8 シャマンの加護
草原の中の街道を、荷車が走る。
天気は相変わらず良く、幾日か前の雪が降った時とは、全く違う陽気であった。
だが、この心地いい好天も、神々のほんの気まぐれに過ぎない。
季節は冬であり、このルーシの地は、長い闇の時期に突入しているのだ。
極北の大地は、動物など皆眠りにつき、人々は暖かな家で春を待つ。
つかの間の晴れは、半日もすれば、吹雪へと変貌していてもおかしくは無い。
馬の尻に鞭が入る。
イジャスラフ一行は、村へと、ひた走っていた。
見慣れた景色が、目に飛び込んできた。
セルゲイは、馬の手綱を握るイジャスラフに、声をかける。
「イジャスラフさん、もうすぐ村につきます!」
「おう!」
手綱を操り、彼は馬の速度を緩める。
街道の先には、村の入り口が見えていた。
村があった。
ここは、イリヤーとセルゲイの育った故郷でもある。
その規模は、イジャスラフのいた集落よりも大きく、数十軒ほどの民家が建並んでいた。
旅立った時に比べ、活気の無くなった村は、人々の元気もドラゴンに奪い取られたように、どこかもの寂しい雰囲気に包まれていた。
「セルゲイ、戻ったか」
「父さん、ただいま戻りました」
「よしよし、お前は勤めを果たしたようだな」
村長に出迎えられて、彼らは無事に帰還したことを報告した。
セルゲイは、父ににこやかな笑顔を向け、父である村長も、それに応えていた。
だが。
「ふん、よく戻ったな。イリヤー」
「あ、そ、村長さん」
子供を威圧するかのような、村長の険しい目に、イリヤーは思わずひるむ。
その目は、セルゲイに向けたものとは違う、怒気を含んだものであった。
「おう、あんたが村長か」
「な、なんだ、お前」
怯えるイリヤーと、村長の間に立ち塞がり、イジャスラフは腕組みをした。
村長の体格は、セルゲイと同等のため、それよりも大柄なイジャスラフに、上から見下ろされることで、彼はあからさまに不機嫌な顔をして見せていた。
「俺は、この子の手伝いに来た者だ。それより何だ、その目は」
「何だと?」
「それが子供に向ける目か、大人げない」
イリヤーは、イジャスラフの服を掴み、首を振る。
その健気な仕草に、彼も少しだけ落ち着くと、鼻から大きく息を吐いた。
「まあいい、手伝いは手伝いだ。世話になるぞ」
呆然とする村長を残し、イジャスラフは荷物を下ろし始めた。
大工道具を肩に担ぎ、イリヤーと共に家に入ろうとした時、何者かの視線が刺さるのに、彼は気づいた。
「……シャマンか」
民家の脇に、太鼓を持つシャマンが立っていた。
そのなりは、ゆったりとした上衣に、金属のナイフを数本ぶら下げ、無数の仮面を衣服に縫い合わせた、とても異様で不気味な格好だ。
頭の角飾りを揺らしつつ、シャマンは音も無く彼らに近づく。
「待っていたぞ、大工のイジャスラフ」
シャマンの服の飾りが、風に揺れていた。
「名前まで知っているのか、さすがだな」
「これで、全て整った。大地は血を受け入れる」
不思議な言葉を残し、シャマンは、またふらりと遠ざかる。
――何だ、今のは。
意味があるようなシャマンの言葉に、彼は少しの引っかかりを覚えた。
陽炎のように、その後ろ姿は揺らめいている。
シャマンは太鼓を叩きながら、村を守護するように、歩いていた。
「あんた、大工なのか?」
そこへ、今のシャマンの言葉を聞いていたのか、一人の村人が彼に声をかけた。
「そうだが、何か用か」
「俺の家なんだが、窓の立て付けが悪くなっているんだ。見てくれないか?」
「ああ、いいぞ」
子供たちを先に家に帰し、イジャスラフは村人の家へと向かう。
一つ仕事が済んだら、また一つと、彼は村内の依頼を次々にこなし、やっと解放されたと思った時には、既に日がだいぶ傾いていた。
村長の家。
村人たちから、供出された矢を前に、イジャスラフは、その選別をしていた。
「これは比較的飛びそうだな、よし」
それを一まとめにして、セルゲイへ渡す。
「セルゲイ、お前のぶんだ」
「えっ、そんな。これはイジャスラフさんが使ってくださいよ」
少し困った顔のセルゲイが、そう言う。
「俺はこっちの矢でいい、力があるからな」
にこりと笑い、イジャスラフは腕を叩いて見せた。
残された矢は、軸が少しいびつだったり、矢じりが大きすぎたり、長さが短いものだったりと、全てがまちまちのものばかり。
だが、あえて彼はそれを使おうとしていた。
「俺の弓は、あくまで補助だ。ある程度キズを負わせたら、直接、本体を叩く」
「でも」
「子供が気を遣うんじゃねえよ、お前は万全の態勢で臨め、いいな?」
彼にそう言われ、セルゲイは黙ってうなずいていた。
「イジャスラフさん」
「なんだ、イリヤー?」
「僕は、どうしたらいいの?」
ピカピカに輝く剣を抱え、イリヤーは不安な顔をしていた。
「そうだな、イリヤーは俺と一緒に本体をやるか」
「ええっ」
驚くイリヤーに、彼は優しく肩を抱いてやった。
「大丈夫だ、ドラゴンなんて怖くない」
子供に言い聞かせるように、言葉がかけられた。
「その剣は、ヤツの鱗も切れるはずだ。お前なら、それができる」
「イジャスラフさん」
「お前は勇気のある子だ、やればできる子なんだ」
