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第4話 動き出す刻

 ガ チ リ 


 一辺5メートルはある巨大な門の前に二人の地球人が立っている。

 否、地球人に極めて似た外見の別種族。魔神【マシン】だ。

 その二人が両開きの扉に一つづつ設けてある鍵穴に、剣のように巨大な鍵を挿し込み回したのだ。

「……開いた?」

 二人の内の一人がそう口を開いた。鍵は二本とも回っていた。鍵は開いた筈だ。

 その口を開いた者――魔神の女が開いた筈の扉を開けようと手を伸ばした時、もう一人の無言だった女は、人体の限界を超えた動き、速さで後方に飛び退った。

「え?」

 それを見て扉を開けようとした方の女は驚きの顔をしたその刹那、その表情は永遠の物となった。

(この門をくぐるに相応しくない者……去れ)

 どこからか声が聞こえ、二人――今は一人となった女達の後方に待機していた鳥人の軍団から恐怖の叫びが上がった。

 だがその叫びは一瞬で消える。百人から成る鳥人の一個大隊は、その中心に突如現れた一人の女の手によって僅か数十秒で完全に無力化されてしまったのだ。

「へぇ、またてめーか。何度も何度も懲りねー奴」

「……」

 一個大隊を数十秒で鎮圧したその女は、舞うようにひらひらと回転する体を止めた後、首だけを回して生き残った女、魔神ミィレス=アストレスを見た。

 ミィレスにはこうなる事が分かっていた。

 扉に鍵を挿し回した時、開錠の音は一つしかしなかったのだ。

 この門、黒い月の入り口は、二人の魔神が揃って初めて開ける事が出来る。そしてそれは魔神達が待ち望んだ時が来た証でもある。

 それ以外の時は彼女達――門番【ガーディアン】が現れ、相応しくない者をたちどころに滅ぼすのだ。

「だんまりか。ま、オレにとっちゃどーでも良ーけどよぉ」

 ミィレスから目を離した、ボーイッシュと言うには余りに粗野で乱暴な言動の女、魔神ヒュントは大して興味も無さそうに門の上まで一っ飛びに戻ると、足を組んでその上に座った。

「てめーらの役割はオレらの主に相応しい男を探してくる事だろ? お前が守ってるソレ、失格じゃん」

 組んだ足の先でヒョイヒョイと指し示したその先には、ミィレスが守るマスターであるファルコが苦虫を噛み潰したような顔で立っている。

 地球人観光者を使ってでっち上げた魔神もどきを使っての開門失敗は、これで二回目となる。

 一度目は魔神――地球人に外見が最も似ていると言われるエルフを使って試みたが失敗した。次は金を使い地球人を騙して開けさせようとしたが、それも失敗に終わった。

 そして三度目の正直、地球人にミィレスそっくりのコスプレをさせ、ドワーフに作らせた本物と寸分違わぬ鍵の剣を以ってしても失敗したのだ。

 どうやら黒い月の門を開けるには、どうしてももう一体魔神が必要なようである。

「ちゃんと役割を果たせよ。半分壊れてるからって、使命まで忘れた訳じゃないんだろ? ちゃんと連れて来い」

 ファルコはわざとヒュントにも聞こえるように舌打ちをした。だがヒュントはそんな事一向に構う様子も無く、ファルコに対してはとことん無関心のようだ。

 彼女の視線の先にあるのは、先程自分が壊滅させた氷漬けになった軍団である。

 彼女は思った。まるで氷の彫刻のようで綺麗だ――と。

 氷漬けにして殺した相手の断末魔の表情――恐怖や驚き、絶望に染まった表情が、より強く感情的であればある程、彼女は生命の終わる美しさを感じ満足感を得るのだ。

 だがその美的感覚は、彼女の歪んだ心を象徴しているかのようだった。

「それまでオレ達は――」

 ヒュントが座るその後ろに一人の長身の女が現れた。

 地球人のような外見に頭部のバイザー――魔神だ。優美な外見を持つその美女は、ミィレスを見下ろしながら静かに言う。

「ここで、いつまでも待ち続けますわ」

「これまでも、これからもねー。キャハハ♪」

 そしてその声に続くように門の下からも声が聞こえた。

 見るとそこには頭部にバイザーを付けた地球人、魔神の少女がいて、ヒュントが氷漬けにした罪の無い地球人の少女を突き転ばせようとして遊んでいる。

「こらリンネ。遊んでいないで戻りますわよ」

「ハーイ、シーゲルお姉さま――あっ」

 と呼ばれた一番幼く見える少女が に呼ばれ振り向いた時、氷漬けの少女が倒れた。

 重力に引かれるまま地面に叩きつけられ無残に砕け散った少女の氷像。驚きの表情のまま氷った頭は、門前からゴロゴロと滑り落ちて行き、やがて新天地の空へと光の粒となって吸い込まれていった。




【異世界冒険譚-蒼穹のソラリア-】




「見えた! あれが黒い月だ!」

 飛竜ワイバーンの背に乗って新天地の空を進むタクト達一同は、遂に伝説の秘境『黒い月』の目前へと迫っていた。

 かつてオルニト領であった新天地の空を巡る四つ目の月『黒い月』。それは時折人の前に姿を現し、伝説として語り継がれる秘密の地。

 天界に浮かぶ災厄の月と違い、地上界付近を彷徨う黒い月は一体何を載せて運ぶのか……。

「新天地にあんな巨大な物が……オルニトの浮き島……とは違うんですよね?」

「浮島は風神ハピカトルの影響下にある地域限定のものだ。こいつが浮いているのはハピカトルの力ではないのだろう」

「一体どうやって……」

 黒い月の周辺には常に激しい乱気流が渦巻いている。その気流が積乱雲や雷雲を呼び、風、水、そして雷となってこの浮遊物体を隠しているのだ。

 この付くに近寄る者は悉く風・水・雷の洗礼を受ける。故に人の身で近寄る事は長く不可能だった。

 数千年以上の永きに亘り人を寄せ付けなかったこの浮遊島だが、近年この地へと至る道を見つけた者が居た。それがシエラとカイラの両親であった。

「伝承によれば魔神達はあの黒い月から来たらしいよ。あの娘と同じ原理で飛んでるんだろうねぇ――っても、その原理が謎なんだけどね」

「見て! すごいいっぱい兵隊が居るよ!」

 黒い月はオルニトの浮島郡と違い神力で浮遊しているのではない。決して一所には留まらず、乱気流の中を彷徨い歩いているのだ。

 それは空が安定する混乱と変化を司るハピカトルの目が届かぬ所。異世界の空で唯一風の凪ぐ場所である風神ハピカトルの死角『マリオネットポイント』をトレースしているからだった。

 神の目から隠れ漂うこの大地が、こうして白日の物となったのは人類の進歩からなのか、それとも或いは……。

「あの旗はファルコ軍……と言う事はやっぱり、ファルコもここに来てるって事だねぇ。それもおそらく全軍を挙げてさ」

「全軍……」

「え~っと、え~っと……ふえ~~ん数え切れないよー」

 乱気流の中、糸の様に細い細い道を抜けて辿り着いた先に待ち構えていた物は、黒い月とオルニト大神官ファルコの兵団1万だった。

 いかに聖騎士であるアルトメリアが味方しているとは言え、1万対4と言う圧倒的戦力差は、四人に絶望を通り越して感嘆の声をあげさせる。

 タクトの目的はファルコ軍と戦う事ではなく、あくまでソラリア一人。黒い月に来て居る筈のソラリアを連れ帰られればそれで良いのだ。

 だがファルコにとってソラリアが必要な存在なら、それは即ちソラリア奪還はこの大軍勢を敵に回して行う事になるのは避けられない。この大軍勢を突破して黒い月へと至る道は、これまで以上に険しい道程であるかに思えた。

(まだ日中だし、この数はさすがにヤバイねぇ……早く応援来てくれよー)

 呆気に取られる一堂を横にアルトメリアはここに来る前にした約束を思い出す。

 新天地中央集権機関『元老院』が擁する『聖騎士団』。

 その目的は新天地統一において不可避な武力衝突への対応だが、聖騎士団を形成する五つの組織の頂点に君臨する『トライアンフ』の22人、真に『聖騎士』の称号を名乗れる者の本来の役割は違う。

 遙か古代、天地戦争において魔神を退けた22人の聖なる騎士に準えて、現存する最後の聖騎士である聖騎士団団長スパイク=エンフィールドが集めた最強の戦士達が現代の聖騎士だ。

