3 大工、彫刻をする
窓の外に、白いものが、ふわふわと舞っていた。
「初雪だ、今年は早いな」
イジャスラフはそう言って、作業場へと閉じこもってしまった。
「今日は、魚釣りにも行けないし、どうしようかな」
セルゲイは、憂鬱そうにため息をつくと、ベッドに寝転ぶ。
一人、残されたイリヤーは、雪を眺めようと、外へ行こうとしていたが。
「イリヤーちゃん、おいで」
居間からの呼びかけの声に、彼は踵を返した。
「おばさん、何かご用ですか」
ひょこりと顔を出したイリヤーに、イジャスラフの妻のスヴェトラーナは、にこりと笑った。
「見てごらん」
彼女は、手に持つそれを、イリヤーに広げて渡した。
「わあ、すごい」
「どうだい、キレイになっただろう?」
それは、イリヤーの服であった。
この家に来たときには、ほつれが目立ち、あちこち汚れていたのだが、彼女に預けること暫しの間に、見違えるように、キレイに直されていたのだった。
「おばさん、ありがとう」
「いいんだよ、イリヤーちゃんのためなら、これぐらい簡単さ」
ぎこちなく笑うイリヤーに、スヴェトラーナは嬉しさを隠せずにいた。
「あ、動物の柄がある」
渡された服を見て、イリヤーがつぶやいた。
「そう、動物も刺繍しておいたよ、森のご加護があるようにね」
「トナカイに、熊に、狼、みんな強い動物だ」
服のフチを飾るのは、この地域に根ざす動物の文様ばかりが刺繍され、そしてその動物の周囲には、雪の文様が幾何学的に飾られている。
「もう冬だからね、寒さに負けないようにって、雪を縫ったのさ」
「雪……」
雪と言われて、イリヤーの顔が固まった。
「どうしたんだい?雪はイヤかい?」
「あ、う、ううん、何でもないです」
一瞬、暗くなった表情を振り払うかのように、彼は笑顔を見せた。
「うんうん、子供は笑った顔が一番さね」
イリヤーの赤い頭を撫でて、彼女はうなずいていた。
作業場にて。
イジャスラフは、ピカピカに磨き上げられた剣を眺め、刃の付き具合を確認していた。
「うーん、こんなもんかな」
そう独り言をつぶやきつつ、防錆用の油を塗布する。
薄く、まんべんなく剣全体に馴染むように、ゆっくりと丹念に伸ばしていく。
もう、二度と錆ないようにとの、思いを込めて。
そうして、少しずつ鞘に収める。
イリヤーの剣は、最初とは比べものにならないほどに、美しく輝いていた。
「あんた」
妻の声に、彼は振り向いた。
「何だ」
「村長さんがみえられてるよ、あんたにご用があるって」
「今行く」
イリヤーの剣を置き、彼は居間へと向かった。
「イジャスラフさん、どこへ行くんですか?」
大工道具を荷物袋にしまう彼に、イリヤーは声をかけた。
「うん、村長に頼まれてな、隣村まで急ぎの仕事だ」
「ぼ、僕も、ついて行きたいです」
その頼みを、彼は笑って受け止めていた。
「はは、外は雪だ。寒いから家で待っていろ」
イジャスラフは、表に出ないよう、笑いながらイリヤーを止めるも、彼は頭を振ってそれを食い下がった。
「で、でも、イジャスラフさんの、お仕事、見てみたい、です」
その言葉に、彼は悩んだ。
イリヤーが、自主的に動くのは、珍しいことだったからである。
子供が興味を持つことは、喜ばしいものだ。
そして知りたいといったことを、見せてやるのも、自分の役目なのではないかと、イジャスラフは思っていた。
「よし、じゃあ寒くない格好をしてこい、イリヤー」
「はい!」
「かあちゃん、俺の毛皮を出してくれ、イリヤーと出かけてくる」
