三頭犬を捕獲せよ!~魔物使いミラナと魔犬になった幼なじみ~
場所:モルン山
語り:ミラナ・レニーウェイン
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黒く艶めくステージに、封印の魔法陣が刻まれた巨大な石の柱が並び立っている。
体長十三メートルの赤い魔犬は、その巨躯を激しく揺らしながら、まるで空間を波立たせるような激しい咆哮をあげた。
全身が赤い魔力のオーラに包まれ、足元からは猛烈な炎が立ちあがる。炎の壁が魔犬の周囲を取り囲んだ。
それはまるで地獄の業火だ。水属性魔導師の降らせた雨も瞬時に蒸発し、炎耐性の高い炎属性魔導師でさえ、一歩も前へ進むことができない。
巨大な頭はひとつひとつが約三メートル。
次々と特大の火炎球を放っているが、幸いなことに封印の柱はびくともしない。
私はその陰に身を隠しながら、四方八方から集中砲火を浴びてなお暴れ回る、魔犬の姿を見守っていた。
あまりに恐ろしい光景だ。その圧倒的な迫力に、水の保護魔法に守られた私でも、のどがカラカラに乾いてしまう。
「クレーン! もっとでっかいゴーレムは出せないの!? とにかくあのワンちゃんの動きを止めてちょうだい!」
甲高い声で叫んでいるのは、真っ黒なローブに身を包んだ闇属性魔導士のベルさんだ。
「……大きさはこれが限界」
「ならもう一体出しなさい!」
「人使いあら……」
土属性のクレーンさんはそうぼやきながらも、掲げていた魔導杖を両手でかまえた。額に汗を滲ませ呪文を唱える。
「犬の動きを封じ込めろ! ジャイアントロックゴーレム!」
――ゴゴゴゴゴ……!
地面に浮かびあがった魔法陣から、身の丈四メートルはある岩の巨人が出現し、魔犬に向かって歩いていく。
彼のほかにも数名の魔導士が、それぞれに巨人を召喚し、暴れ狂う犬の動きを封じようと奮闘してくれていた。
しかし魔導師たちの召喚した巨人たちは、魔犬の巨木のような脚に振り回されては、黒く鋭利な獣の爪で粉々につき砕かれるばかりだ。
狂気に満ちた赤い瞳。びっしりと並んだ剥き出しの牙。
あれが同郷の幼なじみの、オルフェルが変わり果てた姿だなんて。
まるで明るい太陽のように、いつもみんなの中心で笑っていた彼が、どうしてこんなことになっているのか、私にもすべてはわからない。
だけど、いま彼は、この封印の解けかけた空間を赤く熱く染めあげながら、まさに外へ躍り出ようとしているのだ。
「抑えきれない」
「このままじゃ、削る前に逃げられます」
「眠り姫ちゃん! もう一度沈静化魔法を!」
「は、はい!」
私は魔笛をかまえ、魔犬に魔法が届く距離へ近づいていく。
魔法障壁を得意とする魔導師が、私の前を守ってくれていた。
「調教魔法、カームダ、きゃぁっ!」
――ドカーーーーン!――
オルフェルが吐き出した火炎球が、私を守る障壁に直撃した。それは膨大な炎の魔力を帯びた、直径一メートルを超える巨大な球体だ。
赤とオレンジの閃光がほとばしり、激しい爆音が響き渡る。魔法障壁と保護魔法で守られていた私ですら、その爆風に吹き飛ばされた。
「ミラナ……!」
石柱に頭を打ち付け、視界が一瞬白くなる。鋭い痛みとともに、頭から流れ落ちた血が頬を伝う。
だけど次の瞬間には、緑に輝く治癒魔法が飛んできた。傷がすーっと癒されて、急速に痛みが引いていく。
「ごめん、次はケガさせない。爆風は僕が必ず制御するから」
「ありがとう。お願いね、シンソニー」
友人の言葉に励まされながら、私は再び立ちあがった。