 世の戦乱を振り払う聖騎士。その元来の目的は、魔神との戦いだったのである。

 現代に集まった聖剣無き聖騎士達。彼等が果たして古代から蘇った魔神に対抗しえるのか?アルトメリアの帯びた使命は、命がけでその答えを見つける事だったのだ。

「久我タクト。入る前にこれ、渡しとくよ」

「え?」

 そう言ってアルトメリアがタクトに渡したのは黒光りする筒状の鉄塊だった。

「え? これって……いや、嘘だろ!? マジかよ!」

 それは火薬を使って鉛の飛礫を飛ばす武器。木製の取っ手に人差し指で引く出っ張りがあり、それを引くと鉄のハンマーが火薬筒の雷管を叩き鉛玉が筒の先から放たれる。

 そう、年式は古いが紛れもなく地球製の武器、銃だった。

「これから先相当きつくなる。お守りに持ってなって」

「けど、こんな物……」

「待てっ、何か様子がおかしいぞ」

 日本人のタクトにとって、それはマンガや映像作品で見慣れた武器だったが、実物を見る機会はまずない代物。恐ろしい人殺しの道具だと知っているからこそ驚き、気が引けた。

 だがこれからソラリアを救出に行く過程でどんな危険が待ち構えているか知れない。何の武器も持たずにその危険に飛び込むのは自殺行為だろう。

 まして自分の身くらい自分で守れなければこれから先足手まといになるだけだ。恐れてなど居られない。

 タクトがそう決心した時、先程から慎重に敵を探っていたエルが口を開いた。

「こちらに気付いたのに何もしてこない」

「何かやる気無さそうだねー。どうしたんだろ?」

 エルが指差した先に居るファルコ軍の兵士達がこちらを見ていた。

 普通ならこの段階で合図が出され戦闘状態に突入してもおかしくない筈なのに、敵の兵士達はまるで何かに怯えるように視線を逸らし一歩も動かないままで居た。

「何だか知らないけど好都合じゃない。このまま突っ切らせて――」

「お待ちしておりましたわ、主様」

 これは好機とアルトメリアがワイバーンを飛ばそうとした矢先、突然後方から女の声が聞こえ、タクト達は動きを止められたのだ。

 声の方を振り返ると、頭に大きなバイザーを付けた金髪ロールヘアーの美人な地球人女性が空中に浮かんでいた。

「私、シーゲル=アサイメントと申します。移動要塞ニーゲルン・スティラの番人をさせて頂いておりますの。以後、お見知りおきを」

 そう言ってロングスカートの端を両手でつまみ、淑やかな動作で挨拶をした女――魔神マシン――は、ガラス玉の様に綺麗な瞳を真っ直ぐタクトに向けて機械的に微笑んだ。

「あら、どうしたのです? そんなに怯えなくても大丈夫ですわ。先程も申したように、私達、貴方様をずっと待っていましたのよ? 遙か悠久の時を、ずっと、ずっと……」

 タクト達は魔神の強さを知っていた。

 もし相手がその気だったなら、少なくとも自分達は十回は殺されていてもおかしくない。だが今こうしてタクト達は生きている。それが不気味だった。

 シーゲルと名乗った魔神の真意が読めず一同が警戒していると、魔神シーゲルは屈託のない笑顔で皆に優しく話しかけた。

 だがこんな場合、笑顔でいる事の方が逆に恐い。突然の魔神出現、そして真意の読めない状況に、エルとシエラは相手の動向を探るべく質問をぶつけてみる事にする。

「タクトはまだ20歳かそこらだぞ。それを悠久の時を待っていたとはどう言う事だ?」

「あなたもソラリンと同じ魔神なんですか? 魔神って一体何なんですか?」

「……」

 二人の質問にシーゲルはチラリとそちらを一瞥しただけで何も答えなかった。

 答えたくない質問なのか。それとも何か他に答えられない理由でもあるのか。タクトは底が読めないシーゲルへの恐れを深めながら、笑顔で自分を見続けるシーゲルへと今度は自分が質問してみる事にした。

「俺達はソラリア=ソーサリーと言う娘を連れ戻しに来ただけなんだ。絶対ここに来てると思うんだが、頼むよ、ソラリアを返してほしい」

「返して欲しい、とはまた異な事を言いますのね。確かにソラリアはここに来ていますわ。ですが私どもは何の隠し立てもしておりませんの」

 シーゲルはタクトの質問に笑顔で答えた。

 二人の質問はまるで無視だったのにタクトの質問には答えるのは、シーゲルの言葉通りタクトが魔神達にとって特別な存在だからなのだろうか。

「ソラリアも、ミィレスも、私や妹達だって、このニーゲルン・スティラの物は始めから全て貴方様の物ですのよ? 主・タクト様」

「それは一体どう言う――っ!?」

 エル達が推測しながら二人の会話を聞いていた時、門のはるか彼方、黒い月の表面の方から爆発音が聞こえた。

「何だ!? 今爆発音がしたぞ!」

「あっ! あそこから煙が上がってるよ!?」

「あの娘達、タクト様の居城に傷をつけるなんて……後でお仕置きが必要ですわね」

 音の方を見ると、遠く黒い月の表面から煙が上がり、続いて数多の炸裂音が響いてきた。何か戦闘が起こっている音だ。

 状況の把握が追いつかないタクト達は後手に回りながらも、何とか現状を知ろうと情報を得ようとする。

「どうなってるんですか!? 一体中で何が起こっているんですか!?」

「あの鳥人の男のせいで、ソラリアとミィレスが戦っているだけですわ。さ、それよりもタクト様? まずはカーレン様にお会いになって下さい」

「戦ってるだけって、そんな――」

 シーゲルはあっさりとソレを伝えた。

 タクトが守りに来た、助けに来たソラリアが既に交戦状態に突入している事実を。

 タクトがソラリアと出逢ってから彼女は戦ってばかりだ。まるで彼女の行く先には、必ず戦乱の嵐が吹き荒れる宿命でもあるかのように。

 そしてこれまでの戦いからソラリアが桁外れの戦闘力を有している事は皆が知る所だ。人間離れした回復力もそうだ。だからタクトは嫌でも考えてしまった事がある。

 もしかしたらソラリアは、戦う為に生まれてきた悲しい存在なのではないか、と。

「カーレン様に会えばタクト様の疑問は全て解りますわ。あの二人の争いも、タクト様が来て頂ければ、たちどころに解決しますのよ?」

「お、俺が? 何で俺なんかが」

「罠だ! 行くんじゃない!!」

「危ないよお兄ちゃん! せめて私達も一緒に」

 皆が罠だと反対する中、だがしかしタクトは密かに心を決めていた。

 これが罠だろうが何だろうが行くしかない、と。ソラリアが今戦っているなら、側に行ってあげなければならない、と。

「お下がりなさい下郎が!」

 シーゲルが追いすがろうとするエル達を制する。

 招かれるままにシーゲルに付いて行こうとするタクトを止めようとしたのだ。だが魔神シーゲルがそれを許さない。

「私がお招きしているのはタクト様ただお一人ですわ。あなた方亜人は、これ以上進む事を許可しません」

「そんな!」

「おいふざけるなよ!? タクトだけ連れて行こうとはどう言う――!?」

 シエラとエルがそういった瞬間、辺りは一面眩いばかりの閃光に包まれて、空を覆わんばかりに展開していたファルコの軍勢が、モーゼが海を割った伝説のように裂けていた。

 人混みにぽっかり明いたトンネルには煤けた炎の残滓が残り、残ったファルコの軍勢は恐怖に混乱する所か完全に怯え、絶望しきったように金縛りにあってしまっていた。

 やはりシーゲルは魔神で、ご多分に漏れず圧倒的戦闘力を持っているのだ。それをファルコ軍の兵達はタクト達より先に味わってしまっていたから、今何も出来ず蛇に睨まれた蛙のようになってしまっていたのだ。

 ソラリアの力は炎。ミィレスの力は光。そしてシーゲルの力は――。

「一歩でもこのニーゲルン・スティラにその汚らわしい足を触れて御覧なさい? あなた方もああしてさし上げますわ」

「な、何だ今の力は……」

「眩しくて何も見えなかったよ。あの一瞬で何が起こったの?」

 目の当たりにした新たなる魔神の力。それでもタクトはシーゲルの手を取った。

 ソラリアは魔神だ。恐ろしい力を持っている。だがソラリアは優しい心を、人の心を持っている。どんなに強い力を持っていてもソラリアは女の子なのだ。


『私のこと……嫌いにならないで……』


 タクトは思い出す。

 ボロボロになりながらも仲間の為に戦ったソラリアの姿を。そしてその姿を見られ、嫌いにならないでと見せたあの涙を。

(あいつを絶対に一人にはしない。例え魔神、人じゃなくても、絶対に一人になんかするものか)

