第13話 『疼き』
「おい!」
ぶつかられたと抗議しようと声を上げたのだが。
「あら、ごめんなさいですわ。存在が小さすぎて見えなかったので」
「――エッ!」
「今度からは注意してくださいまし。余りわたくしを不機嫌にさせると少々面倒な事になりますからね」
うふふっ、と余裕の表情を一切崩すことなく突然現れたエミリアは去って行った。その場にイラっとする感情だけを残して。
「―――――――――――――――――――――――」
たっぷりと彼女が視界から消えて声を出しても気付かれない程距離が取れるとディランは周りの目も関係なく頭を掻きむしった。
「だぁああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
ここは公共の施設。周りには学院の生徒がたくさんいて、さらに食堂。とてもやっていい行為とは言えないが、それでも周りにいるデュークもマナークもそして他の誰もあの一瞬の光景を見ていた者が注意をする事はない。
逆に誰もが同情している様に見えた。
「その気持ち分からんでもないけど、ここは食堂だ。周りに迷惑になる行動は慎みように」
「もう! 何だってんだあの女は!」
「どうどう。冷静さを欠いた人間に価値はないですよ」
「きぃいいいいいいいいいいいッ!!」
腹の虫が治まるところを知らない。
歯をがりがりしているディランは確かにここでやる行動ではないと反省したのか姿勢を正すと今日二回目となる食堂のおばちゃんの所に行って追加で色々と頼んでいた。精神的に落ち着いてくれない腹の虫を物理的に落ち着かせてしまおうという算段。
「お前、ちょっと落ち着けって、そんなに食べられないだろう」
「その時は分けてやるよ」
「あ、俺今ちょっと残してしまえって思った」
ここのおばちゃんが作っている料理はどれも知らない料理ばかりなのだ。俗に言われる伝統料理や民族料理ではない。通う生徒は食堂の料理も楽しみにしていて、知らない料理であるが故に自分達で再現できないのだ。
デュークは食べた事が無いものが多いが、そのすべての味や匂いを知っているので、それを肴に硬いパンを食べている。要はデュークから見て異世界、ユーナから見て元の世界の料理を提供しているのだ。
作っているのはおばちゃん。
賢者と呼ばれている異世界出身のメンバーの誰かの娘らしい。親から習った料理をみんなに提供していて、他の生徒からレシピを見せてほしいとせがまれる事がよくあるがどれも断っている。
――閑話休題。
「それで、落ち着いたのか」
「まあ、それなりには」
「どっちかって言うと満腹になって考えられないと言った方が近いですね」
「は! まだ余裕だし」
「無理すんな」
豪快に食べているがマナーは守って礼儀正しく。対義語な気もするが、周りを一切汚す事無く食べている姿を見ればそう言うしかない。
「大体、なんであんなに傲慢なんだ。英雄の孫だか知らないけど自分の孫には随分と――」
「ディラン」
「うっ、すまん」
気が緩んでいたのか、つい口を滑らせかけたディランをマナークが声で制す。クラスメイトの影口を叩くのは学園の理念から外れてしまうし、何よりもマナークが注意したかったのはディランの声がユーナにまで行きそうだった事だ。
生徒や他の人にとってもユーナとは神に等しい。代表の座こそは辞しているが、それは賢者の意見と彼女の意見を尊重させただけで、国民に審査をかければ満場一致でユーナを代表にしてしまうだろう。
それだけ彼女は求心力を持っていて圧倒的なカリスマも誇っている。そんな人を一時の感情で謂れのない非難でもすればその瞬間からディランの方が非難の対象になってしまう。
「口は災いの元だから注意しろよ。この大人数を敵に回してもいい事は何もないからな」
「ああ、すまない……」
ディランも事の大きさをしっかりと理解して頭を下げてきた。
スプーンを置くと、まだ手の付けていない皿をデュークに差し出して「これは礼だ」と言ってデュークとマナークに差し出してきた。デュークは止めていないのだが、気にする事なく受け取って食べておく。
