第6話 第二妃候補
「なあ輝更義」
いきなり声がかかった。
輝更義が振り向くと、冴数貴だった。
狐の顔には顔色が出ないが、かなり酔っているらしく、廊下の柱につかまるようにして立っている。
「何をぼーっとしている」
「美しい妻に見とれていました」
「正直か」
冴数貴はガハハと笑うと、続けた。
「お主、第二妃を選ばなくてはならないのだろう? どのようにして選ぶつもりだ」
「え。……そ、そうですね……」
輝更義は腕組みをする。
(たとえ近いうちに、水遥可さまが玄氏を去るとしても……)
「水遥可が、心配しないような女子がいいとは思いますが。妻は何もかも、俺を第一に行動してくれているので」
そして、彼は付け加える。
「おそらくいずれ、父が誰かしら推薦してくるのではと思っています」
「素氏にも声をかけてくるやもしれんぞ。この白尾から玄氏に嫁入りした者も多いのだから」
冴数貴は、左手に下げていたとっくりから一口、ぐびっと酒の花茶割りを飲んだ。
そして、今度は牙をむいてニイイッ、と笑う。
「素氏から候補を出すなら、いい機会だ。どうせヤエタ石の所有者も選抜するのだからな」
輝更義は目を丸くした。
「は? ええと、それはどういう」
「まあ見ておれ」
冴数貴はずいずいと広間に戻り、自分の席の場所で立ったまま皆の方を向いた。
「素氏の狐たちよ、聞け!」
音楽が止み、皆が少々ざわざわしながら冴数貴を見る。
冴数貴は声を張った。
「わしは輝更義を気に入っておるが、水遥可殿も気に入った。そこでだ。二人の役に立つような研師を、玄氏に送ってやろうと思う」
その言葉に、水遥可は不思議に思いながら広間を見渡した。縁側に、いつの間にやってきたのか火鈴奈がひっそりと座って、冴数貴を見ている。
(火鈴奈殿がすでに、立派に研師としてお仕事をされていたのに……改めて、輝更義とわたくしの役に立つような、とはどういう意味かしら?)
水遥可の心の疑問に答えるかのように、冴数貴が続ける。
「次に狐ヶ杜に遣わす研師は、若い女子の中から選ぶこととする!」
彼は右手を大きく上げた。美しい青磁色の石が、篝火の赤を受けて艶めく。
「ここに存するはヤエタ石! この石の所有者となる栄誉と、玄氏と婚姻の絆を結ぶ機会、二つとも手にしたい者は申し出よ! 七日後、狐ヶ杜の次期研師の選抜を行う!」
おおおーっ、と、地鳴りのような声が響く中、いくつかの高い声が上がった。
「私! 私、選んでいただきたいです!」
「待ちなさいよ、私だって!」
素氏の若い娘が幾人か、勢いよく手を挙げていた。
輝更義はあわてて足を踏み出す。
「婚姻って、頭領っ……」
くいっ、と袖を引かれて、輝更義は驚きながらそちらを見た。
「水遥可さまっ」
「わたくしを気にして、頭領さまを止めようとなさっているなら、おやめください」
隣に来ていた水遥可がささやき、首を横に振る。
「しかし!」
「輝更義は――輝更義さまは、玄氏の若頭領として考えてくださいませ。素氏から奥方をお迎えになるのは、嫌なのですか?」
「い、嫌とかそういうあれでは」
輝更義は言葉に詰まる。
そこへ、縁側にレイリが現れた。広間の盛り上がりようにちらりと目をやり、ためらいがちに声をかけてくる。
「そろそろお開きではないかと伺ったのですが……もう少ししたらまた、お迎えに参ります」
「いいえ、わたくしはそろそろ部屋に引き取ろうと思います。輝更義さまは、ゆっくりなさってくださいませ」
立ち上がる水遥可に、輝更義は続けてパッと立ち上がった。
「俺も! 戻ります!」
輝更義と水遥可に与えられた部屋に戻るなり、輝更義は気を取り直し、立ったまま水遥可に向き直った。
「水遥可、俺は冴数貴殿に勝手に婚姻のことを決められるのは嫌です!」
「そこまで強引には進まないのではないかと」
水遥可は落ち着いた口調だ。
「婚姻の話はおまけというか、そういう機会がある……という程度の印象でした。皆、ヤエタ石の方に興味津々のようでしたよ?」
そう言われて輝更義も思い出してみると、候補になりたいと手を挙げた娘たちはヤエタ石を見つめて興奮しているだけで、輝更義を見もしなかった。
それはそれで、微妙な気分になる輝更義ではある。
