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一日の授業が終わり、生徒達が寮に戻る頃。俺は一人で、カウンセリング室に向かっていた。カウンセリング室は一階校舎の一番端にあり、人目につきにくいようになっている。あくまで「つきにくい」だけであって、「つかない」訳ではないのだが。
扉をノックし、相手の返事を待ってから入室した。ソファに腰かけていた臨床心理士は、こちらを見て微笑む。赤井みどり、年齢不詳。身長は目測だが、百五十と少しといったところだろう。彼女が既婚者なのかどうかは知らないが、もしも未婚ならば、彼女の両親のネーミングセンスはなかなかだと思う。赤なのか緑なのか分からない、不思議な名前だ。
「こんにちは、山田君」
「どうも」
向かい合って座ると、赤井は大学ノートを取り出した。紫色のノートを開き、膝の上に置く。これで、彼女の準備は整った。次の言葉は決まっている。「一週間どうだった?」だ。
「特に変わり映えはありません」
「何か思ったり、感じたりした事はあるかな。どんな些細な事でもいいんだよ」
「いいえ、特には」
「そっか。お友達との生活はどうかな」
「友達ですか」
――友達、というのは俺にとって理解出来ない物の一つである。意味は勿論知っている。一緒に遊ぶ人間。話し合う人間。友好な仲の人間。趣味を共有する人間。心を許しあう人間。
「対等や同等、という物が友達の定義に含まれるのであれば、俺に友達がいるのかどうかは分かりませんね」
「対等な友達がいるのか分からないの?」
「俺の周囲にいるのは人間ですが、俺はアンドロイドです。もしも対等というのが友達の定義の絶対条件であるのならば、俺の友達はアンドロイドでなければいけないのでは?」
「……アンドロイドと人間は、対等じゃないのかな?」
「逆に聞き返しますが、パソコンと人間は対等だと思いますか」
俺の目を見ながらも右手を動かし続けていた赤井が、ふと手を止めた。俺はわざと口角を上げて言う。
「俺は、歩くパソコンですよ」
四十分ほど赤井のカウンセリングを受けた後、本棚の裏にある穴に入った。それは研究所の入り口で、俺は少なくとも週に一回は出入りしている。赤井は大学ノートを片手についてきた。
研究所は、孤島の地下にある。真っ白な廊下に、真っ白な部屋がいくつも並んでいるが、部屋の中は見えない。窓がないからだ。
照明は十分にあるのに何故か薄暗いそこで、具体的に何の研究をしているのかは俺も知らない。少なくとも、アンドロイドの研究はしている。それ以外にも何かあるのは確かだが、誰もそれを教えてはくれなかった。恐らく、倫理に反するような実験なのだろう。例えば、それこそ轟が言うような『地球をぶっ壊す兵器』だとか。
俺は数ある白い部屋の中から、目的地まで一直線に進んだ。廊下の突き当りにあるのが、山田実専用の部屋だ。扉を三回ノックする。
「山田です。失礼します」
中にいたのは、俺の担当科学者である太田満という男性だけだった。BMIなら軽肥満に入るだろう体型で、身長は百六十八センチ。年齢は、三十四歳だ。未婚で、彼女はいない。好きな食物はナポリタンスパゲッティ。嫌いな物はカイワレ大根。
――彼のプロフィールは何故か、俺の頭にインプットされている。はっきり言って、どうでもいい情報だと思うのだが。
「やあ、山田君。調子はどうかな」
「特に問題ありません。故障しているパーツもなく、好調です」
「それはなにより。あ、いつも通り、記録のためにカメラを回すよ」
「はい」
彼はデスクの上に会ったハンディカメラを起動させ、俺に向けた。そうして、俺にパイプ椅子を薦めてきた。この部屋には太田専用のデスクと様々な機械類、パイプ椅子、それから観葉植物しかない。ちなみに、観葉植物についてはレプリカだ。水をやらなくても一生枯れない。
向かい合うようにして俺がパイプ椅子に座ると、太田は身を乗り出してきた。
「ちょっと失礼するよ」
そう言って、俺の右手を掴み、更には親指を少し右に捻ってから引っ張る。ぽん、と小気味のいい音を立てて、俺の親指が外れた。そうして露出したUSBケーブル差込口に太田はケーブルを差し、更にはパソコンと繋げる。俺の体内で充電が開始され、俺の中にあったものがパソコンに移動する。
「……あー。この一週間、結構色んな本を読んだみたいだねえ」
パソコンの画面を覗き込みながら、太田は言った。パソコンには今、俺のメモリ内にあるデータがすべてファイルになって表記されているのだ。
――奇跡とまで言われた山田実にも、いくつかの欠点はあった。
例えば俺は、今まで見た物を全て記憶する能力を持っている。寸分の違いもなく記憶できる。
だが、記憶を自力で消去する術を身に着けていない。人間は不要な記憶を勝手に忘却することができるが、俺はそれができないのだ。よって、放置しておけば、やがてメモリ不足になり破損する。パソコンのように『人間の手』によって、不要になったファイルは削除する作業が必要なのである。
