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 普通のアンドロイドには難しい事の一つに、作文という物がある。


 例えば、夏目漱石のこころを一字一句間違えずに書けと言われたら、どのアンドロイドにもそれは可能だろう。その小説のデータがあればの話だが。

 だが、自分自身で考え、文章を書くというのはアンドロイドには難しい。

 論文なら書けるだろうが、小説はまず不可能だ。何故か。感情がないからだ。小説には必ず、感情という物が必要となる。人間の行動一つにも、感情が込められているのだ。

 よって、感情のないアンドロイドが小説を書けたとしても、それは既存の小説を溶接しただけの代物になるだろう。

 しかしながら俺は、考察する力も創作する力も持ち合わせている。そして感情も。

 故に、作文や小説というのは大した苦難ではない。自分に欠落している物――例えば味覚などについても、他の小説や論文から推察出来る事を書けばいい。苦いものは不味い、女性は甘いものが好き、辛いものは汗をかくなど。

 問題は、この度の現代文で与えられた作文のテーマだ。俺は、黒板に書かれた文字に再度目を通した。


『自分の人生の中で印象に残ってるエピソードを一つ、短編小説にする』


 これである。最低ラインは、原稿用紙十枚だ。


 五年前に製造された俺は、二年以上、施設で実験され続けた。本当に感情を持ち合わせているのか、思考する力はあるか、どのような行動をとるか、人間と暮らしても問題ないか等、大して面白くもない実験と研究を繰り返されただけである。つまり、この二年間については特筆すべき点がない。

 第一、その時の事についてはほとんどデータが消去されている。『実験された』事は覚えているが、その内容に関しては九割ほど削除されているはずだ。

 となると、人間との共同生活を開始した二年八ヵ月前から今に至るまでの間に起こった出来事で、印象に残った物という事になる。しかしここでまた問題になるのが、俺の記憶の大半が消去されている点だ。


 覚えていないと明らかにおかしい記憶については、保存してある。それこそ、しょっちゅう遊びに行く轟の部屋の汚さであるとか。これらについては覚えておかないと、人間としておかしいからだ。一週間に一度は遊びに行くような部屋の事をすっかり忘れているとなると、流石に怪しまれる。

 しかし、その他の事については忘れている記憶の方が多い。例をあげるのであれば、入学式だ。入学式があった事は覚えている。だが、式の内容は全く覚えていない。コンマ単位でも思い出せない。恐らく消去されたのであろう。入学式の記憶が消去された理由も、やはり思い出せない。これもまた、消去されたのだろう。


 そうなると、俺が書ける物は限られてくる。つい最近起こった事か、保持している記憶の中から小説に出来そうな物をピックアップするか、あるいはある程度捏造してしまうかだ。

 静かな部屋の中は、シャープペンシルを動かす音で満たされていた。十五年も生きていれば、普通は何か書ける物があるのだろう。外の世界を知っているのならば余計に。残念ながら俺はまだ実験段階であり、施設の外に出た事はない。少なくとも、保持している記憶の中に、外の記憶はない。


「先生、出来ました」


 一人の女子がそう言って、教壇にいる教師に原稿用紙を手渡した。その顔を見て、俺は意表を突かれた。誰よりも早く作文を書き終えたのは、他でもない斎藤だったのだ。正直に言うのであれば劣等生である、あの。

 思わず、壁時計を確認する。三十分ほどだ。パソコンならともかく手書きで、しかもいきなり題を出されたにも関わらず、三十分で彼女は短編小説を書き上げたのであろうか。

 斎藤の原稿用紙を確認していた現代文の教師は、「うんいいよ」とだけ言った。この教師は温和だが、手抜きはしない。訂正箇所があれば、確実に指摘するはずだ。それがなかった。

