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王子は全て知っていた

後編になります。

 レオンは知っていた。


 自分の出来が弟より悪いこと。


 一部の貴族が自分を軽んじ、弟に期待していること。


 婚約者が自分を愛しておらず、留学先で出会った皇太子と相思相愛なこと。


 長年進める中央集権体制の構築に不満を抱く貴族がいること。


 複数の貴族が帝国に内通していること。


 王国も馬鹿ではない。周辺国や有力貴族に間諜を送り、関係者を協力者に仕立て上げ、情報収集に余念がない。


 ましてや帝国は長年の宿敵で、メリッサは将来の王妃だ。調査は綿密に行ってきた。


 ロレル家が10年前から帝国に内通していることや、メリッサが文通で王国の内情を流していたことは把握している。


 そもそも、レオンとメリッサの婚約は懐柔策であると同時に、内通に気付いていないと見せかける()()()だ。


 それでも、情はあった。


 優秀といえない自分と婚約したことに負い目があったし、魅力と器量に圧倒されることもあった。

 

 だが、感情表現が苦手なうえ、ロレル家への警戒が相互理解を阻害したのは否めない。


 もっと話がしたいと言っても、メリッサには空虚な嘘に聞こえていただろう。


 苦手ながら懸命に手作りした造花も、四苦八苦して書き上げた詩も、形だけ送ったと思われてしまっていた。


 ゆえにメリッサがロレル家の背信を知らない可能性がある、として婚約解消を先伸ばしにした。


 結局それも限界で、婚約解消に至ったわけだが。


 それでもすぐに裏切ることはないだろうという甘い考えが、どこかにあった。


「……そんな上手い話があるものか」


 レオンの口から、自嘲交じりの呟きが漏れる。


 メリッサたちは振り向き、眉をひそめる。


「それはどういう意味だ?」

「あら、負け惜しみかしら? それとも現実逃避?」

「元婚約者として忠告しますが……見苦しい真似はおよしなさい。運命を潔く受け入れるべきです」

「何も分かっていないのだな、メリッサ」

「気安く名前を口にしないでください」


 語気を強めて途中で遮るメリッサと睨みつけるルークに、レオンは嘆息する。


「我が国の成り立ちは知っておろう。およそ430年前、サイラス帝国から追放された棄民がクラレンス高地に流れ着いた。荒野を切り開き、木を植え、畑を作り、村を形成した。村は町となり、町は州となり、州の数が13となった286年前、開祖へルマン1世が即位され、クラレンス王国が成立した」

「この後の歴史は知っている。我が国はクラレンス高地を()()した逆賊へルマンを討伐し、高地を()()しようとしたが卑劣な策略に敗れ、高地を()()()()()()()()()()にしてしまったのだ」


 ルークが割り込み、鼻で笑って訂正する。


 実際はあまりの荒廃ぶりから帝国はおろか、周辺国も領土に編入しなかったのだが、開拓で豊かになった途端、併合しようとしたという経緯だ。


 戦いもへルマン1世の巧みな指揮により帝国軍を大敗させただけだ。


 もちろん帝国が認めるわけがなく、ルークのような認識を長年刷り込んできた。


 なのでいちいち訂正はせず、話を続ける。


「それからは帝国との関係も改善しつつあったが……100年前、王女と帝国の皇子の結婚が決まり、王太子が国王の名代として赴いたとき、帝国は王太子を捕らえて王国に侵攻し、クラレンス高地の13州を奪い、王女と王太子をなぶり殺しにし、死体を辱しめた」