つまり、俺が日常生活を送っている間に溜まっていくデータを要るものと要らないものに分けて、消去してもらわなければならない。この作業が、週に一回程度必要なのだ。
太田は俺のメモリを見ながら、うーんと唸った。
「とりあえず、いくつかの本については忘れてもらおう。保持しておきたい記憶はあるかな?」
「そうですね。おとぎ話大全集の第九巻は残しておいてください。読みかけなので。あとは不要です」
「了解。じゃ、消去するよ」
太田は頷き、キーボードを乱暴に叩いた。彼がたんっ、とエンターキーを押すと、俺の中から本の記憶は消去される。消去されたデータについてはバックアップしている訳ではなく、本当に破壊されるシステムだ。パソコンのごみ箱のように、再使用はできない。
これが、俺のもう一つの欠点だ。本来のアンドロイドならば、データのバックアップが可能らしい。なのに俺は、それができないのだ。
新しい知識を取り込むことはできる。しかし一度忘れたものは、二度と思いだせない。特に、個人的な記憶に関してはバックアップがないため、一度消去すればそれこそ記憶喪失になってしまうのだ。
俺は他のアンドロイドにはない感情を持てるようになった結果、他のアンドロイドには出来ることが出来ないようになってしまったのである。
「あとは……今週食べた物かな。何か印象的な食べ物はあるかい? あるのなら残しておこう」
「特にありません。全て削除してください」
「はいはい」
太田がまたしてもキーボードを乱暴に叩き、エンターキーを押す。パソコン画面から目を離し、太田がこちらを向いた。
「さて。今日のお昼、山田君は何を食べたのかな?」
「今日の昼食ですか。――――今日の昼食?」
思い出せない。俺は今日、昼食を食べただろうか。食べたはずだ。しかし、何を?
俺の様子を見ていた太田は、「うん、いいよ」とだけ言った。
「何を食べたか覚えてないってのを、知りたかったからね」
ここからは臨床心理士の赤井も加わって、どの記憶を削除するかで討論した。
今日見たばかりである、名倉の絵の記憶を残すか消すか。昨日の昼に鍵谷から聞いた、阿呆のような都市伝説の記憶はどうするか。三日前に同じクラスの生徒が授業中に過呼吸を起こした時の記憶は。五日前の休日の記憶はどこまで残すか。
議論しながら削除するのを繰り返した。いつもの事だ。赤井はノートを見ながら「これは必要」とか「これは不要」と口を出し、俺の意見も交えつつ削除するデータを決めていく。食べた物を吐き出す以上に、骨の折れる作業だ。
小一時間ほどで、データの整理は終わった。この頃には、USBケーブルからの充電も完了している。太田は俺の親指の付け根からケーブルを引き抜くと、取り外していた親指を差し出してきた。俺はそれを左に回しながらはめこむ。親指の動作確認をしたら、作業終了だ。
「それじゃまた、何かあったらすぐに来て」
太田が手を振りながら言う。俺は立ち上がり、扉の横にある人工観葉植物の葉を見て、太田の方を振り返った。
「……埃、掃った方がいいんじゃないですか」
その言葉を聞いて、太田は両手をあげて笑った。
「また余計なデータが一つ増えたね。今度消さなくちゃ」
地下室からカウンセリング室へ、そこから更にグラウンドに出ると、周囲は薄暗くなっていた。炒め物のようなにおいがする。夕食の時間が近いらしい。俺は自室へと走って帰った。鞄を机の上に放り投げ、制服のまま食堂へと向かう。
夕食は八宝菜だった。白菜、玉葱、人参、タケノコ、きくらげ、ウズラの卵、イカ、エビ、豚肉。これまた、吐き出したらカラフルな仕上がりになるだろう。
食事中、隣席の轟は水素爆弾について語っていた。水素爆弾は確かに生物にとって強力な殺戮兵器だが、地球をドカンとできるタイプの物ではないし、現在の科学ではまず不可能だ。
人間を絶滅させたいのならウイルスにすればどうだと提案したが、轟は地球を真っ二つに割りたいのだと言って譲らなかった。子供のような意見ではあるが、それが実現出来るかについては興味深い。はっきり言ってまず不可能だと思われるが、もしも出来るならばどのような公式を用いた爆弾になるのだろうか。そういう意味では、轟の話は面白かった。
「うちのジジイとババアは、俺が将来立派な発明家になって、養ってもらえるとでも思ってるらしいが大間違いだぜ。てめえらの頭上に爆弾を落としてやる」
そこからしばらく、家族の話が続いた。アンドロイドの俺にとっては関係のない話だが、ここにいる人間にはそれぞれ何らかの事情があるらしい。轟の場合は親を憎んでいるようだが、それは反抗期特有の物のようにも思えた。鍵谷の言う「親ってウザいよね」も同様だ。
名倉の家族構成は謎だが、母親がいることだけは確実だった。二十歳になったら迎えに来るという母親の言葉が嘘なのかどうかは分からない。
