第九話
「メリス。食べなさい」
「えっ、あの。お父様……」
「ほら。あーん」
戸惑いながら、お父様が差し出したスプーンにかぶりつくと。
「メリス。あーん」
今度はお兄様がフォークを差し出してくる。
「えと……。ジールス兄様、自分で食べられますわ」
「あーん」
抗議するもジールス兄様は満面の笑みで、私の言葉をスルーする。仕方なく私はジールス兄様の差し出したフォークにかぶりつく。
「メリス。あーん」
するとまたしてもお父様が……。どっ、どうしてこうなった!
テーブルの片側にお父様、私、ジールス兄様。対面にお母様とカリス兄様の順で並び、座っているのだが。
私は両隣の二人に、甲斐甲斐しく料理を食べさせられるという、ちょっとばかり恥ずかしい状況に陥っていた。
は、恥ずかしい!
美形の殿方にあーんをしてもらうという、なかなかに嬉しいイベントなのかもしれないが、如何せん相手が家族では……。
なんというかこう、恋愛特有のくすぐったい気持ちはなく。十歳にもなって家族に甘やかされる、そんな気恥ずかしさでいっぱいだ。
どうにかしたいけど……。自分ではどうすることもできない。
口で言っても駄目だし。フォークなどの私の食器は、夕食会が開始されたと同時に、取られてしまっている。
きっと返してと言っても返してくれないだろう。どうすれば……。助けを求めるように周りを見渡すと、お母様と目が合った。
よし。マナーにうるさいお母様なら……。
「あら、メリスはモテモテね」
上品に笑うお母様。駄目だ。お母様は助けてくれそうにない。ならばと隣のカリス兄様を見ると……。
ひいっ! い、いつも以上に冷ややかな眼差しをしておられる。
カリス兄様は冷めた目でお父様を見ていた。まあ、いい歳したおじさんが。それも口髭を蓄えたダンディーなおじ様が。
普段の厳粛な面持ちを崩し、でれでれとした顔で、娘にあーんなどとやっていたら、そんな目にもなるってものよね。
あっ、カリス兄様と目があった。
「ん? メリス。何か用かな? ああ……。もしかして。僕にも食べさせて欲しいのかい?」
「ち、違いますわ」
「くくっ。だろうね」
慌てて否定する私を見て、愉快そうにくつくつと笑うカリス兄様。人をからかって遊ばないで欲しい。
私が困っていることだって、わかっているでしょうに。やっぱり腹黒いわね。
「あーん」
ジールス兄様が差し出したフォークにかぶりつく。ともかく、カリス兄様は助けてくれそうにない。
そうなると後は周りに控えるメイドくらいしかもういないけど……。
駄目ね。皆微笑ましそうにこちらを見ているわ。どうやら、この状況を打開する方法はないらしい。
「メリス」
諦めましょう……。仕方なく、そう結論付けた私は、お父様が差し出したスプーンにかぶりつく。
というか、お父様もジールス兄様も絶妙のタイミングで料理を口の前に持ってくるわね。
遅過ぎず、早過ぎず。私が次の一口が欲しくなるタイミングで、すっと料理が差し出される。
私のことをよく熟知した、無駄な技術。さすがは親バカとシスコン。
「二人とも、今晩はこちらに泊まっていくのかしら?」
「あーん。……僕はそのつもりです」
器用にも私にフォークを差し出したまま、顔をお母様の方へ向け、お母様の問いに答えるジールス兄様。
「私は夕食を食べたら寮に帰るつもりです」
「あら。泊まっていけば良いのに」
そういえば、カリス兄様とジールス兄様は、普段は寮で過ごしていたのだったわね。そこからゲームの舞台と同じ学園に通っているのだ。
学園には、遠方の領地の貴族の子女や子息、優秀な平民が通うこともあるので、寮が用意されているのよね。
もっとも、別に寮に入らなければならないという決まりはなく。王都に屋敷を持っている者は、自宅から通うこともできる。
なので、ジールス兄様もカリス兄様も、この屋敷から通うことができるのだが、寮に入ることを選択していた。
「そうだぞカリス、今日ぐらい泊まっていってはどうだ?……ほら、メリス」
私のほうを向いていないのに、ジールス兄様と同様、お父様も器用に私の口元にスプーンを差し出した。
「いえ。私は寮に帰ります」
「そうか」
「では、ジールスだけ泊まっていくのね」
「はい。……メリス、あーん」
もうこれ、ただの流れ作業と化しているわよね? ジールス兄様の差し出したフォークにかぶりつく。
もはや、なんの感情も湧かない。
「あーん。……そういえばアリア、今日一日メリスの様子はどうだった?」
「大丈夫よ。とても元気だったわ。昼過ぎには寝ちゃったけど、体の調子に問題はなさそうだったわね」
「お父様、体調は良好でしたわ」
「そうか。それは良かった。だが、まだ油断はできぬ。しばらくは安静にしているように」
「はい」
「それとアリア。明日、レクス公爵家の者が来るそうだ」
「そう。相手をしておくわ」
レクス公爵家の者ね。たぶん使用人が回復祝いの品でも、持ってやってくるのでしょう。数日前にもお見舞いの品を持ってきたそうだし。
貴族というものは大変だ。私が勝手に倒れただけで、レクス公爵家に落ち度は無くても、パーティーの主催者としての立場がある。
だから、わかりやすく周囲に私のことを気にかけているとアピールするためにも、贈り物を持たせた使用人を送ってくるのだろう。
「あーん」
「メリスも、できれば少しだけ会ってやってくれ。向こうもおまえの元気な姿を見れば安心するだろう」
丁度、口に料理を含んでいるときに言われたので、頷いておく。
「といっても病み上がりだからな。軽く会うだけで構わん。メリスはベッドの上でゆっくりと休んでいなさい」
レクス公爵家の使いといえども相手は、回復祝いの品を持ってくる使用人だ。家を任されているお母様が会うだけで良いだろう。
ただ、それでも私に会ってやれとお父様が言ったのは、レクス公爵家に配慮して、元気な姿を見せておくようにと、そういうことね。
「わかりましたわ」
それぐらいは私の拙い貴族知識を持ってしても理解できる。ベッドの上で適当に顔だけ見せたら、帰ってもらいましょう。