君に嘘をつく
「行ってくる」
「……わかったわ。行ってらっしゃい」
いつも決まった時間。決まった言葉を私にかけながら、貴方はこちらを見向きもせずにドアを開けていなくなる。
私の送る言葉なんていつも聞こえていないだろう。
「いつもどこに行ってるのかしら……」
決まった時間に出掛けては、帰ってくる時間はいつも不定期。翌日に帰って来ることもあるし1ヶ月帰ってこないこともある。
出かける前にどこに行くのか聞いてもなぜか絶・対・に答えてくれない。
けれど、帰ってきたときだけは貴方ははぐらかしはするけれど答えてくれる。やれ、仕事に行ってきただの。別の街に行ってきただの。
……どうして、帰ってきた時は答えてくれるのかしら。いつも不思議に思っている。
でも答えてくれたそれは嘘であるのは間違いないわ。だって、いつも何も持たずに出かけてしまうの。
仕事だったら商売道具は必要だろうし、別の街に行くにしても沢山準備するものが必要だから。
「はぁ、気にしてもしょうがないわよね」
私は、軽くため息を吐きながら家の掃除をする。考えても仕方ない。私は彼の言いつけを守り、家から一歩も出ずに貴方を待つ。
だって必ず貴方は家に戻ってきてくれるもの。あの人とは違う。貴方を待つという約束だけが貴方との繋がりに感じる。この約束だけは破ってはいけない。
いつの頃からか、あなたが帰るこの家を守ることが私の使命になった。貴方との遠い背中を思い浮かべながら今一度強く心に誓う。
ーー貴方と一緒に居れれば私は、他に何もいらないのだから。
「きゃぁ!…最近ほんとに揺れが多いわね」
物思いにふけていると、突然家が揺れ出した。ガタガタと近くにあったタンスから本が転がり落ちてくる。
「ふぅ、やっと治ったかしら。今回のは長かったわね…」
私はテーブルの下に身を隠しながら、そっと呟く。地震が起きる時は決まって考え事をしている時な気がするのは気のせいだろうか。
「今まで揺れることなんてほとんどなかったのに…。それにいつも貴方がいない時に揺れるんだもの。不安になっちゃうわよ…」
普段、居ることのない貴方に対してつい文句を言ってしまう。だって仕方ないじゃない。貴方が居ない毎日はこんなに心細いのだから…。
貴方は次はいつ帰ってくるのかしら…。
テーブルから身を出し、落ちてきた本をタンスに片付けながら、家の奥に佇む焦げ茶色の扉を見つめる。
貴方の遠い背中を思い浮かべながら私は今日も1人で過ごしていく。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
「ふう、戻ってきたぞ」
目をゆっくり開けて、自分の頭につながっているコードを取る。座っていた椅子から起き上がりながら、俺は、横目で医療器具に繋がれながらも穏やかに寝ている彼女を一目見て、前に立つ白衣の男性に声をかける。
「お疲れ様です。いかがでしたか?」
「ダメだった…。今回もいつもと変わらない」
「そうですか…。もう3年になるんですね。奥様が眠られてから」
「ああ、彼女の意志がそれだけ強いってことか……。」
「ええ、奥様がかかっている『囚夢』の治し方はわかっているのに」
苦虫を噛み締めるように彼は言う。
「彼女自身の意志で夢の中の家から出ること。これが治す原因といってたな」
「そうですね。奥様は家の中にいることに囚われている。だから奥様自身の意志で家から出る。それが『囚夢』から抜け出す方法です」
自分の意志。それがこの病気の唯一の解決策。元々、『囚夢』は心のストレスが原因でなるものらしい。
「以前にも確認したが、自分の意志ではなく他人が促して夢から覚めさせようとすると治らないって話だよな?」
「はい。自分の意志でなくてはダメです。他者からの影響で夢から抜け出すことはできず一生目覚めなくなります」
そう。これがこの『囚夢』の厄介なところだ。自分自身の意志で原因となっているストレスを解消しなくては『囚夢』は治ることはない。これがなければもう3年も彼女は眠り続けてることもなかった。
「いつも彼女に聞かれるんだ。どこに行ってるの?って。何も伝えられないことがこんなにも辛いとはな…」
「……少しの手助けもできませんもんね」
「少しでも彼女自身の考えに影響を及ぼすと自身の意志が弱まってしまい夢に囚われたままになってしまうってことだろ?……耳が裂くほど聞いたな」
そう。だからこそ俺は、あえて夢の中の彼女に対してあのような態度で接している。
だけどそれと同時に自分ではどうしようもできない現実に悔しさが溢れ出てくる。
くそっ、どうして、どうして、彼女がかかってしまったんだ。
なぜ俺ではないのか。そんなことばかり考えてしまう。
「大丈夫ですよ。きっと奥様は治りますよ」
どうやら思いつめた顔をしてしまっていたようだ。安心させるような彼の優しい言葉が耳に届く。
「すまない、心配かけたな。ありがとう」
「いえいえ。奥様を想う気持ちはわかりますので...」
情けないな、俺が心配されてどうする。彼女の方を見ると痛々しく医療器具が繋がれている。彼女の病気を治すためにも前を向いて支えなくてはな。
そう、改めて決意を胸に病室のドアを開け外に出る。
ーー笑顔を浮かべながら前を歩く、彼女の背中の幻影がうっすらと見えた気がした
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
しっかりもので優しかった彼女が『囚夢』にかかってしまったのは、彼女の父親のことが原因だろう。彼女の父親は所謂碌でもない人間だった。
小さな彼女と病弱でよく寝込んでいた彼女の母親を置いて、遂には家に二度と戻ってこなかったという。
その時のトラウマが心の中でずっと残っていて、結婚して俺という大切な家族が出来たことにより、大切な家族を失いたくないという気持ちが潜在的にトラウマを呼び起こし病気になってしまったんだろうと思う。
「大丈夫だ、俺はお前の元から離れたりしない。ずっと側にいるから」
寝ている彼女の頭に右手を添えて優しく撫でる。
「先生、行ってくる」
頷く先生を見た後、もう数えきれないほど身に付けた装置をまた頭につけてゆっくりと目を閉じる。
目を開けると目の前には家が建っていた。
ふぅ、胸に手を置きそっと深呼吸を行う。気持ちを落ち着かせた後、手を扉の取っ手にかけて引き足を踏み出す。家の中を見ると直ぐそこに愛しの人の背中が見えた。
「戻ってきたぞ、真愛」
「……おかえりなさい。今回はどこに行ってたのかしら?」
「今回は隣町に行ってだな……ーー」
いつか夢から覚めた君にまた出会えると信じて、今日も君に小さな嘘をつく。
ー『囚夢』ー
夢に囚われてしまう病気。対象者が強く心に刻むことが夢に反映され起きることができなくなる。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
作中に出てくる病気は創作です。
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