「……そういえば、卯月の家族の話ってあんまり聞かないね。どんな人達なの?」
先ほどから様子がおかしい斎藤を気遣ったのか、鍵谷がそんな質問した。俺は八宝菜のイカを箸でつまむ。斎藤は小さな肩をより小さくして、答えた。
「……実は、両親の事知らないんだ。生まれてすぐに児童養護施設に入れられてたから。小学生の時にここの施設の事知って、猛勉強して入学したの。自立した大人になりたかったから。ここならほら、生活費とかも国が負担してくれるし、教員免許とかも楽に取れるし」
嘘だな、と瞬時に思った。今日、保健室で斎藤と小さな嘘をついた事については記憶を残してある。それと照合してみたら簡単に分かる事だ。彼女は嘘をつくのが下手だ。声のトーンが変わるし、視線が泳ぐ。
「親なんて喧嘩の原因になるだけで、ウザいよー」
地雷を踏んだと思ったのか、鍵谷はそう言って笑った。斎藤は相変わらず困ったように笑っている。早く話題が変わってほしいと言わんばかりの顔だ。家族に何か問題でもあるのだろうか。
反抗期とは無縁そうな森口の家は、大家族らしい。両親がいるという事すら想像するのは難しいのに、複数の兄弟がいるとなると、もはや未知の領域だ。人間の兄弟というのは、どんな会話をするのだろうか。本で仕入れた知識こそあるが、実際の会話は聞いたことがない。
「山田は?」
轟に話を振られ、思わず溜息をついた。いずれ聞かれるだろうとは思っていたが、やはり面倒だ。
「人の家の事情を聞いて、楽しいか?」
「全員の話を聞いたんだ、お前も教えろよ。等価交換だろ」
「聞きたくて聞いた訳じゃない」
そう言いながら、あらゆるデータを集積、構築して嘘の家族を作り上げる。緑茶を飲んで、話を纏め上げてから、俺はまくしたてるように言った。
「両親は今、千葉にいる。兄弟は弟が一人。二歳差だ。弟はまあ、普通の子供だな。家族仲は悪くない。親や弟と大きな喧嘩したことはない。自分で望んでここに来た。これで満足か」
勿論嘘である。アンドロイドに家族なんてものはいない。強いていうなら、俺を作った科学者たちが親なのかもしれないが、俺はそうだと思っていない。
これ以上、家族について深い質問をされると面倒だ。俺はさっさと立ち上がると、一人で食堂を出た。背後から、名倉が「おかあさん、おかあさん」と繰り返す声が聞こえていた。
自室に戻り、電気をつける。備え付けのもの以外はほとんど何もないといっていい部屋。かつて轟が遊びに来た時、「これだけ殺風景なのも珍しいな」と言われた事がある。赤井や太田には「何か飾った方が良いよ、それこそ人工観葉植物でも」とアドバイスされたが、これといって欲しい物はなかった。
大体、轟の部屋は物が溢れすぎているのだ。頭蓋骨の模型だの、ダーツだの、拳銃型ライターだの(規則によってオイルは抜かれているので発火はできない)。あとはゾンビのフィギュアもあった。轟曰く、アメリカで流行っているドラマの物らしい。頭に斧が突き刺さっているゾンビのフィギュアと、筋肉質な男がクロスボウを構えているフィギュアが並べられていた。
「年中ハロウィンをしているつもりか?」と訊ねたら、「今度から俺の部屋に来るときは菓子持ってこいよ。じゃなきゃイタズラするぜ」と返された。
一見すると単なる馬鹿のような轟の部屋だが、そこに乱雑に積み上げられている本は全て、普通の中学生では読めないような資料ばかりだ。いや、一般的な大学生が読んでも理解できないかもしれない。少なくとも、十五歳の子供が読む物ではないだろう。
女子の部屋には入れないので、どのような感じかは知らないが、少なくとも森口と斎藤の部屋は片付いているのではないかと思う。鍵谷は怪しいが。
俺は机の上にある鞄から、おとぎ話大全集を取り出した。ちょうど、明日が返却日なのだ。今日中に読んでしまわなければならない。
しおりをはずし、続きを読み始める。しかし数ページめくったところで、自分の指の異変に気付いた。
右手人差し指の第一関節のあたりに小さな切傷があり、赤い液体がじわりと滲んでいる。切傷の位置や程度からして、紙で切ったのは明らかだった。
俺の身体はもちろん、血液というものは流れていない。その代りに、血液そっくりの赤い液体が流れている。血糊のようなものだ。
俺の身体を真っ二つにしてみれば、一番上に人工皮膚があり、その下はコラーゲンなどで構成された『真皮のような物』がある。そしてそこに、血管状の管を幾千も通し、血糊を張り巡らせている。真皮の下には皮下組織がなく、代わりに金属の骨格や基盤があるという仕組みだ。
人工皮膚と真皮に関しては自己治癒するようプログラムされているので負傷しても問題ないが、これはいつ切ったのだろうか。俺は人差し指の傷を観察しながら思った。
嘘の身体。嘘の血液。嘘の脳。
それならば、俺の感情も、そこから生まれる言葉も。
その全てが、嘘なのではないだろうか。