「……何をおっしゃりたいのですか? 昔のことをあげつらって」

「まだわからないか? 我が国は帝国に恨み骨髄と。そして……」


「その企みを警戒しないはずがない、と」


「スタン!」


 次の瞬間、マットたちが懐から杖を取り出し、一斉に麻痺魔術を放ち、不意を突かれた騎士たちを無力化する。


「なに!?」

「ルーク様!」

「猪口才な! ファイアラ……」

「……バインド」


 ルークを庇おうとするメリッサと、杖を構えたカサンドラたちだが、クリスが発動させた拘束呪文で虚空から出た鎖に縛られ、床に這いつくばる。


 ルークも剣を手を掛けるが、マットたちが杖を突きつけると観念して剣と杖を捨てる。


 それをクリスが回収し、マットが拘束魔術でルークの身動きを封じたところでレオンが口を開く。


「帝国の動きはとっくに掴んでいた。ロレル家やアルバローザ家などの内通も、メリッサがルーク・サイラスと通じていたことも、全部だ」

「残念だよ、カサンドラ。もう少し賢いと思っていたんだがな」


 レオンが真実を告げ、マットがカサンドラを見下ろして冷たく呟く。


 他の学友も冷淡な視線を向ける。


「それとクリスだが、私のメイドであり護衛だ。将来に備えた勉学をさせるため、陛下の肝いりでバジリッサ男爵と養子縁組のうえ入学させたのだ。そなたとも会っているぞ。紹介したはずだ」

「な、何を……?」

「……これでお分かりいただけますか?」

「あなたは!? では密会とは……!?」

「不在の間に起きたことを報告させていた。余人に聞かれたくないないからな」

「私たちも同じだ。我々が幼少から殿下にお仕えしていたこと、忘れていないだろう?」


 クリスが髪をほどき、魔術を使いメイド服に格好を変えて一礼すると、メリッサの顔色が変わる。


 クリスやマットたちの密会とは、レオンに対する報告や情報交換の場だ。


 メリッサやカサンドラたちの動向など、機微な情報も含まれていたため、密会という形をとらざるを得なかったのだ。


「で、では私の悪口を言っていたというのは!?」

「こちらで流した噂だ。もっとも、流したのはクリスがメリッサを苦手にしている、程度だがな……いつの間にか余分な尾ひれが大量についていたよ。クリスの評判を落とすためにわざとつけたのかもしれないが」


 クリスがメリッサの悪評を広めている、というのもマットたちが広めた噂だ。


 学院内での情報の広がり方や、メリッサたちの情報収集力と入手ルートの確認、信用に値する者の判別が目的だ。


「ならば今までのは全て……!?」

「芝居だよ。迫真の演技だっただろう?」


 レオンやマットたちの言動が芝居と明かされ、カサンドラが表情を歪める。


 レオン()()()にしてやられたのが悔しいと言いたげだ。


 それでもルークは余裕の態度を崩さない。


「逆恨みもはなはだしいな。100年も前の話だ。それに私たちの裏をかいて悦に入っているのだろうが、忘れたのか? メルダースは我が軍が包囲していることを」

「……ルーク様のおっしゃる通りです。私たちを辱しめたところで、父や帝国の怒りを買うだけです。早く解放なさい!」

「無様ですわね、レオン・クラレンス! 男としてルーク殿下に負け、王国も帝国に負けるというのに憂さ晴らしですか……みじめすぎて笑えますわ!」


 自分に噛みつくメリッサたちに、レオンは呆れる。マットたちも同じで、失笑する者まで出る始末だ。


「何がおかしいのです!? 立場を弁えなさい!」

「その言葉、そのままお返ししよう。殿下が仰られただろう? 帝国の企みなどお見通しだと。陛下も把握済みに決まっているだろう。おかしいと思わなかったか? 卒業式に陛下がお見えにならないのが」

「……陛下はロレル領の制圧と敵本隊の撃滅に向かわれた。ベラレス伯爵の手引きでな」

「あの老いぼれ! よもやクラレンスに通じていたとは!」


 ロレル家も一枚岩ではなく、メリッサにとって母方の大叔父にあたるベラレス伯爵など、寄騎(よりき)としてロレル家に従う貴族は王国寄りの立場だ。


 王国はまずベラレス伯爵を味方につけ、それを足掛かりにカイツ子爵、メラン子爵、ガレー男爵、ランハルセン男爵、モール男爵の調略に成功した。


 特にロレル家と縁戚関係にあるベラレス伯爵の内応は大きく、情報は筒抜けとなった。


 そして寄騎のうちベラレス、メラン、ランハルセンの3家はロレル領の守りを任され、残る3家が辺境伯軍に編入されている。


 歯噛みするメリッサをよそに、カサンドラはまだ強気な態度を崩さない。


「だからどうしたと言うのです! 所詮は平民出身の弱兵に、小銃(マスケット)大砲(カノン)とかいう異端の欠陥兵器(オモチャ)を持たせた烏合の衆……帝国の精鋭にかなうはずがありません!」


