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天才育成学校とはいえ、流石に土日は休みだ。ただし、祝日は休みにならない。夏休みもお盆休みだけだし、冬休みは大晦日から三が日までの間のみ。春休みはない。
私はこれを普通だと思っていたけれど、外から来た人が言うには、本当はもっとちゃんとした休みというものがあるらしい。祝日はもちろん、振替休日だとか、夏休みも一か月以上あるとか、冬休みだってもっと長いとか。春休みなるものもあって、その期間は宿題がないのだとか。
けれどどうせ、長期休暇を取ったところで、やることなんてないのだ。外に行けるわけでもない。施設から一生出られない私はもちろん他の子たちだって、二十歳になるまで帰省することすら許されておらず、この施設内で過ごさなければならないのだ。一か月も休みをもらったって、暇なだけだろうと思う。
山田君に、自作小説を読ませることを約束したのは金曜日。翌日である今日は土曜日だった。
私は私服に着替えて、それから左手首にパワーストーンのブレスレットをつけた。通販で購入した安物だけれど、気に入っている。本物の天然石かどうかは怪しいけれど。学校のある日は校則を守ってつけないようにしていたけれど、休日はつけることにしていた。
薄手のセーターだけだと肌寒かったので、上から灰色のパーカーを着た。灰色から卒業したらどうだとか、ジーンズばっかりじゃなくてスカートでも穿いてみたらどうだなどと澪には言われるけれど、動きやすい恰好が一番だと思う。
あと、灰色は汚れが目立ちにくい。それと、自分自身も目立たないからいい。澪のように原色の服を着る勇気は、私にはなかった。
そうして着替え終えると、溜まった洗濯物を洗濯室まで持って行った。洗濯機は共用だ。女子棟には女子専用の、男子棟には男子専用のものが用意されている。二階大浴場の近くに、洗濯機がずらりと並んでいる部屋があるのだ。私はそこまで行くと、あいていた洗濯機に汚れた衣類を放り込んだ。洗剤を入れて、スイッチオン。身支度をして朝食を食べ終えた頃に、洗濯も終了するという寸法だ。
乾燥機はなく、衣類は基本、自室のベランダで干す。ただし私も含め大体の女子は、下着だけは部屋干ししていた。
私は自室に戻り、いつも通り水道水入りのペットボトルを持ってベランダに行き、
「えっ」
ビオラの花が減っていることに、気付いた。
盗まれたわけではない。ビオラの鉢植えはそこにあるし、葉も茎もある。
なのに、花がないのだ。全滅というわけではないけれど、三割くらいやられている。
虫? 鳥? それともナメクジ?
まさか、ネキリムシではないだろうか。何度か発生したことのあるそれは、虫嫌いの私からすればこの世の終わりのような光景だった。土の中から、白っぽい芋虫が何匹も出てくるのだ。いやな喩えをするけれど、エビピラフに入ってるエビを白くしたような虫が。その質量を、土のどこに隠していたのかと思うくらいに。
いや、実際は五匹とかそのくらいだったのかもしれないけれど、大の虫嫌いの私からしたら、十匹にも二十匹にも見えた。
最初にそれを発見した時、私は悲鳴を上げた。この世のものとは思えないものを見て、この世のものとは思えない奇声を発した結果、私の部屋には近隣の女性陣が集まった。恥ずかしかったけれど仕方がない。ネキリムシのあれは、想像を絶する。
結果、意外にも牧乃ちゃんが処理してくれた。彼女こそ虫を見たらきゃあきゃあ言いそうなのに、「土から出されてびっくりしちゃったね……」などと芋虫に話しかけながら、一匹一匹手でつまみあげた。つまり、虫は平気だったらしい。
そうしてビニールにすべてのネキリムシをいれると、グラウンドの隅まで持って行った。……多分、逃がしてあげたのだと思う。ネキリムシが逃げられるのかどうかは知らないけれど、その場で踏みつぶすよりかはよほどマシだろう。