皿の上には真っ赤なソースと白い塊。確か向こうで麻婆豆腐と呼ばれていたそれだ。スプーンで口に運んでみるが結構辛い。記憶の中の味とは少し違ってこっちの世界の人間の口に合わせて再構築させられている。
「全くですよ。注意してくださいね。ユーナ様を悪く言えば僕だって怒りますから」
「悪かったって」
本人も反省をしているのだから、この辺で許してやってほしい。
「だけど……」
「ん、何か言ったかデューク」
「何でもない」
きっと彼女が舞い上がっているのは周りの大人が注意しないから。どんな境遇で育っているのか、それだけで人間を良くも悪くもしてしまう。憎しみによって生まれた狂血を見に宿しているからこそ、その点の重要性がしっかりと理解できた。
「んま、お前らにもちょこっとだけ迷惑かけた事だし授業が終わったら少し付き合えよ。何か気まぐれで奢ってやるよ」
「それはいいですね」
「あ~、悪いけど、俺はパスな。野暮用があるんだ」
「またかよ」
「済まねえって」
「ったく……」
学院の生徒は人とのつながりを重視する傾向にある。授業終わりにはよく友達と連れ立って学院の前にある店屋に行く事がよくあってデュークも誘われるが、そのほとんどを断ってしまっている。
本人的には行きたいのだが、そうも言っていられない理由がある。
「まあいっか、マナークは行くんだよな」
「はい」
それから二人で会話をしていた。
流して聞いていたデュークにはほとんどその会話が入ってこない。それよりも大切な問題を抱えていたからだ。
――しまったな。
胸を一回強く握ると意識を飛ばされないように硬く体に結び付けるイメージをする。
「少し悪いけど、俺は先に行くよ。ディラン、午後の授業サボるんじゃないぞ」
「当たり前だろうが」
「んじゃ、お先」
席を立ったデュークが向かった先はここから一番近いトイレ。別に尿意を催して言葉を濁し席を立ったわけではない。ただ単純に限界が近かったのだ。
本当なら人が寄り付かなさそうな学院の離れ小島みたいな場所が良かったのだが、人に見られない点でぎりぎり及第点と言った場所。
すぐに個室に入ると便器を支えにして胸を押さえつけるかのようにして倒れ掛かった。誰にも悟られない様に決して声は出さないが、それでも時折呻き声が漏れてしまう。幸いと言うのだろうが、昼食の時間は意外にもここのトイレの使用率は高くない。人が集まる時間なので誰もが使用していると勝手に思い込んでしまうので結果として盲点の場所になっているのだ。
「ぐっあ……くっ……」
まるで胸の中に誰かがいてナイフで心臓を内側から壊している様な言い様の無い激痛。だからと言って外傷があるわけでもないため悶々とこの痛みに耐えるしか対処法はない。
医者にでも見せて血でも抜かれてしまえば人生が詰んでしまう。苦しい、苦しいが誰にも共感できない痛み。
今日は不意打ちが多かった。
考えて見れば朝、ユーナにあった瞬間にすべてを悟って早退していればよかった。追い打ちをかけたのがエミリアとの間接的な接触。
「こればっかりは慣れないな」
ユートが胸の中、もっと正確に言えば全身を巡る血が騒いでいるのだ。彼女を殺せ、その血を引いている孫も殺せと。
今も多少末端の痺れが残っているがこっちは日常よくある事だ。最初にエミリアを見た日は一日中全身が痺れて身動きが取れなかった。これが恋の痺れならどれだけよかったと思った事か。
全身を焦がす痛みに慣れつつある自分にため息しかできない。しかし、今日はいつものお嬢様に加えてユートに係るすべての元凶と言っていいユーナと会話をしてしまった。それがまずかったのだ。多少薄まった血のエミリアでもこの反応、原液を持っている彼女は刺激が強すぎた。
全身で血が暴れまわっている。
このまま十分でも安静にしていればやがて落ち着いてくるのだが、その十分を非常に長く感じてしまう。
「くそ……なんで俺が、こんな目に……」
悔いてどうにかなる問題と思っていないが、それでもそう思わずにはいられなかった。