 王国軍の主力は、小銃を装備した『戦列歩兵』だ。


 国王直属の『常備軍』を組織する軍制は、貴族がめいめい兵士を率いる大陸主流の軍制と毛色が異なる。


 今までは魔術を使える貴族や騎士と従者が戦場の主役で、歩兵は肉盾や雑務、数合わせが常であった。


 一方、小銃や大砲の原型となる火薬兵器は、90年前に発明され、実戦で使われたこともあった。


 しかし、魔術を神からの授かり物として至上とするシオン教が主流のため、魔術によらない火薬兵器は異端の技術……『禍学(かがく)』に指定され、激しい弾圧にあった。


 だが、魔術と異なり訓練すれば誰でも使え、弓よりも簡易な点に目を付けた王国が開発者たちを保護し、開発を続けさせた。


 それからは軍制改革に合わせて火薬兵器が段階的に導入され、今では主力兵器だ。


 ただ、再装填の時間がかかり命中精度が悪いため魔術に及ばないとされ、魔術を使う敵軍に劣勢だった、という報告が御前会議に上がったこともある。


 だからこそ、外務大臣を父に持つカサンドラは自信満々なのだろう。


 ならば、現実を見せた方がいい。


 レオンがそう思ったところで、複数の男が会場に駆け込む。


 いずれも青を基調とした軍服を着用し、月桂樹の花を模した銀の襟章を左右一つずつ着けている。


 それが常備軍の制服で、襟章は常備軍創設と同時に設立された、士官学校と陸軍大学校の成績優秀者のみが着けられることを、生徒の大半は知っている。


 マットたちを除く周囲がどよめくなか、士官はレオンに最敬礼する。


「当軍の布陣が完了しました。イエーツ将軍が殿下のご出馬を願い出ております」

「ご苦労。クリス、軍服を」

「こちらに」


 クリスが恭しく上着を差し出すと、レオンはそれを羽織る。


 士官たちと同じ軍服だ。ただし、左右の襟章が金色……すなわち、士官学校と陸軍大学校を首席で卒業したことを示していた。


 周囲は、レオンが着ていたのが上着以外は軍服で、佩いているのも軍刀だと気付く。


 上着以外はデザインが似ているので、上着を変えると学院の制服に見えるのだ。


 するとメリッサが愕然とした表情を浮かべる。


「なぜ金襟章を!? 首席卒業者以外は国王でも着けられないはず!」

「簡単な話だ。どちらも首席で卒業した」

「そんなはずが! だいたい、いつ通っていたというのですか!?」

「士官学校の年齢下限は14歳だ。学院に入るまでそこで学んでいた。大学校は学院に通いながらだが」

「下賎の学校に王太子が入るなど……!」

「もちろん庶民と偽って入学した。遠慮があってはならぬからな。知っていたのは陛下と宰相、陸軍大臣、士官学校長のみだ。ベルナルドにも話していない」

「私たちも卒業後で明かされたくらいだ……それくらい情報管理は徹底していた」

「庶民の格好で街に出ていたのは……!」

「士官が日勤後に通えるよう、大学校は夜間に講義がある。同じメルダースにあるので往来は楽だった」


 レオンが士官学校に入学したのは、父の命を受けたからだ。


 軍事を肌で学ばせる、というのが理由だった。


 士官学校の入学資格は14歳以上の男子だが、入学者は下級貴族の次男以下や庶民の子弟ばかりだ。


 表向きは離宮で王太子教育に専念するとし、『鍛冶屋の次男ライオ・スミス』と身分を偽り、髪と目の色を魔術で変えて入学した。


 厳しい教育と訓練の毎日だったが、楽しかった。


 物覚えが悪いレオンだが、例外的に痛みと一緒であれば覚えは早く、決して忘れることもない。