彼は居間に向かって、そう大声をかけた。
隣村への道すがら。雪はいつの間にか止んでいた。
馬の曳く荷車に座り、イリヤーとセルゲイは、森を眺めている。
「……なんで、セルゲイも、来たの?」
目を合わせず、イリヤーは問いかけた。
「私は、イリヤーのお目付役だからな」
「ふうん……」
荷車には、材料の木材が、いくつも積まれている。
「これ、今日中に終わるのかな?」
ぽつりと、イリヤーはつぶやく。
「終わらせるさ。さっさと片付けて、家に戻らないと、かあちゃんに怒られるからな」
イリヤーの声を聞いたのか、イジャスラフはそう笑っていた。
「それじゃあ、少し急ぐか。二人とも、しっかり掴まっていろ」
ピシリ、と、馬の尻に鞭が入る。
速度を上げた荷車は、隣村への道を、ひた走っていた。
隣村の一軒の民家に、一行は到着した。
イジャスラフの頼まれた仕事は、外壁を飾る装飾彫刻であった。
彼は早速、道具一式を広げ、材料である木材に炭であたりをつけて、手早く鑿の刃を打ち込んでいく。
小気味いい音と共に、瞬く間に彫刻が仕上がった。
その様子を、二人は、焚き火にあたりながら見つめていた。
「すごいね、イジャスラフさん」
「そうだな、あんなに早く、かつキレイな彫刻、見たこと無いや」
冬の寒さだというのに、彼は額から汗を流し、熱心に腕を動かしている。
カンカンと、軽快な音が、村に響いていた。
「相変わらず、仕事が早いな、イジャスラフは」
焚き火の暖かさにつられたのか、イリヤーの隣には、年老いた男が立っていた。
「あの腕の良さを、彼で終わらせるには、もったいないぐらいだ」
男はあごひげを撫で、寂しそうにイジャスラフの姿を見ていた。
「イジャスラフさんは、お弟子さんとか取らないんですか?」
セルゲイが、そう言った。
「取らないねえ、他人に教えるのは難しいって言っていたね」
男の言葉に、イリヤーは奇妙な引っかかりを覚えた。
「あの子がいれば、良かったんだけどね」
「あの子?」
疑問に思ったセルゲイが、聞き返した。
「私の口からは、それは言えない。もう、過ぎた話だよ」
雲間から、顔を覗かせる太陽の下、彼の鑿が光を反射していた。
「ふう、これでよし」
額の汗を拭い、イジャスラフは、満足気な顔をしていた。
家には、窓枠回りや、切妻屋根の部分と、幾何学的で美しい文様が、彩りを添える。
「すごくキレイで、格好いいですね、イジャスラフさん」
屋根の妻飾りを眺め、セルゲイは目を細めていた。
「飾り彫刻は魔除けだからな、散々練習したもんよ」
腕を組み、彼はうんうんとうなずいていた。
「か、格好いい……」
そのイジャスラフのすぐ横で、イリヤーは彼の手がけた彫刻から、目が離せずにいた。
「ぼ、僕も、やってみたい……」
思わず口に出た、その言葉に、イジャスラフは大声で笑っていた。
「はっはっは、そのためには、まず、刃物の使い方からだぞ?」
「使い方?」
「そうだ、小さい細工用のナイフで、枝を削るところからだ、そこから始まるんだ」
彼は、手で枝を削る仕草をして見せた。
「そうして、削って、ケガもして、刃物の扱いを身体で覚えるんだ」
「え、ケガも、するの?」
驚くイリヤーの頭を、彼は撫でた。
「ああ、だがそれは必要なことだ。痛い思いをして、それで初めて身につくんだ」
「い、痛いのは、やだな……」
「痛くても、我慢だ。俺もそうやって上達したんだぞ」
イリヤーの肩を、イジャスラフの大きな手が軽く叩く。
傷だらけのその手は、彼の言葉通りの、成長の跡が刻み込まれていた。
