第四章
僕に与えられた仕事は、精神科デイケアと認知症デイケアの監督であった。
監督と言えば聞こえはいいが、イカムーチョとケムニマクが言うには、適当に居てくれればいいと、そんな適当な仕事のようであった。
精神科デイケアにまずは紹介された。そこを牛耳っていたのは、「エコヒイキスキ」と名乗る作業療法士の女であった。
バイオリンが趣味らしいのだが、音楽療法とは名ばかりで、クラシック音楽鑑賞を作業療法と称して利用者に押し付けていた。そして時に下手くそなバイオリンを皆の前で演奏し、拍手喝さいを浴びないと、たちまちのうちに不機嫌になり、拍手をくれた人たちだけを、社交性の向上訓練、という名目で、サイゼリヤに連れて行くという、えこひいきも甚だしいふるまいで、またその傲慢さから、皆から恐れられていた。そこで僕は彼女には、「バイオリン弾きのゴーマン」とあだ名をつけた。
次に認知症デイケアに案内された。ここには、「認知症デイケア48の永遠のセンター」と自らを称する、臨床心理士のお姉さんがいた。彼女は、ちやほやされることを好み、また、自分をちやほやしてくれる利用者には、バウムテスト(木=バウムを書かせそれを分析することで書き手の心の状態を知ろうという検査)を受けさせ、木を書かせると、お上手ね、とちやほやし返す、というそんな毎日を送っていた。そこで、僕は彼女のことは、「バウムお上手ねーさん」と呼ぶことにした。
そんな、ほとんど魔物とでも言うべき人物たちに操られて、デイケアの利用者たちは、一種洗脳と言うのだろうか、自分たちは特別だという気分にさせられ、楽しい日々を送っていると思い込んでいた。ーー無論、彼女らに気に入られた人々だけであったが。
お気に入りに入れなかったら、その者たちの運命は悲惨であったことは言うまでもない。
このようなデイケアの監督をしろと言われて、僕は戸惑いを隠せなかったのであった。