 体罰上等、先輩の鉄拳制裁もある士官学校の指導がよく馴染んだのだ。


 ついでに1日4時間も眠れば十分なのも、合間の王太子教育の勉強時間を確保するのに役立った。


 2年次では生徒総代を務め、首席卒業者として国王から軍刀を拝領する栄誉を得た。


 本来、卒業後は軍に配属されるが、身分が身分なのでそうもいかず、同期と教官にも正体を明かした。


 陸軍大学校は士官学校卒業者が入学できる、より高度な軍事教育を施す場だ。


 陸軍大学校への入学は、自分から希望した。


 同期が軍務に服するなか、自分だけ学院で過ごすのは学んだことが風化しそうで恐ろしく、なによりより深く学びたいと思ったからだ。


 父からは引き続き身分を隠すこと、学院と並行して通うこと、王太子教育もきちんとこなすことを条件に入学を認められ、学院との二重生活が始まった。


 陸軍大学校では体罰こそなかったが、指導は厳しく行われた。


 それでも戦術や軍制の研究、実地での演習、同期との議論など、濃密な時間を過ごした。


 同時に、軍事が政治、経済、外交、治安維持、諜報などと密接に関わりがあると実感し、王太子教育の理解にも役立った。


 ベルナルドに黙っていたのは、人の良い性格から余人に漏れるのではないかと、父が懸念したためだ。


「なぜ黙っていたのですか!? 私は婚約者だったのに! それさえ知っていれば!」

「知っていれば……なんとする? 帝国に伝えたか?」


 底冷えしたレオンの声を聞き、メリッサが押し黙る。


「もう遅いのだ、メリッサ・ロレル。そなたは王国を裏切った。報いは受けてもらう」


 そしてレオンは士官たちを引き連れ、会場を後にした。



 正統暦1458年3月25日。サイラス帝国はロレル辺境伯の手引きでクラレンス王国へ侵攻、皇太子を総大将とする帝国軍先遣隊6万とロレル辺境伯軍1万7千が副都メルダースを包囲した。


 名目は皇太子の婚約者を侮辱された報復だが、実際は婚約成立の1ヶ月前から動員をかけており、王国侵攻は既定路線だったとされる。


 だが、王国側はロレル領を寄騎3家の内応で制圧、国王ロベルト4世率いる12万の軍勢を展開し、遅れて国境に迫る帝国軍本隊18万を迎え撃つ。


 メルダースにも1万4千の兵が籠城し、徹底抗戦の構えを見せた。


 午後、帝国軍本隊がサリバン河を渡って突撃し、王国軍が迎撃、『サリバン会戦』が開始した。やや遅れて『メルダース攻防戦』の幕も開く。


 当初は多数の貴族や騎士を投入し、数で勝る帝国軍が優位と思われた。しかし、富国強兵と軍制改革を進め、規律と練度に勝る王国軍が両戦闘で完勝する。


 特筆すべきは王国軍による大規模な銃火器の投入で、その威力は帝国軍は貴族や騎士が多数戦死する一方、王国軍は1人の死者も出さなかったほどであった。


 加えてメルダースでは、王太子レオン・クラレンス自ら指揮を執って数度の騎馬突撃を敢行、先遣隊副将ヴァレリー侯爵、デュラン伯爵、ロレル家嫡男アレックスなど、名だたる敵将を戦死させる戦果を挙げる。


 また、後に『黒騎軍』総大将となるガライ・デュカがロレル辺境伯ほか数名の敵将を討ち取るなど、後世に名を残す将軍たちの若かりし日の活躍も記録に残る。


 勝利の背景には、帝国側の油断と準備不足に加え、アルバローザ公爵がいる御前会議でわざと戦果を過小報告し、その情報を帝国に流させるなど、王国側が徹底した情報戦を仕掛けたのも大きいとされる。