夕暮れが近くなった頃、三人は、家路へとついていた。
「だいぶ材料を使ったな。明日、晴れたら、森に行くか」
ゴトゴトと揺られる荷車で、イリヤーとセルゲイは、数本だけ残る材料を見ていた。
「イジャスラフさん、今度はどんな木を伐るんですか?」
「そうだなあ、樫か、トウヒ……、白樺もいるかな」
「シラカバ?」
その言葉を聞いて、イリヤーが問い返した。
「そう、白樺だ。そろそろベレスタを作る時期だしな」
「僕、見たい、白樺を伐るところも、ベレスタを作るところも」
「ははは、興味が湧いたか、イリヤー」
笑う彼に、イリヤーは大きくうなずいていた。
と、その時。
「あ、イジャスラフさん、森に誰かいますよ」
セルゲイが、森の奥を指さしていた。
「うん、どこだ?」
「あそこです、茶色い服の」
目を細め、指さす先の向こうを、彼は見つめた。
「……シャマンか?」
手に持つ丸い太鼓を確認し、イジャスラフはそう判断した。
「森で何をしているんですかね?」
「さあな」
馬の尻に鞭を入れ、荷車は少しだけ速度を速めた。
「ただ、見ない方がよさそうだ。二人とも、掴まっていろ」
森に漂う不穏な気配を感じ、イジャスラフは家へと急いでいた。
家の暖炉の前で、三人は、身体を寄せ合っていた。
「うー、寒かったな」
ずるずると鼻をすすり、イジャスラフは手を擦り合わせる。
「もうあんなに風が冷たくなっているなんて、思わなかったですね」
鼻を真っ赤にしたセルゲイが、つぶやく。
「ゆ、指が、痛い」
はぁーと、手に息を吐き、イリヤーも寒そうにしていた。
「指はな、簡単にしもやけになるところだぞ、よーく揉んでおけ」
小さなイリヤーの手を、両手で包み込み、イジャスラフは優しく擦ってやった。
そんな三人の背後では、テーブルの上に、温かいミルクの入ったコップが置かれていた。
「これでも飲んで、暖まりなよ、三人とも」
「お、悪いな、かあちゃん」
湯気の上るそれを見て、イジャスラフは、微笑んでいた。
「まったく、子供を寒がらせるんじゃないよ」
「……分かってるよ」
乾いた笑いをしつつ、彼はコップを二人に渡す。
「ありがとうございます」
「あ、ありがとう、ございます」
ふうふうと温かいミルクを吹き、二人は一口それを飲む。
「あったかい……」
「あー、おいしい」
そう、喜ぶ声に、イジャスラフもコップに口をつけていた。
その日の夜。
「イリヤー、出来たぞ」
居間にて、イジャスラフは、イリヤーに例のものを渡していた。
「えっ、も、もう直ったんですか、ありがと……」
「礼は後だ、まずは中を確認してくれ」
その言葉に、イリヤーは鞘から剣を引き抜いた。
「わあ……」
中から現われたのは、錆だらけだった時とは、全く違う、銀色に輝く剣だ。
「すごい、これが、僕の剣なんだ……」
灯りの光を受け、それはピカピカと鋭く反射していた。
「これが、本来の姿のお前の剣だ、いい造りじゃないか」
顔が映り込むほどに、磨き上げられたそれは、ドラゴンであろうと、容易に叩き切れるように思われた。
「イジャスラフさん、ありがとうございます。僕、これでドラゴンを倒します」
「んー、それなんだがな、ちょっと違うと、俺は思うんだよ」
腕組みをして、彼は少し首を傾げた。
「シャマンは、俺が剣を作ると言ったんだよな?」
「は、はい」
「作るんだ。直すんじゃない、これが分かるか?」
言葉の違いを、彼はイリヤーに説明した。
「これは直した剣だ、俺が作ったんじゃない。この剣ではドラゴンは倒せないと思う」