 タクトは激流に身を任せる覚悟をした。

 だが絶対に砕けやしないだろう。ソラリアに会って気持ちを伝えるまでは、どんな困難があっても必ず乗り越えてみせる。

 男が本気になれば、それが絶対に出来るはずだ。タクトは力の限りそう信じた。

(わ、私は見ていた……あれは紛れも無く雷光だった。あの魔神、雷光を操るのか? それもあんなカミナリのような稲妻を)

 そしてアルトメリアは魔神の力の一端を垣間見て思った。

 人じゃない。これは人の力じゃない、と。

「こりゃ、一人で任務遂行は難しいかな」

 アルトメリア達、凱旋トライアンフの聖騎士は一騎当千を謳っているが、魔神の強さはその比ではない。

 こんな化け物相手に果たして人の身で勝つ事が出来るのか?アルトメリアは数十年ぶりに冷や汗を流した。




「見えたぞ。あそこが黒い月の中心か」

 ミィレスとソラリアを連れ立ったファルコは無機質な通路を歩いていた。床や壁は黒光りしており、石とも鉄ともつかない足音が響く。どんな材質で作られているのか見当もつかない。

 その長い長い通路をもう何十分歩いた事か……ファルコの鳥人としての感覚が無ければ、今自分達がどこに向かっているか、今黒い月のどこら辺に居るのか、分からなくなっていただろう。

 だがミィレスのナビゲートとファルコの感で、二人は遂に黒い月の中心ブロックへと続く、光り輝く出口を見つけたのだ。

 そしてそのドアを通り抜けた先にあった物は――。

「何だこれは……あのカプセルは一体……!?」

 真っ白な空間、巨大な球形のホールの中心を貫くように通路が伸びていた。

 その先には周囲のシンプルで飾り気の無い直線と曲線を主とした無機質な作りとは質を異にする、人間的で豪奢な彫刻の施された綺麗なバルコニーが一つあり、バルコニーの窓には風も無いのに揺れるレースのカーテンがかかっている。

 そして球状の壁面全体を埋め尽くすカプセルの山。素人目にも一目でここが特別な特別な空間である事が見て取れた。そして更によく見てみると、カプセルの中には何やら人らしきモノが見えるのだ。

「あれは、あの中に人影が見える! これら全て魔神だと言うのか!? これが全て!!」

「ここは……初めての筈なのに、何故か懐かしい」

「ニーゲルン・スティラ。私達魔神の故郷」

 壁面一杯に広がるカプセルの山。その正体がソラリアやミィエスが眠っていたカプセルと同様の物で、これら全ての中に魔神が眠っていると知った時。ファルコは高揚を抑えきれず思わず叫んだ。

 ミィレス一体でもファルコ軍最強の四元魔将全員と互角かそれ以上の力を持っているのだ。それが数千、いや数万と居れば、一体どれほど途方も無い戦力になるのか。

 想像しただけでファルコは小躍りしたい気持ちだった。

「素晴らしいぃ! これだけあればどんな軍隊も恐れるに足らん!! 私は今、世界を征服する力を手に入れたぞぉ!! ハーーーーッハッハッハッハッハ――」

「誰か居るのですか?」

 そうして中心を貫く渡り廊下を進んでいる内に、いつの間にか突き当たりのバルコニーに人影が現れていた。

 寝巻き――ネグリジェだろうか。白く体が透けて見えるヒラヒラの布地にレースの刺繍が施された豪華な着物だ。

 服から透けて見える体のラインはギリシャ彫刻のように美しく、頭にはソラリアやミィレス達より巨大なバイザーを被っており、生身の部分は口周りだけだった。

 地球人のような体と頭部のバイザーから、ファルコはその人物も魔神だと思い話しかけた。

「おや、あなた方は……そうですか。ついに見つけたのですね、私達の主様を」

「そうだ。私――この俺がお前等の主、オルニト軍戦闘神官、ファルコだ。いずれこの世界全てを支配する男よ」

「……」

 口以外がバイザー――と言うよりヘルメットに近いか――に覆われている為表情を読み取る事は出来ないが、バルコニーの女はバイザーから出る長い金髪のウェーブヘアーをなびかせながら、ファルコではなくどこか遠くを見ているようでもある。

 だがファルコはそれに構わず、バルコニーに向かって歩み続けながら女に語り続けた。

「お前は誰だ? 外の門番達同様お前も魔神か? ならば今この時より、俺の指揮下に入るが良い」

「……来る。もう少しで……私達悲願の時が」

「おい! 聞いているのか!? 今すぐそこから降りて俺の前にかしずけ! これは命令だぞ!」

「黙りなさい下郎」

「何っ!?」

 ファルコの問いかけに女がやっと反応を示したと思えば、それは思いもかけぬ罵声であった。

 美しい外見に反する強い口調の言葉に、ファルコ、そして後ろについてきたミィレスとソラリアも思わず歩みを止める。それほどの凄みが、女にはあった。

「今からここに一人の地球人の青年が来ます。貴方はその男と決闘を行うのです」

「何!? 俺以外にここに入る資格のある者が居ると言うのか!?」

(そんな、まさかタクトさん? タクトさん達なの? どうしてここに!?)

 ソラリアは焦った。

 何となくそんな気はしていたが、やはりタクトは自分を追いかけて来ていたのだ。自分の存在が許されたようで、また、こんな所まで追いかけて来てくれる程大切に想われている事が嬉しかった。