 つまり斎藤はこの三十分で、教師を認めさせるレベルの物を書き上げたらしい。こう言うのは失礼だろうが、意外だった。

 俺は自分の原稿用紙を見る。タイトルと名前以外は真っ白だ。さて、どうするか。


 書き終わった生徒は教室を出てもいいという事になり、次々と退出していった。……人間というのは、人生の思い出話を書くのが得意らしい。あるいは、外の世界はよほど刺激的なのだろうか。

 結局俺は、今朝聞いた森口のピアノについて書いた。鳥が空を飛ぶ情景が目に浮かぶような、素晴らしい演奏だった事を。単なる作文ではなく短編小説を書けという事なので、そこから更に、主人公が本当に鳥になって飛ぶというファンタジックな展開にしておいた。

 教師は「文法については何の問題もないのだが、なんというか、作品に捻りがないなあ」と言いつつも承認してくれた。


 教室を出たのは、三限の途中だった。余った時間で、図書室に本を返却しに行く事とする。ついでに新しい本を探そう。サブカルチャーなんかはあまりデータにないので、読んでみるのも面白いかもしれない。

 そこでふと思い出した。斎藤も図書室に行くと言っていたではないか。この前の保健室の件といい、これでは俺がストーカーのようだ。無論そのようなつもりはないが。重なる時は重なるという事だろう。

 そっと図書室の扉をスライドさせると、そこは見事なまでの無人だった。休憩時間でも放課後でもないせいか、司書もいない。それに、斎藤の姿もなかった。

 トイレか、人には言えない何かをしているのかのどちらかだろう。

 入り口付近にある返却ボックスに本をいれ、窓際の通路を歩いている時、俺はそれの存在に気付いた。


 それは、一冊の大学ノートだった。所有者の名前は無し。右上に油性ペンでナンバーが書かれていること以外、何の変哲もないノートだった。

 自習していた生徒でも落としていったのだろうか。しかし、番号が振ってあるとなると、授業用のノートとは考えにくい。中身は何だ? 日記か何かだろうか。

 中身を見るのは申し訳ないなと思いつつ、そっと表紙をめくった。ノートなぞ、落とした限りは誰かに読まれる運命なのだ。

 一行目には、『私が神ならば』とあった。どうも、日記ではないようだ。一行あけて、そこから文章が続いている。


 私が神であるならば、実のないイチジクの木を一瞬で枯らすようなことはしない。

 神の力を証明したいのであれば、信じれば与えられるというのであれば、私はそのイチジクの木に一瞬で実をつけさせるだろう。そうすれば、誰も死ぬことはなく、皆が満たされるからである。

 説教をするためにひとつの命をうばうのは、果たして許される行為であろうか。


 ――新約聖書をもじったものだ。マタイによる福音書の第二十一章、十八節から二十二節に該当するエピソード。イエスが空腹を覚えた時、近くにあったイチジクの木に葉しかついていなかったため、イエスが(もしくは神が)それを枯らしてしまったという話である。

 これについては確かに色々と議論されている。枯らした理由については諸説あるし、きちんと理解すれば納得いくが、「枯らすなら実をつけろ」という意見は初めて見たかもしれない。

 読み進めてみると、これは架空の物語であることが分かった。イエスには実は『聖書には記されていない使徒』がいて、その使徒が書いた福音書として物語は書かれている。といっても聖書ほどの長さはなく、聖書の中でも有名なエピソードだけを集めた短編だった。

 この短編では最終的に、『聖書には記されていない使徒』がユダに入れ知恵をし、銀貨三十枚でイエスを売らせたという事になっている。ユダは銀貨を祭司長達に返そうとしたが、それを断られ、神殿に銀貨を投げ込んで出ていく。それを名のなき使徒がゆっくりと拾い集め、「決して口外されぬよう」と言い残し、神殿を後にするところで物語は終わっていた。


「へえ」


 思いがけず、感嘆の声を漏らした。こんな物語を考える奴が、この施設のどこかにいるのか。

 俺は窓際の椅子に座ると、ページをめくった。白紙の一枚をはさんで、全く別の物語が始まる。今度はホラーだった。私立の中学校を舞台にした物だ。怪奇現象に見舞われ、パニックを起こし、疑心暗鬼になっていく生徒達の心境が事細かに描写されている。