 勝利した王国軍は帝国領に逆侵攻し、クラレンス13州では重税と圧政に苦しむ現地住民から歓迎を受けた。


 一方、帝国ではルークの立太子に不満を持つ『12大公家』が、ルークの婚約者に他国の辺境伯令嬢を指名したこと、ルークの功績作りで出兵を強いられ、大敗したことからクーデターを決行した。


 結果として皇帝アルベルト8世は廃されて幽閉、長子のフィリップが即位し、王国軍と和平交渉を行った。


・フィリップの即位承認と正統性の確認

・5年間の停戦

・身代金1億ゴルド支払いによるルークの引渡し

・クラレンス13州の返還

・ワシリー山脈以東8州の割譲

・海禁政策の撤廃

 

 以上を骨子とした『アーガイルの和約』が結ばれ、王国軍は撤退した。


 後に言う『春戦争』で勝利したクラレンス王国は旧領回復と勢力拡大に成功し、『雷鳴王』ロベルト4世の威名を大陸中に轟かせた。


 また、国王による領内の一円支配が確立され、以降の貴族は給与を支給され、吏僚や将校として王国に仕えることとなる。


 旧領13州および獲得した8州は新設の『西方総督府』の統治下に置かれ、総督のレオンにより様々な施策が実施された。


 一方、帝国は領土のみならず多数の貴族や騎士を喪ったが、直後に12大公家間の対立から内乱が起きて領内は荒廃、最終的に大公家のうち7家が独立、辺境でも地方貴族や豪族が自立した。


 さらにクラレンス王国以外の東側諸国からも侵攻を受けた帝国は、いまだに大陸最大の領土と軍事力を保持しながらも、次第に衰退への道を歩むこととなる。


 そして帝国の影響力が消失したことで大陸東部でも変革が生じ、歴史は数多(あまた)の群雄が覇を競う乱世へ突入する。


 その終わりは、クラレンス帝国初代皇帝……『大帝』レオン1世による大陸統一を待たなければならない。


 一方、メリッサ・ロレルは――。



 婚約解消から1年半。


 レオンは西方総督府で執務に励んでいた。


 総督と言っても、実務は本国から派遣された老臣や若手官僚、現地採用の官吏が担う。


 あくまで将来を見据えた『予行演習』といったところだ。


 とはいえ、全くのお飾りというわけにもいかない。


 停戦明けに備えて地盤固めをする必要があるし、王太子という立場は外交や調略にかなり有用だ。


 現在は帝国から分離独立した国との外交窓口と、帝国東部の貴族や豪族の切り崩しを担う。


 今は半月前に自分が検討を命じ、副総督を通して上がってきた治水計画書の案に目を通している。


「……クリス、副総督をここに」

「承知しました」


 バジリッサ男爵が亡くなり、女ながら爵位を継承したクリスは、総督秘書官としてレオンに仕えている。


 クリスに呼ばれた副総督が一礼すると、レオンが計画について質問し、副総督が回答する。


「そうか……だがやはりこのままでは支流の流れが急となり、氾濫しやすくなる。堤防の改良と二重化も工程に加えて練り直させよ。この事業は百年の計である。予算と時間の削減は二の次でよいと心得よ」


 最後に副総督へ修正を命じて下がらせ、文書の決裁と署名にとりかかる。


 順調にサインをしていたレオンだが、最後の書類を見ると手が止まる。


 一度天井を仰ぎ、傍らのクリスに声をかける。


「……マットたちを呼んでくれ」


 無言で一礼して退室するクリスを見送り、再び書類に目をやる。


 それは、メリッサ・ロレルの処刑命令書であった。

 


