第6話 蒼穹のソラ
「カーレン、箱舟の準備はどうか?」
「はい、万事順調に進んでいます」
玉座に座った男が尋ねると、カーレンは跪いてそう答えた。
暗いコンソールの明かりだけが周囲を照らす部屋で、男はその様を満足げに眺めている。
「後は王、御自らが『刻の箱舟』の起動指示を出されれば、刻の箱舟はマナを吸収し5千年前の過去に飛ぶ事が出来ます」
「ふむ、流石カーレン。我が右腕よ」
王と呼ばれた男はそう言うと、カーレンの細い顎を手でクイと上げ水晶のように透き通った美しい瞳を見つめた。
まるで瞳の奥に隠した本心を窺うように、ジィと黙って数秒程見続けたあと、急にその手を彼女の豊満な乳房へと伸ばしたのだ。
ピクリ
その一瞬、一瞬だけカーレンの体が身じろぎ、そしてすぐにまた微動だにしなくなった。それからも王はカーレンの瞳を見据えながら乳房を揉みしだいている。
その間、カーレンは顔色一つ変えず王に成されるがままとなっていた。反応を示したのは最初のほんの一瞬のみ。王はつまらなそうに手を離した。
「時が惜しい。さっさと箱舟へと参ろうか、カーレン」
「御意」
カーレンは王を嫌っていた。だが洗脳を受けている彼女は王に逆らう事は出来ない。
それは魔神となった今も変わらず、五千年経ってもその呪縛から解き放たれる事は無かったのだ。
汚された顎と胸を気にしながら、カーレンはそれを手で拭う事さえ出来なかった。
「そう、私は何度も繰り返してきた。この戦いを。タクトと出逢い、旅し、別れるまでの時間を。ずっと……」
それは五人にとっては残酷な知らせだった。
何故なら、ソラリアの発言は即ち『五人が敗北する未来』を意味しているのだから。
「それが私の知る記憶の全てなんだ。この、まるでエンドレスワルツ(終わりの無い円舞曲)のような時間だけが、私の全てなんだ」
五人は衝撃の事実に唖然とした。
アクシズ三姉妹を倒した。あの三人は最強の魔神ではなかったのか?それともこの後、千体の魔神が起動して自分達は成す術無くやられてしまうのか?
いや、それは無い。あの千体の魔神はカーレンが、天上王が五千年前の人魔戦争の結末を変える為に使う筈なのだから。
ならば考えられる障害は――。
「我々は勝てるのか? あのカーレンと言う女に」
「……勝てない」
今度はハッキリとソラリアが結末を言った。
「何故ならカーレンもまた、自分を魔神へと改造していたからだ」
そう、ソラリアは何度と無く同じ時をやり直してきた。いや、やり直させられてきたと言った方が正確か。
カーレンは歴史の改竄をしようと黒い月の中枢装置、刻の箱舟で過去に戻ろうとしている。
そこに記憶を失ったソラリアは、カーレンの定めたプログラム通りに王の器――聖杯となる地球人であるタクトを導いてしまう。
黒い月で記憶を取り戻したソラリアは世界と引き換えに自分の望みを叶えようとするカーレンの野望を阻止する為戦い、そしてその戦いの末、カーレンに負けてタクトも死なせてしまう。
しかし歴史の改竄などこの世界の神が許す筈も無く、原初の大神である時の神によって時の箱舟は上手く起動せず、ソラリアだけが過去に飛ばされるのだ。
そうして何度も繰り返してきた戦い……戦いだけがソラリアの記憶だった。
「全ての魔神には生まれつき戦闘ランクが定められている。私やミィレスはフェイズ3、それより新型のアクシズ三姉妹はフェイズ4。通常、下位の魔神が上位フェイズの機種に勝つ事はありえない」
だがそんな記憶の中で、ソラリアの心を支えるものがタクトと仲間達だった。
「だが私はアクシズ三姉妹の性能を知っていた。武装、性格、戦闘プログラム……フェイズ3の私がフェイズ4のヒュントに勝てたのは、戦闘経験の差があるからなんだ。だが博士は……」
タクトとの出逢いはプログラムされていたものだった。仕組まれた運命、だがタクトと仲間達と過ごした日々は偽りではない。
苦しくも楽しかった日々だけは、決して偽者ではない、ソラリアだけの物だ。
「カーレン博士は寿命で死ぬ前に自分自身を魔神に改造している。彼女自身が彼女の最高傑作なんだ。その戦闘ランクはフェイズ5……史上唯一のフェイズ5の魔神。勝つ事は不可能だ」
彼女は何度でも挑む。
「だがそれでも行かせてくれ。永遠の時に囚われ、戦いの運命に支配された私でも、戦う理由だけは自分のモノでありたいんだ」
例え結果が判っていようとも、何度だって運命に抗うのだ。
「私の名前ソラリアとは、自由を意味する言葉なのだから」
全ての秘密を話し、ソラリアは心が軽くなったように感じた。
タクトを目の前にすればきっと自分は正気ではいられないだろう。だが今だけは、五人の仲間達と共に力の限り戦おうと思えた。
偽りの気持ちでも良い。騙したと蔑まれても構わない。例えこの先に何が待っていようとも、ソラリアは最後まで戦い抜くと心に誓った。
「ソラリア――っ!?」
「な、何この揺れ!?」
その時、巨大な黒い月で地震のような揺れが起こった。
「まさか、もう始まったのか? 時間跳躍の準備が」
【そのまさかみたい】
世界に遍く存在する精霊エネルギー・マナの力は莫大だ。途方も無いエネルギーはこの巨大な建造物でさえいとも容易く動かす事が出来る。
それを操り利用すれば、時空に穴を開けて過去の世界に『ゲート』を開く事だって可能なのだ。
「くっ、こうしてはいられない! 早くカーレンの、タクトの所に行かなければ!」
「ソラリア! 一人じゃ無茶だ!」
「ソラリン! 待ってソラリン!」
こうなっては最早一刻の猶予も無い。時空間転移装置『刻の箱舟』が起動したと言う事はつまり――。
ソラリアは祈るように黒い月の通路を駆けた。
暗い通路を抜け再び開けたホールに出た。通路はそのままホールの中心を貫くように奥へと伸びていて、その奥にはカーレンのラボがあった。
更にそのラボから上った先にあるのが中央管制室。黒い月の中枢、時空転移装置『刻の箱舟』のコントロールブロックだった。
「タクトっ!」
「……」
そのコントロールブロックの中央に腰掛ける一人の人物にソラリアは声をかけた。
返事は無い。ただ冷たい視線が帰ってくるばかりだ。
嫌な予感がした。恐い想像もした。それでもソラリアは心に渦巻く不安を振り払って、希望を信じて声をかける。
「私だ! ソラリアだ! 返事をしてくれ、タクト!! タクトっ!!」
「タクトとは……この体の元の持ち主の名か?」
「っ!?」
タクトの姿をした者から発せられた言葉にソラリアは氷りつく。
(タクトの声じゃない)
正確には声は同じだった。だが喋り方、空気、態度、全てがタクトとは違った。だから別人の声のように感じたのだ。
いや、別人のようにではなく別人なのだが。
「それならばもう無駄ぞ。下賎の者の脆弱なる魂は、この高貴なる我が御魂を以って全て塗りつぶしてしまった故な」
「演技じゃない……どう言う事だ? こいつは一体何者なんだ?」
後から追いついてきたエルがソラリアに尋ねる。だがソラリアはとても返事を返せる状態ではない。
間に合わなかった。
これが今回の結末。ソラリアが戦って辿り着いた結末だったのだから。今、ソラリアの希望は無残にも崩れ落ちたのだ。
「我は天上の王ベルクラント=ミスティス。この世界、いや、全ての世界を統べる王なるぞ」
「陛下の御前である。皆の者、頭が高い。控えなさい」
天上王の玉座の後ろから姿を現したカーレンを見て、呆けていたソラリアは突然覚醒したようにカーレンに向かって怒りを顕にした。
「貴っ様ーーー! カーレン! タクトに何をした!」
「彼には天上王復活の聖杯となってもらいました」
「聖杯っ!?」
初めて見る本気で起こったソラリアの剣幕にシエラやエル、聖騎士達でさえも一瞬たじろいでしまった。
しかしその怒りを向けられているカーレンはと言うと、まるで怯える表情も見せずに、淡々と説明をこなすだけだ。
カーレンはフェイズ5。圧倒的強さを誇る故の余裕だろうか。だがソラリアは今そんな事は関係なかった。
彼女は知っていた。今まで刻の箱舟を起動させる為にカーレンはタクトを使って天上王を復活させてきたのだ。それはタクトと言う存在を消して、上から天上王ベルクラント=ミスティスを上書きすると言う事。