私自身、殺そうとはまったく思っていなかった。ただ、鉢植えから出ていってくれればそれでよかったのだ。できれば私の鉢植えに住み着かなければ嬉しかったのだけれども。
私はマーガレットとプリムラに水をやって、それからビオラを見た。……土の中に芋虫がいる可能性を想像するだけで恐ろしい。なるべく離れた距離から腕を伸ばして、とりあえず最低限の水はあげた。
土日であっても、朝食は朝の七時から八時と決まっている。土日の場合は昼食も、寮の食堂で摂らなければならない。これが、十二時から十三時。夕食はいつも通りの時間。
私は、七時四十五分ごろに食堂へと向かった。いつも一緒にいる五人は、基本的に仲のいいメンバーではあるが、休日まで食事の時間をそろえてはいない。というわけで、そこにいたのは山田君だけだった。白い長袖Tシャツの上に、青のチェック柄の半袖Yシャツを羽織っている。食事はもう済ませたのか、机の上には何もない。
「ぎりぎりだな」
腕時計で時刻を確認して、山田君は言った。食堂のおばさんたちは、早くも片づけを始めている。
「ぎりぎりでいいの。本当はもっと寝たいし」
私はどぎまぎしながら、山田君の向かいに座った。ここで、彼を避けるのも変だろう。
彼は頬杖をついて、私の食事風景を眺めている。今日のご飯は和食だった。白ごはん、大根の味噌汁、焼き鮭、ほうれん草のおひたし。私はご飯を数口食べて、味噌汁を飲んでから、ちらりと山田君の方を窺った。やっぱり、こちらを見ている。
「あのー……」
「なんだ」
「あんまりこっち見ないで。食べにくいから」
「ああ、悪い」
山田君はそう言うと、左横に視線をやった。食堂のおばさんたちの動きを観察しているようである。――食べ終わったのなら、どうしてまだここにいるのだろう。
「……もしかして、私のことを待ってたの?」
鮭をほぐしながら訊くと、山田君は左横を見たまま頷いた。
「俺は女子寮には行けないから、土日は斎藤に会える可能性が低い。食堂なら確実に会えるだろう」
「どうして私のこと待ってたの?」
「昨日言ったはずだ」
山田君は顔を左に向けたまま、視線だけをこちらによこした。
「勉強を教えると」
それを聞いて、私は唖然とした。
「それ、今日からなの?」
「早い方が良い」
「休日なのに?」
「休日だからこそ、時間が取れる。場所はそうだな、図書室にしよう。談話室や食堂はうるさい」
土日でも、図書室や保健室、カウンセリング室など、校舎の一部は開いている。しかしまさか、今日から勉強することになるとは思ってもみなかった。
――朝ごはんを食べたら、昼まで寝ようと思ってたのに。
などと言えない私は、無言でほうれん草のおひたしをつついた。クールビューティ山田君がせっかく教えてくれると言っているのだ、断るわけにもいかない。
「ということで」
山田君は相変わらず左を向いたまま言った。
「斎藤の小説、持ってきてくれないか」
「えっ、今日?」
「今日」
「これから?」
「これから」
「四冊ぜんぶ?」
「四冊ぜんぶ」
ヒカル君は、言われたことを繰り返す癖? があったのだけれど、山田君の反応はまさにヒカル君のそれに似ていた。私はほうれん草を噛むことも忘れて、山田君の顔を見る。彼はいたって真剣である。
「斎藤」
「なんでしょうか」
「いい加減、そちらを向いてもいいか? この体勢だと話しにくいのだが」
確かに、私は山田君の方を見てるのに、彼が始終横を向いているのもおかしい。私が承諾すると、彼はゆっくりとこちらを向いた。相変わらず、整った顔立ちをしている。
私はようやくほうれん草を飲み込んで、頷いた。
「あの、じゃあ、小説のノートは後で渡すから……」
「よろしく頼む」
