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降嫁おとめと守護ぎつね  作者: 遊森謡子
第1章 伴侶選びの儀
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第3話 都へ

「……数日のうちに、都に向けて出発いたしましょう。俺の部隊がお供いたします」

 輝更義(きさらぎ)が告げると、霽月(せいげつ)はうなずいた。

「わかりました。今夜にでも、出立に()き日を占いましょう。……レイリ」

 彼女は輝更義の後ろに目を向ける。

 輝更義もちらりと見ると、あの色素の薄い女官見習いの童女が、謁見の間の入り口に控えていた。


 レイリは数年前、この祈宮の本殿前広場でポツンと立ち尽くしているところを保護された娘だ。非常に口数が少なく、名前と、五歳という年齢以外は自分について話さなかった。

 西方の血が入っているのか、頭巾の下の髪は金色。果雫国の民とは異なる外見に、親が持て余して置き去りにしたのだろう……と、宮の下働きの間で噂になっていた。

 祈宮に引き取られて四年、まだ九歳だったが、その思慮深い言動を見いだされて霽月付きになって二年。古参の女官も、彼女には信頼を置いている。

「レイリ、夕餉の前に宮司を呼んで下さい」

 霽月の言葉に、レイリと呼ばれた童女は頭を下げ、すっと立ち上がると黙って去っていった。


 今後、霽月は都に戻って陽廉の葬儀を執り行った後、降嫁して皇籍を離れることになる。

 乙女の結婚を一つの儀式として、乙女の『力』は新しい乙女に引き継がれるという習わしになっていた。現在、占いで新しい乙女を選定している最中だが、おそらく霽月と同じように、新皇帝の娘の中から一人が選ばれるだろう。

 もちろん、本当に不可思議な力が受け継がれるということではない。前皇帝を影で支えてきた祈乙女から、皇籍離脱という形で余計な権力を削ぐための、建前としての儀式的な結婚である。

 霽月の名も返上し、彼女はただの人「水遥可(みはるか)」として嫁ぐのだ。


(子どもの頃からずっと憧れてきた、優しくてお綺麗な霽月さま……誰のものになってしまうんだろう)

 輝更義は無意識に、膝の上で手を握りしめる。


 そこへ、霽月の声。

「輝更義」

「アッハイ」

 びしっと背筋を伸ばすと、霽月は口を開きかけ――

 そして、一度口を閉じてから、口元をほころばせた。

「いえ。何しろ、十三年ぶりにここを出るのです。世間知らずのわたくしに、道中、色々と教えてくださいね」

「は、ははははいっ」

 突然の微笑み攻撃に打ち抜かれながら、輝更義は答えたが、追い打ちが来た。彼女はこう続けたのだ。

「私がおかしなことをしたら、叱ってください」

「はいっ。……はいっ!?」

(し、叱るって!? 霽月さまを、俺が!? 額を指でちょんてして「こら」って!?)

 おかしな妄想をしつつ、とにもかくにも降伏、いや平伏した輝更義は、ヨロヨロと謁見の間を辞した。


 本殿を出て、輝更義は山の中腹に向かう。

 切り開かれた地に建つ木造の家々は、守護司武官たちの暮らす寮や、馬のための厩舎である。すれ違う玄氏(げんし)一族の者たちが、輝更義に挨拶をしたが、彼は黙々と歩き続けた。

 そして、大岩の上にひょいと飛び乗ると、山の峰々に向かって叫んだ。

「世の中には! できることと! できないことがあるー!」 

 あるー、あるー、あるー……と木霊が帰る。

 一族の者たちはぎょっとして、彼をまじまじと見つめていた。

「はぁ……」

 彼は岩の上に座り込む。

「俺もいよいよ、ここを離れるのか。……まあ、また仕事で来るのかもしれないけど」

 子どもが二人、厩の脇でころころと取っ組み合いをしているのが見えた。大きな耳とふっさりした尾が生えたままで、まだ中途半端な姿だ。


 輝更義は、先ほどの霽月を思い浮かべる。

 未婚の清らかな身である祈乙女は、宮を訪れる人々の前に行事などで姿を現すことこそあるものの、誰かと二人きりになることはない。もちろん、気軽に町に出ることもない。

 人里に降りることを禁じられた、慎ましい、自由のない暮らし。

 しかし、霽月は気高さを失うことなく、宮に勤める兵士の一人一人にまで声をかけていた。都を離れた山の中でも、彼らが矜持(きょうじ)を保てるように心配りしていたのだ。

 涼しげな言動の裏に、温かな情が隠れていることを、輝更義は知っていた。


 彼はそんな霽月に、心底惚れ込んでいる。

 その惚れ込みようときたら、彼女を目にした参拝客が描いた絵姿(ブロマイド)を買い取って自室に張りつけているほど。さらに、彼がそんな『霽月(ラブ)』を隠さないので、部下たちが一歩引いて生温く見守っているほどだ。

 十六歳で輝更義が守護司の一部隊を任されて以来、霽月の姿を目にする機会は増えている。いつしか彼は、自分が霽月にとっての特別な存在でありたいと思うようになっていた。


(しかしそれも、もう終わるのか……)