彼の言葉に、イリヤーの心の底から、何かが沸き上がる感覚がした。
物心ついてから、触れたことの無かった大人の優しさは、まるで。
「お父さん」
「ん?」
「あ、あのっ、な、なんでもない、です」
思わず、口をついて出た言葉に、イリヤーは顔を真っ赤にして、慌てていた。
「まっ、間違いました、その」
恥ずかしがるその無垢な姿に、イジャスラフは思わず、彼を抱きしめていた。
「え、え?」
「イリヤー」
「は、はい」
「ありがとう」
腕の中のイリヤーは、あの日と同じ感触であった。
村の広場では、シャマンが明日に備えて、祈りを捧げていた。
手に持つ、片面張りの太鼓を叩き、仮面を被って、舞を踊る。
怪物とはいえ、相手は三つ首のドラゴンだ。
より詳細な導きを得るために、彼は自然と対話をする。
広場の中心に、大きな焚き火がたかれ、シャマンや民家、村人たちを幻想的に照らし出す。
村の者たちも、皆、上手くいくようにと、祈りを続けている。
その様子を、村長は汚いもののような侮蔑の目で、見つめていた。
と、突如、シャマンの動きが止まる。
彼は頭を揺らしながら、一人一人、村人の目を見て回った。
「明日のドラゴン退治、このままでは、失敗するぞ」
不穏な言葉に、村人はざわついた。
「この中に、一人、少年の死を願っている者がいる」
そう言って、シャマンは、村長を睨んだ。
「わ、私ではない。なぜ私が、イリヤーの死を願う理由がある」
村長は驚き、そして首を振った。
「誰もお前とは、言っていない。そして、少年がイリヤーだとも、言っていない」
仮面の下の、シャマンの目が、妖しく光った。
シャマンは、人の本質を見抜き、また魂を見る力を持っている。
その彼が、疑いを持っているというのだ。
「うっ……」
人々の猜疑の目に、彼はたじろぐ。
「村長さん、なんでイリヤーちゃんに、そんなこと思うんだ」
「そうだ、イリヤーちゃんは、選ばれし勇者だぞ」
「そんなこと考えてたら、可哀想だとは思わないの」
批難の声が、一斉に上がった。
「う、うるさい!私だってな、ドラゴンは居なくなってほしいと思っている。だがな」
顔を真っ赤にして、村長は大声を出した。
「招かれざる客は、イリヤーも同じだ。私の息子の手柄を、取りおって……」
「見損ないました、父さん」
今まで腹に溜まっていた鬱憤をぶちまけた時、村長の背後から声がした。
それにおそるおそる村長が振り向くと、そこには無表情のセルゲイが立っていた。
「セ、セルゲイ」
「イリヤーは、私と一緒に勇者になろう、と言ってくれたのに、あなたはまだそんな事を言うのですか」
冷徹な目で、彼は父を見つめた。
こんな心が狭い人物が、村長を務めていたのかと思うと、反吐が出そうだった。
「ち、違う。私は、ただ、お前が選ばれし子供だと……」
「父さん」
びくり、と村長が震えた。
「ドラゴン退治が終わるまで、家から出ないでください。邪魔ですから」
「セルゲイ、お前まで、何を……」
「これは、皆が思いを一つにしないと、成せないのです。そうでしょう?」
彼の言葉に、シャマンは大きく同意し、うなずいた。
「本当に、村が大事ならば、これ以上はやめてください」
村長の顔が、みるみるうちに真っ赤になり、鼻息も荒くその身を翻す。
セルゲイに遅れて、広場へとやって来たイジャスラフたちは、怒りの様子の村長を横目で見ながら、不思議な顔をしていた。
「言われた通り、明日使う道具と武器を、持ってきたぞ」
シャマンの前に、イジャスラフの大工道具と、イリヤーの剣が置かれる。
「セルゲイ、お前も弓を置け」
「はい」
彼の言葉に続いて、セルゲイも弓矢を並べる。
「ふむ、弓と剣か、だが……」
シャマンが、太鼓のばちで品定めするように、それらを指し示す。
「これはダメだ」
弓矢と剣には、シャマンは首をうなずくが、その横の大工道具には、彼はばちで線を引き、首を振った。
「え、どうして?」
あどけないイリヤーの問いかけに、厳しい声でシャマンが答えた。
「これらは、戦いの武器ではない。シャマンの加護は与えられない」
「うむ、そうだと思った」
仕方が無いという顔で、イジャスラフは大工道具を片付けた。
「どうするの、イジャスラフさん?」
「なあに、加護がなくても、なんとかなるさ」
シャマンの太鼓が、静かに音を奏で始めた。
暗く、静かに、水底のよどみから、沸き上がる熱い奔流のように。
音は強弱を繰り返し、流れを大空へと吹き上げた。
シャマンの衣服が翻る度、弓矢と剣が微かに輝く。
光は初めに弓矢が、次いで剣が。
その様子を、イジャスラフは、じっと己が目で見つめていた。
これは、シャマンのルールである。
シャマンの導きによって、村は再び平穏を取り戻す、その印なのだ。
それから外れてはいけない、外れればすなわち、それは死となる。
生きたければ、それを守れ、それがある限り、我らには加護がある。
ルーシの言葉ではない、シャマンの言葉が、直接イジャスラフの頭に響く。
火を守れ、火を守れ、その希望の火を示せ、止まりし炎は、再び動き出す。
雪に拾いし、雪の迷い火、火は悪しきものを討ち果たすが定め。
恐れるな!