「えっ、倒せないの?」
イリヤーの驚きに、黙ってうなずく。
「これではない、俺が作れるもので、剣を作れという意味だと俺はとらえた」
「で、でも、それって」
「ああ、俺が作れるものは、木のものだ」
イリヤーは、彼が何を言っているのか、理解が出来なくなっていた。
剣は、鉄で出来ているのではないか、金属以外のものなど、聞いたことがなかった。
「俺は、シャマンを信じる。木で、お前の剣を作る」
イジャスラフの目が、力強く、イリヤーを見ていた。
「そんなの、聞いたことがないよ」
頭を軽く振り、イリヤーは困惑していた。
「聞いたことがなければ、聞かせてやる。俺が作る、ドラゴン退治の聖なる剣だ」
白い歯を見せて、イジャスラフはニヤリと笑った。
寝入り端、イリヤーはベッドに腰掛けて、渡された道具を見ていた。
「使った後は、汚れをよく拭いて、油を薄く塗っておけ、か」
剣と共に、イジャスラフが渡したものは、数枚の布きれと油だった。
「手入れはしっかりしないと、また錆ちゃうって言ってたなあ」
生まれ変わったかのような、イリヤーの剣は、冷たく鋭く輝いている。
こんなに光り輝くものだったとは、イリヤーも、セルゲイも、そして村長も、知る由はなかった。
「あ、イリヤー、その剣……」
「セルゲイ」
背後から声を掛けられて、イリヤーは振り向いた。
「なんだよそれ、どうしたんだ?」
イリヤーの手の、輝く剣を指さす。
「これ、錆びてた僕の剣。イジャスラフさんが、直してくれたんだ」
「へぇー、見せてみろよ」
そう言って彼が手を伸ばした時、イリヤーは剣を遠ざける仕草をした。
「だ、だめ、これは、僕の剣だもの」
「何が僕のだ、元は私の家にあったやつだろう」
それでも、イリヤーは剣を庇い続けた。
「やだ!セルゲイには、渡さない!」
「いいから貸せよ!お前、ウチの居候のくせに!」
拳を振り上げて、セルゲイはイリヤーに迫った。
「……ん?物音?」
寝付こうとした矢先、イジャスラフは何かの音で目を覚ました。
傍らで眠る妻を起こさないように、静かに寝室を後にする。
彼は灯りを片手に、音のする二人の寝室へと向かった。
「イリヤー、セルゲイ、静かにしろ……」
扉を開けて、彼は驚きのあまり、眠気が吹き飛んでいた。
「イ、イリヤー!」
室内のベッドの下で、イリヤーが身体を丸めて、うずくまっているではないか。
「あ、イ、イジャスラフさん、その、これは」
「どけ、セルゲイ!」
真っ青な顔のセルゲイを押しのけ、彼はイリヤーに駆け寄る。
「どうした、イリヤー、ケガしたのか?」
「うーん、うーん……」
問いかけるも、彼は唸るばかり。
「おい、セルゲイ、何があった」
「ち、違うんです、イリヤーが、勝手に……」
セルゲイも違うとしか答えない、これでは埒があかなかった。
イジャスラフは、セルゲイを部屋の外に追い出すと、イリヤーの様子を窺った。
「イリヤー、しっかりしろ、痛いのか?」
「あ、あ、イ、イジャスラフ、さん」
弱々しく答えるイリヤーの腹の下には、剣が隠されていた。
「ぼ、僕、守った、大事な剣、守ったよ」
そう笑う顔にはアザが。腕にも、痛々しいアザがいくつもあった。
何が起きたか、彼は瞬時に理解し、イリヤーを力強く抱きしめた。
「よくやった、よくやったぞ。お前は勇気ある子だ」
小さな子供の、その行動に、イジャスラフは、目が潤んでいた。
錆が落ちた、イリヤーの剣。
それと共に、彼も何かが、変わろうとしていた。