 だが今タクトはここに来てはならないのだ。ここに来れば戦いを強要される。この恐ろしいファルコと戦わされて殺されてしまう。

 タクト達に迷惑をかけないように出てきたのに、結局危険に巻き込んでしまう結果になるなんて。ソラリアは例え相手が誰であろうと、そんな事絶対に許す事は出来ないのだ。

「その決闘の勝者こそ、我等が王と認めましょう」

「望む所だ! その小僧を血祭りに上げ、我が新たなる門出の生贄としてくれるわ!!」

「ダメーーー!!」

 ソラリアが前に出た。

 例えこの場で壊されても、絶対に引かないつもりだ。タクトが絶対にソラリアを一人にしないと誓ったように、ソラリアもまたタクトを絶対に守ると心に誓っているのだから。

「その人はただの地球人なんです! 戦う力なんか持っていません! それに、タクトさんが貴方達の王である筈がありません! どうか止めて下さい!」

「決闘は必要な儀式です。ソラリア、あなたがそれを止める理由が分かりません。もしかして壊れているのですか?」

「壊れてても何でも構いません! 私は、タクトさんを守りたいだけです!」

「……」

 鬼気迫るソラリアの宣言に気圧されたのか、女の口が止まる。

 バルコニーに手を置いたまま、数瞬の間何かを考えているのかバイザーに隠れた女の目は動きを止めてジッとソラリアを見る。

 突然訪れた静寂に、ファルコも思わず口を開く事が出来ずに居た。と、その時口火を切ったのは、以外にも今まで沈黙を守ってきたミィレスだった。

「ドクター・カーレン。私とソラリアは機能に損傷があります。修理を要求します」

「魔神の耐久年数は約1万年の筈ですが……よほど激しい戦闘を繰り返したのですね。良いでしょう、直してあげます」

 そう言うと女――カーレン女史はバルコニーの奥へと踵を返し戻っていった。

 長い金髪がホールの光に照らされ煌めく。白と金の美しいコントラストを眺めながら、ファルコがその後姿に尋ねた。

「良いのか? この俺が地球人の小僧を殺す瞬間を見なくても」

「構いません。始めから勝敗は分かり切っていますから」

 振り返りもせずそう答えた後姿は、すぐにレースのカーテンの向こうに隠れて消えた。

 明確な答えは言っていないが、その言葉の裏には「タクトが勝つ」と言う絶対の自信が見て取れる。ファルコはそれが気に食わなかった。

「止めて下さい! お願いします! 止めて下さい!」

「えぇい、もはや面倒! ミィレス、そいつを抑えておけ!」

「イエス マイマスター」

 ここに来てから自尊心を傷つけられ続けるファルコは、苛立たしげにソラリアをなだめていたミィレスにそう命じる。

 ミィレスの目的は心を取り戻す事。その目的がやっと叶うと言うのに、目標を目前にして冷徹に命じられる主の命令。

 記憶を取り戻したいソラリアと協力すると言った言葉に嘘はなかった。だからなだめて一緒にカーレン女史の所に行こうとしていた。だが――。

「私は奥のラボで待っています。終わったら来るのですよ。ソラリア、ミィレス」

 ミィレスにとって第一優先はマスターの命令。

 自分が仕えるマスターの為、他の全て、自分自身さえも犠牲にする事が彼女に課せられたプログラム。

「ミィレスさんどいて下さい! 私は、私は……!」

「マスターの命令。貴女を止める。……力尽くでも」

「ミィレスさん!!」

 そう。それは例え、自分がマスターに打ち捨てられる存在であったとしても……。




「ハァ! ハァ! ハァ!――」

 タクトは無機質なトンネルを走っていた。

 窓一つ、照明一つ無いのに明るい通路は、一目で高い精度で作られていると分かる、数え切れない数のパネルで形作られている。

 釘もネジも使われていないその人工物の塊の中を、彼方に見える光に向かって一直線に駆け抜けていった。

「ソラリアが……この奥にソラリアが居る!」

 タクトを誘い門を通した魔神シーゲルは、タクトにこの通路を抜けた先に二人が居る事を話すと、駆け出したタクトの後を追うようにゆっくり歩いている。

 何も手は出してこない。タクトはその事に安堵し、ただ目の前に見える光に向かって突き進んだ。

「ソラリアーーー!!」

 やがて小さかった四角い光は大きく視界全体に開け、そこは巨大な球状の広間として現れたのだった。

 道はその球状空間の中心を貫くように反対側へと伸びていて、その先には人影が……。

「待っていたぞ、小僧」

「お前は? いや、それよりもソラリアは!? ソラリアはどこだ!」

 タクトを待っていた人物。

 それはソラリアでもカーレンでもなく、タクトが異世界に来てから何度も戦ってきた軍団の長。戦闘神官ファルコだった。

 白い神官服に金銀宝石の飾りを付けた大柄な鳥人の男。くちばしは尖り翼は大きく、その眼光は獲物を狙う猛禽類の鋭さがある。

 普通なら目の前に立たれただけで射竦められる偉丈夫だが、この時のタクトはソラリアを探し、ソラリアの為だけにここに来ていた。

 ファルコの視線より、この空間の異様さより、ただソラリアだけをタクトの視線は探し彷徨っていた。

「俺を無視するな。これからお前を殺す男だぞ」

「なに!?」

 その態度にイラついたファルコは、タクトの目の前に一振りの剣を放り投げる。

 幅5m程の狭い通路に、乾いた音を立てて転がる両刃の剣。ファルコはその剣を指差しながらタクトに向かって言い放つのだ。

「小僧! 今この場で、この俺と決闘しろ! 命を賭してな!!」

 ファルコが左手に持っていた剣を鞘から抜き放った。シャランと冷たい音が響いた後、カラカラと硬い音が通路に響く。剣を抜き不要になった鞘をファルコが捨てた音だ。

 ソラリアを探してここに来た筈なのに、どうして見ず知らずの鳥人に決闘を挑まれるのか。やはりシーゲルの誘いは罠だったのか。

 タクトは混乱しつつも、相手に向けられた切っ先に反応して、つい反射的に足元の剣を拾ってしまう。

「剣を構えろ! 小僧!!」

「くっそー! 何がどうなってんだ!」

 抜き差しなら無い状況と言う物はあるものだ。

 裂帛の気合で切りかかって来るファルコの殺気に、タクトは反射的に、本能的に自己防衛の為、剣を抜き相手の剣を受けてしまう。

 剣を受けたからには勝負開始だ。決闘が終わらせられるのは最早この世界に二人のみ。

 タクトか、或いはファルコか。いずれか一方が降参するか死ぬまでこの戦いは終わらない。

 ついにタクトに自ら剣を取って戦うべき時が来たのだ。

「お前を殺せばこの俺が、魔神達の主に選ばれる! 1千体の魔神の力が手に入るのだ! 世界を征服できるだけの力が!!」

「だから一体何の事だ! ソラリアをどうした!」

「あの魔神は今もミィレスと戦っている! だがそんな事を気にする余裕が貴様にあるのか!? あるのか! あるのかぁ!!」

「うわっ! ぐっ いってぇ!!」

 鳥人の身体能力はそう高くない。それは飛ぶ為に体を軽く、持久力重視に進化させてきた結果だ。空を飛べると言う絶対的優位性が無ければ、他の種族より、人間より劣るのだ。

 だがタクトはこの時明らかに圧されていた。

 それはタクトが剣の修行などした事がない全くの素人で、運動能力においても特に優れている訳ではない、普通の青年だったから。

 戦闘神官として、数々の修羅場をくぐってきた武人であるファルコに、例え少しくらい身体能力が勝っていようと、勝負になる筈が無かったのだ。

 終始圧されっぱなしのタクトと、自分の方が実力で勝る事を確信したファルコの二人。

 粘ってはいるが徐々に傷ついてゆくタクトと、調子づいて高笑いしながら、あえて一撃で止めを刺さず戦いを、いや、暴力と残酷を楽しむファルコを見て、今やっと通路を抜けてきたシーゲルは眉をひそめた。

「想像以上に俗物ですわね」

「けどよ、あんなんでも役に立ってくれそうじゃん? 姉貴」

「フッ、そうですわね」

 その言葉にどこからか現れたヒュントが合いの手を入れる。

 ガラス玉の様に綺麗だが冷たい瞳が二人の男の鮮血飛び交う戦いを見ている。シーゲルはその行く末を知っているかのように、ニヤリと氷の笑みを浮かべた。

 

 ズキューン!!


「……っ!?」

 戦いの中、剣を弾かれ絶体絶命となったタクトから突如響く強烈な破裂音。

 それは剣の代わりに持たれた鉄の筒から鉛玉と共に放たれた音。

 その音をファルコは知っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……う、動くな! 動いたら撃つ!」

「……ほぅ」

 黒い月に乗り込む前、アルトメリアがタクトに持たせてくれた『お守り』。携行武器としては地球で最強の座を欲しい侭にする火薬を使った兵器――銃。

 使い方さえ知っていれば、子供でも指一本で大人を殺せる恐ろしい武器を、タクトはファルコに向けて構えていた。

「そ、それ以上来るな! 撃つぞ!? 本当に撃つからな!」

 そう言ってファルコに向けた銃口は、タクトの心そのままにふらふらと揺れ狙いが定まっていない。

 一発目の天井に向けて撃った時、タクトは銃撃の反動の大きさを感じた。こんな状態で当てられる筈が無い。だがそれでも銃口は狙いが定まらぬまま、怯えるように震えているのだ。

「本気で撃つつもりなら始めから当てておくべきだったな。コケ脅しにしか聞こえんぞ」

 その様子を見てファルコは確信した。タクトには人を殺す覚悟が無い。自分が殺される覚悟は持っていても、人を殺す覚悟はなかなか持てないものだ。

 覚悟の有無が、こうして絶対的有利な状況にもかかわらず怯え震えると言う行動に現れてしまっているのだ。

 銃恐るるに足らず。だがもう遊んでいられる程余裕がある状況でもない。

 ファルコはタクトをいたぶるのは止め、止めを刺すべく剣を振り上げて間合いを詰め始めた。

「く、来るなぁ!」


 ズキューン!!


 再度、タクトの銃口が火を吹いた。

 放たれた弾は震える手のまま狙いから逸れて飛んで行き、ファルコの顔を掠っただけ。だがこれがファルコの逆鱗に触れた。

「お前は俺を本気にさせてしまった。……これで終わりだ」

(こ、殺される! このままじゃ本気で殺される! ソラリアにも会えないまま、ここで俺は――)

 ファルコは剣を下ろし、ルーンの刻まれた飽食具で彩られた手をタクトに向けて光精霊に命令した。

 その手に集まる光の粒子は、ファルコがミィレスの技からヒントを得て編み出した光の砲撃。

 破壊力は十分の一以下だが、ルーン方程式と意志力の力によって実現される光精霊の御技は、タクト一人をこの世から消し去るのに充分すぎる威力を持っている。

 眩いばかりの光を放つ恐るべき技を前に、タクトはその恐怖を直接肌で感じていた。

 殺される。死ぬ。本気でそう思った時、タクトの中でようやく一つの決意が固まった。

「死ね」

「う、うわぁぁぁぁぁぁああああ!!」


 カッ!!