タクトと言う人格、記憶は、それによって完全に消されてしまうのだ。つまりカーレンによってタクトはもう、殺されてしまったも同然なのだ。
「記憶と人格のインストールですよ。遺伝子単位で適合係数の高い地球人の脳に、天上王ミスティス様の魂を上書きしたのです」
「なっーー」
ストレンジャーの持ち帰った情報にそこまでの情報は無かった。
一同が驚きを禁じえない中、ソラリアは改めて自分が間に合わなかった事を認識して、絶望の淵に立たされたのだった。
「尤も、その為には精神的に弱っている状態である事が条件だったので多少小細工が必要でしたがね」
「諦めない」「信じる」ミィレスにそう言ったソラリアだったが、現実に明確な絶望を突きつけられて、もう強がるのは限界だった。
それでも縋りたい。嘘であってほしいと、心が訴えかけるから声が出る。
「タクト……嘘だろう? お前が消えてしまったなんて、そんなの嘘だと言ってくれ。タクトっ」
「そちがアクシズ三姉妹をも退けたと言う魔神か? 今宵は余が再び目覚めた目出度い日だ。許す」
あぁ、全ては今終わったのだ。
ソラリアの戦いは今、敗北と言う形で幕を閉じた。
「恩赦と言うやつだ。ありがたく受けよ。そして今後も、その調子で余の覇業に尽力せよ」
一度はみんなの為に、仲間の為に最後まで戦おうと心に誓ったソラリアだが、彼女にとっての最後が来てしまった今戦いを支える物は何一つ残っては居ない。
希望がほしい。例え偽りの希望であっても。
信じたいではなく縋りたい。今のソラリアはそんな気持ちで一杯だった。
「こんなのお兄ちゃんじゃない……お兄ちゃんは、もう」
「残念だがソラリア、もう戦うしかないぞ。こいつはもうタクトじゃない」
「ストレンジャーの情報によると装置の起動キーは天上王……今すぐこいつを殺ればまだ間に合――」
「待ってくれ!」
戦闘体勢に入る一同の前にソラリアが割って入った。
「ま、まだ完全にタクトが消えてなくなったと決めつけるには早いじゃないか! そうだ、まだ何か方法が、可能性があるかもしれないじゃないか!」
「……」
身勝手と言えばそれまでだが、短い間でも共に旅をして、幾度も苦難を共にしてきたエルとシエラにはソラリアの気持ちが理解できた。
もうダメと分かっていても、現に目の前にタクトの姿があれば「もしかしたら」と思ってしまうのも無理からぬ話だからだ。
人は――死んだとわかっているのに心のどこかで、故人が今もどこかで幸せに暮らしてくれていればと願ってしまう動物だから。
「どうしたみんな? どうして誰もうんと言ってくれないの? まだ可能性が」
そこでアルトメリアがソラリアの肩を叩いた。
続いてストレンジャーがおずおずと、でもはっきりとソラリアの目の前に突きつけるようにフリップを出す。
【仮に方法があったとしても間に合わない】
それは誰の目にも明らかな事だった。
正気を失っているソラリアにだけ見えていない事だった。
だから敢えて教えたのだ。いくらタクトが、ソラリアが可哀想であっても聖騎士三人もエルもシエラも退く事は出来ない。ならばせめて覚悟だけはさせてやった方が良い。
もしかしたらこれでソラリアが錯乱して自分達を止めようと攻撃してくるかもしれなかったが、これがせめてもの二人の犠牲者への責任の取り方だと三人は判断した上での行動だった。
「私達はシエラを、世界を守る義務があるわ。あんたは何の為に戦うの? ソラリア」
カイラの問いかけ。
しかしソラリアは答える事が出来ない。
「私の……私の戦う理由は……理由は」
そう、答えられる訳がないのだ。
ソラリアはもうとっくに戦う理由を失っているのだから。
「まとめて片付けましょうか?」
「いや、余興だ。このまま放っておけ」
カーレンの問いに天上王はニヤニヤと笑いながら答えた。
敵、とすら思っていない。ムシケラのイザコザを眺める下卑た感情からの行動だ。
カーレンはそんな天上王に少しだけ眉根をひそませた。
「タクト殿には悪いが生身の天上王を狙わせてもらう」
「ストレンジャー、カーレンの動きを一瞬でも止められる?」
【やってみる】
ソラリアはみんなの為に例え何があっても戦うと決意していたつもりだった。
だがシエラ達は分かっていたのだ。
もしタクトがダメだった場合、ソラリアは戦えなくなるだろう事を。
ここは自分達の世界だ。自分達だけでもどうにかしなければならない。初めからその決意を以って一同はここに来たのだから。
「話し合いは済んだか? ふん、仲間割れが見られるかと思ったが残念だ。カーレン」
「はい」
天上王がカーレンに命じた。
最強最後の魔神が動く。
正々堂々戦えば勝ち目は無い。先の先を取り一気に片を付けるしか道は無い。
始めから五人の腹は決まっていた。躊躇無く一気に攻め立てる。
「今だ!」
【アンチマシンプログラム起動】
ストレンジャーがアクシズ三姉妹に使ったのと同じシステムジャックを仕掛けた。
正直これが効かなければ全て終わりと思っていた一同だったが、天は五人に味方したようだ。
「うっ!? 体が――」
カーレンの動きが止まる。プログラムが効いているのだ。
今こそ勝機と四人は一斉に座した天上王目掛けて攻撃を飛ばす。カーレンには勝てなくても要は天上王を倒してしまえば時間跳躍は阻止できる。世界のマナも消費されずに済む。
『喰らえーーー!!』
「やめてー!」
ソラリアの悲痛な叫びが響き渡る。
そして起こる大爆発。ウィンザード姉妹の精霊魔法、エルの炸裂筒付き弓矢、アルトメリアの投剣。それら全が一斉に天上王へと降り注いだ。
これでは生身の人間などひとたまりも無い。一同が勝利を確信した時……。
「やったか!?」
「面白い。ケダモノ共にしてはよくやる」
土煙が晴れた先に居たのは、玉座に座ったまま傷一つない天上王だった。
「なっ」
「どうして!?」
まさかカーレンが動いたのか?一瞬そう思いカーレンの方を見ると、動けないまま余裕の笑みでシエラ達を見るカーレンの姿。
ならば何故?まさか天上王も魔神になっていたのか?それでも全くの無傷、汚れ一つ無いのはおかしい。
状況が理解できずうろたえる一同の耳に、天上王の高笑いが響いた。
「無知蒙昧な蛮族共に教えてやる。貴様らと余の間には強化テクタイトの壁が張ってあるのだ。故に貴様らの攻撃は全てそこで阻まれた」
「ホントだ! 透明の見えない壁みたいなのがあるよ」
「くそっ、卑怯だぞ! こっちに出て来い!」
「ふん、よく吠えるケダモノ共だ。カーレン」
「はい……!」
王の命令でカーレンがアンチプログラムの呪縛を力ずくで解こうとしている。
カーレンに動かれたら作戦は失敗に終わる。最早一刻の猶予も無いのだが、あれだけの攻撃を受けて傷一つつかない壁をどうやって突破すれば良いのか……。
「まずい! 魔神カーレンが動くぞ!」
「なめるなぁ!」
カイラが吠えた。
精神を集中し羽を広げ舞い踊る。すると――。
「何っ? この風はまさか!?」
壁の向こう側で空気が動き始めた。やがて精霊が力を使った際に発生する精霊力の光が辺りに発生し、やがて風は渦を巻き、爆発的変化の兆しを見せ始める。
「大地に遍く精霊よ! 我が呼びかけに応え給え!」
「精霊はあらゆる場所に偏在している。そうか、君にはこんなガラスの壁無意味だったね」
精霊術師としてより深い所、アストラルサイドで精霊と繋がった者は遠隔地の精霊にも祝詞や舞を届け願いを聞いてもらう事が可能だと言う。
今カイラが行っている事がまさにそれであった。カーレンは魔神だから周囲の精霊力を吸収してしまうので通じないが、生身の天上王にならば可能だったのだ。テンペスターの名は伊達ではない。
「やっぱり待って! タクトが、タクトがぁ!」
「何をしているカーレン! 余を守れ! えぇい、こうなったら――箱舟起動」
天上王が始めて玉座から腰を上げた。
事ここに至ってようやく危機感を覚えたのだろう。だがもう間に合わない。カーレンが動くより先に、天上王が逃げるより先に、カイラの精霊魔法テンペストの嵐が天上王を襲った。
「テンペスト!!」
「ぐわぁぁぁぁああああああああああ!!!!」
「タクトーーー!!」
ソラリアの目の前で天上王が、タクトの体が真空刃によって切り刻まれてゆく。
そして上昇気流に煽られ木の葉のように舞い上がった体は天上に激突し、制御ユニットのコンソールへと落下する。
