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萬福博吉(農業)【8】

「みのりちゃん!」

 反射的に伸ばした手は、しかし孫娘には届かず空を搔く。店の外めがけて――母親を求めて――走るみのりを追いかけようとしたが、上半身だけ妙な角度にひねった瞬間、これまでにない痛みが腰から脊髄を貫いた。待てと呼ばわる声も言葉にならず、低くかすれた音だけが喉から洩れた。

 ぎゅっと目をつぶり痛みをこらえた数秒のあいだに、みのりは廊下に飛びだして見えなくなっていた。野次馬はいまやほとんど混乱状態だ。さきほどの叫びがきっかけだったのか、この場から逃げだそうとしている。突き飛ばされる人、転ぶ人、怒鳴り散らす人、泣きわめく人、みな一様にひきつった表情だった。みのりはこの人波に、流れに逆らうように飛び込んでいった。危険だった。

 歯を食いしばり、壁に手を突きながら、急いで店を出た。人の群れを縫うように視線を振り、みのりの小さな姿を探す。たくさんの人々の脚元ばかりを見ていたせいで、突進してくる人影に気づいたときには手遅れだった。

 高校生くらいの若い男の子が、目のまえに走りこんできていた。博吉にできたのは、「あっ!」と叫んで両手を掲げることぐらいだった。高校生は駆ける勢いそのままに体当たりし、博吉の身体を突き飛ばす。不意をつかれた衝撃になすすべもなく、また腰の痛みで踏ん張ることもできず、たまらず彼は転倒した。受け身をとることすらできなかった。後頭部からまともに床にぶちあたり、ごつんという鈍い音とともに、目のなかで血のように赤い光が爆発した。

 視界がぼやけ、周囲の音が鈍くなり、眠気にも似た靄が意識を覆いはじめた。しかし頭の片隅で、いま気を失うわけにはいかないと自分の声が叫んでいた。博吉は必死で歯を食いしばり、遠ざかろうとする意識をなんとか摑みとろうとする。立ちあがろうとするが、ざるに水を流すように、込めるそばから力が抜けていくのを感じた。

 それでも懸命に目を開けつづけ、意識の薄れに抗いつづけ、なんとか上体を起こしたとき、博吉は、思いのほか時間が経ってしまっていることに気づいた。逃げ惑っていた人々の姿はもうない。悲鳴や怒号が聞こえてくるから、そう遠くに行ってしまったわけではないようだが、すくなくとも一階の廊下には誰の姿も見あたらない――いや。何かある。いまだに霞む視界の先に、もつれ合いうごめいている影。二人――三人だろうか、揉みあうような格好で廊下に倒れている。

 博吉は頭を振り、そのとたん、後頭部に激しい痛みを感じてうめいた。反射的にあてた右手に、べったりと血が付いている。よほど強くぶつけたのか。自分を突き飛ばした男に怒りをおぼえるが、いまはそれどころではない。孫娘はどこに行ったのだろう。散り散りになった野次馬といっしょに逃げたのであればよいが――しかし、あの店に……母親がいたはずの、ぐちゃぐちゃに破壊されたあの店に行ったのだろうか。探さなければ……。

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