 光と轟音。そして何かが焦げたような臭い。

 静寂が支配する空間に激しい音画響いた。やがて訪れた一瞬の沈黙の後、バタリとその場に一人の男が倒れ伏せる。

「ば……バカな……」

 倒れたのはファルコの方だった。

「あ、あぁ……あぁぁぁ……」

 巨躯の鳥人が倒れた床に広がる真っ赤な水溜り。それは、人の命が流れ出している光景であった。

「何故だ……何故光精霊が……一体何故……」

「そんな……お、俺は……俺はそんなつもりじゃ」

 ファルコは放たれる筈だった光の矢を放てなかった左手を見た。血に染まった羽根以外、普段と何も変わらないように見える。

 これで何故技が発動出来なかったのか。自分の犯してしまった罪に震えるタクトを余所に、次の一言で彼はその謎の答えを理解したのだった。

 魔神はエネルギー源にマナを必要とする。それは精霊や神が奇跡を起こす時使うエネルギー源と同一の物だ。

 だが魔神は精霊や神と比べ、マナをエネルギーに変換する効率が圧倒的に悪い。悪いからこそ、マナを大量消費――バカ食いしてしまう。

 故に神程の力があればいざ知らず、精霊は魔神の近くではマナを魔神に奪われて奇跡を起こせない。

 それどころか、精霊は魔神の近くに長く居るだけで、エネルギー切れで消滅、餓死してしまうのだ。

 つまり、さきほどファルコが光精霊で起こそうとした奇跡を、魔神シーゲルとヒュントが寸前でマナを吸収し邪魔したのだ

「おめでとうございますわ!」

 今まで見た事が無い満面の笑顔でシーゲルがタクトに抱きついた。

「やったじゃねーか主よぉ。童貞を捨てたな」

「まぁ! ヒュントったらなんて下品な」

 続いてヒュントまでが満面の笑みでタクトに抱きつく。

 こうしていると二人はまるで、人間の姉妹のようだった。人殺しで喜んでいる所を除けば、可愛い姉妹そのもの。そこが恐かった。

「家の兵士達は良くそう言ってたじゃねーか。初めての殺しの時よ~」

「ち、違う! 俺はっ、俺はぁっ!!」

 あの瞬間、タクトはファルコに向かって引き金を引く決意を固めた。

 だがその決意は今目の前に起こった現実によって容易く打ち砕かれた。

 人殺しになってしまった。取り返しの付かない罪を犯してしまった。タクトは今まさに人としての一線を越えてしまったのだ。

「何が違うのです? 今タクト様はご自分の手で、この鳥人を射殺なさったではありませんか」

「お、俺はただ……身を守ろうとしただけで……そ、そうだ。これは正当防衛だ、人殺しじゃない!」

「殺しは殺しだろ? 潔くねーなー、さっさと認めちまえよ」

 これは魔神達の企みだ。始めからそうなるよう仕組んでやらせた事だ。だが何故魔神達はそんな事をタクトにさせたかったのか。

 こんな八百長の決闘まで仕組んで、一体何が目的なのか。

「ぐっ……ぁ……」

「あら嫌ですわ。この鳥人まだ息がある」

「タクトー、こいつまだ生きてるぞー。早く止めさせよ」

「い、嫌だ! 生きてるなら早く治療してやってくれ! 早く!」

「冗談。何でオレらがこんな奴」

 タクトの必死の願いをヒュントは鼻で笑うように拒否した。シーゲルも袖で口元を隠し汚い物を見るような目だ。

 ファルコは魔神達を利用しようとしていたが、逆に利用されて死んでゆく。それは今まで悪事を重ねてきた罰なのかもしれない。

 だがそれでも、死んで当然の男でも、人を殺してしまったと言う意識をタクトに与えるには充分すぎる生贄だった。

「おい! しっかりしろあんた! おい!」

「くそ……貴様なんかに……この俺が……」

 タクトがすがるような思いで横たわるファルコに駆け寄ると、ファルコは虫の息ながらまだ生きていた。

 その白い神官服の胸部分に大きな血の痕が広がっている。心臓付近だった。

「始めから……俺は利用されていたのか……お前等に……」

 嘴から血を吐きながらファルコは焦点の定まらない瞳でタクトを見る。肺からの出欠による吐血だ。

 今すぐに治療しなければ、いや、今すぐ治療を施しても助かるか怪しい状態だ。ましてこんな場所のこんな状況下で、万に一つも助かる道は無い。

 ファルコの命はあと僅かであると、素人目にも明らかだった。

「おい、小僧……貴様、魔神の王になって……どうするつもりだ」

「俺は王になんかならない! ただソラリアを、仲間を助けに来ただけだ! それが何でこんな……こんな」

「フッ……」

 タクトの答えを聞いてファルコはニヤリとクチバシの端を歪める。

「どうやら、見込み違い……だったようだな……ガフッ……ハハハッ……」

 ファルコは己の野望が潰えた事を受け入れていた。

 今はただ死を前にして、魔神達が選んだタクトが王の器ではない事を蔑み、少しでも気を晴らしてから逝く程度の事しか出来ない。

 だがそんな嫌味にもシーゲルとヒュントの二人は全く動じていない。

「プッ。姉貴、こいつまだ解ってねーみたいだぜ?」

「本当に哀れな生き物ですわね。少し可哀想」

「あんたら、本当に血も涙もないのか!? 何でそこまで」

 そんな二体の冷ややかな態度に怒るタクトだったが、ファルコは死の直前、冷静になる事が出来ていた。

 先程の嫌味が最後の力を振り絞った最後の言葉だったが、ファルコは心の中で魔神達の真の目的を悟り、クチバシをかみ締めてた。

(そうか、そう言う事だったのか……魔神は、こいつらの真の目的は……)

