第十四話
開かれた扉からレクス公爵夫人ナルシス様とクロード様、そしてその後ろから二人のメイドが入ってくる。
メイドの一人は我が家のメイド長、老メイドのミルクシス。もう一人はうちの制服ではないから、レクス公爵家の者でしょう。
うわぁあああ。最悪! こんな適当な姿でクロード様に会いたくなかった。礼儀作法だって、駄目駄目なのに……。
(メリス。どうしよう……)
『そんなこと。私に聞かないでよ!』
(ね、ねえ。代わってくれない)
『嫌よ! というかできないでしょ!』
そうよね。人格は交代できないし、それに私が逃げ出したいのなら、メリスだって逃げ出したいわよね。
『頑張って、なんとかしなさい!』
(それしかないわね)
しかし頑張って……、果たしてなんとかなるのだろうか? ああ……。昨日の私を殴ってやりたい。
どうしてレクス公爵家の者が来るかもしれないと聞いたとき。なぜ、もっと深く考えを巡らせなかったのだろう。
そうすればこの事態を……、さすがに予測できたとは言わないが。少なくとも、多少はマシになっていたかもしれない。
よくよく考えてみれば、お母様とナルシス様は友人同士で、私もナルシス様と面識があったのだ。
だから、ナルシス様がお見舞いに来るかもしれない、そう予測することも不可能ではなかったはず。
そして、そう予測ができていれば、私はそれなりの格好をしただろうし。そうでなくとも、お母様にさせられたはずだ。
というのも、ナルシス様が来るとなれば、お母様はいつも以上に私の身だしなみをチェックして、私に猫を被らせたから……。
ナルシス様の前ではなるべく話さないように、必要最低限の受け答えだけをしろと、お母様に強く言い含められ。
まるで人形のように自由のない、窮屈なお茶会に参加させられる。そんな苦い思い出がナルシス様との思い出だった。
もう! どうしてこのことを思い出さなかったのよ!
「ナルシス、それにクロード様、フレール侯爵家へようこそ。お出向かえもできず。誠に恐縮です」
「ようこそお越しくださいました」
お母様とマイアの声で現実に引き戻される。
「構わないわよ。いきなり押しかけたのはこちらですもの」
お母様の前まで近づいてきたナルシス様が、お母様に微笑み。そしてその目線がお母様の後ろにいる私に向く。
挨拶しなければ……。と、とにかく。今持てるすべてを総動員して、この場を乗り切るしかない。
とりあえずベッドの上で座ったままは失礼よね。
「メリスちゃん、久しぶりね。あっ、そのままでいいわよ。体に悪いでしょう」
少し急ぎ気味で、それでも失礼のないよう細心の注意を払いながら、ベッドから立ち上がろうとしたのだが。
ナルシス様に止められた。それならば……。
「……ありがとうございます。ナルシス様、ようこそお越しくださいました。ご無沙汰しております」
私は立ち上がるのをやめ、ベッドの上で居住いを正し、言葉を選びながら、丁寧に挨拶を返した。
「調子はいかがかしら?」
「大変よろしゅうございます」
「そう。それは良かったわ。……クロード、メリスちゃんに挨拶なさい」
ああ……。クロード様がこちらに。
ああもう! クロード様と会うのは、どこに出しても恥ずかしくない、完璧な令嬢になってからと決めていたのに……。
初対面、最初の出会いというものは、その人の人柄を印象付ける。だから素敵な淑女になってからと、そう考えていたのに。
部屋着で。しかも、こんな着の身着のままの姿でなんて……。
いや、後悔は後よ。今はこれ以上の醜態をさらさないことに全力を尽くし、少しでも心象を良くするのよ!
覚えているだけの礼儀作法を思い出し、適切な挨拶の言葉を考える。あとは、ふんわりと可憐に微笑むだけ……。
「初めまして。クロード・レクスです」
きたわね。よし。ゆっくりと優雅に。そしてスマートに言葉をつむぐ。笑顔……。笑顔……。
笑顔! さあ、いくわよ!
「は、初めまして。クロード様。メリス・フレールでございます。病み上がりゆえ、きちんとした挨拶ができず申し訳ありません」
あっ……。ちょっと意識し過ぎたかも。ふんわりと笑顔を浮かべたつもりだったが、なんとなく頬が引きつっていた気がした。
『ああああああ!』
メリスの悲鳴が頭に響く。あっ。やっぱり駄目だったみたいね……。
「お気になさらず。心配しておりましたが、元気でそうで安心しました」
「ありがとうございます。この通り。元気ですわ」
今度は控えめな笑顔を浮かべることに成功した。ああ……。だけど、やっぱり自分の格好が気になる。
来て早々だけど、帰ってくれないかしら? なんて無理よね……。
「本当に元気そうで安心したわ」
「ナルシス様。心配をおかけして申し訳ありません」
「大丈夫よ、謝ることじゃないわ。それに、メリスちゃんが病弱だって聞いていたのに、無理に招待してしまったのは私だもの」
えっ! それは……。思わずお母様の顔を見る。病弱設定は私たちフレール侯爵家が勝手に作っただけの、偽りだ。
私は世間では病弱だと有名だが、実のところそれは私が招待されたパーティーに出席しないことへの言い訳に過ぎない。
私の礼儀作法が拙いことを把握していた両親が、社交界への私の露出を控えようとして流した、偽りの噂に過ぎないのだ。
しかも、仮に私が本当に病弱であったとしても、クロード様の誕生日パーティに参加したいと言ったのは私。
それも両親が止めたのに無理を言ってまで参加した。だからまあ、あれだ。ナルシス様の謝罪は的外れだった。
気まずそうな顔をしたお母様と目が合う。
「な、ナルシス様のせいではございません。私が無理をしてパーティーに参加したからいけないのです」
「そうよ。ナルシスのせいじゃないわ」
私の言葉に続いたお母様、さらに話題を逸らすように。
「さあ、準備も整ったみたいだから、お茶にしましょう。そちらにお掛けになってくださいな」
お母様が促す。見ればいつの間にか、二人掛けの丸テーブルには椅子が二つ追加されており、お茶会の準備も整っていた。




