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02_01 七転八倒

 柏木は劇場の最後列に座り、薄暗い場内を一望しつつ、スクリーンに目を向けていた。


『ギャオオオ!』

『いやあっ! 助けてっ!』


 煌々と輝く大スクリーンには、モンスターが美女に牙をむく場面が映し出されていた。

 美女は逃げまどうが、悲しいかな、名前もない脇役の運命としてあえなくモンスターの牙に貫かれてしまった。


 モンスターは、ワニ頭をした人間だった。

 映画のタイトルはずばり、「恐怖! ワニ男」であった。


 遺伝子改造で生まれたワニ頭の人間との戦いを描く、王道なB級映画だった。

 登場人物たちの軽快なやりとりや、低予算ながらCGに頼らず着ぐるみを上手く使っており、チープさを感じさせない見ごたえのある作品だ。

 腕が飛んだり首が千切れたりと、過剰なまでのゴア描写もあり、そちらの筋のファンからも評価が高い。


 だが、さすがに公開して数週間経っているため、劇場に足を運ぶ人は少なくなっているようだ。


 柏木は、この手の映画には慣れていた。

 いまさら血が噴き出したり、目玉が飛び出たりするくらい、どうということは無い。


 だが、ポップコーンをつまむ柏木の手は震えていた。


 それは、隣に座るモナの頭が、ワニに変身していたからだ。


 伸びた鼻先が前の座席に突き出し、「ふんふん」と鼻息が聞こえてくる。

 ワニの皮は全体的にぬめりがあって、生臭さすら再現されていた。


 確かに、劇場に人は少なかった。

 柏木とモナのほかに、何列か離れた席に数人座っている姿が見えるだけだ。


 だが何かの拍子で後ろを振り返られたら、ワニ男の映画を見に来ているワニ女の存在に気付かれ、大騒ぎになってしまう。


「おい」柏木は消え入りそうな声で言った。「やめてくれ、気づかれたらどうするんだ」


「誰もこちらへ注意を向けていない」

 ワニ人間と化したモナは、上あごをダイナミックに開いて答えてくれた。


 柏木は並んだ牙をまじまじと見てしまった。


 モナに映画を選ばせるべきではなかった。


 この日柏木は、映画の終わりまでなにも起きないようにと祈るばかりだった。




――――――・――――――・――――――




 柏木はボーリング場にいて、レーンの前に設置されたプラスチックの椅子に座っていた。


 ガコオォォン! と、あちこちで快音が響き渡っている。


 モナはボールを構えてレーンの前に立っており、柏木はその後姿を見ていた。


 モナはとにかく目立っていた。

 ボーリング場の客と店員が五分に一回はモナの姿を盗み見ている。

 金髪美女の外国人が、こんな小さなボーリング場に現れたら、だれでも見てしまうだろう。


 モナは完璧なフォームで腕を振りかぶり、ボールをリリースした。

 ボールは勢いよく転がり、そしてガターになった。

 これで八連続ガターである。


「……どうして」

 モナはめくれかけている短いスカートを直そうともせず、一本も倒れなかったピンを見ていた。


「さすがに、練習しなきゃ無理なんじゃないか?」

 柏木は自分のボールを回収しながら言った。


「確かに、練習が必要」

 モナは席に戻り、隣のレーンを見た。


 隣のレーンでは、小太りの中年男性が、素晴らしいフォームでストライクを連発している。

 そしてストライクを取るたびに、厳めしい表情でモナへ視線を向けている。

 モナにアピールしているようだ。


 モナはボーリング開始直後からその中年男性の動きを観察していた。

 そしてなんと一投目から完璧に同じ動きをとるようになった。


 だがしかし、モナのボールはピンにかすりもしなかった。


「時間がかかる」モナは自分の長い指を見つめた。「外見では判断できない技術があるみたい」


「へぇ、時間ってどれくらい?」


 柏木はボールを投げた。

 端にピンを一本残してしまった。


「あと三時間あれば、正しいフォームで、毎回すべてのピンを倒せるようになる」


 柏木の二投目はガターになってしまった。

 狙いすぎたようだ。


「『正しいフォーム』で?」柏木は気になった部分を追求した。「正しくないフォームなら、もういけるの?」


 モナは頷いた。


 柏木はモナと交代した。

