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隣人愛  作者: 枕木きのこ
4/6

 翌日は朝から仕事が入っていた。仕事と言っても、コンビニアルバイトに過ぎない。もちろんそれも仕事に変わりはないのだが、低賃金で間口が広い職場というのは馬鹿にされやすいものだ。事実人の入れ替わりも激しいし、高校生の小遣い稼ぎというのが主だった。そういう場所で長年煮え切らない人生に文句を垂れながら働いている自分は、かくも虚しい「底辺」という輩になるのだろう。

 仕事を終えて自宅に帰ると、まず冷蔵庫からきんきんに冷えた缶コーラを取り出す。どうして缶コーラばかり飲んでいるのかは自分でも分からない。酒が苦手で、飲みの席でもコーラばかり飲んでいるうちに、その妙な甘さが癖になってしまったのだろう。コーラと煙草を行ったりきたり、口に運ぶ。

 パソコンの電源を入れると、小説を書く。このあたりは、さすが何年も小説家を志望しているだけあって(職にならないのは問題だが)、大した習慣だと思う。最低でも三十字掛ける四十行を五ページは書く。今日は調子がよくて、探偵が順序だてて推理しているうちに十ページ分は進んだ。他の、それこそ専業作家がどれくらいのペースで書いているのかは分からないが、筆の早いほうではないので、三時間弱でこれだけ書けば上出来の部類だった。

 ようやく、インターネットにつないで、新塚幸子のブログを覗く。いや、正確に言えば自分自身のブログなのだが、私はこのサイトを見ているときは、客観的な自分と、新塚幸子としての主観的な私の両面を持っていて、開いた瞬間は前者だったわけである。これが、投稿する段階になると自分でも驚くほどの変貌振りで持って後者に代わる。二十四の、若い女になりきるというのは、胸のうちがこそばゆくて妙な心地だが、コーラと同じで、その甘さは癖になる。勧めはしないが。

 コメントが一件付いていた。

 昨日書いた、DVDの記事に対してである。

「お昼過ぎからDVDとは良いですね。僕も仕事を休もうかな」

 何の変哲もないといえば、何の変哲もないコメントに過ぎない。ただ、私にはこれが妙に引っかかった。

 具体的にどこがどう気になるのかは判然としなかったが、どうにもやり過ごせないような気持ちになったのだ。もちろん、こういう「親近感」を湧かせるようなコメントが今までに付いたことがないわけではない。彼女本人の写真を載せていないとはいえ、馬鹿な男というのは女性とお近づきになるためならば、その個性もろもろは度外視して、とにかく絡んでくるものなのだ。そういう浮ついた連中がいないでもなかった。

 しかしこれはどこか、そういう連中とは違うような、どうにも気味の悪い印象を受ける。

 いや、気のせいだろうか。探偵に推理をさせていた分、どこか自分にも反映されて(自分の書いたものから影響を受けるというのも変な話だが)、推理が出来る、もしくは推理することを渇望してしまうような姿勢になっていただけだろう。なんてことないものがミステリーではしばしば伏線になっていたりする。ああいった探偵たちは、ただ生活するだけでも猜疑ばかりに囚われてとても息苦しそうだな、などと無理やり思考を変換させてから、気を取り直して今日の分のブログを書くことにした。昨日聞いたDVDのタイトルと、見終わってからわざわざ言いに来てくれた感想とを(言うまでもないがこういった彼女の行動は至極可愛らしい。そこに含みはないのだろうが、変な勘違いの一つでもしそうなものだ。そうならないのは、私がひどく鬱屈とし天邪鬼な性癖を持っているからだろうか)、キーボードを叩いて打ち出す。

 そして「投稿」ボタンを押そうとした、そのときである。

 私は一度記事を保存して、再度先ほどのコメントを見た。

「お昼過ぎからDVDとは良いですね。僕も仕事を休もうかな」

 後半はどうでもいい。どうぞお好きに休んでくださいといった感想しかないが、問題は前半だ。これが私は気になっていたのだが、どうしてそこまで気になったのか、ようやく分かった。

 なぜこの男は、新塚幸子が昼過ぎにDVDを観たことを知っているのだろうか。

 私が部屋の前の廊下で新塚幸子と会ったのは、確か一時半過ぎだった。おそらく彼女はそのあとDVDを観たのだろうが、それが「お昼過ぎ」であったのか、「夕方」であったのかは分からないはずだ。何せ私がこの記事を投稿したのは、実際に書いてから四時間後、つまり六時前のはずだった。二時間の映画であっても、四時から観始めたと計算したら「お昼過ぎ」という表現は適切ではない。

 この男は、一体何者なのだ。

 私の思考は急にグニャグニャと歪み始めた。

 まさか盗聴器か、あるいはカメラでも仕込まれているのではなかろうか。あれだけの美人だ。しかも平日は仕事、休日は都内へと、家を留守にする時間が多い。隣人である私もバイトに行ったり彼女を尾行したりと留守が多いし、木村もどうやら朝から出かけることがしばしばのようだから、新塚幸子の部屋に侵入する時間は十分にあったと考えられる。

 鍵を入手したのか、あるいは無理やりこじ開けたのかは分からないが、どうも騒ぎがない辺り、前者なのだろう。いつもぼやぼやした彼女のことだ。鍵が一度盗まれて、そっと返されていたのだとしても気付きはしないのではなかろうか。

 私は居ても立っても居られなくなった。

 しかし玄関を出ようとして、一体なんと言えばいいのだろうかと思い当たる。

 あなたの家を盗撮もしくは盗聴している者が居る、と言ったところで、じゃあ水野さんは何でそれを知っているんですか? となったら本末転倒である。私自身がストーカーだと疑われかねない(この際尾行のことは棚上げだ)。私はあくまでも彼女の行動パターンをおおよそ知り尽くし、そして彼女に成り代わってブログなんぞをやっているからこそ、この不審者に気付いたのであって、普通の隣人ならば彼女名義のブログを知っていること自体不自然だろう。そもそもなぜ調べたのだ、と言及されたら言葉もない。

 危険な香りを察知していながら、それを伝えるすべがないのが悔しかった。八方塞とはこのことなのだろうか。

 唯一道があるとすれば、この謎の男が新塚幸子に直接的な危害を加える前に、私がこの男を懲らしめる、というものだろうか。

 そうだとしても、まだこちらには情報が足りなすぎる。

 まずは、敵を知ることが先決か。

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