「あぁ……あああぁ……」
タクトの体が当たり砕けたモニターのガラス片が乾いた音を立てて地面へと降り注いだ。そして天上王はそのまま不自然な体勢でコンソールからずり落ち、床に倒れ伏す。
ピクリとも動かない。ズタボロになりこれだけの衝撃を体に受けたのだ。心肺が停止しただろう事は誰もが予想できた。
一同が固唾を呑んで見守る中、ガラスが砕け散る音が聞こえた。ソラリアが鍵の剣で強化テクタイトの壁を破ったのだ。
「あぁ……タクト……タクト……あぁ」
ソラリアがタクトに駆け寄る。息は……無い。脈は……無い。完全に心肺停止状態だ。ソラリアが急いで心臓マッサージと人工呼吸を始めるが、その姿はあまりに痛々しく周囲の目に映った。
終わったのだ。何もかも、今ここで。
一同が悲しみと共にそう安堵した瞬間、薄暗かった周囲が急に光に包まれた。制御コンソールが一斉に起動した光だ。
空中に映し出される幾つもの情報。文字、図解、動画、周囲の光景。それと共に揺れ動き始める足場に、シエラ達は驚愕の声を上げる。
「っ!? なんだこの振動は?」
「一体何が起こってるの!?」
【まさか装置の中枢が起動したんじゃ】
「そのまさかですよ」
間に合わなかったのか――そんな予感の中、カーレンがバイザーに隠された表情を愉悦に歪ませながら口を開いた。
「黒い月の中枢『刻の箱舟』は王の命令で起動しました。これでもう私にも扱う事が出来ます」
語られる衝撃の事実。
あぁ、何と言う悲劇。何と言う皮肉な運命。結局、物語の結末は変えられないと言うのか。
ソラリアはタクトを守れずに、刻の箱舟に巻き込まれ記憶を失い過去に飛ばされる。そうして何度も同じ結末を繰り返すのだ。
それが刻の牢獄に捕らわれたソラリアと言う名の機械少女の宿命。
「私は魔神故、王に逆らえません。しかし私の目的の為には王は邪魔だった……その為に、わざわざセキュリティを解いて貴女をシステムに侵入させたのですよ? 蟲人の女」
精霊力・魔素を失った世界はどうなってしまうのか?
精霊の力が失われ自然界の秩序は保たれるのか?精霊と共に生きてきた人々は一体どうやって生活して行けば良いのか?想像もつかない艱難辛苦が待ち構えている事は明らかだ。
作戦は失敗した。これで世界は再び混乱の坩堝へと回帰してゆく事となる。聖騎士達は任務を失敗したのだ。
「王は世界支配が目的でしたが私の目的は違う。私の目的はあくまで過去に戻って全てをやり直す事……ありがとうございます。皆さんのおかげで望みにまた一歩近づきました」
「王の打倒までカーレン、お前の計画だったと言うのか?」
「その為に娘と呼んでたアクシズ三姉妹まで……? そんなの酷いよ……酷すぎるよ……」
「フフフ……」
エルとシエラが膝を付き絶望に暮れる。大切な仲間を、タクトとソラリアを失ってまで決意した戦いの結末がこれでは、一体何の為に戦ったのか……。
虚しさだけが残る中、それでも諦めない者達が居た。
「お喜びの所悪いが、私達の目的は君の野望の阻止なんでね」
【時間跳躍の前に、黒い月を落として魔神全てを封印するよ】
「あたしも、この世界を壊させるわけには行かないのよね」
アルトメリアが、ストレンジャーが、カイラがカーレンの前に立ちふさがった。
勝算などない。残された力も無い。だがこのままここで諦める事だけは出来なかった。全てを終わらせない為に、限りなく低い可能性でもそれに賭けて戦うしかないのだ。
「……何か出来るつもりですか? 貴女達ごときに」
「聖騎士を舐めるなよ!」
アルトメリアがそう叫び、折れた剣を拾ってカーレンに突撃した。
その剣を素手で軽々と受け止めるカーレン。剣を止められアルトメリアが剣を放して下がった後ろで、ストレンジャーとカイラは既に動いていた。
「ストレンジャー、コンソールに行け! カイラ! もう一度テンペストだ!」
「大地に遍く精霊よ! 我が呼びかけに応え給え! テンペスト!!」
ストレンジャーの動きを追おうとしたカーレンを真空刃=カマイタチを伴った竜巻が襲った。
小規模ながら最大風速50mクラスの風が発生する中、カーレンは鉄板の床を踏み抜いて足を固定し微動だにしない。
巨大なバイザーに隠れた目がストレンジャーを追う。そうしてもうすぐストレンジャーがコンソールに到着すると言う時、カーレンが笑った。
「フフフ、もう一度ハッキングするするつもりですか? 悪あがきを」
「っ!?」
次の瞬間、アルトメリア達三人は気がつくと壁まで吹き飛ばされていた。
『きゃあああああああああ!!』
一体何をされたのか、誰一人として理解できなかった。
衝撃と爆発が起こった事は分かった。だがカーレンが何かした所を誰も見ては居ないのだ。
「全て無駄です」
三人は全く同じタイミングで同時に壁まで吹き飛ばされていた。これが最強魔神カーレンの実力だと言うのか。
一同を再び絶望が覆う中、カーレンは今だ戻らないタクトの救命活動を続けているソラリアに話しかける。
「ソラリア」
「タクト! タクトぉ! 戻って来て! タクトぉ!!」
ソラリアは何度も何度も、祈るようにして心肺蘇生術を続けている。だがタクトは戻らない。
ソラリアは涙を流す事は出来ないが、その顔は今にも泣き出しそうな顔で、シエラとエルは胸を突かれるような思いがした。
「その地球人、確かタクトと言いましたか? その男……生き返したくありませんか?」
『!?』
ソラリアの動きが止まった。
そしてチラリとカーレンの方を見返し、また心肺蘇生法に戻る。
「この『刻の箱舟』は過去に戻る事が出来る装置です。記憶と魂を過去の自分へと送る事が出来る、言わば時空間転移装置なのです」
カーレンは構わず話を続ける。
彼女にとって消耗しきった聖騎士三人など物の数ではなかった。シエラとエルも恐れるに足らない。
僅かでも不安が残るとしたらそれはただ一人、ソラリアだけだった。
「もう一度……記憶を失わずに、やり直したくありませんか?」
刻の箱舟は今時空間跳躍の為に準備を進めている。その準備にはもう少し時間がかかると言う事だ。
異世界への扉を開いた十一の神――その奇跡に小規模ながら近い奇跡を起こそうと言うのだ。世界中を犠牲にする程の、膨大なエネルギーが必要となるのは必定である。
「奴の口車に乗るな! ソラリア!」
「ソラリンごめんね。でも……でも……」
刻の箱舟が精霊力・魔素をチャージするのにどれくらいの時間を要するのか、それは分からない。
だがそのエネルギーがチャージし終わるまでが残された時間となる。魔素と奇跡の変換は不可逆的な反応だ。一度奇跡を起こすのに消費されれば戻らない。
「タクト……私……」
今カーレンの野望を阻止できる可能性を持つ者はソラリアだけなのだ。そう、ソラリアだけ……。
「あなたはタクトさんを連れて地球に逃げれば良いのです。それだけで簡単に、あなたの望む未来が手に入るのですよ?」
そのソラリアに邪魔されない為、カーレンの甘言が続く。
「タクト殿を殺しておいて、こんなこと言えた義理じゃないが……頼む、助けてくれ。お願いだ」
「…………っ」
「あんた私達を見殺しにするつもり? この世界を見捨てるつもりなの? ソラリア=ソーサリー」
僅かでも不安要素があるならば排除する。例え自分の勝利が決定付けられていたとしても。それがカーレン=フォーマルハウトと言う女だった。
「わ、私は……違う、私はただ……タクトと……」
「煩い外野ですね。あちらこそ自分達の為に、貴女とタクトさんに犠牲になれと言っている事に気付かないのでしょうか?」
一時でも騙せればそれで良いのだ。時間を稼げればそれで充分。カーレンの計画は最終段階に入っていた。
「大丈夫ですよソラリア。何ならあなたが危機を皆に伝えてあげれば良いではないですか。そうすれば大勢の人が地球に逃れ、助かる事が出来る。それにイレブンズゲートによって地球のマナが異世界に供給されれば、ここが滅ぶ事はありません。何も心配要らないのです」
「そ、そうか……その通りだ。何も問題ない。大丈夫だ」
かかった。とカーレンは思った。
一同がソラリアを見守る中、ソラリアはカーレンに魅入られている。果たしてこのまま希望は潰えてしまうのか?運命は変えられないのか?