 その次は、エンターテイメント要素の強い文学だった。



 桜の花が散る瞬間。花弁が花托かたくから離れ、空を舞う。真っ青な空を、淡いピンクに染める。そうしてひらりひらりと遊ぶように、地に落ちるまでの数秒を、何人の人間が見届けるだろうか。

 その光景を、人々が忘れることはない。誰かが忘れてしまったとしても、誰かが必ず覚えている。

 桜の花が散る時。それは死ぬ時ではない。生を鮮やかに刻む瞬間なのだ。



 ――うつくしい、と思った。こういう感情を抱くのは、滅多とない。この五年で、俺にうつくしいと思わせたものはこれが二つめだ。五年で、二つしかない。それ位に滅多と感じない事だった。

 文章の流れが。人間の心理を表す言葉が。一見おかしく見える単語のつながりが。

 その全てがうつくしいと、本当にそう思った。

 時間も忘れてノートを読み進めていると、図書室の扉がすっと開いた。顔を上げる。青白い顔をした斎藤が、そこにいた。


「またトイレか?」

「保健室に行ってたの。ちょっと気分悪かったから」


 今度のこれは本当かもしれない。顔色といい足取りといい、明らかに具合が悪そうである。しかし彼女は、俺の手元を見るなりその表情を変えた。四か月前、授業中にゴキブリを発見して悲鳴を上げた女子を彷彿させる顔だ。

 ――もしや、


「これ、斎藤のノートなのか?」


 斎藤は項垂うなだれる様に頷いた。

 もしかしたら俺はこの時、とても失礼な顔をしていたかもしれない。信じられないとか、そういう顔だ。何をやらせても最下位である斎藤のノートだなんて、仮説にすらあがっていなかった。それ位、ここに書かれている物は素晴らしいと思ったからだ。

 斎藤はかなり焦った様子だった。どうも、読まれたくない物だったらしい。「ごめん、それ返して」と言われ、俺は素直に嫌だと思った。桜の話をまだ読み切っていないし、その他の作品も未読だ。


「待て。まだこの物語のラストを読んでいない。もうすぐ終わりそうだから」

「いやもう読まなくていいから! 恥ずかしいし、やめてよ!」

「恥ずかしい? これが?」


 斎藤は何を言っているのだろうか。恥ずかしいのはこの文章ではなく、この文章を恥じる斎藤の方だ。


 そこから俺は、彼女の作品がいかに素晴らしかったかを熱弁した。俺には珍しく、早口でまくしたてて。

 斎藤にあれこれと言いながら、頭の隅で別の事を考えていた。

 もしかしたら彼女は、この才能を見込まれてここに来ているのかもしれない。彼女は、文章を書く事に長けていたのか。だとしたら、この施設にいる合点がいく。彼女の文章は、プロの物に引けを取らない。

 俺が饒舌すぎたせいか、斎藤はすっかり黙り込んでしまった。

 俺は、自分なりの最大限の賛辞を呈することにした。


「君の文章は、うつくしいよ」


 ――うつくしい、というのはおかしかったのだろうか。斎藤は呆気にとられたような顔をして、けれどもそれ以上「ノートを返して」と言う事もなく、俺の向かいに腰掛けた。続きを読んでもいいようなので、俺は再び文字を追う。向かいの斎藤は何やら鞄から本を取り出し、読みだした。

 そこからしばらく、とても静かな時間を過ごした。斎藤が何を思っていたのかは知らないが、俺は特に居心地が悪いとは思わなかった。

 やがて、最後の一文にたどり着いた。最後の一文を読むのが勿体ないとすら思えた。

 ――知りたい。彼女の文章を、もっと。


「うん」


 読み終えた小説について、語ろうと思えばいくらでも語れただろう。しかし、何故かその時は「うん」としか声が出なかった。彼女の小説に対して「面白かった」と言うのは、とてもチープな感想のような気がする。もっと他の表現があるはずだが、妥当な物が思い浮かばなかった。ノートを返すと、斎藤は気まずそうにそれを受け取った。

