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隣人愛  作者: 枕木きのこ
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 幾日も経ったが、私自身のルーティンは、特に変わらなかった。バイトに行き、小説を書き、週に三日はブログを更新する。例のコメントを書いた謎の男、ハンドルネーム「太郎」(この安直さがまた腹立たしい)がまたコメントを書けば万々歳だが、毎回毎回そうなるということもなく、もしかしたらハンドルネームをその都度変えているのかもしれないと疑ったりもしているが、それを判断する能力も私にはない。要するに、今のところこれといった成果はなかった。

 一方で、新塚幸子が何か事件に巻き込まれたとか、不審な出来事があったとかという話も特に聞いていない。彼女も毎日変わらずのほほんとした表情で仕事に向かっている。

 だから、もしかしたらただの私の考えすぎだったのではないだろうかと、本気で思いもした。あのコメントは言葉の綾のようなもので、深い意味など一つもなかったのかもしれない。ミステリー小説を読み漁り、探偵に憧れ、探偵を生み出したいと強く願っていたことが、ついに現実にまで作用し、なんでもない事象に対し過剰に反応を示し、まるで人生行く先々で事件が待っているなどというくだらない妄想に憑かれ始めたのではと、自信がなくなった。根がネガティブなのだから、幾日もあればそこまで思考が進んで、ぶつぶつと死のうかなと考えたり、そこからまた新塚幸子に(勝手に)救われたりして、私の人生は私自身が思っているより忙しかった。

 そうした自己中心的な繁忙期の中に、落雷のようにまた、衝撃が降りてきた。

 太郎からのコメントがあったのだ。

 その日に書いたブログは次のような他愛のないものだった。もちろんこれは空想などではなく、私の恋する新塚幸子が実際に経験した日常なのだから、それを他人の私が「他愛ない」などというのも多分に失礼なのだが。

「今日もお仕事。定時に上がったとき、同僚に飲みに行こうと誘われたけど断りました。どうも私はわいわいと飲むのが苦手なもので……。一人電車に揺られ、最寄り駅の一つ手前で降りて大型店舗の本屋さんに行きました。小説をあ行からずーっと端まで見ていくのが好きで、今日も三十分くらいそうして、結局、一冊だけ買いました」

 そして最後に買った小説の表紙を写した写真を載せたのだ。

 すると「太郎」は投稿から一時間もしないうちに、このようなコメントを添えた。

「栄田町のカラスノ書店ですよね。僕も今日そこへ行きました」

 もちろん、偶然ということもありえる。プロフィールにはおおよその居住地も書いているのだし、ブログに書いた今までの外出先などからから少し頭をひねらせれば「最寄り駅」がどこで「大型書店」がどこか、絶対に分からないということはない。しかし、普通は、分からないものだ。よほど熱心でない限り。

 私は、背筋が薄ら寒くなった。これは本物のストーカーではないかと、恐怖を覚えた。すっかり新塚幸子になりきっていた私は、二重の意味でこの男を敵と捉えた。ストーカーとして。そして、一方では恋敵として。

 ここまでくれば、太郎が新塚幸子を尾行、いや、ストーキングしていることははっきりと分かる。この男は新塚幸子を付回し、どこに行き、何を買ったのかをはっきりと知っていて、このコメントを書いているのだ。自分の存在を知らしめるために。私が言うと笑えない冗談のようだが、この男は、かなり、気持ち悪い。

 こういった悪い虫(ここまでもそうであるように当然私のことは棚上げである)が新塚幸子に付くのは、よく言えば当たり前なのだろうが、決していいことではない。私はすっかりナイト気取りになって、早くこの男を何とかせねばなるまいと考えていた。

 かといって出来ることはそう多くない。新塚幸子を尾行し、同じように尾行している男を見つけるというのは、そう易いことではない。そうして太郎を探しているうちに自分が新塚幸子に見つかっては元も子もないし、そうでなくてもあまりきょろきょろしていると不審がられるに違いない。

 とにもかくにも、遠回りにせよ新塚幸子に何らかの忠告をせねばなるまい。

 果たして私が取った行動は、単純なものだった。

 新塚幸子本人に、このブログの存在を明かしてしまおうというものだ。これはひどいばくちのように思われるだろうが、まず間違いなく、私が疑われることはない。表面的には私は彼女のよき隣人であり、時にはDVD観賞に誘われるような程度には親しいのだから、まさかこの気持ち悪い成りすましが私であるなどと、彼女が考えようはずもない。