「嘘だ! その女に騙されるなソラリア!」
「ソラリン! 目を覚まして!」
「頼む、ソラリア。頼む」
「っ……!」
「全ては……終わりなの……?」
巨大なバイザーの下でカーレンがほくそ笑む。
(箱舟がエネルギーチャージを完了するまでもう少しかかります……その時間さえ稼げればソラリア、貴女などどうでも良い……フフフ)
ソラリアの揺れる心を見透かしたようにカーレンが勝利を確信した。彼女を止める者はもう誰も居ない。そう思った時……。
(タクト……わたしのせいでこんな事に巻き込んで死なせてしまった……! ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)
ソラリアの手が止まった。
ゆっくりとタクトから手を離し最後にもう一度口付けを交わした。
「ごめんなさい……タクト」
二人の最初で最後の口付けが終わった時、ソラリアは屹然と立ち上がりカーレンに向き直った。
「ソラリア?」
突然変わったソラリアの態度にカーレンが訝しげに声をあげた。
もうソラリア自分と戦う理由はない筈だ。提案を受け入れ、大人しく彼女の希望が叶う時を待つ筈だ。そう、その筈だった。
「カーレン博士。自由を奪われ、愛を奪われ、それでも失った時を取り戻そうとする貴女に、私は敬意を表します」
黒い瞳が静かに燃えてカーレンに語りかける。
黒い髪に黒い瞳。日本人の久我タクトと同じ色。そんな事さえ嬉しかった、あの日々はもう決して戻らない。
「それでも、失った時は決して戻りはしないのです。そんな事は、神様にだって出来やしないのだから」
ソラリアの運命は繰り返しの螺旋回廊。そこに未来など、希望など無い。
解っていた。解っていたのに。ソラリアはまた絶望に負けそうになってしまった。みんなを見捨てそうになってしまった。
「私が失敗する……とでも言いたいのですか」
「はい」
「箱舟の起動には王の指令が必要でした。その為に私は五千年待った。それを今更、貴女に言われて止める事が出来ますか?」
「刻の箱舟を動かせば、この世界の殆どのマナを消費し尽くしてしまう。それはこの世界の精霊を死滅させる、世界を崩壊させるに等しい事だ」
タクトはソラリアの為にここまで来てくれた。ソラリアの気持ちはタクトに通じていた。
ならばタクトの気持ちをソラリアが解らなくてどうするのか。
「それだけじゃない。この世界の時の神は歴史の改竄を許さない。矛盾する時を直そうと、歴史の修正作用が働くのです」
「その結果が、貴女だと言うのですか? ソラリア=ソーサリー」
例え百万分の一も勝ち目がない戦いでも。今まで何度も、何十回も、何百辺も繰り返してきた宿命でも。
それでも彼女は戦い続ける。タクトが好きだったソラリアは、例え自分が傷ついたって人の為に戦える強い少女なのだから。
「それでも、私は可能性を示されたのです。かつての旧神に、世界を変える方法を」
カーレンに時を越える方法を教えたのだ誰か――それは分からない。
この戦い自体その者が仕組んだ計略なのか。だがそれは最早何の意味も持たないだろう。
「例え1%でも可能性があるのなら、私はその可能性に賭けたいのです。いえ、賭けなければならない。貴女も女なら解るでしょう?」
ソラリアとカーレン。二人の対決もまた運命付けられていたものなのだから。
――何故なら、女なら何よりも愛を選ぶから――
カーレンの言葉がソラリアの心をえぐる。
自分だってそうだ。ソラリアもタクトの為に戦った。だが今はもう居ない。
共に愛する者を失った女と女。だがその選ぶ道は余りに正反対だ。
「箱舟のエネルギーチャージにはもう少し刻を要します。出来れば平和的に事を進めたかったのですが……」
カーレンが顔の半分以上を覆う巨大なバイザーを外し投げ捨てた。
その下から黄金の髪と青く澄んだ瞳が顕となる。
それは黒い髪に黒い瞳のソラリアとは対照的な、神々しいまでの美しさを放っていた。
だがその美しさはあまりに均整が取れすぎている為に、かえって人間味が薄く、作り物めいた冷たさを見る者に与えるのだ。
「仕方ありません。あなたを破壊します」
カーレンの体に転送装置から送られたバリアコートが纏われてゆく。
純白のバリアコートは戦闘服と言うよりむしろウェディングドレスの様で、戦場に似つかわしくない華やかな”衣装”だった。
目の前に光が弾け、小さな鍵が一つ空中に現出した。宝石がちりばめられた黄金の鍵。それをカーレンが首元に持ってゆくと、光の輪と共にネックレスのようにその身に纏われる。
これまでの魔神達とは打って変って美しさを基調としたようなカーレンの戦闘形態に、敵ながら一同は息を呑んだ。
戦闘準備が整ったカーレンはソラリアの真正面に相対し、まるで美しく優雅に挨拶するかのごとくこう言った。
「甲式第五種フォーマルハウト型戦術魔神 カーレン」
「丙式第三種ソーサリー型戦闘魔神 ソラリア」
二人は真正面から向かい合い名乗りあった。
真名の名乗り。それは決闘の始まりを意味する。これから始まる戦いが、最早どちらかの死でしか終わらない事を意味しているのだ。
『参る!』
今、未来を、そして世界を賭けた戦いの幕が切って落とされた。
五人はソラリアを信じていた。
ソラリアならきっと何とかしてくれる。そう、信じていた。
カーレンには自分では勝てないと言っていたが、それでも「ソラリアならもしかしたら……」と何となく思っていたのだ。
ソラリアがカーレンと戦うと言ってくれた時「あぁ、これで何とかなる」そう、思ってしまっていた。
だが現実は……。
「きゃあああ!!」
それは一瞬の出来事だった。
カーレンに攻撃を仕掛けようと回り込むように移動しようとしたソラリアの体は、何か強烈な衝撃に弾き飛ばされ、黒い月中央ホールまで吹き飛ばされ、その外縁に突き刺さっていた。
「ソラリア!」
誰の目にもそれは理解できなかった。
ソラリアが一体何をされたのか?その場から微動だもしていないカーレンが一体何をしたのか?一同は全く理解を超えた事態に、一瞬にして恐怖に包まれる。
自分の信じていた根拠の無い希望が、無残に崩れ去るのを感じながら。
「うぅ……」
「やはり性能が違いすぎるようですね。これでもまだ、続けますか?」
そんな周囲の様子など気にせず、カーレンはゆっくりと浮遊しながらソラリアの方へと向かって行く。
誰もが思った。
『止めを刺すつもりだ』
強いと思っていたソラリアが一瞬のうちに敗北した光景を目の当たりにして、絶望を禁じえない一同だったがソラリアはまだ諦めていなかった。
「私は……諦めない……」
壁にめり込んだ体を無理やり引き剥がしつつ、ソラリアはボロボロのバリアコートのまま気丈にも鍵の剣を構えた。
その姿に一度は恐怖に呑まれたエルやシエラや聖騎士達は、己の心の弱さを恥じ、自らを奮い立たせるように大声で叫ぶ。
そう、ここで諦めたら全てが終わってしまう。絶対に諦めるわけにはいかないのだ。例え限りなく可能性が低くとも五人はそれに賭ける決意をしたのだから。
「私も加勢するぞ!」
「私達もだ!」
エルが轟鉄弓を構える。
シエラがシルフィードに祈った。
アルトメリアが剣を振りかぶった。
ストレンジャーがピラニアンビーを使役した。
カイラがテンペストの祝詞の詠唱を始めた。
だが……。
「沢山仲間が出来たのですね。良かったですね、ソラリア。ですが――」
カーレンは振り向きもしなかった。
それどころか相手の位置さえ見ていない。
それなのに、カーレンの攻撃は正確に五人を打ち抜いたのだ。
『わぁぁぁぁあ!』
再び何も出来ずに無力化された五人。
限りなく0に近いと言う事は0と同じなのか?いいや、神ならぬ人が作り出した物である以上、完全無欠などあり得ない。
アクシズ三姉妹にさえ弱点が合ったのだ。絶対に攻略の糸口はある筈だ。今まで瞬殺されてきた為見つからなかったその糸口を、ソラリアは最後の力を振り絞って見つけようとしていた。
「エルさん! シエラさん! みんな!」
そしてソラリアは見た。今度は自分が止まっていたから、自分が攻撃されていなかったから見えた。
それは光の筋だった。
光がカーレンの手から放たれ、曲折して目標物に命中していたのだ。
「ですが無意味です」
『エイミングレーザー』それがカーレンの兵器の正体。
ソラリアが作られた時にはまだ研究段階だった、考えうる限り最速最強の兵器。
ミィレスと同じ光の攻撃だが、ミィレスは光速の攻撃を放つまで武器を目標物に向けなければならないタイムロスがあった。
だがこのエイミングレーザーは真空中を直進する光の性質までもネジ曲げ、ノーモーションで放った瞬間全方位どこの敵でも光速で攻撃出来る。
事実上回避不可能なこの光学兵器は、カーレンのみに装備された全魔神中最強の装備なのだ。
「つ、強すぎる……」
「神か? あいつは……」
「聖騎士が手も足も出ないとは」
「こんな事……こんな事が」
「……」
目の前で倒された五人。だが悲しいかなソラリアにはエイミングレーザーの、カーレン攻略の糸口が少しも見えなかった。
何をしようにも全て先を取られてしまう。反撃のチャンスがない。カーレンにかつ方法が思いつかない。
やはりフェイズ3ではフェイズ5には勝てないのか?
