ヨーグルトムースとエンガディナー、それから3Dラテアート
「葉汰くん、好きだよ。わたしと付き合って」
カウンター内で樋中 葉汰が細々とした雑用を片付けていた時だった。カウンターのスツールに座り、レモンスカッシュを飲んでいた浦木 瑠花が唐突に口にしたのは確かに告白だった。
葉汰はアッシュグレーに染めた短髪を立たせた背の高い青年で、カフェの制服である白シャツの肘の辺りまで捲られた袖口から覗く前腕は程よく筋肉がついて引き締まり、細身ながらしっかりとした肩や背中に黒のカマーベストはよく映えた。
対して瑠花は長い亜麻色の髪と青みがかったグレーの瞳が目を引く少女で、くるんとカールした髪と同じ色の睫毛は影が出来そうに長く、艶やかな唇は何もつけずとも瑞々しい桃色だ。スカート部分に黒のチュールが重ねられた薄桃色のオフショルダーワンピースからのぞく陶磁器の様に滑らかな肌は白く、まるで人形のごとく美しかった。
「えっと……?どこか行きたいの?」
「そうじゃなくて!」
葉汰が困った様な顔をして訊ねれば間髪入れずに違うと声を上げる瑠花。まぁ……そうだよなぁ……。
天を仰ぐ様に視線をそらし、あーとかうーとか唸った後に、葉汰はカウンター内から出て、瑠花の隣のスツールに腰を下ろした。それから瑠花に視線を合わせる。
「俺も瑠花ちゃん好きだけどね。今は、ちょっと……難しいかな」
葉汰は困ったように笑いながら、瑠花の頭をポンポンと優しく撫でる。
「そうだな……俺との身長差が20センチ切った頃にまだ同じ様に思ってたら、また言って」
「……葉汰くん、今、何センチ?」
「182です」
「……あと27センチ……」
「……頑張る」と眉間にしわを寄せた瑠花に葉汰はただ笑うだけだ。
「でも、なんで20センチなの?」
「瑠花ちゃんの身長が伸びたら教えてあげる」
笑いながら答える葉汰に瑠花はむぅーと口を尖らせて見せた。その様子が可愛くて、葉汰はまた瑠花の頭をポンポンと撫でる。そうすれば瑠花はくすぐったそうに笑うのだ。
そんな話をしたのが一年程前のこと。葉汰が大学2年生で瑠花が小学4年生だった頃のこと……。
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カウンターに広げられた計算ドリル、それから映画と遊園地で有名な会社のマスコットキャラクターであるネズミやアヒルが印刷されたステーショナリーグッズ。白のブラウスにミルクティーブラウンのビスチェを重ね、デニムのマーメイドスカートに身を包んだそれらの持ち主は宿題と格闘中だ。
平日の昼下がり。休憩から戻ってきた葉汰は見慣れた光景に今日の曜日を思い出した。
ランチも終わり、客足も少し落ち着いてきた比較的暇になる時間の木曜日、カフェ・サントノーレのオーナーの長女でドリルやグッズの持ち主であるところの瑠花は決まって店に訪れる。
宿題をして、おやつを食べてのんびり過ごし、夕方、双子の弟たちを連れた祖母が迎えに来ると「またね」と手を振って帰っていく。それは木曜に弟たちがサッカー教室に行っていて、祖母がその付き添いのため、瑠花が家に一人になるからという理由らしい。
「宿題終わったらおやつ出すから言ってね」
計算式と答えを書き込む瑠花を眺めながら葉汰が声をかける。
「今日のおやつなに?」
「苺とブルーベリーのヨーグルトムースとエンガディナー」
ドリルから顔をあげた瑠花に葉汰が笑いながら答えると、瑠花の顔がパァッと輝いた。そして再びドリルへと視線を落とす。瑠花の長い亜麻色の髪がサラリと揺れてカウンターにかかり、手元が暗かったのか瑠花は鉛筆を持っていない左手で無造作に髪を耳にとかけた。
その仕草に葉汰は思わず目を瞪った。おやつに顔を輝かせたと思えば不意に見せる動作は大人びていて艶っぽく、そのアンバランスさにしばしば驚かされる。