「ぬぬぬ」
「ですから、そこまで心配なさらずとも」
微笑む水遥可。
しかし、たとえ石のオマケとはいえ、輝更義にとっては水遥可の前で次の妻の話をされるのは不愉快なことだ。
「水遥可は俺の妻です」
きっぱりと、輝更義は言い切る。
「そのあなたを差し置いて第二妃候補の話をされる、それだけでも、水遥可は嫌ではないんですか!?」
思わず、輝更義は水遥可に詰め寄るような勢いになっていた。
水遥可は目を見開いて、少し身体を引く。
「わたくしは……」
「嫌なら嫌だと言ってください」
「…………」
戸惑ったように視線を落とした水遥可は、やがて顔を上げ、微笑んだ。
「嫌では、ないです」
「本当に!?」
「はい」
水遥可は目を伏せる。
「わたくしは、第二妃が早く決まった方が良いのではないかと、そう思っていますから」
「えっ」
ひるむ輝更義に、水遥可は続ける。
「火鈴奈殿に初めてお会いしたときも、少し、そう思ったのですよ」
「か、火鈴奈?」
「だって……輝更義と同じ年頃で、由緒ある素氏のご出身で、武術の心得もあるとてもお優しい方だったから……こんなに素敵な方なら、お嫁入りすることもありえるのかしら、って」
輝更義はこんらんした!
今回の白尾城滞在は、彼にとっては水遥可との初めての遠出である。少々新婚旅行気分でいたことは否めない。
そこで第二妃の話など、本当ならしたくもなかったのだ。
「いや、あの! いくらなんでも、早すぎませんか!?」
かろうじてそれだけ言うと、水遥可はうろたえたようにうつむいた。
「あ……そうですね。そうですよね。わたくし、輝更義の気持ちを置き去りに、一人で先走ってしまったのだわ……ごめんなさい……」
「あっ、いやその、謝らないでください!」
「いいえ、わたくし、出すぎたことを申しました。気づかず申し訳ありません」
「み、水遥可さま」
気まずい空気が流れる。
そこへ、
「はい、お着替えでーす!」
空気を読まないるうなが、隣の間から声をかけてきた。
「はい」
水遥可ははっと顔を上げ、そして輝更義に「あの、失礼しますね」と軽く頭を下げると、隣の間に姿を消した。
その夜、二人は素氏の夫婦がそうするように、ひとつの寝間で過ごすことになった。
畳の上に、敷物を並べて敷いて休む。輝更義は水遥可を心配させないよう、彼女に背中を向けて横になった。
しかし、寝息が聞こえるほどすぐそばに水遥可がいることには変わりない。うれしはずかしの一夜になるはずであった。
が、彼の心の中は千々に乱れている。
(……二年は猶予があると申し上げたのに。うう。水遥可さま、そんなにさっさと事を進めたいなんて……。もしかして俺、信用されていない? あっ、水遥可さま愛波を出し過ぎだから身の危険を感じてるとか!?)
そっ、と振り返ると、水遥可も彼に背を向けて横になっている。まだ、起きてはいるようだが、こちらを振り向く気配はない。
「水遥可さま」
輝更義が小声で呼びかけると、ぴく、と背中が動いてから、水遥可がそっと彼の方を振り向いた。
「……はい」
輝更義は水遥可の顔をじっと見つめ、真剣に気持ちを口にする。
「俺たちが夫婦でいるのは、短い間ですが……その間は、寄り添っていたいです」
水遥可は軽く、目を見開く。やがて、その目が潤むのが、わずかな光の反射でわかった。
彼女も微笑む。
「はい。わたくしでよければ、仲良く、過ごしたいです」
「いいに決まってます。あ、ああああの……手を、つないでも?」
「はい」
ためらうことなく、水遥可が静かに手を出し、手のひらを上に向けて二人の間に置いた。
輝更義は、そっと、彼女の手に自分の武骨な手を重ねる。
「ふわぁ……この感触だけで生きていけそう、飯を食わなくとも」
「……? 玄氏には、そんな特技がおありなの?」
「幸せすぎて、五臓六腑、全部満たされたような感じがしたんですうう」
うっとりして言葉がダダもれの輝更義に、少しうとうとし始めた水遥可はささやく。
「わたくしも……いい夢を、見られそうです……おやすみなさい」
「はいっ、おやすみなさい!」
水遥可の寝顔にしばらく酩酊していた輝更義だったが、矢立に脅されて仕方なく眠りに落ちた。