「コスト度外視で作ったこの戦闘用ボディーには亜神に匹敵する性能を持たせてあります。もう足搔くのはおよしなさい」
「それでも……それでも私は……私は……」
愛する人を失い、今また仲間達の希望も失われようとしている。それでもソラリアを支えるものは一体何なのか?
ソラリアが心のそこで燃やしている物、それは強い仲間への思い。そして無きタクトへの想い。
「……時間がありません」
しかし現実は非情だ。
カーレンの手から幾条もの流星が放たれた。そしてその流星雨がソラリアへと降り注ぐ。
「きゃあああああああああああ!!!!」
「ソラリアーーー!!」
辺りに響き渡る轟音と破壊の衝撃、閃光、埃。ソラリアが居た壁面は今や一瞬の内に粉々に破壊され、壊れた建材は瓦礫の山となって球状の空間の底に流れ落ちて行った。
いくつかのカプセルが破壊され起動前の木偶人形同然の魔神数体が瓦礫に巻き込まれて消える中、その中に見るも無残な姿と成り果てたソラリアがあった。
「あぁ……ぁ……」
左腕が肩口から無かった。右足の膝から下がおかしな方向を向いて複雑に折れ曲がっていた。左足は太ももの途中から下が千切れて人口筋肉が垂れ下がっていた。
「あぅぅ……ゥ……」
身動き一つ取れなくなったソラリアが首をギギギと持ち上げる。その顔は人工皮膚が半分剥がれ鋼鉄の骸骨が剥き出しとなり、あまりにも残酷な……。
「自己修復機能さえ破壊されたようですね。これでもう、あなたは二度と立ち上がる事は出来ない」
ソラリアはこんな状態でも懸命に動こうとしているようだったが、もう全身が破壊され上手く動かす事も出来ない。機能停止していないのが不思議なくらいだ。
殆ど失った手足をモゴモゴとバタつかせながら、虚ろな目が中空を彷徨っている。
「さぁ、船のジェネレーターがイグニッション可能なエネルギーをチャージしました。これでこの世界の歴史は変わります」
その様子を見てカーレンは自分のした事に吐き気を覚えた。
世界は残酷だ。そう、常に残酷だった。だからこの世界を捨てて新たな世界に、新天地へと旅立とうと決意した。かつて夢見た国を造ろうと想ったのだ。
「そう、こんな残酷な世界捨て去って、私と貴方だけの世界を作りましょう……パイク」
ソラリアが負けた。間に合わなかった。
全てはカーレンの思い通りとなり、世界は滅茶苦茶にされてしまう。上の通路で傷つき倒れている五人は勝利を諦めた。
『刻の箱舟』によって世界のマナは枯渇し天変地異が起こるだろう。安全な場所や食べ物や道具やエネルギーを求めて人々が争うだろう。
そうして多くの犠牲を払い、カーレンただ一人を過去に送る装置。それがこの巨大な機械だった。
ただ一人だけが失った時を取り戻して歴史をやり直す事が出来るのだ。過去をやり直す――それは誰もが夢見る事。歴史上誰も成し遂げられなかった事を、今カーレンが遂に。
「刻の箱舟、起動」
約束の言葉が紡がれる。中央ホールが変形を始めカーレンのラボと中央制御室が艦橋となる巨大な船が下から現れた。
この黒い月は魔神の砦であり、この刻の箱舟を製造、係留しておく為のドッグでもあったのだ。瓦礫ごと甲板へと流れ落ちたソラリアの周りに、周囲から落ちてきた物が溜まってゆく。
ホールの中央に渡されていた通路も今や崩れ、黒い月の下部が船の出港に向け大きく開かれようとしたその時――。
ガ コ ン !
急にその変形プロセスが止まりギチギチと嫌な音を立て始めた。
黒い月下部は中途半端に開かれた所で止まり、上部の係留用ハンガーから異音が響いているのだ。カーレンがその音の出所を見た。
「システムの故障? いや、施設には魔神と同じ自己修復機能がある筈。第一この程度の衝撃で故障など――!?」
ハンガーの綱を固定する所に銀色に輝く小さな棒のような物が見えた。
「あ、あれは……」
その棒は人工物で大きな鍵のような形をしている。
その様を下から見上げていたソラリアは、その鍵のような物体の正体に気付いた。カーレンもかつて自分が作ったその正体に気付き驚きの声をあげる。
「アストレスの鍵!? 何故あんな所に!!」
ミィレスは黒い月外部で戦っていた。シーゲルを倒す為に自爆攻撃を仕掛け、跡形も無く滅びた筈だった。
そのミィレスの武器である鍵の剣が、今何故か変形を開始した黒い月のギミックに引っかかりその進行を阻止しているのだ。
(ミィレスが……ミィレスが助けてくれた……)
ソラリアの目に再び光が戻った。
希望はあった。信じ続けていれば、必ず未来は来る。ミィレスが見たがった未来は、必ず……。
「未来は……変わるんだ……」
ソラリアは残った右腕に全力を込めて体勢を立て直した。奥から突き出てくる刻の箱舟を睨むように見つめながら。
「諦めかけた……けど……」
その時、手の下の瓦礫にある感触を感じ手を突っ込んで調べてみた。するとそこには懐かしいあの感触が。
「まだ……終わってない……私は……まだ……まだ……っ」
ミィレスの鍵の剣を除去しようと上面に飛んだカーレンがソラリアの不穏な動きに気がついたのは、その手前に来てからだった。
「ソラリア! もう動くのはおよしなさい! 奇跡は二度起きない!!」
「私はまだ! 死んでない!!」
ソラリアが瓦礫の中から自分の黄金の鍵の剣を引き抜く。
そして高く掲げられた鍵の剣を、もう一つの手が強く握り締めた。
「っ!?」
「お前は!?」
その手は切り傷だらけで血の色に汚れていた。
だがとても力強く、心強く感じられたのは、きっとその手がソラリアにとって最高の希望そのものだったから。
「戦おうソラリア」
「タ……クト?」
手の主は久我タクト、その人だった。
(そんな、あの男は仲間の手によって死んだ筈では!? 第一、あの男の記憶はインストールによって消去された筈です。なのに何故? 何故戻る事が出来たと言うのですか? 一体何故???)
カーレンは次々と起こる不測の、想定外の、理解を超えた事態の数々に混乱した。
何故死んだ筈の地球人が生きているのか。何故魂のインストールによって消えた筈の人格が戻っているのか。
何故今刻の箱舟の艦橋に来ているのか。いったい何故?
