花凛と、調子がよければ1勝取れる私。
上手くいけば、私たちで2勝取れる計算。
しかし、私たちはダブルスを組ませてほしいと自ら志願した。
私と花凛で、どうしたって1勝しか取れない。
花凛と私を除けば弱小の卓球部。
団体戦はどうせ地区ブロックで早々に消えると分かっていたからか、先生は私たちの希望はすんなり叶えてくれた。
チームとしては弱かったけれど、私と花凛のダブルスは負けなしだった。
花凛とのダブルスが楽しくて、それにつられて個人戦のほうの調子も上がり、全中への出場が決まった。
──高校でもダブルスを組もうね。
地区ブロック大会の帰り道で、そう誓い合った。
にも拘らず、あっさり反故にしたのは私。
ひどい裏切りだ。
花凛はどれほど悔しかったことだろう。
私のことを許せないのも当然じゃないか──
私は背中を丸め、曲げた足を天井に向け数秒間静止した。
その状態から勢いをつけて飛び起きた。
「ふんっ!」
簡単に弱音を吐いていい立場ではなかった。
「おっ、若い人は回復が早くていいね! 続ける?」
「はい。畑中さん、お願いします!」
※
「それじゃ、サーブ権かコート権か、じゃんけんして」
私たちは無言でこぶし2回振り、じゃんけんをした。
「コート権にします。こっち側で」
花凛は顧問の先生に顔を向け、そう告げた。
「準備はいいわね? はーい、ラブ・オール!」
私は腰を落とした。
花凛は私の手元を睨むように見つめている。
今日は花凛とまだ1度も目が合わないし、言葉ももらえていない。
ねえ、花凛?
私は心の声で花凛に語りかけた。
信じられないかも。
でも私、憧れの高校生になれたっていうのに、この1ヶ月半もの間、卓球の猛特訓してたんだよ。
キラキラしてないどころじゃなかった。
ひたすらキツくて疲れた。
それをただの根性で乗り切ったんだよ。
だけど、振り返ってみるとすっごく充実してたんだ!
それと不思議と楽しかった‼︎
それも心の底から。
こんなこと言うと花凛は怒るかな?
でも、この試合が終わったときには、花凛はまた私と卓球したくなってるって確信してるんだ。
さあ、花凛を取り戻すための勝負を始めるよ!
私は球を垂直に放った──
END