口元を覆うように手を当てて、一旦目を閉じる。息を吐ききって思考を切り替えてから葉汰はポットに水を入れてお湯を沸かし始めた。
戸棚をあけて瑠花専用と書かれた袋に入ったデカフェのコーヒー豆を取り出すと適量をミルに入れてコリコリと挽く。挽き終わった豆をドリッパーにセットしたフィルターに入れて数回に分けてお湯を注ぎコーヒーを抽出すると、今度はミルクパンに牛乳を入れて温める。沸騰直前くらいに温まったところでクリーマーでかき混ぜてふわふわに泡立たせミルクフォームを作りあげる。
カフェオレボウルにコーヒーと牛乳を一対一の割合で注ぎ入れ、スプーンを二本使ってミルクフォームを形を整えながら乗せていき、最後にチョコレートソースで顔を描けば3Dラテアートの完成だ。
「終わったー!」
カフェオレの完成と同時に宿題も終わったようで、瑠花がドリルから顔を上げた。
「お疲れ様。はい、どうぞ」
「わぁ!」
瑠花の前にふわふわのフォームでできた有名なアヒルの女の子のキャラクターを乗せたカフェオレボウルを置く。キラキラとした視線をカフェオレに向ける瑠花に葉汰の頬も自然と緩んだ。
「可愛い!葉汰くんすごい!」
「ありがとう。はい、おやつ」
嬉しそうに笑う瑠花に葉汰も笑顔を返し、キッチンカウンター下の冷蔵庫から取り出したプレートをカフェオレの横に置いた。
爽やかな酸味のヨーグルトムースは卵色のスポンジをボトムにして真っ白なムースに苺とブルーベリーとミントが飾られており色鮮やかで見ているだけでも楽しくなる。エンガディナーはキャラメルを絡ませたクルミをクッキー生地で包んで焼き上げたお菓子でクルミの香ばしさとキャラメルのほろ苦さが後を引く味わいだ。
どちらもオーナーである浦木 飛鳥の手作りであり、サントノーレのフードメニューは全て飛鳥が作っている。
「いただきまーす!」
宿題を脇に寄せて、手を合わせてからフォークを取った瑠花はムースを掬って口にと運ぶ。しっとりとしたスポンジが口の中でほろほろと崩れ、甘さと酸味のバランスが調度よいムースは濃厚でありながらさっぱりとしており舌の上でとろけていく。
「おいしい~」
満面の笑顔で頬を緩ませる瑠花。カウンター内を片付けていた葉汰は作業の手を止めることなく笑みをこぼす。
「ムース美味しいよね。俺、エンガディナーも好き」
「わかる!クルミさくさくでキャラメル柔らかくておいしい!」
「ね。俺、賄いやおやつ休憩の度にここでバイトしてて良かったって思う」
おやつ休憩とはその名の通りおやつを食べるための時間だ。新作の味見も兼ねており、その日にデザートとして出されている物のこともあれば、メニューにはないデザートが出されることもある。今日のおやつに出ているムースは新作だろう。エンガディナーは隔週くらいで提供される人気メニューだ。
「葉汰くんもお母さんのお菓子、好き?」
「そうだね。毎日食べられる瑠花ちゃんが羨ましいくらいには」
「そっかー」
嬉しそうに笑いながら瑠花はカフェオレボウルを両手で抱える。ふーふーと息を吹きかければふわふわの泡が揺れた。そっと口をつけるとミルクのほのかな甘みとコーヒーの苦みが口の中に広がり調和する。
ほぅと息をつく瑠花。頬をほんのりと紅潮させて美味しそうに食べる瑠花を見ているのが楽しくて、葉汰は作業をしながらも微笑ましく見つめてしまう。可愛いな。妹がいたらこんな感じなのかな。
「それにしても瑠花ちゃん偉いよね。いつもちゃんと宿題してて。俺が瑠花ちゃんくらいの時は宿題そっちのけで遊びに行ってた気がする」
「偉い?」
「うん。偉いと思うよ」
カフェオレボウルを手に聞き返してきた瑠花に答えると、瑠花は「じゃあ」と言葉を続けた。
「じゃあご褒美ちょうだい」
「うん?」
カウンター越しに見上げながら言われた言葉に葉汰は思わず首を傾げた。ご褒美?