 祈宮には、新しい祈乙女がやってくる。輝更義はその乙女の守護に就くかもしれないし、果雫(カダ)国の別の場所の守護に就くかもしれない。

 どちらにせよ、国のために働く彼が、皇籍を離れる霽月を守ることはなくなる。都への帰還が、霽月に関わることのできる最後の仕事だ。


「あぁ……俺の生きがいがー……」

 肩を落とす輝更義。

 そこへ、厩の方から子どもたちがころころと走ってきた。

「きさらぎさまー」

「きさらぎさまー」

「おうっ、お前たち! ここまで登れるようになったか?」

「のぼれるよ!」

「のぼれる!」

 ぴょんぴょんと岩の上に跳び上がってくる半人半狐たちを、輝更義は笑って受け止める。

(霽月さまは、こいつらの様子をそっと見に来るのがお好きだったな。俺は知ってる。けど、それもできなくなるな。……いや、まあ、ご結婚なさるんだから……いずれは相手の男との間に、ご自分のお子を……)

 輝更義はブンブンと頭を横に振ると、子どもたちをまとわりつかせながら本殿の方を眺めやった。頭を仕事に切り替える。

(とにかく、都への道中の警備体制を決めよう)


 それから七日後。

 吉日に選ばれたその日に、霽月と彼女を守る部隊は、祈宮を離れた。

 

 都に向かう一行が、山を下りて森を抜けると、その日の空は青く晴れ渡っていた。

 神域を出て、輿は進む。道の両脇には田園風景が広がり、行列に気づいた農民たちが作業を止めて頭を下げている。

 玄氏はその本性から、大勢で行動することを好まない。もちろん、少数精鋭の実力あってのことだが、一つの隊が七、八人ほどの少人数で構成されており、要人の警護や情報部隊として行動することが多かった。

 今日はその隊が二つ、水遥可の輿を守っている。数人は騎乗し、それ以外の武官たちは徒歩だ。祈宮で水遥可の世話をしていたレイリという女官見習いも、旅姿でつき従っている。

 輝更義は、馬に乗って進んでいた。玄氏の者に馬は必要ないのだが、沿道から見たときに見栄えがよいという理由で、皇族の道行きには馬で随行することになっている。

 国を統べるには、権威を誇示することもある程度必要なのだと、玄氏の者たちも理解していた。


 輿の御簾が揺れ、細く白い指先がそっとそれを持ち上げた。

 すぐに気づいた輝更義が、馬を寄せて声をかける。

「霽月さま、お疲れではないですか」

 輝更義たちなら、狐の姿になればあっという間の距離だが、霽月にとっては揺れる輿に乗っての慣れない道行きだ。山を下りるまでにも長くかかったが、それからもずいぶん時間が経っていた。

 霽月の瞳が、輝更義に向けられる。

「輝更義。神域を出たのですから、私はもうただの人。『霽月』ではありません」

「し、失礼しました。では、ええと」

「水遥可、と呼んでください」

 軽く首を傾げ、微笑む霽月――水遥可。

(じ、直にお名前を……尊い無理)

 馬上でクラクラと目眩を覚える輝更義である。

「わたくしは大丈夫です。今、どのあたりですか」

「すっ、すでにヤエタ領に入っております」

 ヤエタの領主は、先代の祈乙女である。皇籍を降りたとはいえ、それなりの地位の人物と結婚する祈乙女は、有力者になっている例も多い。 

「そう。……今晩は、ヤエタ領で泊まるのですよね。領主さまには、参拝においでになった時にお会いしたことがあるのです。でももうずいぶん前のこと……楽しみです」

 水遥可の柔らかな声が、輝更義の耳に心地よい。 

「あと半刻もすれば、領主の館が見えるかと思いますので!」

 そう言って、輝更義は馬の手綱を軽く引くと速度を緩めた。すぐに列の最後尾まで来ると、口の中でもう一度つぶやく。

「……みはるかさま……」


 そのとたん、スコン! と、彼の後頭部を固い物が打った。

「痛って!」

 頭に片手をやり、肩をすくめながら横を見る。

 銀色の、細長いものが浮かんでいた。煙管(きせる)の先をもっと大きくして蓋をつけたような形をしている。

「何するんだよ、『矢立(やたて)』」

 輝更義は涙目で頭を撫でつつ、それをにらんだ。


 矢立、つまり携帯用の筆記具である。細長い筒の中に筆が入っており、そして先についている墨壷の中には、もぐさに染み込ませた墨水が入っていた。

 輝更義の矢立は、玄氏に代々伝わるうちに魂が宿り、あやかしとなった付喪神(つくもがみ)である。普段は彼の腰に下がっておとなしくしているのだが、今は彼の横にふわふわと浮いていた。


 その矢立の前に、ひらり、とどこからか懐紙が一枚現れた。矢立から筆が飛び出し、懐紙にさらさらと文字が紡がれる。

『耳』

「あ」

 輝更義は急いで、大きく、とがった、厚みのある耳を引っ込めた。

「別に、気を緩めていたわけではないぞ。こっちの耳の方が、遠くの物音が聞こえるから、あたりを警戒しているとつい」

 ごにょごにょと言い訳をする輝更義を無視して、矢立は彼の腰にするりと刺さった。宙に浮いた懐紙は、ボッ、と青い炎を発してから風に吹き散らされる。


 輝更義は、赤茶色の瞳を前方に向けた。

「さて……そろそろか」

 馬の腹を軽く蹴り、行列の前に出る。

 するとその直後、前方の森から馬に乗った男たちが現れた。

 ヤエタの領主から遣わされた、出迎えの武官たちだった。

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