 魔神達は勝負が始まる前からファルコでは無くタクトを選ぼうとしていた。鳥人のファルコではなく地球人であるタクトを。

 そして魔神達は古代地球からやってきた種族であり、数千年の長きに亘り虎視眈々と何かの機会を窺って、ここ新天地の空に隠れ住んでいた者達である。

 それが今になって動き始めた理由。何故タクトだったのか。何故今だったのか。ここに眠る千躰の魔神達。その全てが女性型である理由。

「く……そぉ……」

 ファルコは誰にも聞こえない声でそう呟いて、短かった覇道の生涯を閉じた。




「お願いですミィレスさん! もう止めて下さい!」

「それは出来ない。マスターの命令は絶対」

 二体の魔神はタクト達がいる中央ホールから、外部に繋がるシャフトスペースの中を合い争うように進んでいた。

「タクトさんが! タクトさんが殺されちゃう!! どいてミィレスさん! どいてぇ!!」

 薄暗い障害物のあるトンネルを、二体は飛行しながら、戦いながら外へ外へと進んでゆく。

 ソラリアの鍵とミィレスの鍵が激しくぶつかり合い、その度に火花が一瞬闇を照らす。

「私と貴女は同系機。だから戦っても勝負がつかない」

 時に壁面に叩きつけられ、時に剥き出しのパイプに激突しながら、炎と光の魔神は破壊を撒き散らして飛び続ける。

「性能が互角のモノ同士が戦えば、結果は千日戦争になるか相打ちか」

 ソラリアの輻射熱戦砲が、ミィレスのエイミングレーザーが、互いに決定打を与える事が出来ないまま、悪戯に轟音と爆炎の花を咲かせ続ける。

 姿形の違いはあれど二人は姉妹のような物。このまま戦っても決着は付かない。その事が戦えば戦うほど分かってしまうのだ。

「相打ちになりたくなければ諦めて」

「絶対に諦めません!」

 それでもソラリアは諦める訳には行かない。何としてもミィレスを下し、タクトがファルコと戦うのを止めなければならないのだから。

「たぁぁぁああ!!」

 力の限り鍵の剣を振るうソラリア。それに対応して適切に捌くミィレス。

 こうしている間にも二人は出会い殺し合いをさせられているかもしれない。決着が付いているかもしれない。

 そう思う程ソラリアの心は焦り、やがて攻撃は考えうる理想形、理論的戦い方から外れて行く。

「そこをどいてーーーーーー!」

 一撃必倒・一発逆転狙いの戦い方。力任せで非効率的な戦い方。

 心あるが故のそんな変化にミィレスは気付きながら、隙を突き倒すでもなく何故魔神がこんな戦い方をするのだろうと疑問を抱いていた。

「前言を撤回。ソラリア、貴女は私に勝てない」

「!?」

 ここに来てミィレスがソラリアを押し込み始める。

 いや、そもそもホールから離れる方向に誘導されていた時点でミィレスが僅かに上回っていた証拠か。

「今の貴女は感情回路が暴走している。エネルギー消費が非効率的」

 狭所に魔神が複数存在する場合、その場に存在する魔素マナを分け合わねばならない為、より効率的な運用が求められる。

 だがソラリアは勝ちを焦るあまり非効率的な戦い方をしてしまっている。故に、ミィレスに対し不利な状況となってしまっているのだ。

「私のシミュレーションでは7:3の割合で私が有利。戦闘継続を断念する事を勧める」

「それでも……それでも私は……タクトさんの事を――キャア!」

 心の揺らぎからソラリアの攻撃が緩んだ一瞬の隙を突き、ミィレスがソラリアを壁面に叩き付けた。

 受身を取る間もなく壁に叩きつけられたソラリア。壁は人形に凹み、ひしゃげた鉄板は容赦なくソラリアの体に食い込んだ。

「再度警告。戦闘を断念すべき」

「……っ!!」

 そして間髪入れず眼前に突き出された鍵の剣の銃口。

 勝負あった。

 身動き出来なくなったソラリアは、自分に銃口を向けるミィレスを静かに見上げた。

「……」

 だが不思議な事にミィレスはその後、何をするでもなくソラリアの動きを封じたままじっとその様子を見つめるだけだ。

 感情の無い瞳からはミィレスが何を考えているのか全く読み取れない。マスターであるファルコの命令が「ソラリアを抑えておく事」だったからだろうか。

 ファルコが勝った場合、タクトを失ったソラリアが怒りに駆られてファルコに復讐しようとする可能性だってあるのに、それを考慮しないミィレスではない筈だ。

 ソラリアがミィレスの考えを読めないまま、二人の間には先程までの激戦と打って変り、暫しの沈黙が続いた。

「……ミィレスさん。あなたは感情を取り戻したいと言っていましたよね?」

 先に口を開いたのはソラリアだった。

「肯定する」

「私は……私は、タクトさんの事が好きなんです。大好きなんです」

「……」

 ソラリアの言葉に耳を貸すミィレス。

 返事を返すと言う事は、ソラリアとの会話に応じると言う意思表示だ。

 ソラリアだけじゃなくミィレスも、相手の考えている事が知りたかったのだろうか。

 そう、心を持たないミィレスが感情のまま動くソラリアの心を知りたがったとしても、何ら不思議な事ではないのだ。

「あなたも心を持っていたなら、私の気持ちがわかるでしょ!? 誰かの為に戦う、その気持ちが!」

「気持ち……解らない。私はただマスターの命令に従っているだけ。あなたの気持ちが、理解できない」

 そ言うミィレスの瞳が揺れていた。

 胸の奥底で感じていた形容しがたい衝動。その正体を知りたくて、ミィレスは心を取り戻したがっていた。

 自分の中に眠る理解しがたい、自分でもどうして良いか分からないモノ。その為に、ミィレスはここまで来たのかもしれない。

 いや、違う。それだけではない。

 ミィレスの中に眠るソレ自体が、彼女の全ての行動原理と呼べる物だったのではないだろうか。

「私達機械種族は、人間の役に立つ為に生み出された"物"。戦う為に生まれてきた。そのような感情は無意味」

「誰かを大切だと思うから、戦えるんじゃないんですか!? あなたも、あの人の事が大切だから戦っているんじゃないんですか!? だからあなたは、感情を取り戻したかったんじゃないんですか!?」

「違う。私は……私は……!」

 ソレリアの言葉にミィレスは初めて顔色を変えた。

 この時代に目覚めてから使う事のなかった機能。いや、使えなかった機能が今初めて機能したのだ。

 本当は分かっていた。分かっていたが理解出来ない事を良い事に、自分で自分を騙し続けていた。

 魔神には自己修復機能が備わっている。それで直る筈のものが直らなかったのは、自分が直って欲しくないと願っていたからに他ならない。

「きゃあ!」

 ミィレスの中に封印していた感情が芽生え始める。

 溢れ出る情動のままに、ミィレスは鍵の剣をソラリアに突き立て、何かを必死に否定するように語り始める。

「だが、あなたのその感情は相手に伝わらない。もう貴女の大切な人は気付いている筈。貴女が、私達がただの機械人形でしかない事を」

 ミィレスは思った。

 自分がこんな無意味な事を長々とするなんて今まで一度も無かった、と。

 それでも止まらないのだ。自分で自分に歯止めが利かない。

 それを言ってしまったらミィレスは、自分がどうなってしまうのか恐かった。それを否定する為に今動いている。

「"物"は"人"と結ばれない。"物"でしかない私達は、どこまで行っても"人"にとって所詮代わりの効く"物"でしかないのだから」

「ミィレス、あなた……」

 求めているのに手に入らない。そしてそれを知るのが恐い。ミィレスはだから敢えて答えから目を逸らしてきた。

 だが今その答えをソラリアとの会話によって、白日に晒してしまいそうになっている。

「ファイナルアタック・パルスメーサーカノン準備!」

「ミィレスもう止めて! もう、もう私達が戦う意味なんてありません! だってあなたは……あなたは……!!」

「警告する。ソラリア=ソーサリー、貴女もファイナルアタックを使え。さもなくば、貴女はここで破壊されるだけ」

 最早それを避けるには相手を消すか自分が消えるしかない。

 明らかな論理矛盾、非生産的行動。

 今この場で決着をつける事に、彼女達の行動目的からして何ら意味は無いと言うのに。

 それでも二体の魔神はお互いに銃口を向け合った。

「ミィレス……! こんなの、こんなの! 悲し過ぎます!!」

 ファイナルアタックの為にソラリアから離れ距離をとったミィレス。

 向けられる滅びの銃口に、ソラリアも鍵の剣を取るより他無かった。

『エネルギー充填50%……60……70……80……90……ファイナルアタック――』

 二人のエネルギーチャージはほぼ同時だ。火と光の砲撃は、例え魔神と言えども直撃すれば消滅は免れない。

 このままでは最初の予言通り相打ち、二人とも消滅する事になる。本当にそれが彼女達の求める答えなのだろうか。

「パルスメーサーカノン――発射!!」

「集積火粒子砲――ファイヤー!!!!」

 しかしその問いに答えてくれる者は誰も居ない。

 黒い月表層部付近、とうとう二人の魔神による滅びの矢が放たれたのだった。




「気に病む事はありません。亜人を一匹殺しただけですから」

「気に病むなだって?」

 ファルコが死に、罪悪感に打ちひしがれるタクトの元に、カーレン女史が再び姿を現したのは十分ほど時が経ってからの事だった。

 無言のタクトに対して投げかける言葉。それはやはり余りにも冷たく、受け入れがたい現実を語っていた。

「人が一人死んだんだぞ! お、俺が、俺が殺――ウッ」

 タクトは思わず胃の内容物を戻した。

 罪悪感と絶望から精神が限界に近かったからだ。そんなタクトの様子を見て、バイザーから見えるカーレンの僅かな口元だけがニコリと微笑む。

「人間ではありません。人の形に似た獣です」

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……あんた、何を言って――なっ!?」

 タクトが戻し終わり呼吸を整えていると、突然温かく柔らかい物に顔を包まれた。

 シルクの滑らかな肌触りと、遙か昔、子供の頃感じた事のある安らぎを覚える双丘の感触。それはカーレンが炊くとの頭を胸に抱いた感触だった。

「な、何をしているんだ!? 一体何を――うわっ」

 驚いて離れようとしたタクトの頭をカーレンは再び胸元に引き戻し、タクトに逃げられないよう両膝の上にその身を預けるように、抱き合う形で体を接触させる。

 その体からはしっかりと体温を感じ、ほのかに石鹸の匂いがしている。

 胸はそれ程大きくは無いが、手の平に収まる大きさで女性らしさを伝えるには充分なサイズで、細身だがカーレンの全身はどこも柔らかく、タクトは初めて味わう女性の体に呆気にとられた。

「貴方様は私達の王となるべきお方。亜人の一匹や二匹、気にしなければ良いのです」

「だけど……こんな……」

「嫌な事はお忘れ下さい。私は貴方様の――きゃあ」

 カーレンがタクトの耳元で囁く。甘い声が脳に直接染み込むように伝わり、タクトを忘我の境地へと誘おうとする。

 だがその時、タクトの脳裏にソラリアの笑顔がよぎった。

「や、止めてくれ! 俺はそんな事!」

「主様……」

 突き飛ばされたカーレンは弱々しげに立ち上がったタクトを見上げる。

 タクトはこんな時でも何かを強烈に信じていた。それはソラリアが生きていると言う事。そして今も自分を待っていると言う事。

 その事だけが、タクトをこんな場所にまで突き動かした、全ての原動力だった。

「もしかして、あのソーサリーがお気に入りなのですか? それでしたらすぐに手配致しますが」

「ほ、本当か!? 本当にソラリアに会わせて貰えるんですね!?」

「はい、本当です。もし主様さえ宜しければ、アストレスでもアクシズ三姉妹でも、この私でも、全て望みのままに」

「いや、俺が用があるのはソラリアだけで……うわっ!?」

 カーレンの申し出にタクトがそう答えた時、黒い月の外から、この巨大建造物を揺るがす程の圧倒的破壊音が響いてきた。

 揺れる細い通路とそこにパラパラと降り注ぐホコリ。尋常でない自体が外で起こっている。

「な、何だ今の衝撃は!? ものすごい音も聞こえたぞ!?」

「おそらくソラリアとミィレスのファイナルアタック同士がぶつかり合った音でしょう。ソーサリー型とアストレス型は同世代・同系機で性能は全くの互角。戦えば千日戦争か相打ちとなります」