 メリッサは、他の令嬢とともに投獄されていた。


 ロレル辺境伯家は男子が全員戦死、アルバローザ公爵はじめ、帝国に内通した者は処刑され、内通に協力しなかった者を除く一族は出家や収監に追い込まれた。


 メリッサたちは各地の監獄を転々とし、半年前に西方総督府に護送された。


 中央から期日が通達されると命令書が作成され、レオンの決裁を経て処刑される。


 すぐに処刑されなかったのは、女子であることからレオンたちが助命嘆願をすれば死一等を減じる、という猶予が与えられたからだ。


 だが、誰にも助命嘆願はなされなかった。


 すでにメリッサ以外は処刑済みだが、全ての処刑にレオンとマットたちは立ち会った。


 せめてもの手向けと、責任をとるためだ。


 多くの令嬢は命乞いをした末に銃殺されたが、カサンドラだけは違った。


 命乞いをするどころかレオンを罵り、王国への呪詛を撒き散らしたのだ。


『――覚えておけ! レオン・クラレンス! 貴様が歩むのは破滅への道だ! 神は常に見ておられるぞ! クラレンスが悶え苦しみ破滅するのを! 天国で父たちとともに見物しよう! クラレンスに呪いあれ! 滅びあれ!』


 目を剥いて罵倒するカサンドラに、兵士たちも気圧されていたが、マットは違った。


『アッハッハッハッ! バッカじゃねーの!? 裏切りに失敗して他人のせいとは片腹痛し! ……呆れ果てて余韻も何もない。銃を貸してくれ。元は身内、その恥は私の手で除く。よろしいですね? 殿下』


 逆に爆笑し、自らの手で処刑することを希望したのだ。


『マット・エマーソン! 貴様も同罪だ! 私のように踏みにじられた者の怨恨(えんこん)が! 必ずやクラレンスを滅ぼす日がくる!』

『……恨みの力だけで国が滅ぶのならば、サイラス帝国は100年前に滅びている。国に復仇(ふっきゅう)をなせるのは、ただ鉄と血のみ!』


 カサンドラの頭を一発で撃ち抜いたマットの顔を、レオンは忘れないだろう。


 そして、メリッサの番が来た。


 レオンはマットやクリスら側近、兵士を数名引き連れ、メリッサが収監された独房の前に立つ。


 クリスに預けていた紙袋を受け取り、ドアを解錠した兵士を外で待たせて入室する。


 独房と言っても、牢獄とはほど遠い。


 窓に鉄格子こそあるがベッドもテーブルも椅子もあるし、調度品も一通り揃っている。


 ペンをはじめ、凶器となり得るモノこそ支給されていないが、それ以外の日用品は、着替えとともに渡される。


 そんな独房のベッドに、メリッサが腰かけていた。


 化粧っ気のないその容貌はいまだに美しいが、心なしかやつれた印象がある。


 メリッサは生気のない顔を向け、呟く。


「……ようやく私の番ですか」

「そうだ。本日、死刑を執行する」


 簡潔に用件を伝えたレオンは、椅子に腰かける。


「だがその前に話がしたい。これが最後の食事だ……好きだっただろう? この焼き菓子は」


 レオンは紙袋を開け、眼前のテーブルに置かれた皿にクッキーを置く。


 メリッサは、動こうとしない。


 マットがメリッサに何か言おうとするが、レオンが手で制する。


「あなたと話す舌も、聞く耳も、持ち合わせておりません」


 メリッサはそれだけ言い、目を伏せる。


「ルーク・サイラスのことであってもか?」


 しかしレオンがルークの名を口にした途端、メリッサが食いついてくる。


「ルーク様の行方をご存知なのですか!? ご無事なのですか!?」

「落ち着け。順を追って話そう」


 目を見開いて迫るメリッサに、レオンは改めて座るように促す。


 渋々とメリッサは席に着き、テーブルを挟んでレオンと対峙する。


 レオンはクリスが用意した紅茶を一口飲み、語る。


「ルーク・サイラスは帝国へ引き渡した。内政干渉の具に使われたくなかったのだろう。その後は幽閉されたと情報が入っている」

「よかった……生きているのならばそれでいい。きっと道は開けるのですから」

「それはどうかな……」

「きっと開けます、あなたには決して理解できないでしょうが」


 レオンの言葉を遮り、メリッサが断言する。


 一口紅茶を飲み、真っ直ぐ前を向き、力強く語り始める。


「ルーク殿下はあなたと違います……聡明で、勇敢で、正々堂々としていて、何より人の心に寄り添える優しさを兼ね備えた方です。その人望は帝国でも篤く、きっと助けになる者も少なからずいるでしょう。その地位でしか他人を繋ぎ止められない、()()()()()()のあなたには無理なことでしょうけど」