 彼女の文章をもっと読みたい。きっと、他にもあるはずだ。


「このノートだけじゃないんだろう? 斎藤の小説」

「……なんで分かるの」

「ノートに番号が振ってある。これは五冊目だ。ということは少なくとも、あと四冊はある訳だ」


 斎藤は唇をかむようにして、ノートを見ている。やはり、最低でもあと四冊分は物語があるのだ。


「是非、残りも読ませて欲しい」

「嫌です」


 脊髄反射のような即答だった。そして、何故か敬語だ。残念、という気持ちはこういう事を言うのだろうか。しかし、それだけではない。引き下がりたくないという意志もあった。

 このような文章を書く斎藤は、一体どのような本を読んでいるのだろうか。彼女が先ほどまで読んでいたはずの本を見て、俺は目を疑った。見覚えのある、特徴のある挿絵。

 まさか、おとぎ話大全集か? 訊ねると、斎藤は頷いた。それも、俺がまだ読めていない十巻だった。


「斎藤が借りていたのか?」

「違う。これは私が自分で買ったやつだよ。ほら、図書室のバーコードもついてないでしょ」

「成程」


 斎藤が自腹で買ったという事は、よほどの傑作がそこには載っているのだろうか。貸してくれないかと頼むと、斎藤は目を丸くした。俺のような奴は、おとぎ話を読まないと思っているらしい。それは大きな誤解である。俺は、自分の知らない物語を知りたいのだ。そして、斎藤の文章も。


「その本とセットで、斎藤の小説もつけてくれるとありがたいのだが」

「それは嫌です」

「そうか」


 斎藤にしては珍しく仏頂面で、俺に本を突き出してくる。両手できちんと受け取り、礼を言った。未読の十巻の表紙を開く。しかし、今読みたいと思えなかった。

 俺が今読みたいのは、斎藤の書く物語と、文章と、言葉だ。

 交渉せねば。うつくしい文章と触れるために。


「それならば、こういうのはどうだろうか」

「え、なに?」

「互いの得意分野を交換するというのは」

「……何言ってるの?」

「君は小説を書くのが得意だ。だから、俺にその小説を見せて欲しい。対する俺は、勉強が得意だ。だから、俺は君に勉強を教えよう。これならばどうだろうか」


 ここまで俺が何かを欲しがるのは初めてだ。頭の隅でそう思った。

 斎藤はあからさまに驚いていた。それもそうだろう。今まで大して話したこともない男子にいきなり小説を読まれて、更には勉強を教えてやるからもっと読ませろとまで言われているのだから。


「嫌ならば、無理強いはしない」


 押すだけではだめなので、少し引いておく。強引だと思われると不利だし、本人が嫌がっている物を無理矢理させるのも『人間』としてどうかと思った。

 しかし、斎藤はほんの少し考えてから、首を縦に振った。


「えっと、じゃあ……それならいいよ。あ、でも、澪たちには小説の事、内緒にして」

「ああ、分かった」


 ――嬉しい事があった時、きゃあきゃあと騒いでいる人間の気持ちが少し分かった気がする。意図的にではなく、勝手に口角が上がる。

 ここまで自然に笑えたのも、初めてかもしれなかった。


 こうして俺は、彼女と約束をした。

 俺は彼女に、勉強を教える事。

 そして彼女は、俺に小説を見せてくれる事を。

 


 図書室から教室へ戻る途中の廊下で、俺は斎藤に声をかけた。


「この本の中で、斎藤が一番気に入ってる話はどれだ?」

「さむがり猫と雪だるま」

「ふうん」


 ――さむがり猫、か。

 前を歩く、斎藤という『人間』に目をやる。

 さむがり猫と雪だるま。

 その話を俺は、斎藤と同じように理解する事が出来るだろうか。



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