「そんな! じゃあソラリアは!?」

「同型機などまたいくらでも作れます。主様が私共の王として君臨し、再び地球に帰還する時が来ればすぐに」

 カーレンはそう言うと再びタクトに寄り添って身を任せた。

 これまでの会話と出来事から最早否定しようが無い。ソラリア、そしてミィレスやこのアクシズ三姉妹と呼ばれる少女達は、この女カーレンによって作られたロボットだ。

 人間そっくりに作られた精巧なロボット。人と同じように笑い、悲しみ、そして涙を流すロボット。それが魔神と言う存在。

「あ、あなた達は……いったい……」

「私達はずっと待っていたのです。地球の魔素を消費し尽くしてしまい、この世界に逃れ出でた瞬間からずっと」

 カーレンは語る。かつて自分達がどうしてこの異世界に来る事になったのかを。

 そして今再び、地球に帰還する時が来た事を。

「いつか地球に魔素が回復した時、再び地上に君臨する、その時を」

「まさか、古代ギリシャの哲人プラトンが残した書にある超古代文明が……まさか……」

 タクトはかつて読んだ本やテレビで聞きかじった知識を思い出した。

 かつて地球には、遙か古代高度に発達した文明が存在していたと言う伝説があった事を。そしてその文明が存在した大陸は、一夜にして海に没し完全に消え去ったと言う伝承を。

「今やこの世界の魔素も薄れ始めています。それはこの世界の神々の神威しんいが強すぎるからです」

 カーレンの説明は尚も続く。

 そして、おぉ、何と言う事か。彼女達の目的が、この異世界を滅ぼしかねない危険な計画だと言う事を。

「ですがそんな事は私達にとってどうでも良い事なのです。私達が地球に戻る時、大量の魔素を消費するのですから」

「どう言う……事ですか」

 『魔素マナ

 或いは魔力や霊威と言った呼ばれ方もするモノ。現在地球では殆ど使われていない、いや、認識すらされていない忘れ去られたモノ。

 それを動力源に、彼女達魔神や古代文明は強大な力を得ていたのだ。だがそれは星にとって有限の資源で、生産される量も限られている。

 それをかつて古代文明は、自らの豊かさの為に湯水のように使い続けた。結果、地球から神々や精霊は殆ど消え、彼らも生活を維持する為異世界への移住を余儀なくされたのだ。

「我々の魔科学は独力で異世界へ渡る手段を持っていると言う事ですよ。そしてそれは、この異世界を滅ぼしかねない技術なのです」

「なっ――!?」

 魔科学とも呼ぶべき技術によって魔素を、神や精霊や魔法や奇跡を失った結果、地球人類は科学を進歩させる事が出来た。

 だがこの世界が魔素を失えばどうなるか。

 神や精霊と共に発達してきた異世界文明。その高度に発達した文明が一度にその基盤を失えば、代替技術の想像より先に急激な混乱と戦乱、破滅が起こるだろう。

 そんな危険な技術を彼女達は有していると言うのだ。

「ゲート開放にざっと5千年分の魔素を消費します。そうすればこの世界の魔素は殆ど尽き、精霊などの弱い霊威れいいから滅んでゆく事でしょう」

 数千年もの間、カオス理論から導かれる風神の死角を逃げ続けた黒い月。

 一体で千人分以上の戦力を有する魔神と言う存在。

 かつて神魔戦争によって滅んだと思われた彼女等が、今もこうして生き永らえ、チャンスを狙っていたとは神々でさえ知る所ではなかった。

「そして魔素を失い、やがてゲートも維持出来なくなります。そうすればこの世界に地球側の魔素が吸われる事も無くなるのです」

「ちょっと待ってくれ! それじゃまるで異世界側がゲートを開けたのは地球の魔素を――」

「そう、奪う為なのです。この世界の神々の策謀なのです」

 カーレンの語る事は事実から導き出された推論だ。

 だがその答えはおそらく当たらずしも遠からずと言った所だろう。エントロピー増大の法則に従って、魔素の平均化が進んでいる事は事実なのだから。

「ですから我々は地球を守ろうとしているのです。協力して下さいますか? タクト様」

「それは……そんな話、信じられない……」

「全て真実です。地球を守って下さい、タクト様」

「だって……いや、それじゃ……だって俺は……俺はっ……」

 タクトは困惑し頭を抱え込んだ。

 短い間に様々な事が起こりすぎた。身に覚えの無い王の座を求められたり、悪人とは言え鳥人を手にかけたり、敵と思っていた相手から世界がピンチだから協力してくれと言われたり。

 ソラリアを助ける為だけに来たのに、その事を一瞬忘れる程、状況は混乱していた。

 ここは新天地上空。混乱を司る神の領域。

(因果律を歪める存在……タクト様、貴方だけが数千年待った、私の真の望みを叶える唯一の希望なのです。だから……)

 そしてカーレンは生体計算機によって観測されたこの世界の特異点、タクトを使って、本当に求める彼女の目的を果たそうとしているのだった。




 一方、黒い月表層入り口の前では――。

「うぅ……」

「エル……お姉ちゃん……」

 中に招かれたタクトの後を追おうとしたエル達は、シーゲルと入れ替わるように現れたアクシズ三姉妹の末娘リンネ=サンサーラと戦闘になっていた。

「キャハハハ♪ 君達よっわ~~~い」

 いや、訂正しよう。

 正確には戦闘になっていない。あまりに戦力が離れた者同士が戦う場合、それは戦闘とは言わない。一方的な暴力だ。

 エルとシエラはリンネの謎の能力によって一瞬のうちに倒され、今や立っているのはアルトメリアただ一人。

 だが聖騎士であるアルトメリアをしても、絶望的戦力さは埋められない状況だった。

「でもおっかしーなー、キミ何で死なないんだろ? ボクもうキミの事百回も殺してるのに」

「ハハッ、そう言う体質で――ねっ!」

 アイアンクローのように片手で頭を掴まれ持ち上げられるアルトメリアは、今にも砕けそうな軋む頭を推してその体からドラゴンを召還した。

 黒い腹部から頭を出すドラゴン。その鋭い牙がコンマ数秒の間にリンネの胴体を噛み砕かんとした。

「またそれ~? さっきからバカの一つ覚えみたいにその手品ばっかり。キミもしかしてそれしか出来ないの? 可哀想」

(くっ、最強の持ち球であるドラゴン種も歯が立たないし、どうするかねぇ。魂のストックはあと566……強いのから使ってるから、後半になる程厳しいか)

 だがそのドラゴンの顎が閉じられた直後、リンネの鍵の横笛が強靭な竜族の頭部を半分近くもぎ取る様に吹き飛ばしたのだ。

 ここまでの損傷を受けては如何なドラゴンと言えども生命を維持できない。鉄をも噛み砕くドラゴンの牙を以ってしても、魔神には傷一つつけられないのだ。

 アルトメリアは体内に取り込んだ666匹の獣の魂の一つを、またも無駄に消費してしまった。

 だが聖騎士である彼女はその程度の事で諦めたりはしない。すぐさま最近新たに取り込んだ、食人植物を召還したのだ。だが――。

「なぁにこれ~? 気持ち悪ーい!」

 その植物もリンネは瞬時に破壊し、その時食人植物から出た強酸性粘液を浴びてもビクともしない。

「ドラゴンの歯も通じない、強酸性食人植物の酸も通じない、こりゃ本格的に打つ手無しって奴かな。っグハッ!」

 食人植物の対応によって一瞬手一杯となったリンネの手から離れたアルトメリア。

 一旦距離を取ろうと後ろに下がったが、瞬きの間にリンネはアルトメリアに追いつき、手刀を腹部に叩き込んでいた。

 鮮血と共に貫通する抜き手。

 一瞬は逃がしたものの、再び獲物を掴まえたリンネは血に塗れた手を振り上げて、再びアルトメリアを片手で持ち上げた。

「ボクもう飽きたよ。死んでるのに動いてるなんて、どうせこの世界の神の力でしょ? 理不尽で嫌いなんだよね、そう言うの」

「どっちが理不尽だい、この化け物め」

 死ぬ程の損傷を受ければアルトメリアは命を一つ失う。

 これで彼女に残された魂のストックは565。まだまだ戦える、まだまだ死なない、そう思うのは些か甘い考えであろう。

 シンネはこれでも全く本気を出していない。彼女が本気になれば、今のように逃げる事も叶わず残りの命を全て殺しきる事くらい充分に可能なのだ。

 まして魔神は他にもいる。少なくとも残り二人のアクシズ三姉妹が来れば、状況は更に絶望的となるだろう。

「殺せなくたって、キミを処分する方法なんていくらでもあるんだよ? ヒュント姉に氷漬けにしてもらうとか、シーゲル姉に灰も残さず焼いてもらうとかさ」

(終わりか……エルロン、ごめんね)

