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芹ケ野りさ(銀行員)【7】

 これはもちろん、りさの思考停止が引き起こしたものだった。悩むともなしに想い惑う日々にまがりなりにもけりをつけようと、なけなしの勇気を奮い起こして口火を切ったのだ――それなのに、唐突に帰るといわれても困る。この勢いのままデート(デート?)に誘ってしまわなければ、永遠にこのままなのは火を見るより云々。「私も一緒に」というのはその焦りが飛び出させた一言だったのだが、更衣室で汗を拭きながら、ようやくのこと彼女は気づいた。

 外せない用事と言っていたではないか。今日なにに誘っても答えはノーだ。

 一瞬、首の汗を拭く手が止まった。けれどすぐに考え直す。別に今日でなくても、また次の機会の約束でもいい。とにかくこの勢いのまま、彼女はなにかしらの一歩を踏み出すつもりだった。

 ジム帰りはシャワーを浴びるのが当たり前なのだが、今ばかりはそんな暇がない。すぐに川内と落ち合うことになっていた。仕方がない、家に帰ったらすぐにお風呂に入ることにしよう。そう考えると、むしろ今日彼の都合が悪いのは、こちらにとっては良かったことなのかもしれない。りさは自分にそう言い聞かせた。

 ジムの外で川内と会うと、彼は周囲を見回して安堵の表情だった。

「普段と変わりないみたいですね」

「そう……ですね」

 りさも頷いた。もしプラザ内が予想以上に混乱していたら――一階で起こったという事故がひどいものだったら――すぐにジムに引き返すことで約束していたが、彼らの周辺ではさほど目立った異変は認められなかった。テナントは変わらず営業中だし、買い物客もふつうに歩いている。たいしたことはなかったのだろう。

 川内の後ろについて歩きだしながら、りさはしかし、急速に膨れあがる不安を感じていた。事故やら事件のことではない。川内の様子――彼の手にあるもののことだ。

 肩にかついだスポーツバッグとは別に、彼が右手に提げている紙袋――そのロゴには見覚えがあった。“ボーネルンド”。ちょっと高級な、小さな子供向けの知育おもちゃを扱うお店のものだ。りさも従姉の子供に、ここのぬいぐるみをプレゼントしたことがある。

 エレベーターが昇ってくるのを待つあいだ、りさはさりげなく紙袋の中身に目を落としてみた。紙袋だけを再利用しているわけではなく、確かにボーネルンドのおもちゃが入っているようだ。誰に買ったのだろう? プレゼント用だろうか? それとも――子供がいるのだろうか? 彼の左手を確認する。やはり指輪は見当たらない。それが何を保証するわけでもないけれど。

 それ、お子さんへのプレゼントですか? エレベーターに乗り込んだら、そう訊いてみよう。なにげない口調を心がけないといけない。一階から二階、三階へと、エレベーターの階数表示が点滅する。「5」の数字が灯り、到着の音楽が鳴るのに合わせ、りさは川内に悟られぬよう小さな仕草で、できるだけ深い呼吸をひとつした。

 だが、開いた扉の向こうの光景に虚を衝かれ、彼女の呼吸は一瞬止まった。

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