そんなカーレンの頭の片隅をある言葉が過ぎる。
(そんな……これじゃまるで……奇跡……)
「カマイタチによって出来た傷は……血が殆ど流れないし、後ですぐ治るのよ……知らなかったの? 博士さん」
呆然とするカーレンにカイラがしてやったりと言う顔で言い放った。
聖騎士三人もシエラとエルも、いつの間にかソラリアとタクトの奇跡を見て心に力を取り戻している。
「そんな事がーーーーー!!」
全て上手く行っていた筈の自分の計画が、奇跡などと言う曖昧でいい加減な要素に邪魔された。
カーレンは“奇跡の起きなかった自分の過去”を思い出し、頭を抱えて叫ぶのだった。
「声が聞こえたんだ」
傷だらけのタクトが言った。
「頑張ってるソラリアの声が、俺を呼び戻してくれたんだよ」
共にボロボロの傷だらけで見つめ合う二人は、しかし今までで一番輝いている。
「ありがとう、ソラリア」
「タクト!」
ソラリアが残った右手でタクトに抱きついた。
涙を流せない筈の魔神であるソラリアの目から大粒の涙が零れ落ちる。タクトの涙とソラリアの涙が混ざり合い一つとなって床を濡らしてゆく。その姿が美しくて、カーレンはただ眺めるしかなかった。
「こんな事、計算ではありえない……プログラム上ありえない……」
『過去に戻る方法』を旧神から教えられた時、カーレンは自分にも奇跡が起こったと思った。
その奇跡を無駄にしない為、数千年の間入念に計画を練ってと準備を整えこの日に備えて居たと言うのに……。
(まさか、愛の力だとでも言うのですか? 二人の愛が起こした奇跡だと)
カーレンの脳裏に浮かぶ5千年前の記憶。
初めて好きになった男、異世界の戦士パイク。許されない想いと解りながら恋焦がれた日々。
その為に王の意に反して改造されてしまった事。女として終わったと絶望した日。
王の傀儡として戦い、重ねた罪はあまりにも重く……引き返せなくなった事。
好きなのに戦い、本気で殺そうとした。いや、一緒に死のうと思った。
それでも助けようとしてくれたのに、心はもう諦めていて……そして……
(私の時は奇跡なんて起きなかったのに……こんな体になって、愛してなんか貰えないと思ったのに……っ)
カーレンの中に怒りとも嫉妬とも取れない、或いはその両方がない交ぜになった感情が急速に膨らむ。
何故自分じゃなかったのか?元人間の自分ではなく完全に機械のソラリアに何故神は奇跡などもたらすのか?理不尽にさえ思えるこの現状にカーレンは。
「ソラリアーーー!」
中央ホール上壁からカーレンが叫びかける。
「解っているのですか!? 貴女は機械なのですよ! 私に作られた紛い物の体と心で――魂など無いただのプログラムの存在が、本当に愛してもらえると思っているのですか!?」
それはソラリアにとって最も考えたくない事実だった。
何度も何度も考えた思い出したくない事実。それをカーレンはあからさまに突いたのだ。
「答えなさい! ソラリアーッ!!!!」
「ぅ……っ」
あまりに抜き身過ぎるその言葉がソラリアの心を深くえぐる。
ソラリアはタクトの事を信じている。信じているが、もしも万が一と考えると怖くて仕方ないのだ。
――もしもタクトが自分を愛してくれていなかったら?――
その答えがもし、もし悲しい答えだったら……それこそがソラリアにとっては命を失うよりずっともっと恐ろしい事なのだ。
ソラリアはカーレンの問いに答えられないで居ると、タクトが突然両手でソラリアを抱きしめた。
「っ!?」
驚いたのはソラリアだ。
タクトは傷口が開くのもお構い無しに、力いっぱい冷たく傷つき果てたソラリアを抱きしめたのだから。
俯いていたソラリアがタクトの顔を見上げると、タクトは真剣な顔で告白した。
「ソラリア、俺は……俺は君が機械だって知ってたよ」
それはソラリアに伝えるように、そしてカーレンの問いに答えられないソラリアに代わりカーレンに答えるように、ハッキリとした口調だった。
「いや、始めは半信半疑だったけど、だんだん確信に変わっていって……水神の神殿で君がみんなの為に死にそうになった時、俺は君が機械なんだと解った」
「タクト……」
「君の気持ちには気付いていた。今まで女の子に好かれた事なんてなかったし、凄く嬉しかった。けど……すごく不安だった。君の心がもし、ただのプログラム、偽者だったらって」
心がプログラム――偽者かもしれないと言う不安は常にソラリアも気にしていた事だった。
自分の心が作り物の偽者なら、タクトへの気持ちもまた偽者になってしまうからだ。ソラリアを支える「タクトが好き」と言う感情が否定されてしまっては、もうソラリアに立ち上がる力は無い。
だがタクトはその不安に対する答えを言った。
「けどもう良いんだ。もうそんな事問題じゃない。だって俺は、君が……君が」
タクトの瞳にはソラリアしか映っていない。ソラリアの瞳にはタクトしか映っていない。
今二人の世界には二人しか存在しないかのような、そんな時間が数秒ほど続いて、そしてついにその言葉が紡がれた。
「君の事が、世界中の誰よりも好きだから」
「……っ」
ソラリアの瞳から再び涙が零れ落ちる。
今、ソラリアの願いは全て叶ったのだ。
「認めません! 機械と人間の愛など、私は認めない! 断じてっ! 決してっ!! 認める訳には行かないのです!!」
カーレンが叫んだ。
洗脳されて機械の体に改造された時、カーレンは愛される事を、結ばれる事を諦めた。
それなのに機械でも人に愛して貰えるなど、何の為に自分はあの時諦めたのか、数千年の人生全てを否定されかねない目の前の光景に、カーレンは目的を忘れ怒り狂った。
「ソラリア! 集積火粒子砲だっ! フルパワーの集積火粒子砲で、この刻の箱舟の中枢を破壊する!」
「でも私は、もう」
「俺が支える!」
カーレンが怒りに任せてエイミングレーザーを射出し周囲を破壊した。それによって引っかかっていた銀の鍵の剣が外れ再び黒い月のドッグの変形が開始される。
もう一刻の猶予も無い。変形が完成するまで五分とかから無いだろう。それまでに止めなければならない。
「そんな事をすればタクトが――」
確かにそれが最良の策だった。
カーレンを倒す事は出来ない。だが刻の箱舟を止める事なら出来る。ソラリア達にとっての勝利はあくまで箱舟を止めて世界を守る事。カーレンを倒さなくても良いのだ。
しかしそれをするには生身のタクトではあまりに危険すぎる。危険すぎるが――。
「いえ、ごめんなさい。私はタクトを信じるから。どこまでもずっと信じるから!」
「これが俺たち二人の、初めての共同作業だぁーーー!」
タクトが支え、ソラリアが撃つ。
ソラリアは黄金の鍵の剣にエネルギーを集積させて、最後のファイナルアタックを撃つ準備をした。
タクトは見に纏った王のマントを巻き直し、ソラリアと自分を包む様に防御体勢を取った。
「しかし、それでも私はもう後戻りできないのです。あまりに多くの犠牲を払いすぎた……今ここで、立ち止まる訳には行かないのです!」
刻の箱舟をバックに取られ攻撃を躊躇していたカーレンだが、このままでは取り返しのつかない事態になりかねない。
エイミングレーザーでは威力がありすぎて刻の箱舟を破損させてしまうが仕方ない。ソラリア達を葬ってから修理すれば良いと割り切って、カーレンは必殺の一撃を放った。
「エイミングレーザー! っなに!?」
しかし必殺の一撃はソラリア達の前に現れた黒いモヤのような物に吸収された。そのモヤから目の無い不気味な魚のようなものが苦しそうに跳ね、閃光と共に爆ぜモヤが吹き飛ぶ。
「光を食って闇を吐き出す魔獣さ。こんな所で役に立つとはね」
「二人の愛、確かに聞いたわ!」
【私達が盾になるから 今の内に早く】
カイラの旋風によってソラリアとタクトの前に降り立った三人の聖騎士達。
「みんな……っ!」
ソラリアとタクトによって希望を取り戻した三人は再び武器を取りカーレンに相対した。
「私達もいるぞ!」
「みんなで頑張ろうよ!」
「エルさんっ、シエラまで!」
そしてシエラのシルフィードの風で降りてきたシエラとエルも二人を庇うように武器を取った。
「貴女達ごとき! 一瞬でも時間稼ぎになるか!!」
被害を最小限に留めようと出力を絞ってエイミングレーザーを撃った事を後悔しつつ、カーレンは第二射のエネルギーをチャージする。
これがエイミングレーザー唯一の弱点だった。レーザーだけでなく偏光にエネルギーを食い過ぎる為、あまり連射には向かないのだ。
カーレンは既にレーザーを撃ちすぎてしまっている。もう一度放つには放熱とエネルギーチャージに数秒の時を要する。
「こいつでも食らえっ!」
「テンペスターを舐めるなぁー!」
【アンチマシンプログラム 発動!】
「最後の轟鉄弓を食らえ!」
「お姉ちゃん私も!」
その隙に五人がもう一度一斉攻撃を仕掛ける。それをカーレンはやはり訳も無く全て手で打ち払ってしまう。
「誰も彼も私の邪魔ばかりするなぁーーー!!」
カーレンが壁から落下する瓦礫を無造作に掴みソラリア達の方に向かって投げつけた。
魔神の力だからできる芸当だが、それは1トン以上ある鉄骨の瓦礫だ。直撃すれば全員まとめてあの世逝きとなりかねない。
だがそれをカイラとシエラが協力して放った精霊の風が防ぎ、カーレンの攻撃は失敗に終わったと思われたが――。
「終わりですソラリア! エイミングレーザー!!」
カーレンは既にエネルギーチャージを完了していた。
鉄骨の攻撃で崩された五人のフォーメーションの穴を突いて光の矢が二人に突き刺さる。もう駄目だと思ったその瞬間。
(放熱による大気の揺らぎでレーザーが――!?)