戸惑うな!
その足を緩めてはならない!
囲みを打ち払え、枯れた樹皮をめくるが如く、その鎧を引きはがせ。
三つ首は、気を吐く、火を吐く、毒を吐く。
白き木にて打ち払え、白き木は毒を制する。森の息吹の庇護を得よ。
森に拾いし、森の野火、火は悪しきものを討ち果たす。
眼を開け!
声を上げよ!
その手を休めてはならない!
火、火、大いなる火、悪しきものを討ち果たせ!
夢うつつのイジャスラフを覚ますかのように、太鼓が大きな音を立てた。
目の前の弓矢と剣は、もう輝いてはいなかった。
――今の、は……。
頭に見えた声、眼に聞こえた光景。
大粒の汗を垂らしながら、彼はシャマンの姿を見た。
「見えたか、ヴィジョンが。聞こえたか、言葉が」
大きく息を吐きながら、イジャスラフは、しかとうなずいた。
「それが、勝利への、道だ」
太陽は、いつの間にか落ち、辺りには夜の闇が忍び寄っていた。
「その道は、険しく長い」
さざ波のように、太鼓の音が響く。
「その道を通って行け。三つ首は通れない、細き道だ」
シャマンの姿が透け、その向こうで星々が見えていた。
「……ラフさん、イジャスラフさん!」
名を呼ばれ、イジャスラフはふと我に返った。
「どうしたんですか、急に気絶したみたいに……」
イリヤーとセルゲイが、心配そうに、彼をのぞき込む。
「お、俺は……」
「気がついたか」
彼の目の前には、シャマンが、座っていた。
背後の焚き火で、その姿は影になり、闇の一部として彼に覆い被さる。
「今のは、何だ。俺は何を見ていた?」
「全て、現実だ。今、体験したそれが、全てだ」
仮面の下で、シャマンの顔がにやりと笑っているようだった。
辺りは既に暗く、焚き火の明るさだけが、彼らを照らしていた。
「伝えるべきことは、伝えた。後はその通りに進む、だけだ」
ゆらりと、シャマンは立ち上がり、焚き火の周囲で再び祈りはじめる。
「イリヤー、イジャスラフさんは、疲れているんだよ。今日はもう休もう」
村人も、それぞれ家へと入って行き、広場に残るのは、三人だけとなる。
力が抜けたかのように、座り込むイジャスラフを抱え、セルゲイは立ち上がった。
イリヤーも、剣と弓と大工道具を抱えて、村長の家へと戻る。
いよいよ、明日は三つ首のドラゴンとの、戦いとなる。
だが、イリヤーの身体は、もう震えることは無くなっていた。
頼もしき、剣。
頼もしき、友。
そして、シャマンの加護と、大工のイジャスラフ。
恐怖は乗り越え、駆け巡る熱き血が、彼の身体を支配していた。
その夜。
ベッドにて眠るイジャスラフを、イリヤーは、その側で横になりながら見つめていた。
彼の赤い髪と、自分の赤い髪。
色白の自分の手と、かつては色白だったのだろう彼の手。
共通するところを、寝しなのひとときに探してみる。
似通っているところは、いくつもあった。
目の色、髪の色、肌の色。
渡し場での件を思い返すと、おそらく顔も、かつての彼に似ているのだろう。
これは、単なる偶然なのか、それとも本当に。
小さく、その言葉を口にしてみる。
むずがゆいような、照れくさいような、不思議な気持ちだ。
だが、心は温かくなり、懐かしくも切ない想いが、胸いっぱいに広がる。
あの家での出来事は、彼にとって、とても大切な思い出となった。
優しく彼に接し、その温かみで包み込んでくれた、イジャスラフの妻スヴェトラーナ。
喧嘩をし、思いの丈をぶつけ合い、そして仲直りした、セルゲイ。
剣の錆びを落とし、聖なる剣を作り、その仕事ぶりを見せてもらい、彼に色々なことを教えてくれた、イジャスラフ。
そして彼自身も、夫妻に出会ったことで、彼らに希望を与えていた。
赤毛のイリヤー。
この時、彼はまだ、一人の少年であった。