 そして大抵、加害者が自らその存在を仄めかすなどとは、常人は思わないものである。自分に不利なことをあえて犯人がすると考えるのは、よほどの偏屈か、あるいは虚構の探偵くらいのものだ。

 そうと決まれば早い。私は隣人を訪ねる。

 今日は休日で、家に居ることも知っていたので、インターホンを鳴らしてじっと待った。

 無用心にドアを開けた新塚幸子は、私の顔を認めると、不思議そうに首をかしげた。

「水野さん。どうしたんですか?」

 私は勢い込んでここまで行動を起こしてみたものの、いきなり「ブログやってるんですか?」などと聞いたら、探偵でなくても「これは何かあるな」と感付こうものである。

 とりあえず困ったような表情を作って(実際困っていたのだが)、

「あの、お醤油借りれますか?」

 などと全く不似合いな台詞を吐いた。この現代社会において、それなりに親しいとはいえ、お醤油を貸してくれなどという男が居るなど、我ながら信じがたい。

 だが、この隣人においては、全くそういった常識とか、通念というものが通用しない。ああ、と相槌を打って根っから納得したかのように微笑むと、ちょっと待っていてくださいねとかなんとかといって奥に引っ込んだ。こんなごまかし方をするほうもするほうだが、それにごまかされるほうもごまかされるほうだ。私は妙な気分で彼女の再来を待った。

 一二分もするとお醤油をボトルのまま渡してくれる。この私が、とても料理するようには思えないのだが、彼女にはそうは見えないのだろうか。

「どうもありがとう」

「いいえ、困ったときはお互い様ですから」

にこり、である。

「そういえば」私は彼女の台詞に突破口を見た。「最近何か困ったこととかってないですか?」

「困ったことですか?」

「何でもいいんだけど。このお醤油のお礼に、何かあれば手伝うけれど」

「うーん、そうですねえ。特にはないですよ」

「何も?」

「ええ、何も」

「本当に?」

「本当ですとも」

 あんまりしつこいと、私が何か困らせている側なのに彼女が困ってなくてやきもきしているような図に見えなくもない。ここらあたりで引いておこう。

 それじゃあ少し借ります、と言って一度自室に戻る。別に本当にお醤油を使う用事があったわけではないので、時間稼ぎに煙草を一本吹かした。

「いやあ本当に助かったよ」

「いえいえ。また必要ならば貸しますよ」

「いや、買うよ」

「ああ、そうですよね」と笑う。「それでは、また」

「あーっと」

「何か?」

「そういえば新塚さんって、そのう、ブログとか、やってる?」

「ブログですか?」

「うん。SNSとかじゃなくて、普通の」

「いや、やってないですよ?」

「あれ、そっか……」

「なんですか?」

「いや、こないだネットサーフィンしていたときに、新塚さんっぽいブログを見たような気がして」

「私っぽい?」

「うん。プロフィールに名前が載っていたんだっけかな。なんでかは忘れたんだけど、ああ、新塚さんブログやってるんだな、って思ったのを、今思い出して」

「変ですね、やっていないんですけど」

 本当に不審がっているように見える。

「じゃあ、気のせいだったかな」

「多分そうですよ」

「そっか。それじゃあ、またね」

 自室の玄関を開けるとすぐに、靴脱ぎに倒れこんでしまった。

 不自然じゃなかったか? へたくそじゃなかったか?

 分からない。自分じゃ全然分からない。いや、私自身がどう感じるかはさほど問題ではない。あののほほんとした新塚幸子が「不自然ではない」と感じていればそれでいいのだ。そう、深く考えないようにした。

 これで新塚幸子が自分を語ってブログをやっている人間の存在に気付くだろう。そしてそこに太郎がコメントしている内容を目にして、自分はもしかして誰かにつけられているのではなかろうか? と疑問に思い、もう少し周囲を気にしてくれれば万々歳である。今のところ、私に出来るのはこの程度のことになるのだろう。考えればもっとあるのかもしれないが、私は私で、もう少し探りを入れることにする。

 太郎を知り、新塚幸子について、もっと知らねばなるまい。


―――


「幸子さん。今、僕はあなたの家の前に居ますよ」

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