第三話
『そんなこと許さないわよ!』
えっ! 何? 突然響いた声に一瞬驚いたが、すぐに理解する。この声の主はこの世界で十年間生きた私だ……。
奇妙な感覚だが、すんなりとそう理解できた。
本来、一つに統合されるはずだった二つの記憶と人格。ただ、まだうまく折り合いがついていない状況だったから……。
そんなとき、私がクロード様のことを諦めようとしたので、それに納得できない感情が、もう一人の私を呼び起こしたのだ。
『クロード様を諦めるなんて、絶対許さないんだからね!』
再び頭の中に響く声。同時に心の底から湧き上がる思い。それはとても強い、クロード様への恋心。
私が心の底にしまい、蓋をした感情だ。
未来の破滅を回避するため、考えないように。うまく気持ちを隠し、誤魔化し、心の奥に封じ込めようとした恋慕の感情……。
ああ、やっぱり自分に嘘はつけないようね。うまく箱に詰めたと思ったけど、どうしても蓋が閉まらず、溢れ出してしまったようだ。
自覚する。
悔しいかな、私はすでに引き返せないほどにクロード様に惚れ、どうしようもないほどに惹かれてしまっていた。
これは、おそらく前世の私がクロード様に入れ込んでいた影響と。今世の私の一目惚れが化学反応を起こしたせい……。
前世の私は所詮、オタクと言われる部類の人間だった。それも、ゲームキャラが恋人だと言い張るほどに、どっぷりと浸かった。
だから、クロード様が二次元から三次元になって目の前に現れて、しかも一目惚れまで重なればどうなるかなんて決まっている。
ああでも。それでも! 未来の破滅を考えて、なんとか気持ちを抑え込もうとしたのに……。
それなのに……。しかし結局、自分を騙し切れなかった。
(クロード様への恋、諦められるわけないじゃない!)
思わず叫んだ心の声が、もう一人の私の声のように頭の中で響いた。
『そうよ。ちゃんとわかってるじゃない。まあ、あなたは私なんだから、それも当然かしらね』
満足げな様子のもう一人の私。「あなたは私」ね。まったくもってその通り。心が二つに分かれようとも、私とあなたはどちらも私だ。
なら、未来の破滅は回避したいはず。
(その辺はあなたも同じでしょう?)
もう一人の私(これからはメリスと呼ぼう)に呼びかける。
『何がよ?』
あれ?
(いやだから、あなただって破滅するのは嫌でしょうって)
『破滅? ああ。ゲームの知識、破滅の未来の話かしら?』
(それ以外何があるのよ)
なんだか、いまいち話が通じていない気が……。
(おかしいわね。メリスは私が考えていることが、わかるんじゃないの?)
『あら。何か考えてたのね。でも、私には伝わってないわよ』
(そうなの?)
どういうことだろうか?
最初にメリスが口を挟んできたとき、「そんなこと許さないわよ!」という、明らかに私の思考を読んだ内容を口にしていた。
なのに、先ほど破滅の未来がごめんだと「その辺りはあなたも同じでしょう?」と同意を求めたときは、意味が通じていなかった。
(ねえ。なんでかしら?)
『何がよ?』
(今のも通じていないのね……)
これは明らかにこちらの考えが伝わっていない。
『だから何がよ?』
メリスの声に苛立たしげな色が混ざる。やはり通じていないのね。同じ私のはずなのに……。
どうして? さっき、二つに分かれたからかな?
(ごめんなさい。考えたことも通じていると思って話していたのよ)
『そうなのね? でも考えは通じていないわ』
(さっきまではそんなことなかったのになぜかしらね? ともかく、こうして声にしないと伝わらないみたいよ)
『あら。じゃあ、さっき私が考えたことも……』
(あなたの考え?)
『クロード様を諦めなくても、破滅は回避できるって考えよ』
(残念ながら伝わっていないわね。でも理解はできるわ)
よくよく考えてみれば、別にクロード様に恋焦がれることが、イコール私の破滅というわけではない。
ゲームでは、ヒロインにクロード様を盗られることを怖れた私が、いろいろ行なった結果、最終的に糾弾され、婚約破棄されただけ。
だから自業自得と言える。もっとも、好きな相手を盗られるということが、我慢できなかったという気持ちも、今なら理解できるのだが……。
うーむ。私ってこんなに嫉妬深かっただろうか? 前世の私はそうでもなかったと記憶しているけど……。
まあ、おそらくこれは今世の私の影響でしょうね。これは気をつけないと、ゲームのように手段を選ばなくなりそう。
『わかった? なら、ヒロインを排除する手段を考えましょ』
(えっ。ヒロインを?)
『そうよ。ゲームの知識という武器があるのだから、よりうまく。ばれずに事を運ぶのは容易でしょう?』
それはつまり、ゲームでの失敗を踏まえて、より洗練された方法によってヒロインを排除するということ?
どうやらメリスは私と価値観が異なるらしい。まあ、今世の私の価値観の影響を色濃く受けてるみたいだから、当然か。
(それは駄目よ)
それを実行するとしたら最終手段ね。
『なんでよ! 私とクロード様の間に入ってくるヒロインを許そうというの?』
いや、そういうわけじゃないのだけど……。
(そうじゃないわ。考えてもみなさい。後ろめたいことをして勝っても、クロード様に顔向けできないじゃない)
『そうかしら? ばれなきゃいいでしょ』
うーん。こうも考え方に違いが出るのか。
この世界が自分中心に回っているかのような強気な姿勢は、ゲームの私そっくりで薄ら寒いものを感じる。
メリスの感情、クロード様に近づくヒロインという泥棒猫を、許せない気持ちは私にもあるが……。
だからといって、ゲームの知識からすると、まさに悪役令嬢というような手段は取ってはいけない。
どれだけ完璧に動いたとしても、どこかしら綻びは出る。因果応報、悪事のツケは巡り巡って自分に返ってくるのよ。
だから安易に悪いことをするべきではない。他に手段があるうちは、誰にも文句を言われることのない、王道を行くの。
(駄目よ。ヒロインに危害を加えるのはなし)
『でも。だったら、どうするのよ?』
(ふふっ。まずは正々堂々、正攻法から攻略を始めるのよ)
付け入る隙は他にいくらでもあるはずよ。