集積火粒子砲のチャージで鍵の剣の先には高熱のエネルギーが溜まっていた。そのプラズマ球の発する熱で周辺の空気に揺らぎが起こり、レーザーの着弾がズレて外れてしまったのだ。
「集積火粒子砲! ファイヤーーー!!!!!!!!」
そして放たれたファイナルアタック『集積火粒子砲』。その赫い光は刻の箱舟の艦橋を貫き中心・エネルギー変換ユニットを撃ち抜いた。
(あの時だ……あの時、もっと素直になっていれば……素直に助けてと言えていれば、こんな事には……)
刻の箱舟のあちこちで連鎖的に爆発が起こる。
自分の夢を乗せた船が燃え散る様を見ながらカーレンの脳裏に過ぎるのは楽しかった思い出。
「パイク――」
目の前でその夢が、思い出が燃え行く様を見ながら、カーレンは力を失い艦橋へと落ちていった。
「そんな……」
崩壊する黒い月の中で燃える箱舟の甲板の上、シエラ達五人が脱出の準備を整え脱出した後、タクトとソラリアはカーレンから衝撃の事実を知らされた。
「ソラリアは自己修復機能までも破壊されています。助かる道はただ一つ、そのカプセルに入り自動修復を受ける事です」
ソラリアが戦いで負ったダメージは深刻だった。このままでは数日で機能停止=死に至るだろうと。
タクトはソラリアを助ける為、艦橋で死を待つカーレンを助け出しソラリアが助ける方法を聞いたのだ。
「ただしそれだけの損傷、完全修復には百年の時を要するでしょう。もうパーツは無いのですから」
意外だったのは自分の夢をぶち壊した二人に、カーレンが素直に答えを教えてくれた事だった。
曰く「夢が費えた今もう何のこだわりも無い」との事だったが、この答えを聞く限りひょっとして目的は他にあるんじゃないかとタクトは疑わしく思えた。
「さぁ見せて下さい。機械と人間、二人の気持ちが真実の愛であるのかを」
カーレンは二人と話している筈なのに、まるで遠くどこか別の場所を見ているように目を泳がせていた。
昔の楽しかった思い出・メモリーを繰り返し見ているのだ。今の彼女にはもうそれしか残っていなかったから。
そのカーレンが二人の真実の愛を見せろと言う……もしかしてこれはカーレンの心ばかりの意趣返しなのではないかと思いつつ、タクトはソラリアを抱いてカプセルの前まで来た。
非常用脱出ポッドとして使えるカプセルはこの一つきり。初めて二人が出会った時にソラリアが入っていたカプセルと同じだ。
「タクト……」
「……」
百年間目覚める事のない眠り。ソラリアが再び起きた時には、もうタクトはこの世に居ないだろう。
ソラリアはタクトに百年自分を待つ事を求めるだろうか?
人間の一度きりしかない人生を、死ぬまで目覚める事のない自分の為に捧げさせる事が出来るだろうか?
或いはこのまま、死を選ぶ事がソラリアにとって一番幸せなのかもしれない。
だがタクトは、ソラリアの死を見過ごす事など出来ない筈だ。
助かる可能性があるのに、みすみす死なせる事など決して出来ないだろう。
生きさえいれば、百年後、タクトに代わり新しくソラリアを愛してくれる者が見つかるかもしれないのだから。
人間は心変わりする。それが悲しみを乗り越え生きて行く為に備わった人の力だ。
だが機械の心もそうであろうか?ソラリアは、タクト以外の男を好きになれるだろうか?
無理かもしれない。ソラリアの心のプログラムに刻まれた男は、久我タクトただ一人なのだから。
ソラリアは思う。
自分は生きていても何もタクトにしてあげられない。辛い思いを強いるだけだろう、と。
ならいっそ、自分はここで消え去り、タクトには新しい道を歩んでもらった方がタクトは幸せになれるのではないか、と。
「……」
ソラリアはふと、タクトが自分の事を忘れ、誰か他の人間の女性と幸せに暮らしている所を想像した。
幸せな光景。なのに胸が張り裂けそうな程悲しい光景。
「――っ」
ソラリアはギュッと目を瞑った。
本当は誰にも渡したく無い。自分が誰よりも一番愛されていたい。いつだってタクトの側にいたい。一番必要とされていたい。自分だけのタクトでいて欲しい。
そう思うのは女性なら当然の、嘘偽り無い真実の心だろう。
だがそれは叶わない夢だった。
始めからそうだったのかもしれない。
好きな人と同じ物を食べ、子供を産み、一緒に年老いてゆく。
そんな当たり前の事が、ソラリアにとっては願うべくも無い素晴らしい……。
(永遠の若さなんていらない――人並み外れた能力なんて要らない――ただ私はタクトと同じように生き、同じように死にたい――ただ――それだけ)
何故こんな事になってしまったのだろうか?
何度も何度も、タクトを守る為必死に戦い続けた結末がこれなのか。
もう時は戻らない。
人間の久我タクトと、機械のソラリア=ソーサリーは結ばれない。
これが現実。二人の物語の終着点だった。
「やっぱり奇跡なんてありませんでしたね」
「……タクト……」
カーレンの瞳にソラリアは一度視線を戻した。
その瞳が物語っている。貴女も私と同じ答えを選ぶはず、と。
このまま生き永らえてタクトを失うくらいだったら、タクトのいない未来なんかいらない。
――タクトの思い出になりたい――
「あなた一人で――」
「俺と一緒に死ぬか? ソラリア」
「あなた一人で逃げて」その言葉が紡がれる前に、タクトの言葉がソラリアの胸を打った。
誰だって死にたくない。死は恐い筈なのに、それより愛する人と別れる方が怖いと言うのか。
ソラリアが考えている間、タクトもまた考えていたのだ。だがそれは自分自身の為にではない。どこまでもソラリアの為。
好きな人が寂しくないように、自分も一緒に逝こうと言う究極の優しさだった。
「タクト……っ」
かつて愛とは何かと言う問いに、無償の優しさと答えた詩人がいた。
人間・久我タクトは、心を持った機械ソラリア=ソーサリーの為に死のうと言ったのだ。
機械に過ぎないソラリアの心の為に……。
「ありがとう」
ソラリアの瞳から大粒の涙がこぼれた。
魔神には感情によって涙を流す機能など無い。それでもソラリアの目からは涙が零れ落ちたのだ。
体はボロボロで今にも機能停止しそうだけれど、ソラリアは今が一番幸せな瞬間と感じた。
「ずっと一緒だ」
醜く壊れ果てた機械の体を抱きしめられながら、ソラリアはやっと全てが報われたのだと思った。
「黒い月が崩壊する」
「地上は大丈夫かな」
動力回路の中枢を破壊された箱舟と黒い月は、既にマリオネットポイントを外れ嵐神の猛風の中落下を続けていた。
シエラやエル、聖騎士達は既にここを脱出している。残っているのはソラリア、タクト、そしてカーレンの三人だけだ。
「博士、最後に教えて下さい」
「私に分かる事なら」
崩壊を続ける黒い月の中で三人は語らう。もう戦いは終わったのだ。今更足掻く者は誰もいなかった。
刻の箱舟による時間跳躍現象はもう起こらない。
つまりソラリアは過去に戻りタクトと出逢う事も無く、カーレンと戦う事も無くなる筈だ。
ならば黒い月が破壊される事も無くなり、カーレン達は今も王の器をソラリアやミィレスが連れて来るのを待ち続ける事になる筈だ。
「私にも、魂はありますか?」
「ソラリア……」
それではこの結末自体が歴史の改竄になるのではないのか?
