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塩屋雅弘(警備員)【1】

               鹿児島県鹿児島市

               4月28日(木) 


 べつに心から望んで就いた仕事ではなかったが、塩屋雅弘はいまの自分をそこそこ気に入っていた。大学で四年間、国際政治学とマクロ経済学を学んでから、まさか警備員としてショッピングプラザを巡回することになるとは思ってもみなかったけれど。

 前の晩に母がしっかりとアイロンをかけてくれた青い制服は、真新しく、すこしだけサイズが大きかった。父は身体を制服に合わせればいいだろうと、中学に入学するときと同じようなことを言って笑った。警備会社に就職するんだから、すこしは身体を鍛えないとな、と。正確には警備会社ではなく、鹿児島中央駅のターミナルビルを管理する会社の警備部門に配属されたということなのだけれど、あえて指摘はしなかった。私立大学まで通わせながらなかなか就職が決まらず、卒業後のどこにも所属しない状態の半年間を経て、なんとか定職を探しだせた一人息子のことを、両親はとても喜んでくれていたのであり、彼自身も申し訳なく思っていたのである。

 就職氷河期というわけではなかった。

 地球規模のスケールで政治学や経済学を修めているということが就職活動にどの程度貢献するものなのか、それは理解はしていたつもりだった。まったく役に立たないのだ。というか、これは誰に指摘されたわけでもないのだが、むしろマイナスに働いていたのじゃないかとさえ思う。しかしそれでも、いまは就職氷河期ではなく、同級生はぽつりぽつりと就活戦線から凱旋していた。塩屋だけが、マイナビとリクナビのエントリー企業数が増えていくばかりだった。

 履歴書を送った企業が二十を超えたあたりで不安が霧のように胸を覆い、いわゆる“お祈りメール”――「うちは採用しないけれど今後もがんばってくださいね」――が三十に達した頃には、あせりで夜中に頭をかきむしった。四十二社目の面接会場でも失敗を確信したときには思わずその場で涙がこぼれ、もう何社目のものかわからないエントリーシートを機械的に埋めているとき、就職そのものを諦めている自分に気づいた。

 学部新卒の就職に失敗したら大学院に進学するという道もあるにはあった。しかし塩屋にその考えはなかった。入学当初、経済学部のある教授が「うちに来た時点で棺桶に片脚を突っ込んでる」と笑っていたのを覚えていたのだ。「院まで来たら飢え死にする」と。それに、父が地方公務員で母が専業主婦のわが家、しかもこれから大学進学を控えた弟がいるわが家に、そんな余裕があるはずもない。

 深夜のコンビニでアルバイトをしながら、“第二新卒”――数ある謎の就活ワードのひとつ――として就職活動を続けることを決めた。そしてなんとかいまの職場、JRの系列になるビル管理会社の、十月採用を勝ち取ることができたのである。同期はおらず、採用は彼ひとりだけだった。彼が応募した社員募集は、直前での内定辞退者の穴を埋めるためだったということは、入社後に先輩から聞いたし、彼自身もそう予想していたことだった。

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