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隣人愛  作者: 枕木きのこ
3/6

 私は幼少期から、人見知りをしがちで、他人に対して素直になれないところが十分認められた。母曰くそれはそれは女の子のようにもじもじと照れてばかりいて、会話もろくに続かなかったらしい。休みといえば家に閉じこもって綾取りに興じたり、折り紙で鶴ばかり作ったり、インドアでネガティブだった。

 明確な初恋というものがいつだったかはわからないが、幼稚園児のとき、女の子に対して、人見知りのときとは違うどきどきを覚えるのを不思議がっていた。その当時は当然好きだのなんだのという概念なんぞ理解していなかったし、これがどういう意味にあたるのかなんて想像もしなかった。もちろん、わかっていないのだから、その女の子とどうこうなることもなく卒園を迎える。

 私の恋愛は基本的に陰湿だった。

 小学校高学年にもなれば、思春期を迎え始め、周囲もどこか桃色にざわめき始める。私にも当然自覚、理解した上で好きな女の子の一人や二人、できていた。

 再三の通り、私は正攻法と言うものが得意ではない。それには私自身の人見知りという性癖が大いに関係しているのだろう。真っ向から好きだと言ったり、そう匂わせるようなアピールをしたりだとかというものが、出来なかった。

 私の通っていた小学校からは、西地区の中学校へ進む者、東地区の中学校へ進む者の割合が八・二くらいだった。つまり大半は西中学校へ進むのだが、私は東に進む二割の一人だった。当然、それまでに作った友達の大半とはここでお別れである。好きだった子も、八割のほうに含まれていた。

 離別まで三ヶ月という頃だったか。私がしたことというと、今思えばひどく子ども染みているのだが、連絡網を頼りに彼女の家に無言電話を掛ける、というものだった。

「もしもし、飯田です」

 運よく彼女が電話口に出て、その一言を聞ければ、満足だった。

「もしもし?」

 そうやって繰り返してくれれば十二分というもので、すぐに受話器を置く。次の日には少しネタを変え、間違い電話を装う(無言電話に終始しなかったのは我ながら褒めてもよい点だと思う。あくまでも加害者の心理だが)。

 当然彼女は当惑した。小学校ではクラスの担任を通して「いたずら電話があっても相手にしないように」などという注意をもらったりもした。犯人である私だけが馬鹿みたいだと思いながらも、みんな好奇心に溢れ、きゃあきゃあしながらも楽しそうだった。もちろん、当事者である飯田さんを除いて、の話だ。彼女は恐怖心からなのかなんなのか、伏し目がちに私たちクラスメイトを見ていた。小学生の狭い視野からして、この中に犯人が居ると思うのは当然のことだろう(事実私が犯人なのだから、その見当は合っていたといえる)。

 私はそのときの、恐怖と猜疑に満ちた彼女の目が、好きだった。言い知れぬ幸福感のようなものを抱いた。

 そんな私なのだから、新塚幸子に対して、通常の男性のように真っ向から好きだのなんだの告白したり、デートを重ねてどうたらこうたら、という展開になろうはずもない。

 私が何を始めたかというと、彼女に成りすまし、ブログを書くことだった。

 新塚幸子を好きでいる気持ちはもちろん根底にあるが、私を死から救ってくれた(というと大げさだが、実際私の心情としてはそれと大差ない)ことで何よりも彼女を神格化しすぎたために、次第に私は彼女になりたいとさえ思うようになっていたのだ。

 このとき、尾行が活きた。ただ彼女のプロフィールを語ってブログを始めるだけならば誰にでも出来る。しかし私はその一歩先に居るのだ。実際に彼女が行った場所、行ったこと、思ったであろう思考を、私はトレースすることにした。顔写真は無理にしても、行った先の看板や買った本などは写真に撮ってアップした。そうすることで私は新塚幸子になれるのではないかと、どこか本気で思っていたのだろう。

 それが私にとって「付き合う」ということだったのかは、自身にしても疑問ではある。

 そうして、ようやく現在に至る。

 この一月ほどでよくもここまでしたものだと、自分でさえどこか狂気めいたものを感じる。でも、私ばかりが悪いわけではなかろう。他でもない、私をここまで魅了したのは新塚幸子なのだから。

 もともと小説をかじっていたこともあって、文章を書くこと自体は大した苦痛ではなかった。むしろ小説を書くよりも楽しくさえ思った。ただし毎日毎日更新しては怪しまれるだろうし、あまりに私生活に影響を及ぼしても宜しくない、大体週に三回を目安にブログを書いた。刺激のなく、半ば死んでいた私の人生が、徐々に輝きを獲得していくのを、実感していた。

 その日も私は尾行をしようと、隣の部屋のドアが開く音を聞いてきっかり二分置いて部屋を出た。彼女の行き先や行動パターンはすでに把握していたので、あまり急いで付け回る必要性もなかったのだ。