 モナはしゃがみこみ、レーンのファールライン前でボールを床に置き、人差し指を添えた。


 次の瞬間、ボールは音もなく「発射」された。


 ボールはレーン上を走り、けたたましい音共にすべてのピンをなぎ倒した。

 ピンが折れたかもしれない。


 あまりの音量に、ボーリング場の時が止まったようだった。

 すべての人がモナを見ていた。


 モナは何事もなく立ち上がり、ディスプレイに映し出された自身のスコアを確認した。

「これでやっと10点か」


 柏木はモナに近寄った。「なに、を、なにしてんだよ」


 モナは周囲から見えないよう、自分の人差し指を柏木に見せた。

 モナの人差し指は、まるでゴムでできているように縮んでいき、小さな音と共に勢いよく元の長さに戻った。


「射出装置を作った」

 モナはこともなげに言った。


 そんなことは聞いていなかったが、柏木は改めて質問する気力を失っていた。


「か、帰ろう……」

「どうして」モナはディスプレイの自分のスコアを見ている。「まだ一投残っている。それに、何ゲームかやるという話だった」


「いいから、今日はもう終わり」


 柏木は全然疲れていないのに肩で息をしていた。




――――――・――――――・――――――



 柏木は試着室の前のベンチに腰かけていた。


 柏木の目の前で、カーテンが開いた。

 モナは後ろで髪をまとめ、青のチューブトップに短い白のスカートだった。

 鎖骨が美しく、太ももがまぶしい。

 柏木は表情を変えないように必死だった。

「どう?」

「似合ってる」柏木は毅然とした態度で言った。

「そうか」

 モナはカーテンを閉めた。



 柏木の目の前で、カーテンが開いた。

 モナは黒のタンクトップに、派手なピンクのジャケットを羽織り、ダメージの入ったジーパンを穿いていた。

 ちらりと見えるおヘソがキュートであり、同時に煽情的だった。

「どう?」

「似合ってるよ……」柏木は目を細めて言った。

「そうか」

 モナはカーテンを閉めた。



 柏木の目の前で、カーテンが開いた。

「うっわ!」柏木はすぐにカーテンを閉めた。

「……どうして」カーテンの向こうでモナの声がした。

「裸じゃないか」

 柏木は小声で、しかし抗議するような口調で言った。


「裸じゃない。これは水着だ」


 モナはマイクロビキニを着ていた。

 局部をわずかに隠しているだけだった。

 肉感豊かな胸と尻が見事なまでににあらわになっていて、紐部分が食い込んで大変なことになっていた。

 危うく店員を呼ばれるところだった。


「……えちょっとまって、そんなのこの店にあったか?」


 柏木はふりかえり、店内の様子を改めて見回した。


 ここは女性向けの服飾店だった。

 駅の近くにあり、昼下がりの現在、店内はカップルや女性客の集団でそこそこ混み合っていた。


 この店には水着コーナーも確かにあったが、こんな水着ですらないような際どいものまで置いてあっただろうか。


「事前に調べた雑誌に載っていた服だ。私の服飾ユニットはどんな服でも再現できる」

「……せめてここに売っている服を再現してくれ」


 柏木は頭を抱えた。

 どんな服でも再現できるなら、店に来て試着室で着替える意味など無いではないか。

 今日のデートも失敗か……。



 柏木の目の前で、カーテンが開いた。

 黒のTシャツに薄緑のロングスカートだった。

 髪型も変わっていて、長い金の髪はきっちり巻いていた。

 目元には巨大なサングラスがあって、モナの顔は良く見えなかった。

 セレブの休日感がある恰好だった。

「どう?」

「……サングラスも作れるの?」

「見せかけだけ。で、どう? 似合っている?」


「似合ってるよ」柏木は若干疲れて言った。


 この分では、おそらくどれだけダサい服を着せても似合ってしまうことだろう。


「あれっ、柏木じゃーん」


 聞きなれた声がして、柏木はとっさに試着室のカーテンを閉めた。


 同じ大学の女子数人が、柏木に近づいてくる。


 と、カーテンの向こうでモナが暴れ出す音が聞こえた。

 カーテンが異様な膨らみ方をしている。

 しかも足元からはぬめりを帯びた触手が見え隠れしてた。

 近くで聞けば、獣のうなり声のような音も複数聞こえる。


 モナが、人間としての姿を捨て、怪物の正体を現しているようだ。

 一体なぜ?

