一
「今日は仕事がお休みだったから渋谷に行きました。そこで少し洋服とか靴とかを見てたんだけど、そしたら店員さんにじろじろ見られて……。なんだか私のことを品定めしてるみたいで嫌な感じでした。その後カフェに行って、三十分くらい読書をしてから、電車に揺られて帰宅。今日も疲れました」
文章を書き終え「投稿」ボタンを押すと、一瞬の読み込み時間の後に、記事の投稿が完了される。私は一仕事やり終えたかのような満足感を得て、ほっと息を吐いた。
パソコンを閉じて、デスクから立ち上がる。本来書斎として使っている部屋を抜けてキッチンに向かう。冷蔵庫から冷えた缶コーラを取り出して、ぐいと一口飲んだ。換気扇を回し、その下で煙草を吹かす。
人生の喜びとはすなわち、刺激の連続である。逆に言えば、刺激がなければ人生など無味乾燥、無色透明。同じ毎日を繰り返し、同じ人物に会い、同じような言葉を交わすだけの人生に、価値はない。身体も精神も、堕落してしまってはそこで終わりだ。
同級生たちはすっかり社会的地位を獲得している頃だろうか。一月前、そんなネガティブな思いに陥った。三十手前にもなって毎日毎日パソコンとにらめっこ。一応仕事はしているものの、正社員ではない。学生アルバイトたちの中に一人交じり合えない年齢で、自分ただ一人のための生活費を稼ぐ。よくて二次選考止まりの小説を、こつこつと書いては出版社をえり好みして送る。ここまできて、もはや妥協は許されないのだという強迫観念にも似た思いに押しつぶされそうになりながら、毎日、毎日、ルーティンをこなす。
刺激が足りない、と思うのは、当然のことだろう。私はそうした鬱屈した日々の中で、死ぬか、派手に死ぬかの二つをよく考えるようにすらなった。このまま生きていて一体何になるというのか。そんなもの、分かりきっている。何にもならない。ならば、死んだほうがいい。いっそ、華々しく。
一度思い込んでしまうと、すっかりその考えに飲み込まれてしまった。いけない、とも、やっぱり生きよう、とも思わなかった。どうやって死ぬか、その一点を考えるばかりになり、仕事も、小説も、手につかなくなった。
ほんの一月前。
それが、今はどうだ。こんなに気持ちのいい日々を、同じ人間が過ごしているとは到底誰にも想像できまい。私は今、生を感じている。感じることが出来る。
そうさせてくれたのは、ほかならぬ隣人である。
隣人は先月中ごろにこのアパートに引っ越してきた。私は仕事帰りの疲労感で家路を歩いていたのだが、目的地に引越し業者のトラックが停まっていたので、そういえば今は春か、と思ったのを覚えている。例年春には近隣の大学の新入生や、新社会人たちが、それまで住んでいたものたちと入れ替わって暮らし始める。いつの間にかそんな季節になったのかと、思ったのだ。
二階建てアパート、外付けの階段をテクテク上っていくと、驚いたことに新しい入居者は我が根城の隣に越してきたらしい。私はそれまでの隣人がすでに越していたことすら知らなかったものだから、本当に愚かなくらいひどく狼狽した。青い作業着を着た若者たちが、ひっきりなしに出たり入ったりを繰り返している。私の部屋のほうが奥に当たるので、もしかするとこのタイミングで挨拶をされるかもしれない、そう思って緊張すると、案の定、ひょっこりと玄関口から顔を出した新しい家主と、目が合った。
私のそのときの鼓動の高鳴りを、どう説明すればいいか分からない。二十八年、恋人の一人や二人は居たものの、決して豊かな人生ではなかった。神様のお情けなのか、それとも何か悪いドッキリでも仕掛けられているのかと勘ぐりさえした。
これが一目惚れというやつか。
新たな隣人は、形容しがたく、美しかったのだ。