「エサに注意を引きつける! その隙にやってくれ!」
「さぁこっちへ来い! でっかい犬っころ!」
叫んでいるのは王国軍の兵士たちだ。用意してきた大量のドックフードを積みあげて、魔犬の気を引こうと大声でよびかけている。
いまこの場所には、この国で最強クラスの魔導師や戦士たちが、二十人も集まってくれている。
私が魔犬を捕獲したいと言ったばかりに、彼らは作戦を練り物資を準備して、多くの労力をかけてくれているのだ。
もし魔犬を殺すだけなら、戦闘だってここまでてこずることはないだろう。
――頑張らないと。
私はまた笛をかまえて呪文を唱える。
「調教魔法、カームダウン……!」
――ピーヒョロリン♪――
魔法はオルフェルの胴体に黒い魔法陣を浮きあがらせる。だけどそれはすぐに消えてしまった。
「お願い、鎮まって……! オルフェル……!」
私は泣きそうになるのを必死に耐えながら、何度も何度も魔法を唱える。
「だめだ。ドックフードに興味を示さないぞ」
「くっそー、苦労して運んできたのに」
「左側の頭に狙われてるぞ! 障壁を展開しろ!」
「この部屋から出られると厄介よ。攻撃の手を止めないで、もっと体力を削いでちょうだい!」
ベルさんが魔導師たちに命じると、オルフェルへの魔法攻撃は、ますます激しくなっていった。
多属性による連携魔法や、強化魔法で威力を増した強烈な攻撃魔法が、魔犬の身体を着実に傷つけていく。
そしてベルさんの隣に立っているのは、この国の英雄、光の大剣士様だ。彼は十八メートルを超える巨獣を、大剣で一刀両断にしたという伝説を持っている。
私が捕獲に失敗すれば、彼がオルフェルを仕留めるだろう。私としては、それだけは避けたい。
「オルフェル、聞こえる? ミラナだよ! 目を覚まして、私と一緒にいこう!」
「ミラナ、調教魔法に重要なのは、自分が主人だという強い意思だ。魔獣の迫力に負けるな。諦めずにもう一度!」
私が必死に魔犬によびかけていると、調教魔法の師匠であるナダン先生が、私に激をとばしてきた。
彼はいま、オルフェルの巨躯を重力魔法で押さえつけている。
オルフェルはその圧力で全身の傷から血を噴き出した。赤い瞳が苦しげに歪む。
――うぅ、もう。見てられないよ……。
心が引き裂かれそうに痛んでいる。できることなら彼を傷つけず、優しく保護してあげたかった。
だけど私の実力では、沈静化するにも捕獲するにも、ギリギリまで弱らせる必要があるのだ。
「重力魔法が効いてる! 攻撃を畳みかけろ!」
「「「うぅおぉぉおおおおぉぉん!」」」
悲しげに轟く魔犬の遠吠え。彼の前足が地面に沈む。
手加減してくれているとはいえ、本当につらい光景だ。衝撃が体に響くたび身がすくみ、魔笛を握る手が震えている。
――死なせない。私があなたを飼うんだから!
「カームダウン! カームダウン! カームダウン……!」
ひたすら沈静化魔法を唱えていると、ようやくオルフェルの目から闘気が消えた。赤い巨体がぐったりと、真っ黒なステージに崩れ落ちる。
「ミラナ……。ミラナ……」
虚ろな目で虚空を見詰めながら、彼は私の名を呼んでいる。
「やるんだミラナ。いまこそ、テイムだ!」
「頑張って! 眠り姫ちゃん! 成功を信じてるわよ!」
――そうだよ。私はもう、迷わない。
私はひとつ深呼吸をして、最後にその呪文を唱えた。
「私があなたを使役する! 調教魔法、テイム!」
――ピロリ♪ ピロリ♪ ピロリ♪――
魔笛の音が響き渡ると、燃えるように赤いその巨体は、私の腰ベルトに取り付けられた小さなビーストケージに引き摺り込まれた。