第17話 『絶望』
現在デュークから流れている血は真っ黒。横で店主が伸びていて彼もまた全身から少なくない出血をしていて、その彼が真っ赤な鮮血のため、デュークとの色の違いは明白でとても誤魔化せる雰囲気ではない。
――くっ、やらかしたか。それよりも肉体の損失が激しい。庇うんじゃなかったか。失った血液を何とかしないと。
幸い周りは思考が追い付いていないのか止まっている。この時間を有効活用して何か手を打たないといけない。
と、考えたところで体から力が抜ける。必死に耐えるが、どこか重い。
彼の体は万能ではない。自分の意図と関係なく流れた血に関しては回収の対象ではなく、また、デュークの体から離れた血に関しても基本的に十秒間は効力が続くが、それ以降はただの真っ黒な血になってしまう。
――もう少し発動までの時間を短縮できるようにしていればよかったのか。でも、激痛が出る事には変わりないしな。
今回は自己の衝撃で血が噴き出した後に狂血を使って全身を包み込む様にして体へのダメージを避けたのだが、最初の出血は自分の意図と関係ないためただの出血として流れたきりだ。
「狂……血……」
どれくらい時間がたっただろう。
遠巻きに見ていた年配の男性が小さく呟いた。数が少なくなってきた当時を知っている人の一人だ。きっかけは些細な事で十分。小さなドミノを倒していけばいつか大きなドミノを倒す頃が可能な様に、小さな種火でも拡散していけばいつか大火となってその身を焦がしてくる。
「黒い血……」
「まさか」
「でも、あれは死んだんじゃ」
「現世に蘇ったんだ」
『番外なる血統・狂血が……!』
『―――――――――――――』
静寂とは違う意味で全員の息の音すらも聞こえなくなる。それは、台風の目の様な一時だけの沈黙。
『きゃぁあああああああああ―――――――――――――――――――――――――ッ!!』
やべぇ……。
こんなところで正体を明かしてしまった事が一番の失態なのだが、それ以上に周りの拡散力が早い。自分はまだ万全な体調でないため後少しでも時間を稼ぎたいのだ。
黒い血と言うだけで周りの反応は窺い知れる。特に年配に方に進むとその反応は顕著に現れた。
「立ち去れ悪鬼が!」
「なんでここにいるんだ!」
「まさか、あれの血を引いて……」
「バカな! エクストラは遺伝しないんじゃ」
「誰も証明していない。今までいなかっただけだ!」
「よりにもよって狂血が遺伝するなんてッ!」
好き勝手にいろんな事を言って来る。そして、集まっているほとんどの人が事故によって砕けた木片や石を持って一切の躊躇なくデュークに向けて投げてきた。それは警告でも威嚇でもない。本当に殺意を込めていた。
「ちょ、待ってくれ! 俺は何もするつもりはない。おとなしく暮らすつもりだ」
「ふざけるな! そんな事信じられるか!」
「くそ……」
散弾銃の様に飛んでくる石や木片を全部避けるのは身体能力云々の問題ではなく不可能と言える。
「『血鱗』」
だが、その程度の攻撃でデュークは傷つかない。足元に広がっている血池がぐんと伸びてきてデュークに当たる物だけを選別して弾いていく。
「やっぱり、やっぱりあれは狂血だ……!」
「だから聞けってんだ! 俺は何もしない。普通に暮らしたいし。この力だって使う気はない!」
「殺せ! いち早く殺すんだ!」
「聞いてねえ……」
混乱していた彼らが石を投げつけているのはあの時、ユートが狂血を覚醒させた状況と似ている。突然降りかかった得体に知れない恐怖に人は攻撃に心を傾けてしまう。その結果がこれだ。
「ディラン、マナーク! お前らなら――!」
友だと言ってくれた二人に顔を向けてみるが、二人は何か裏切られた様な表情を浮かべてそっぽを向いている。
「なんだよ。二人共……」
「デューク、お前は俺等を騙していたのか」
「は、ち、違う!」
「どう違うってんだ。どの面を下げて平然と学院に通っていたんだ」
その怒りは尤もかもしれないが、やりきれない。これまでたくさんバカな事をして、たくさん一緒に居たはずなのに、こんな単純でバカみたいな情報一つで瓦解する友情だったのか。
「全くです。人を騙しておいて楽しかったですか」
「何でそうなるんだ。俺は一度も使わなかったし、こんなときじゃなかったら一生誰かの前で見せる事だってなかったんだぞ」
「そんなの関係ないですよ。とても残念です。そして、凶悪な犯罪者だったあなたと時間を共に過ごしていた事を僕の人生で最大の汚点にします」
「ほんと、最低な野郎だ」
その目は屑を見る目。
よしんば人間を見る目ではない。下劣な物を、軽蔑の対象をさらに濃縮して人生のかすになったものを見る目。
「早く死んでしまえ」
二人も近くにあった石を持つと力いっぱい投げてきた。石を投げれば当たり所関係なく大けがをする。こんな事は五歳になれば分かる事だ。冗談でやっていい事ではない。つまり、本気で殺したいと思っているのだ。
いや、狂血を殺せるとは思っていないだろう。ただ排除したい。自分にとって理解できない存在は速攻でいなくなってほしい。
そう言ったところだろう。
――は、下らねえ。
こんな力を持っているんだ。こんな日が来るんじゃないのかって思っていたさ。覚悟はしていたつもりだし、そのための準備も欠かしていなかった。でも、実際にやられると結構しんどいものがあるな。
ジジイは理不尽な事をして殺し合いをさせたヘルブンの連中に怒り、ずっと目の上にたん瘤だった妹への嫉妬、憎しみで狂血を完全に覚醒させた。親父は辛抱強く一回も狂血を発動させなかった。お袋も親父が狂血を継いでいる事は知らずに死んだ。そっちの方が幸せだっただろう。
俺はどうだ?
別に俺は怒っていない。逆の立場なら圧倒的恐怖に分からないでもない行動だから。憎しみもない。そんな事を考える事すら面倒くさい。じゃあ、親父みたいに耐えてみせるか。
――出来るわけがない!
――俺は失望したよ。
――人間と言う存在に。
これまで積み上げてきたものは何だったんだろうな。俺等の友情はそれ程度だったのか。
俺が狂血である事はそんなに重要なのか。たったそれだけの事でこれまでのすべてを壊すのか。人間はなぜそんなに簡単に掌を反す事が出来るんだ。
なぜ、そんなにも醜いんだ。
「は、はははははは……………………………そうか、それがお前達の答えか」
妙に耳に残る声に石を投げる手が止まった。
「俺は何もするつもりはないと言っているのに意見すら聞かずに攻撃をする。それが答えでいいんだな。世界がそんなに悪役を望んでいるとは思わなかったよ。いいよ、いいぜ。お前達が、世界が、そんなに望むと言うのならもう一度見せてやろうじゃないか。世界が壊れている姿を!」
『――――』
「これはお前たちの罪だ。よく言うだろ? 誰かを傷つける事は、誰かに傷つけられても文句は言えねえ! 先に手を出したのはそっち! だったよな!!」
嗚呼、自分も心が汚れているのがよく分かる。だけど、そんな事を気にしていられない。
狂血がこの世界に存在している事が露呈した今、デュークは全世界から狙われる存在になったのだ。誰かを慮る時間があるならその分生き延びなければならない。
――このくだらない世界に絶望を。