一度視線を逸らし、また向けると、今度はにこりと微笑まれる。堪らない。こんな清らかな視線に、この薄汚い自分が、耐えうるはずもない。だが、相手は容赦せずにこちらに近づいてくる。
「もしかして二○八号室の方ですか?」私が俯きながら頷くと、「新塚幸子と申します。よろしくお願いします」
「お、お願いします」
ふがいない気持ちだった。私のような人間に対しても分け隔てなく接してくれているのに、こんな対応はなかろう。元来卑屈な私にとってこうした愚直なまでの丁寧さは、さながら毒のようで、自分が小さく見えてとても苦手だった。
会釈を一つして、さっさと自分の棲家へ戻ろうとすると、あの、と引き止められた。私は振り返るのも出来ない。
「お名前はなんとおっしゃるんですか?」
すっかり失念していた。名乗られたら、名乗るのが礼儀というものだ。小学生でも分かる。新塚幸子の美しさに、頭が腐ったらしい。この二十八年が全くなかったかのような心地さえする。
「水野、です。水野巧、です」
スマートな回答を脳内ではすらすらといえるのに、現実なんてこんなものだ。これこそ、同じ人間にばかり会っていることにより起こる現代病と言ってもいいのではなかろうか。要するに人見知りだといわれればそれまでだが。
新塚幸子はまた、にこりと笑うと、
「お引止めしてすみません」
「いえ。それでは」
息が詰まる思いとはこれか。
部屋に戻って、靴脱ぎにそのまま倒れこんでしまった。
絵の具だ。絵の具が一滴落ちただけ。私の無色の人生に、ぽとりと。それだけの話だ。
ただ、私が水のような流動性を持てば、波紋となり、色は広がる。今までもそうではなかったか。人生など全て私次第なのだ。
これが人生の、春か。
年甲斐にもなく浮かれている自分に気付いて、急に恥ずかしくなって煙草を吹かした。これから、人生が楽しくなるのかもしれない。つい一時間前にはどうやって死ぬかを考えていたのが嘘みたいに、綺麗さっぱり思考が転換した。生きたい。新塚幸子と、生きてみたい。その強い思いが、私の頭を支配した。
私はむくりと起き上がると、リュックも、途中で買ってきた煙草と缶コーラの入ったコンビニ袋もそのままに、そっとドアに耳を添える。外でがやがやと男の声が上がっているのが聞こえる。その合間を縫うように、新塚幸子の透き通ったような優しい声音が、私の耳に染み込んでくる。何を言っているのだろうか。もっと近くで聞きたい。それこそ、耳にそっと唇を添えて、私だけに、その声を聞かせてほしい。
俄然やる気が出た。男とは通常、この程度単純な生き物なのだ。もやもやと考えているなど時間の無駄。とにかくやるしかないのだから。
パソコンに向かい、勢いに任せて短編小説を一本書き上げたが、とてもどこかに送れるような代物ではない。思考が先行しすぎて、描写がほとんどない。恥ずかしい台詞ばかり羅列されている。そもそも私はミステリー作家を目指しているはずなのに、なぜこのような甘酸っぱい話を書いているのだと、ようやく冷静になってから、放ったままだった缶コーラに口をつけた。
冷静になったとはいえ、頭の中は依然新塚幸子一色だった。初めての経験だったが、一目惚れというのは恐ろしい。どうやったらお近づきになれるのだろうか(物質的には壁一枚の空間に居るのだが)、どうやったらもっと話せるのだろうか。彼女の趣味は。本は読むだろうか。ミステリーは。もしかしたらそこに糸口があるだろうか。そんなことばかり考えていた。
私はこのとき、初恋に悩む中学生くらいには純粋だった。今思えば、ここで深く考え、そして正攻法で攻めていれば、また違った道筋をたどっていたのかもしれない。
もちろん、後でどのように思おうが、過去に干渉などできない。これからどうするか、という選択の連続が、人生なのだ。