「……どういう意味だ?」


 色をなして詰め寄ろうとするマットたちを制し、続けさせる


 メリッサは嘆息し、クッキーを一つ摘まんで口にし、侮蔑の視線を隠そうともせず再び口を開く。


「どうせ死刑となる身、元婚約者として最後の忠告をいたしましょう……あなたは、人を愛することができない欠陥品です。婚約者の心を繋ぎ止めるのも、帝国に通じるのも防げず、ただ私を警戒して冷遇し続けたあなたに、どうして人が愛せましょうか。ましてやそのような冷血漢が国を愛することなど到底不可能なのです。このまま即位すれば人の心が分からぬ暴君として国を滅ぼし、永遠に消えぬ汚名を歴史に刻むこととなるでしょう。ですから、一刻も早くベルナルド様に継承権を譲り、取り巻きと共に自害しなさい。それがあなたが出来る、唯一の善行なのです」

「……その忠告、覚えておこう」

「覚えるのではなく実行なさい……と、言ったところで無駄でしたね。ですが、忠告はしましたよ。あとはどうなろうが知ったことではありません」


 言いたいことを全て言い終えて満足したのか、メリッサは勝ち誇った顔をしている。


「それで、執行はいつですか?」

「……すでに始まっている」

「え……あ……!?」


 次の瞬間、メリッサは胸を押さえながら椅子から転がり落ち、全身を痙攣(けいれん)させて悶え始める。


 その様子を、レオンは椅子に座ったまま眺めている。


 喉からか細い呼吸音を鳴らし、口の端から唾液を垂れ流して苦しみながらも、メリッサはレオンに勝ち誇る。


 私の心が折れなくて毒を使った卑怯者、私に言い返せなかった敗北者、私は死ぬが精神的には私の勝ちだ、ざまあみろ、とでも言いたげだ。


 この期に及んでレオンを見下して悦に入るメリッサの姿には、滑稽や哀れみ、呆れを通り越して、虚しさしか感じられない。


 レオンは無表情のまま、静かに語りかける。


「士官学校には、茶会の茶菓子を持ち回りで作る伝統がある。焼き菓子の作り方はそこで覚えた……これは私が作ったものだ。()()()()()()()()()()()()()を混ぜて」


 その瞬間、ピタリとメリッサの動きが止まる。


「ルーク・サイラスは、1年前に死んだ。そなたと同じ毒を盛られて。そなたの言う通り、ルークには人望があった……ゆえに体制を転覆させかねない危険な存在だ。身代金を支払ってでも身柄を取り戻し、始末したかったのだろう」