やっぱり彼は真剣だった。ここまで来たらもう引き下がれないだろう。味噌汁を取るために左手を伸ばすと、山田君がなんでもないような声で言った。
「斎藤は、好きな人間がいるのか?」
――飲んでいた味噌汁を吹くかと思った。それはなんとかこらえたものの、気管に味噌汁が入り込んだらしく、私はむせ返った。山田君は「大丈夫か?」と、やっぱりなんでもないように言う。しばらく床を見ながら咳込んでいた私は、呼吸を整え、顔をあげた。
「なんでそんなこと、いきなり言うの?」
「それ」
山田君に指をさされた部分を見る。私の左手首にある、ブレスレット。不透明で、薄いピンク色の石が並んでいる。ピンクの石がいくつか並び、途中途中で無色透明の石が挟まっている、シンプルなデザインだ。
「天然石だ。ここから見る限りだが、ローズクォーツだろう。間に挟まっているのは水晶。一般的に知られている意味だと、ローズクォーツは美や自己愛を高めるため、恋愛成就などの意味を持っている。水晶は、石の力を強化する。つまりその組み合わせは、恋愛用の物だ。故に、斎藤は恋をしているのかと思ったのだが」
私は首を思いっきり横に振った。頭がちぎれて飛んでいくかと思うくらいに激しく。
「違う! ただ、パステルカラーが好きだから、この石が綺麗だなって思っただけで……」
これは事実だった。確かにこれをネットで購入するとき、恋愛がどうのこうのと書いてあった気がする。けれどそれよりも、ただ単に薄いピンク色が綺麗だなと思っただけで、更には他の石よりはるかに安かったから購入しただけだ。本当は水色のアクアマリンも欲しかったのだけど、ローズクォーツに比べたら高価で手が出せなかった。
私は十五歳だけれども、誰かに恋をしたことは一度もない。残念だけど、恋愛ができるとも思っていない。
山田君は私の焦りっぷりが不思議だったらしく、「そんなに恥ずかしがることか?」と言ってきた。私としてはむしろ、彼の方が不思議だ。
「山田君は、天然石が好きなの?」
「いや」
即答だった。なら、尚更不思議だ。
「じゃあなんで、石の意味まで知ってるの」
「単なる知識だ。深い意味はない」
あなたの知識はどれだけ幅広いんですか。そこまで思って、私は今朝見たビオラの花を思い出した。
「あっ……」
思わず声に出してしまい、しまったと思う。山田君は案の定、なんだ? と言ってきた。
「いや、食事中だから……」
「食事をしているのは斎藤だけだ。俺は何も食べていない。なんだ? 何か、気分の悪くなるような話か」
「少なくとも、私は」
「斎藤が平気なら、俺は今聞いても問題ないが」
言われて、覚悟を決める。とりあえず食事をすべて食べ終えてから、私はあのねと切り出した。
「ベランダで、花を育ててるんだけど」
「ほう。ちなみに種類は?」
「マーガレットと、プリムラと、ビオラ。……どんな花か分かる?」
「ああ」
流石は山田君。マーガレットとビオラはともかく、プリムラはピンとこない人も多いと思うんだけど。
「それで? それがどうかしたのか」
「それがあの……ビオラの花が、減ってきてて」
「減った?」
「うん。だからその……もしかしたら、虫の仕業かもしれないと……。ネキリムシって分かる?」
「ああ」
「……山田君、もしかしてガーデニングとか興味あるの?」
「いやまったく。やったこともない」
「なのに知ってるの?」
「知識として」
いやだから、どれだけ幅広い知識を持っていらっしゃるんですか。これではまるで、歩く辞書みたいだ。けれどもしかしたら、彼ならあの怪奇現象の原因が分かるかもしれない。
「だからね。もしかしたら、ビオラの花が減ったのはネキリムシの仕業かなあと……。でも私、虫が苦手で、まだ確認できてないの」
「なるほど」
山田君は二秒ほど右斜め上を見てから、私の顔を見た。特別、気分が悪いといった様子はなかった。
