バカだけを殺すウイルス
「バカだけを殺すウイルスだって? そんな事ができるのか?」
喫茶店の中で俺は、大学から付き合いのある友人のAが完成させたというウイルスの話を問い直した。
「そうだとも、学生時代から良く議論したじゃないか。全世界のバカが死ねば世界は平和で豊かになるのにって。僕は研究を続けてついに完成させたのさ」
Aは普段通りの落ち着いた態度で話を続ける。途中で女の子の店員さんが注文を取りに来たので、紅茶を二人分注文する。
学生の頃、俺はAとバカについてよく議論していた。Aの主張は、バカに使われる労力というのは無駄であり、彼らは存在するだけで害悪であると断じていた。彼らが存在しない世界はどれだけ素晴らしいのかを情熱的に主張していた。
「信じがたい話だなぁ。もし本当に君がそんな薬を完成させたとしよう。しかし色々な問題があるじゃあないか」
店員さんが木のテーブルに紅茶を二つ置いてくれる。紅茶のカップは面白みのない地味なものだ。しかしソーサーには不思議な模様が刻まれている。Aの話を少し考えてみたが疑問が沸き上がってきた。
「一言にバカと言っても色々いる。バカが世の中に害を振りまく事が問題のはずだ。そのウイルスはバカ以外を殺したりしないのか?」
「そうとも、それがこのウイルスの革新的な所さ。僕が思う所のバカを的確に殺せるウイルスだ。そのバカとは、自己本位で他人の気持ちや立場を考慮しない。考慮できても平気で人を傷つけ騙し、正当化して他人を嘲笑している様な奴さ。そんな存在してるだけで人の迷惑をかけるバカだけを正確に殺す」
仕組みは分からないが、Aが昔から最も嫌っている人種を殺すウイルスであるらしい。俄かに信じられない話である。
「仕組みを簡単に説明しようじゃないか。俺が研究した所によると、バカというのは産まれながらにバカになる遺伝子を持っているんだ。その遺伝子は親や宗教、社会の教育によって矯正されるが、矯正されない奴がいる。これがポイントで、矯正された遺伝子は変化が発生するんだ。矯正されなかった遺伝子と見分けがつくのさ」
Aが仕組みを簡単に説明してくれる。彼の研究結果から判明した基準をもってバカを選別するらしい。
「これが意味する所は、道徳という教育によって人間が出来上がるという事さ。道徳教育により遺伝子が矯正されなかった奴は人間ではない、バカという生物になる」
Aは紅茶に砂糖を入れた後、ティースプーンでカラカラと紅茶と砂糖を混ぜている。Aは甘党でいつもそうしている。
「そう、この紅茶に砂糖を入れる事で僕好みの甘い紅茶になるようにね。バカには砂糖を入れても甘くならないのさ。つまり捨てるしかない」
「ふぅん、君の言いたい事はわかった。俺もバカは嫌いだ。非生産的で、人を誹り、世の中に害を与える害虫なのは同意しよう。排除しなければならないだろう」
俺はAの話を真面目に聞き始める。前述したとおり俺自身もバカは嫌いだし、そのウイルスが本当に発明されたなら素晴らしいとも考えた。
するとAは青色の液体が少量入った試験管を取り出した。不思議な色合いのする液体に興味を惹かれる。
「これがそのウイルスさ。このウイルスは瞬く間に人類に感染する。全世界の人口に感染するのに一ヵ月もかからないだろう。強い感染力を持っている」
「綺麗な色をしているな。これはどうやって使うんだい?」
Aはその試験管を見せてクスクスと笑ってみせる。まるで悪戯をする子供のように。その青色の液体は、Aの話がジョークでも何でもない事を証明していた。
「使い方は簡単さ。試験管のキャップを開けて中の液体をその辺に振りまくだけさ。液体は気体に変化してウイルスが活動を始める。そして地球上の全ての人類に感染して回るのさ」
「差し詰めバカが跋扈する世の中に対して、最後の希望が残ったパンドラの箱って所か。しかしもしかすると、俺もそのウイルスに殺されてしまうのかい?」
Aはそのウイルスが遺伝子に反応して人を殺すと言っていた。ならば俺もウイルスに殺されてしまうかもしれない。自分の事はバカだとは思わないが万が一の事がある。
「大丈夫さ、そうやって自分の心配ができる時点でバカじゃない。バカは自分の身に起こるであろう事を想像する力が著しく欠如しているからね。だからこそ、バカな真似ができるのかもしれないが」
Aは紅茶を飲み終えてソーサーにカップを置いた。カチャンという音と共に一息ついたところで、俺は話を促す。
「それで、そのバカ共はどうやって死ぬんだい?」
Aは俺の疑問に対して、淡々と返答をする。
「そう、このウイルスはバカを苦しめて殺す。バカが眠りにつくと悪夢を見せて殺すのさ。きっと、雪山で眠って凍死するような気分だろう。車の運転をしていたりして死んでしまうと大変だから、そこは考えている」
「眠りながら死ぬ薬か。それに苦しみながら死ぬなんて。で、そのウイルスは実際に使うのかい?」
俺も紅茶を飲み終えて、カップを机に置く。特別美味しいとも感じない普通の紅茶だったが、この興味深い話題の前には些細な問題だ。
「実は君に会う数分前に使ったんだ。この試験管と液体は、君に見せるために少しだけ残しておいたものさ。これから約一ヵ月かけて世界は変わり始める。それこそ眠っている間にね」
「……」
Aに対して俺は言葉を返せなかった。もし本当にそんな事が起きたら世界は劇的に変化するだろう。