 ルークの死を明かすと、メリッサは血走った目を向けるが、すでに手足に力が入らず、弱々しくのたうち回るだけに終わる。


「これは、そなたへの手向け……愛する者と同じ死を与えるという、最後の情けだ」


 レオンは何の感情も見せず、淡々と告げる。


 メリッサは憤怒と憎悪、そして絶望に満ちた眼差しを向けるが、やがて瞳孔が開き、動かなくなる。


 少し待ってレオンが椅子を離れてメリッサの脈を取り、呟く。


「……執行完了」


 メリッサの死を確認し、レオンが立ち上がる。


 毒による処刑はレオンから提案したが、弟のベルナルドをはじめ、臣下の多くやクリス以外の側近さえ反対した。


 ベルナルドは毒を盛るのが卑劣な手段であること、臣下はわざわざ王太子が手を汚すことはない、という理由だった。


 それでもマットがカサンドラを自らの手で処刑したことを挙げ、臣下の説得には成功したがベルナルドは納得せず、その奏上によって父に判断が委ねられた。


 父からは、レオンの好きにせよ、とだけ申し渡された。


『……兄上に人の心はあるのか?』


 拝謁(はいえつ)を終えた直後、ベルナルドがそう呟いていた。


 メリッサやベルナルドの言う通り、自分には人の心がないのかもしれない。


 自ら毒を盛った理由もメリッサには最後の情と答えたが、本当のところは自分でもハッキリしない。


 メリッサが憎かったのか、二人の真実の愛に当て付けをしたかったのか、と言われたらそんな気もしてしまうくらい、あいまいな心持ちだ。


 そんな自分に人の心は永遠にわからないのかもしれない、とレオンは内心呟く。


「……そんなことはありません」


 突然、クリスが口を開く。


「殿下は決して、人の心が分からぬお方ではありません。この者の方こそ、殿下の御心を知ろうともしなかった、欠陥品でございます」

「クリス、よさないか。殿下は罪人とはいえ元婚約者を……」

「あなた方は!!」


 制止に入ったマットたちに、クリスが声を荒げる。


 マットたちはもちろん、長い付き合いのレオンでさえ、クリスが大声を上げるのは見たことがない。


「あなた方は何も思わないのですか!? したり顔で殿下を見下し、あまつさえ自害しろとまで言い放ったあの女に! 私は悔しくて、悔しくて、殿下に言われていなければすぐにでもあの女を……!」

「もうよい、クリス」


 そのまま鬱憤をぶちまけるクリスを、レオンが制止する。


 そこでクリスは我に返り、深々と頭を下げる。


「申し訳ございません、殿下……ですが、殿下は決してあの者が言っていたやような方ではございません。僭越(せんえつ)ながら、私が保証いたします。私は、殿下に身も心も救っていただいた身……そんな方が、人の心も分からぬ暴君になど、決して……」

「もうよいと言ったのだ、クリス」


 頭を下げ続けながらも小刻みに身体を震わせるクリスに、レオンが再度声をかける。


 その声色は、心なしか優しい。


「クリス、そなたの心よりの忠誠、うれしく思うぞ……だが覚えておくがいい。私の評価を決めるのはそなたでも、メリッサでも、ましてや私自身でもない……決めるのは、後世の者だ。私が人の心がない暴君かそうでないかなど、私が死した後にでも決めさせればよい。私はただ、生まれ育ったこの国のために身命を捧げるだけだ。それが、王族の定め」


 たとえ人の心が分からぬ欠陥品であろうとも、レオンには関係ない。


 次の国王としてクラレンス王国を守り、民を導く責務がある。


 後世にどのような批判を受けようとも、父祖から受け継がれたこの国を、次の世代に受け継いでいく必要があるのだから。


 レオンはメリッサの遺体を抱え上げる。


 メリッサの遺体は、刑場医に引き渡し、解剖の実験台として医術の発展の礎となってもらうことになる。


 たとえ罪人でも、この国のためならばとことん利用する。それがレオンの決意だ。


 そしてレオンは独房を後にするのであった。


 

 正統暦1459年9月28日。メリッサ・ロレル、死去。


 その日は奇しくも、毒殺されたルーク・サイラスの命日であった。


 レオン・クラレンスはその死について語ることはほとんどなかったが、亡くなるまで忘れたことはなかったとされる。


 だが、これを機にレオンとベルナルドの間に溝が生じ、ベルナルドによる父の弑逆(しいぎゃく)と王位簒奪、そして『クラレンス継承戦争』へと繋がる。


 また、三奸(さんかん)四賊(しぞく)の暗躍、女教皇ユリアによる破門と対異端大同盟によるクラレンス包囲網、聖女軍の抵抗と、レオンが長らく悩まされる『女難』の始まりとされる。


 レオンの波乱に満ちた生涯は、始まったばかりだ。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] こんな男が『大帝』って呼ばれるんですか? 恐怖政治でも敷いたの? [一言] 恋愛じゃないですよねコレ
2021/02/26 23:51 退会済み
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