「問題のビオラの花は、萎れたり枯れたりしたのか?」
「ううん、茎も葉っぱもしっかりしてる」
「ということは、花だけが被害にあっているのか。花弁が減っているのか?」
「そう、それ」
「ならばそれは、ネキリムシではない。ネキリムシの被害なら、花自体が枯れる」
ガーデニングはしないとのことだけど、山田君が言うからにはそうなんじゃないかと思う。私はほっとしながらも、じゃあ原因は何だろうかと考えた。
「虫じゃないなら鳥かな?」
「花を食べる鳥といえば、代表的なものはヒヨドリだな。だが、その確率は低いというのが俺の見解だ。ヒヨドリの被害が発生しやすいのは二月頃。今は十一月初旬。時期がずれている」
「じゃあ何……」
「確率的に言うのであれば、ナメクジ。あとは、虫嫌いの斎藤にとっては嫌な情報だろうが、夜行性の虫で花を食べるものがいる。それの可能性もある」
まだ、虫の可能性があるのか……。私はうなだれた。その様子を見ていた山田君が言う。
「ビオラの花は、きちんと観察したか?」
「ううん……。ネキリムシがいるかもって思ったら怖くなって、適当に水をあげただけ」
「ならば、今から部屋に戻って観察してみるといい。もしも、粘り気のある銀色の筋のようなものがあったなら、それはナメクジが這った跡だ。ビオラを食べた犯人はナメクジだということになる。そうでなければ、虫だ」
ナメクジも得意というわけじゃないんだけど、虫よりマシだ。私は頷いた。
「申し訳ないが、俺は斎藤の部屋には入れない。虫だったとしても処理してやれない」
「ううん、教えてくれてありがとう。山田君は本当に、なんでも知ってるね」
私が言うと、山田君は「別に」とだけ答えた。彼にとっては、自分の記憶力は特別すごいことではないらしい。私からしてみれば、超人レベルだと思うのだけど。
私は食器返却口に向かいながら、再度「あっ」と声を出した。横を歩いていた山田君が、私の方を見やる。
「なんだ?」
「犯人がナメクジだったとして」
虫のせいだとは極力考えたくないので、ここではナメクジだと考える。
「効果的なのは、やっぱり塩?」
「いや」
私の横を歩いていた山田君は首を振った。
「塩を使うのであれば、一匹一匹、手間暇かけて駆除せねばならない。ナメクジが自ら塩に寄ってくる訳ではないからな。塩を使うのは手間だし、花にも影響が出る。何より斎藤は『そういうこと』が得意そうではない。ナメクジの好きなビールを使ってトラップを仕掛けるというのも手だが、俺たちは未成年だしここは孤島だ。酒類は手に入らない。よって、ナメクジ用の駆除剤を使うのが有効だろう。これならばネットで購入出来る」
「ちなみに、山田君のおすすめは?」
「一般的なのはメタアルデヒドだが、俺はリン酸第二鉄の方を薦める。目に見えて効果が分かるのはメタアルデヒドだ。しかしリン酸第二鉄はメタアルデヒドに比べ、害の少ない成分で出来ているというのが最近の――」
私は眉間にしわを寄せた。リン……なんて?
「ごめん、商品名で言ってもらえると嬉しいんだけど」
「悪いがそこまで詳しくない」
「リン、なんだったっけ?」
「リン酸第二鉄」
「もう一つのはなんだった? メタル?」
「メタアルデヒド」
「……それあとで、もう一回教えてもらっていい? 三歩でも歩いたら忘れそう」
私が言うと、山田君は静かに笑った。昨日見た笑顔よりも、どこかぎこちない笑顔だった。馬鹿だと思われてしまっただろうか。実際に馬鹿だから、仕方ないけれども。
九時に図書室に集合することにして、一度山田君と別れた。私は自分の部屋に戻り、早速ベランダまで向かった。明らかに悲しい姿になってしまった、青と紫のビオラたち。見ると、太陽光に反射して、何かが這ったような跡がきらきらと光っていた。
「――ナメクジ!」
私は一人、犯人の名前を控えめに叫んだ。




