第五話
「おはよう、マイア」
部屋に入ってきたマイアに声をかけながら、ベッドに寝ていた体を起こすと。
「おっ、お嬢様! お体のほうは大丈夫なのですか!」
慌てた様子でマイアが駆け寄ってきた。
「ええ、大丈夫よ。ほら、この通り」
マイアに見せ付けるように、両手を持ち上げてみせる。
「良かったです! お嬢様が元気になられて。ほ、本当に良かったです!」
感極まったのか、目尻に涙をにじませながら喜ぶマイア。
よほど心配をかけたようね。結構長い間眠ったままだったのかしら?
「ねえ、マイア。私はどのくら――」
「ああ、こうしてはいられません! すぐにクレスト様にお伝えしなければ!」
私はどれぐらい眠ったままだったのか、そうマイアに尋ねようとしたのだが。それよりも早く、マイアは部屋を出て行った。
あの様子だと眠っていたのは一日、二日ではなさそうね。だとすると……。
「はぁー」
きっと、お父様とお母様に随分な心配をかけてしまったわね。今世の両親の顔を思い浮かべ、そんなことを思う。
しばらくすると、廊下から慌しい足音が聞こえ始め……。その足音はどんどん大きくなり。
次の瞬間、勢いよく部屋の扉が開き、お父様とお母様が入ってきた。
「ああ! メリス。良かったわ!」
「メリス! 目を覚ましたのだな!」
部屋に入ってきた勢いそのままで、私に抱きつくお母様。遅れてお父様もベッドの傍までやってきた。
「もう! メリス。心配かけて」
涙声のお母様。
「そうだぞメリス。どれだけ心配したことか……」
お父様が嬉しそうな顔で、優しく私の頭を撫でる。
「心配かけてごめんなさい」
罪悪感を覚えながらも、なんだか少し嬉しさを感じた。こうやってお母様に抱かれたりするのは久しぶりね。
そう感じるのは、前世の記憶のせいかしら?
いえ、そうでもないわね。親バカなお父様とは違い、お母様はこんな風に愛情を露にすることが少なかったから。
無論、決して愛情がないわけではないのだけど……。お父様が私を甘やかす分、お母様は厳しくて。まあ、ともかく。
久しぶりに親の愛情を一身に受けて、なんだか胸が暖かくなった。
「ほんとよ。急に倒れるなんて」
「それも五日も目を覚まさなかったんだ。本当に心配したぞ」
あら、五日も経っていたのね。後ろめたさを覚えたので、気が済むまで両親に体を任せていると、遠慮がちなマイアの声が耳に入る。
「……ホルキス先生がお見えです」
見れば、部屋の入り口にマイアと一人の老人、ホルキス先生の姿。先生は我がフレール侯爵家お抱えの治癒魔法使いだ。
何かあると、診察してもらっていたのを覚えている。
「おお! ホルキス殿。朝早くからすまない。ほら、アリア」
お父様に促され、ベッドから離れるお母様。
「構わんとも。メリス嬢、調子はどうかね」
入れ替わるようにして、ベッドに近づくホルキス先生。
「とても良い調子ですわ」
「そうかね。そうかね。それはけっこう」
顎に蓄えられた豊かな白鬚を撫でながら、ほがらかに笑うホルキス先生。先生はベッド脇に片膝をつく。
「ではメリス嬢。お手を」
ホルキス先生が手のひらを上に向けて、右手を差し出してくるので、私は左手を差し出し。
ホルキス先生の手のひらの上に載せた。
「楽にして」
そう言いながら、ホルキス先生は両手で優しく私の右手を包む。すると右手から体に、温かい何かが流れ込み。
体の中を一巡りすると、お腹の辺りで、すうっと消えていった。
今のは体の状態を調べる魔法ね。昔からよくお世話になっていた記憶がある。
「ふむ。やはり体に異常はないようですな。……メリス嬢、何か体に違和感などはありますかの?」
ふむ。私が倒れたのは急に前世の記憶が戻ったからだろう。推測でしかないが、知恵熱みたいなものではないだろうか。
まあ、少なくとも今は体になんの異常も感じない。
「特に何も感じませんわ」
「ふむ。そうかの。うーむ……」
私が答えると、ホルキス先生は目をつむり、顎鬚を右手でやんわりと、もてあそびながら考え込んだ。
「先生? メリスは大丈夫なのかしら?」
待ちきれなかったのか。お母様が尋ねる。お父様も言葉にこそ出さなかったが、そわそわと落ち着きがない。
お母様に催促され、口を開くホルキス先生。
「……申し訳ない。どうにもわしには原因がわかりませんな。診た限りではまったく異常はないのですが……」
どうやら、眠っている間も私の体に異常は見当たらなかったらしく。だから倒れた原因はわからないと、ホルキス先生は答える。
「だとすると、メリスはまた倒れる可能性があるのか?」
「その可能性もあります。なにしろ原因が不明ですので……」
確認するようなお父様の問いかけに、ホルキス先生は眉根を寄せ、申し訳なさそうに語尾を濁しながら答えた。
「まあ、そんな!」
頭を抑える母様。うーむ。私は原因に見当がつくから、おそらく倒れることがないと、わかっているが……。
他の人たちからすると、原因不明の奇病になるのか。
安心させるために本当のことを言うべきかしら? しかし、本当のことを言ってしまっても良いの?
信じてもらえない可能性があるし、頭がおかしいと思われたらどうしよう。考えている間も話は進む。
「まあ、しばらくは様子を見るしかないでしょうな」
「ふーむ。それしかないか」
「本当に、原因には見当もつかないのね?」
「アリア様。お力になれず申し訳ない」
やっぱり駄目ね。前世の記憶うんぬんは心の内にしまっておきましょう。話して、受け入れてもらえなかったら怖い。
代わりに元気なところを見せるから勘弁して頂戴。そう心の中で謝ると、その言葉に返事をするかのように、お腹が「グゥー」と唸った。
「……」
途端に顔が熱くなる。まさか、こんなタイミングでお腹が鳴るなんて……。しかも、けっこう大きな音だった。
たぶん、全員に聞こえただろう。で、でも仕方ないわよね?
「えと……」
「あら。メリスったら」
「五日も寝たきりだったからの。仕方あるまい」
お母様とホルキス先生が優し気に微笑む。
顔がさらに熱を持つ。きっと、耳まで真っ赤になってしまっているわ。まあ、場が和んだのは良かったけど……。
私の腹の虫のおかげで皆、呆れたような、毒気の抜かれた顔をしており、先ほどまでの重い空気は霧散していた。