阿蘇由実(会社員)【1】
鹿児島県鹿児島市
4月28日(木)
この春は、まだあまり暖かくはなかった。
なにか羽織るものを持ってくるべきだったと後悔しながら、阿蘇由実は足早に横断歩道を渡った。いつもなら昼間は20度を超えて、ぽかぽかと過ごしやすい季節のはずだ。けれど今年はすっきりしない空模様のせいもあってか、まだまだ肌寒さを感じることが多い。胸に抱く娘にはカーディガンを着せてはいたけれど、薄手のコートぐらい持ってきたほうがよかっただろうかと、由実はすこし後悔していた。みのりはそんなに身体が丈夫なほうではない。それに託児所に預けはじめたばかりで、風邪をもらってくることが多くなっていた。ついこのあいだ――先々週――も、39度の熱を出したばかりだった。
「みのり、寒くない?」
娘の顔を覗きこむ。すこし鼻先が赤い気がする。
「だいじょうぶ!」
「寒かったら言いなさいね。お母さんの上着いる?」
「いいよ、すぐ着くんでしょ?」
みのりは笑って応えた。子どもとはいえもう四歳になるのだから、あまり気にしすぎるのもよくないとは思っていた。夫や両親にも、過保護ぎみなのをやんわり指摘されることがないでもない。だが彼らだってもちろん、長い不妊治療の末にようやく授かった一人娘を案じる母親の気持ちがどういうものか、想像できないわけでもなかった。
長くつらかったあの日々のことは、あまり思い出したくはない。
27歳で結婚した当初は、子どもは自然にできるものだと思っていた。むしろあまり早く妊娠してしまうと、仕事に障りがあるのはもちろん、新婚の夫との時間が持てなくなることを心配してさえいた。あっというまに数年が過ぎ、胸の片隅に小さな疑念のようなものが芽生えたときも、さほどの心配はしなかった。三十を過ぎてからの初産など、いまの時代、あたりまえになってきているのだから。けれど、セックスのタイミングを意識しないわけにはいかなかった。
カレンダーと体温計に管理されたセックスは、愛情と義務感のバランスに微調整を加えつづけ、夫との関係をぎこちないものにした。子作りにいいと聞けば食事や運動にも気を配ったし、子宝祈願の寺社仏閣は気づけば九州全土をほぼ踏破していた。雑誌の裏表紙に載っていたあやしげな勾玉に手を出したこともある。それでも、否応なくやってくる生理と妊娠検査薬の判決にうなだれる日々。
はじめて訪れた不妊外来の待合室で、スマホの画面に見入るふりをしながら時間をやり過ごしていたときのことは忘れられない。夫は隣りにいてくれず、そのこと自体が、出口なく迷走する年月を暗示していた。