 すると珍しいことに、隣の隣、二○六号室の住人と出くわした。そこに若い女が住んでいることはなんとなく知ってはいたが、特に話したこともなければ、顔も名前もまともに知らなかった。どちらかというとふくよかな体型で、お世辞にも美人とはいえない。ましてや新塚幸子を毎日見ている私の目だ。常人よりも判断基準は厳しくなっているのだろう。

 彼女は階段のほうを向いていたが、私が鍵を回している音に気付いて、こちらに向いた。

「おはようございます」

「あ、おはようございます」

 基本的に人見知りであることに変わりはない。会釈だけで済まそうとしていたら挨拶をされたので、どうにもぎこちなく返事をした。

 彼女はしかし、挨拶を済ませても特に歩き出す気配がない。私が不審に思っていると、

「新塚さんって綺麗ですよねー」

 のほほんとそんなことを言ってきた。

「え、ええ」

「私こんなんでしょう?」と自分の体型を見下ろす。「ああいう風にスリムで顔立ちもよくて性格もいいなんて、憧れます」

 私は新塚幸子に関して他人と客観的に話をしたことがなかった。だから、第三者からしても美人に違いないのかと思うと、どこか嬉しく思った。もちろん新塚幸子は私のものなどではないし、こう喜ぶこと自体お門違いなのだろうが。同一化している部分が、そのような歓喜を呼び寄せたのだろうか。

「そんなことないですよ、あなたも、えっと」

「木村です」微苦笑を漏らしながら名乗った彼女は、ほらね、やっぱり私なんて名前すら覚えてもらえない、とでも言っているかのような悲壮感に満ちていた。「すみませんお引止めして。それでは、また」

 そうして去っていくのだ。

 私のような単純な男たちはともかく、同性の木村などからすると、新塚幸子の存在というのは嫌でも劣等感を覚えさせる生き物になる。それが隣に住んでいるというのは、やはり、あまり心地のいいものでもないのだろうか。

 思わず考え込んでしまったが、そんなことはどうでもいい。私は遅れた分を取り戻すように、早足になって駅に向かった。

 その日の新塚幸子は、予想外に、会社に行かなかったらしい。昼休みの時間(すっかり覚えてしまった)になっても一向に出てこなかったため、客を装って彼女の勤め先(正確に言うなればこのビルに入っているテナント全て)に電話を入れてみたが、新塚は本日体調不良で休んでいますと返されるのみだ。

 では一体新塚幸子はどこに行ったのか。

 私にそれを知るすべはない。

 一時半を回ったころか、一人とぼとぼとアパートに戻り、階段を上りながら木村のことを見当違いに恨んでいると、なんと、上りきった先に新塚幸子が居た。私は思わず驚いて、頓狂な声を漏らしてしまった。彼女がこちらを向く。

「ああ、水野さん」

 少なからず、体調不良ではなさそうだ。

「こんにちは。あれ、仕事は?」

「朝、家を出たんですけど、今日はずる休みです」えへへ、と笑う顔がまた、可愛らしい。「DVDを借りて帰ってきちゃいました」

「それはまた……、何を借りたの?」

 そこで彼女は、有名な「どんでん返し系」の作品を挙げた。

「いい趣味だね」

「そういえば水野さんって小説をお書きになるんですよね?」このあたりは調査中に提供した情報である。「ミステリー。となると、この映画とかはもうチェック済みですか?」

「いや、まだだよ」

「よかったら一緒に見ませんか?」

 私のこのときの幸福感は、とても形容できない。そのまま燃えてひどい火傷に喘いで死んでしまうのではないかと思われるほど、顔が熱くなった。

 とはいえ、私の恋愛は、陰湿なものなのだ。増殖し続ける妄想とは裏腹に、口では断りを入れていた。天邪鬼もここまでくると表彰ものと言ってもいい。

「ちょっとね、狙ってる新人賞の応募がそろそろ締め切りなんだ。何とか仕上げないといけなくて……。よかったら感想だけ教えてくれないかな」

「そっかー、残念です。では見終わったら、また」

 彼女は部屋に戻った。

 どうしてどうして、私はこのとき素直に誘いを受けなかったのだろう。今までの屈折した恋愛事情が、もうまともな恋愛の出来ない身体にしてしまったのだろうか。

 私のこの思いがどこに向かうかといえば、彼女に成りすましているブログへだった。あまりタイムラグを置かずに投稿しては成りすましの犯人が特定されやすくなる。便利なことに時間指定を行えるサイトだったので、今から四時間後に反映されるように入力してから、ブログを書いた。

「今日は衝動で仕事を休んでしまいました。皆さんもこんな日、ありますよね。それで、前から気になっていたDVDを借りました。あのひとと見たいな」

 願望が入り気味なのは、目を閉じていただきたい。映画のタイトルを入れてしまうか迷ったが、それこそ特定に繋がりかねない。最後の一文もきわどいが、このぐらいならばれるほどではないだろう。

 しかしこの日記が、正確に言えばこの日記に付いたコメントが、後に起こる展開の始まりになった。

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