 柏木は突然の事態に戸惑いを隠せなかった。


 ――このときの柏木は気づかなかった。

 カーテンを慌てて閉めたとき、柏木の指がモナの指先に触れてしまっていたことに。


「おーっす」

「なに、誰かとデート中?」

「……また誰かひっかけたの?」


 女子たちは柏木の事情も知らずクスクス笑いながら近づいてくる。


「ぅお、おぉ! 奇遇だなぁ」

 柏木は引きつり笑いを浮かべ、女子たちの前に立ちふさがった。


 試着室の中では、まだバタバタと妙な音が聞こえている。


「え、何? 大丈夫?」

 女子の一人が、試着室内部の異常を聞きつけて言った。


 モナの入った試着室の揺れは一瞬だけ最大限激しくなり、その後ぴたりと止まった。

 近づいてきた女子たちどころか、服飾店中の客たちが注目していた。


 柏木にはもうどうしようもなかった。

 鬼も蛇も出ないでくれ、と脂汗を浮かべるばかりだった。


 やがてカーテンが開き、白のワンピース姿のモナが現れた。

 頭には濃いベージュのハットがある。

 何事もなかったかのように靴を履いた。


 モナはどこからどうみても完璧な人間だった。

 触手も生えていないし、頭も割れていない。

 手足の数も適正だ。


「ここに良い服は無かった」


 モナは平然と言うと、女子たちに目を向け、「こんにちは」と言った。


 想定以上の美女を前にしたためだろう、大学の女子たちは挨拶もそこそこに蜘蛛の子を散らすようにして去っていった。




――――――・――――――・――――――




 柏木は水槽の前の長椅子に座っていた。


 赤青黄色と、様々な色のライトが点灯し、無数のクラゲたちが幻想的に照らされていた。


 モナはガラスに張り付くくらい顔を近づけ、クラゲたちを観察している。


 柏木は定まらない視線でモナの様子を後ろから眺めていた。

 薄暗い通路を行き交う他の客たちは、クラゲを見るふりをしながらモナを見ている。



 モナと恋人関係になって、すでに一週間経っている。

 今日までで様々な場所へデートに行ったが、一向に手ごたえは無かった。


 果たしてこの調子でデートを続けて良いのだろうか。



 モナは水槽から目を離して突然振り返り、柏木に近づいてきた。

「終わった」

「……終わったの? 何が?」

「もういい。この施設で見るべきものは全て見た。ユウは?」

「俺も大丈夫」


 実際、柏木はこの水族館に何度も訪れていた。

 ここはちょうど良いデートスポットである。


 柏木はモナと並び、薄暗い通路を進み、階段を上り始めた。


 途中、二人の幼い男の子が、柏木の脇を走り抜けていった。

 何かのごっこ遊びでもしているのか、大声で笑いながら階段を駆け上がっていく。

 さらに後方から、子供たちの母親と思しき声が聞こえてきた。

 男の子の足に追いつけないようだ。


「明日はどこへ行く?」

「あー、そうだな……」


 柏木は階段の踊り場ではしゃぐ男の子たちを見ていた。


「ユウの行きたいところへ行くのはどうだろう」


 考えたこともなかった。

 一瞬だけ、美術館が浮かんだが、柏木は頭を振った。

 正直どこへも行きたくなかった。


「モナの行きたいところにしよう。俺はもうどこも行き尽くしてる」

「ユウは楽しんでいないように思う。デートは男女両方が楽しむもののはず」

「……雑誌の知識?」

「そう」


 柏木は苦笑した。


 と、目の前で遊んでいた男の子がもう一人の子に突き飛ばされ、階段から転がり落ちそうになった。


「きゃっ!」階下から母親の悲鳴が聞こえた。


 柏木は手を伸ばす動作が遅れた。

 柏木の脳裏には、階段から落下し頭が割れる幼い子の姿が浮かび上がっていたのだ。


 間に合ったのはモナだった。


 モナは男の子の裾を掴み、階段から落ちそうになっていた男の子を強引に引き寄せた。

 そのまま男の子を抱き寄せると、無表情で覗き込んだ。

「ここは危険」


「は、はい……」男の子は今にも漏らしそうな声で言った。



 男の子たちの母親が駆けあがってきて、モナと柏木にぺこぺこと頭を下げ、お礼を言っていた。


 その母親は男の子二人の手を両手でしっかり掴み、また何度か振り返って頭を下げて去っていった。


 柏木は母親の背を見送って、隣のモナを盗み見た。


 人間の味方になってくれた、と考えて良いのだろうか。


「どうして……、助けたんだ?」

「助けない方がよかった?」

「そうじゃないけど……」


「助けたら、ユウが喜ぶかと思った」

「よ、喜ぶよ、そりゃあ」


「喜んでる?」モナは柏木の目を覗き込んだ。「本当に?」


「……ああ」柏木は頷いた。

「なら良かった」


 モナはそう言った。


 どうやら、これで敵か味方かがはっきりするような単純な話ではないようだった。


 だが結果だけ見れば、人間ではない異世界のクリーチャーが、人間の危機を察知して怪我をしないように助けてくれたのだ。


 きっと何かが進展しているのだ。


 柏木は、ひとまず現状を喜ぶことにした。

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