 リンネの口からその事実がハッキリと述べられる。

 アルトメリアは死を覚悟した。だが……。

「――ん?」

 その時、リンネの細い足にすがる者がいた。シエラである。

「もう……止め……て……」

「あれ? キミ折角ギリギリ生かしておいてあげたのに。やっぱり死にたいの?」

「きゃあ!」

 リンネは命からがら懇願するシエアを蹴り離し、腹部を貫いて掲げ上げていたアルトメリアを放り投げた。

 蹴られたショックで意識を失ったシエラに一思いに止めを刺そうとリンネが少女の頭を踏み砕く準備をしたその時。

「や、止めてくれ!」

 その時、シエラを庇ったのは既に片腕を折られ無力化したエルだった。

「今度はキミぃ? もぅ一体何なの? ボクこれでも忙しいんだけど」

「止めて……下さい。お願いします」

「およ?」

 シエラの上に被さる様に庇うエル。最初、リンネはもう面倒だから二人まとめて殺そうと、エルの体ごとシエラの頭を踏み抜こうと足を上げたが、エルの意外な言葉にその動きを止める。

「あなたに敵わない事は充分解りました。降参です。ですからどうか命だけは、命だけはお助け下さい」

「キャハハッ、命乞いしてる。人ってホントすぐ命乞いする生き物だなぁ」

 エルは体を引き摺るように動かしリンネの前に跪いた。その様子を見て面白がるリンネ。

「しょーが無いなぁヒトモドキはぁ。ここで諦めて帰るなら助けてあげるよ♪」

「ほ、本当ですか!? 本当に!?」

「ホントだよぉ~ボクを信じてぇ」

 機嫌を良くしたのか、リンネは二人にとって希望の言葉をかけた。帰るなら許す、見逃すと言うのだ。

 最初はここまで圧倒的な力の差があると思わなかった。だから戦いを仕掛けた。だがすぐにそれは間違いだと気付く。

 二人はソラリアと過ごすうち、彼女の人間性から無意識のうちに、魔神と言えど太刀打ち出来る存在だと思い込んでしまっていた。

 だがそれは大きな間違いで、こうして今、魔神が悪魔として伝承に残っていた理由を知る事になったのだ。

「さ、あそこから帰って良いから。そうしたら見逃してあげるから。ね?」

「え、でもここは……」

 ニコニコと微笑みながらリンネが指差した方向。そこには何もなかった。ただ門の前の広場の端があるだけ。その先には広大な大空が広がっているのみなのである。

「どうしたの? 帰りたくないの?」

「でも、だってここは空の上――」

「帰らないんだ~。じゃあ死刑ね♪」

(ゾクッ――!)

 エルがそう返した時、リンネは目を細めて笑いながらそう言った。

 そう、つまりリンネは始めから、飛び降りて自殺するかこのまま自分に殺されるかの二択をエルに迫っていたのだ。

(こ、こいつ、人の命をゴミ程にも思ってない! 壊れても良いおもちゃとしか思ってない!?)

「あと5秒数えま~す。その間に逃げなかったら死刑ね♪ そっちの鳥人間から」

「まっ、待って下さい! 私は飛べないんです! 逃げたくても逃げられないんです!」

「い~~~ち」

 リンネはエルの言葉に耳を貸さずゆっくりと死のカウントダウンを始める。

 しかもエルがシエラの事を身を挺して守ろうとした事を知った上で、シエラから殺すと先に予告してからだ。

「せめてこの娘だけでも! この娘が目を覚ますまで待って」

「に~~~い」

 それでもエルは助かる可能性を模索する。シエラだけでも助けたい。エルはもうそれだけだった。

「お願いします! お願いします! せめてこの娘だけでも! お願いします!」

「さ~~~ん」

 だがそんなエルの願いをリンネは聞き届けようとしない。

 いやむしろ、そんなエルの絶望する様を見て楽しんでいるようだった。

「お願いします!! お願――」

(イラッ)

 だが、エルのあまりの必死さにリンネは軽く苛立ちを覚えた。

「よんごー! はい終わり! 死刑決定!」

「っ!?」

 先程までのカウントダウンのスピードを無視して、リンネは4と5を一瞬で終わらせた。

 エルの反応に飽きたのだ。

「ま、待って! 待って下さい! 助けて下さい! 助けて――誰か助けてー!」

 シエラとエルを片腕で一本ずつ持ち上げて、リンネは広間の端まで歩いてゆく。

 一歩、また一歩と死が近づいてくる状況に、エルは最早抵抗する気力を失っていた。そして二人の体が足場の無い中空に掲げられ、処刑の準備が整った時、リンネはまだ意識のあるエルに高打ち明けたのだ。

「最後だから言うけど、ボク最初から助けるつもりなんか無かったよ。キミが面白かったから少し遊んだだけ」

「あ、悪魔……!!」

 笑顔でそう言ってのけたリンネは、予告通り気を失ったままのシエラから先に手を離した。

 一瞬で小さくなって行き雲に消えたシエラ。守ると誓った大切な者を失い、エルは絶望の表情を浮かべた。その顔を見て満足したリンネは、次にエルの体も空に放したのだ。

「はいおしまーい。あ~ぁ、今日は久し振りにいっぱい来たからもう少し遊べると思ったの――」

 そう言って踵を返したリンネの足が止まった。

「……何か近付いてくる。鳥と……蟲?」

 リンネの能力は『音』である。その耳は遙か遠方の僅かな音も正確に捉える事が出来る。

 その耳が、この場に近づいてくる新たな音に気付いたのだ。

「おかしいなぁ、落下音も途中で消えた。何だろう、これ――わっ!?」

 リンネが音の変化に気付いたその瞬間、彼女の周りに一陣の風が舞った。

「風の精霊? 何でボクに近寄れるんだろう。 魔素を失って消滅する筈なのに何で」

 それは精霊による魔法の風。精霊は魔神に近寄ると魔素を奪われ消滅するにも拘らず、それでも魔法の風を吹かせたのだ。

 精霊が嫌がる事をしてくれる程の精霊使い。そんな風の精霊使いを、絶望の光景を眺めていたアルトメリアは一人だけ知っていた。

「どうしたのよ? あなた昨日戦った時はもっと強かったでしょう?」

【お待たせ。真夜中の小人さん】

 リンネが風に目を奪われた隙に、二人の人影が新たに黒い月の門前広場に現れる。

 一人は鳥人だった。白を基調としたオルニトの民族衣装に身を包み、肩幅に広がる茶色の髪を大きなカチューシャのような髪留めで飾り立てている。

 もう一人は蟲人だった。白、黒、黄色の派手な格好に身を包み、顔は目元をマスクのような物で隠している。そしてお尻の所からは大きな尻尾のような物が生えていた。

 二人はそれぞれ助けたシエラとエルを広場に寝かせ、アルトメリアの方に向き直った。

「君ら、ちょっと遅いんでないかい?」

「傷口が塞がるのに時間かかったのよ。それより貴女、酷い有様ね」

【噂の真夜中の小人も意外と大した事無い】

「ふっ、好き勝手言ってくれて。時間稼ぎも大変だったのにさ」

 軽口を叩き合うこの三人は、共に互角の力を持った猛者同士だ。

 その三人を見て、リンネは顔をしかめながら面倒くさそうに、退屈そうに、感想を漏らした。

「また侵入者~? 今日はやけに多いね。今度は少しは楽しめるかなぁ」

「よくも妹を可愛がってくれたわね。お礼に死ぬ程楽しませてあげるわ。死ぬ程ね」

【アルトメリアはそこで見てる? それとも帰る?】

 そう言った二人は元・ファルコ軍四元魔将の一人『テンペスター』カイラ=ウィンザードと、聖騎士団所属凱旋の聖騎士『不死身』のストレンジャー。

「ふっ、冗談」

 そして夜の帳が下り始め、体の回復が急速に進みフードを取って立ち上がった凱旋の聖騎士が一人『真夜中の小人』アルトメリア=リゾルバ。

「ようやく日が落ちたんだ。真夜中の小人は夜じゃないと仕事が出来ないものさ。これからがスラヴィアンの本領発揮だよ」

「わぁ頼もしい。今度は何時間遊べるのかなぁ、ボクワクワクしちゃう♪」

 三人はそれぞれ風を纏い、毒針を構え、巨竜を召還して『魔神』リンネ=サンサーラを対峙した。

「聖騎士クラスが三人もいるんだ。これで魔神と戦えるか……いざ、勝負!」

 鍵の笛を構えたリンネに、三人の現代の聖騎士は戦いを挑むのだった。

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