いや、そうはならない。
時の修正作用が働き、黒い月が崩壊しソラリアも魔神も、この世界から居なくなると言う結末は変わらないからだ。
「わかりません」
始まりは何だったか?
ソラリアは始めカーレンの定めたプログラム通り、タクトを黒い月に連れて来た。
タクトが消えると知り、それを止めようとしたがアクシズ三姉妹には敵わず、刻の箱舟は起動してしまう。
そして刻の箱舟は、この世界の時空間法則により時間跳躍を失敗。溢れるマナのエネルギーによって黒い月は崩壊する。
だが開きかけた時の狭間に飲み込まれ、ソラリアだけが過去の世界に飛ばされ、カプセル内で修復を待ちながらタクトを待つ。
百年と言う修復期間の中で一時的に記憶を失ったソラリアは、再びタクトと出逢い黒い月に行くのだ。
「タクト……あなたと逢えて嬉しかった」
自己修復機能を備えた魔神の耐久年数は約一万年。その寿命が尽きかける程に、ソラリアは幾度と無くやり直してきた。
タクトと過ごす時間だけがソラリアの生きた時間。
タクトの為に戦った事だけがソラリアの生きた意味。
タクトを好きになった気持ちだけがソラリアの……。
「俺も嬉しかったよ。こうなった事に何も……何も後悔は無い」
この世界では生き物には全て魂があり、その魂は死した後奈落へと帰り、そして再び地上に生まれてくる。
その輪廻の輪の外に居るソラリアは、もし生まれ変わってもと言う夢を抱く事さえ許されない。
カーレンは魔神に魂など無い事を知っていた。知っていたがソラリアにそれを告げるのは躊躇われた。だが嘘をつく事も出来なかったカーレンは「わからない」と答えたのだ。
何故なら「わからない」と答えれば、心を持ったソラリアならもしかしたら、何らかの理由で奇跡のような事が起こるかもしれないと希望を抱けるから。
「あなたと同じ所には逝けないけれど……さようなら、タクト」
「え? ――わっ!?」
ソラリアは最後に残ったエネルギーを振り絞ってタクトの体を押した。
タクトはそのままソラリアが入る筈だったカプセルに倒れ、タクトを乗せたカプセルはそのまま脱出ポッドとなり気密扉を閉めた。
「本当に、これで良かったのですね?」
「……はい」
強化テクタイトのガラスの向こうでタクトが何か必死に叫んでいる。
ガラスを叩く手に血が滲む程、力の限りソラリアに何か伝えようとしている。
「もう時間がありません。最後に言い残す事はありませんか?」
ソラリアはタクトの言いたい事は分かった。だがそれを聞く訳にはいかない。
「タクトさん……私」
全ての魔神は消えるのだ。そしてソラリアはこの世界から消える。
それは“この世界から存在が消える”と言う事。“ソラリア=ソーサリーとの記憶も消える”と言う事。
「私のこと、忘れな――」
そう言った時、カプセルのロックが壊れタクトは地上へと落ちた。
『ソラリアーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!』
蒼穹の空にタクトの叫びが消えてゆく。
新天地の空に魔神達が消えてゆく。
遙かなる空へソラリアの夢が消えてゆく。
抜けるような青空に、ひと夏の思い出となって消えてゆく……。
こうして地球人・久我タクトの異世界新天地での冒険の旅は、終わりを迎えたのだった。
~ epilogue ~
本当は誰にも渡したく無い。
自分が誰よりも一番愛されていたい。
いつだってタクトの側にいたい。
一番必要とされていたい。
自分だけのタクトでいて欲しい。
機械少女の夢は儚く空に散った。
青年の心に思い出と後悔だけを残しながら。
ホコリとカビの臭いの中、俺は打ちつけた腰をさすりつつ周囲を見回した。
天から差し込む光は俺が落ちてきた穴の高さを教えてくれている。結構な高さだ。
この高さから落ちて助かったのは、足元の大量のガラクタと砂の山がクッションになったからだろう。
俺は立ち上がりつつ自分の体の機能を確かめる。どうやら骨折などは無いようだ。
「おーい、大丈夫かー!」
「お兄ちゃーん、返事してーーー!」
俺が落ちてきた穴からエルとシエラの声が聞こえる。
ここはオルニトから見放された土地、新天地にある遺跡……下だ。
黒い月が落着した場所は、奇しくも俺がソラリアと初めて出逢った遺跡『メランコリア』近傍だった。遺跡が受けた被害調査に、俺達は協力しているのだ。
「大丈夫ー! 無事だよー!」
上の二人に返事を返しつつ俺は落下した砂とガラクタの山を眺めて物思いに耽った。
あの時と同じだ。つい数ヶ月前の事なのに、今はこんなに懐かしく感じる。目を閉じれば昨日のことの様に思い出せると言うのに、彼女は手の届かぬ遠くへと行ってしまった。
瞼の裏に浮かび上がるソラリアの顔。
「私が運命を切り開きます。タクトさんも……私も……絶対に死なない!!」
「私……一体何なんでしょうね……自分で……自分の事が分かりません」
「タクトさん、私……」
「そう、私は何度も繰り返してきた。この戦いを。タクトと出逢い、旅し、別れるまでの時間を。ずっと……」
「ずっと、ずうっと一緒よ!」
「私のこと、忘れな――」
ソラリア――俺を初めて好きと言ってくれた女の子。守れなかった。ずっと一緒だと約束したのに。
「ごめん……ソラリア……」
そう呟いた時、地下空間に一瞬の静寂が訪れた。調査団や風が立てる音が消えた奇跡の瞬間。その瞬間に、時計の音が聞こえたのだ。
カチ カチ カチ カチ カチ
「え――」
この時計の音に俺は聞き覚えがある。
時計仕掛けの女の子――ソラリアの命の鼓動の音。
「まさか――まさかそんな!」
一瞬だけど微かに、だが確かに聞こえた音を頼りに俺は周囲を見回して駆け出した。
今は黒い月の破片で滅茶苦茶になっているが、ここは確かに俺とソラリアが初めて出逢った場所だったのだ。
そう、俺とソラリアが出会った場所――。
「光……だ……」
光があった。
およそこの精霊文化、魔法文明の世界に似つかわしくない無機質な光が。
その光の中にあったもの、それは人間の女の子……黒い髪の少女だった。
光の正体はかつて見た、あの魔神が眠るカプセル。或いは俺が地上に逃げる事が出来た脱出救命ポッドのような物。
上の方から「今助けに行くね~」と言う声が聞こえてくるが、もうその時周りの声など耳に届かなくなっていた。
「ソラリア……そんなまさか……」
在り得ない――あまりにも在り得ない光景を目にして、俺の思考はすっかり遥か彼方に飛んでいってしまったのだ。
もしかしたら別のソーサリー型魔神なのかもしれない。でももしかしたらソラリアかもしれない。
俺がカプセルに手を伸ばそうとした時、カプセルから カチリ と音がして、冷気と共にカプセルの扉が開かれる。
「……」
言葉が出なかった。
嬉しいような、でも怖いような、不思議な感情に俺は体が固まっていた。
その俺の目の前で彼女はゆっくりと目を開けて言ったのだ。
「ただいま、タクト」
カプセルのガラス扉には install 100% completeの文字が浮かび上がっている。
そうか、そう言う事か。あのカーレンと言う人が……。
これ以上は何も言うまい。俺は溢れ出る涙もそのままに、もう二度と離さないように強く強くソラリアの小さい肩を抱いた。
「おかえり、ソラリア」
ソラリアの体は温かく、今にも壊れそうなほど儚く華奢に感じられた。
これから止まっていた二人の運命が、ゆっくりと時を刻み始めるのだ。
異世界冒険譚-蒼穹のソラリア- ~完~