「世界の人口の半分ぐらい死ぬだろう。世間にはバカが多い。だがバカが死んだ後の世界は平和になるよ。バカに使われた無為に消費されるリソースが有効に活用される。バカが人の足を引っ張る事もなければ、その存在に煩わされることもなくなる。このお店の紅茶も美味しくなるだろう」
Aは、これで話は終わりだと言わんばかりに、テーブルに一万円札を置いて席を立った。
「さて、これは僕の話を聞いてくれたお礼とお茶の勘定だ。また来月会おうじゃないか。このお店のこの席でね。それじゃあ」
◇
Aと別れてから一ヵ月が立った。まず最初に布団の中で不審死している人物が発見された。しばらくすると不審死者の発見数が増え、世界的に広がっている事象である事が確認された。
世界ではこの非常事態に成す術もなく、全世界の機能がマヒした。最終的には世界の人口の半分以上が亡くなった。
最終的には不審死者数が発生しなくなり、世界の機能は回復し始める。それも恐ろしいスピードで。Aが構想したバカが存在しない世界が始まった。
◇
「本当にバカだけを殺すウイルスだったな。世界は変わった」
前と同じ喫茶店でAと席に着き、前と同じ紅茶を注文した。二人分だ。
「あぁ、世の中からバカが消えた。住みよい世界が始まるだろう。その証拠に世界の人口の半分が消えたにも関わらず、この復興スピードだ」
俺はAを見ながら話を続ける。世界がどう変わろうとしているのかについてだ。俺は既に変わり始めた世界を実感している。毎日の生活が快適なのだ。
「バカに使われていたリソースが有効利用されはじめた。身近に感じることは、渋滞や満員電車に煩わされる事がなくなったな。バカとは存在するだけで害悪であった事が証明された」
Aは得意げな顔をしてニヤリと笑う。
「そうだろう、バカに使われるリソースというのは大きいものだ。例えば……バカは電車の中で席に座るとき、一人なのに足を広げて二人分の席を使うだろう?バカがいなければ二人が席を使えるわけだ。バカは世界の負債なんだ」
バカは存在価値がマイナスであるとAは力強く答弁する。俺は同調するように話を続ける。
「バカは死んだあとも迷惑をかけるから性質が悪い。バカの死体を燃やしたり埋めたりしているけど、処理が追い付いていないらしい。本当に困ったもんだよ」
お互いに顔を見合わせて笑いあっていると、店員さんが紅茶を持ってきてくれた。以前より香りが良くなった気がするし、カップはお洒落なものになっていた。
「そうさ、バカなんてそんなものさ。バカがこれ以上増えると人類が滅びるから、神様がこんなウイルスを俺に思いつかせたのさ。それにこの紅茶を見ろよ、とてもいい香りじゃないか。前より美味しくなっているぞ」
お互いに紅茶に手をつけてみる。なるほど、以前よりかなり美味しくなっている。水や茶葉の品質が向上したのだろう。
「何にせよ、君がこんな素晴らしいウイルスを作ってバカを殺してくれたおかげだな。その中には俺の知り合いも何人かいたが、今の世界を考えると死んで当然、仕方のない事だ」
このウイルスで亡くなった知り合いもいる。それは学生時代に同じクラスだったとか、その程度のレベルの知り合いだ。哀れな話だが、彼らもまた世界の無駄の一つだ。
「バカの遺伝子はウイルスにより根絶されたからね。バカの親も大抵バカだから、家単位で死ぬ。恨みや悲しみも残らず、素晴らしい結果が残ったと思うよ」
お互いに紅茶を飲み終えて、二人だけの秘密の共有を終える。Aが世界を変えたという偉大な秘密を知っている自分が少し誇らしい。
「何にせよ、君のおかげで良い世界が出来上がろうとしている。お礼にはならないかもしれないが、今日の紅茶の勘定は俺が出すよ」
そう言って机の上に、一万円を置いた。お互いにニヤリと笑いあう。
「そう、君はこうやって一万円を置いてくれる。前に俺が同じように一万円を置いたからね。紅茶二杯に一万円は多すぎる。バカなら心の中で相手をバカにして帰っただろうが、君はバカではないから、意図を読んで返してくれる。こうやって世界が回れば本当に素晴らしいと思うよ」
「当然じゃないか。君は俺に手間がかからないように一万円を置いてくれたんだ。こうしてまた話をするためにもね。確かにバカにはその意図が掴めない所か、思わぬ金が手に入ったぞとシメシメと笑う事だろうよ」
◇
Aが世界中のバカだけを殺した結果、世界は驚くほど優しい世界になった。数年後にバカだけが死んだ事が正式に判明したが、変化した世界には関係がなかった。バカの事を誰も惜しまなかった。
世界の人口が減ったため食料問題は解決された。重大で残忍な犯罪も起きなくなった。バカに考慮された法律等は見直され、効率的かつ合理的な法整備が進んだ。世界の資源は賢く分配され、貧富の差はあれど、以前より豊かな生活になった。技術は飛躍的に発展し、人間がより人間らしく生きられるようになった。
現在世界中の人々が幸せに生きている。バカが居なくなっただけで世界は優しくなった。もちろん、俺とAも幸せに暮らしている。
(了)
拙い文章ではありますが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
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