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第3話 夜明けの風

 ファルコ配下の武闘派神官、四元魔将を相手に戦った激闘から1ヶ月、街はまだ多くの人を失った悲しみから覚めないまま居た。

 しかしここ新天地の暮らしは楽ではない。生きている者はこれからも生きて行かなければならないのだ。

 嘆き悲しんでいる暇も無く、街は復興の為忙しい毎日を過ごしているのだった。

 そんな中、街の人々はソラリア達を英雄として温かく迎えてくれ、闘いの傷と疲れを癒すまで、この街でゆっくり休んで行く事を許してくれた。

 前の街ではすぐに追われたソラリア達にとって、この街の対応は温かく、とても心救われる思いだった。

「ソラリン、もう体の方はすっかり良くなったみたいだね」

「はい、皆さんのおかげです」

 会話の主はソラリアとシエラ。二人はバイト帰り市場で食材を調達して来た所だった。

 ソラリアの怪我はあの時の言葉通り、ほぼ一週間で完治してしまった。だがエルの怪我はそう簡単に直らない。

 あの後医者に診て貰ったら、スワン蹴られた鼻の骨が曲がってしまっていたらしい。

 他にも顔の腫れが引き、瓦礫で挫いた足の治療の為、この街で暫し休養を取っていたのだった。

 その間タクトの仕送りだけでまかなえない分は、シエラやタクトが手分けして働きながらどうにかしていたのだ。

「でもソラリンって意外と不器用だったんだね。割ったお皿の弁償でバイト代がパァだよ」

「ほ、本当にすみません……力仕事なら得意なのですが……」

「最初は仕方ないよ。私だって慣れてるから出来るだけだし。大丈夫! 何とかなるなる!」

「シエラさん……はいっ! 私、頑張ります!」

 そう言ってソラリアは可愛らしく小さなガッツポーズをとった。

 今日も街の食堂でバイトをしてきた帰り道二人話しながら宿に帰っている途中だ。

 二人は調理は出来ないので皿洗いやウェイターの仕事なのだが、何でもそつなくこなすシエラと違い、ソラリアは毎日失敗の連続だった。

 唯一得意なのが力仕事。その為こうして、早朝の買出しから始まる早番のシフトに入って居たと言う訳だが……

(え?)

 その時、いつもの路地を歩いていて、ふと視界を遮った影にソラリアは目を奪われた。

 影の人物の頭に、自分と同じような大きなバイザーが見えたからだ。服装もこの辺りでは浮いた格好をしていたように思う。

「あっ、あの」

 ソラリアは急に胸騒ぎがして、その人物を探したくなった。

 もしかしたら自分と同じ仲間かもしれない。そんな希望があったからだ。

「私、急用が出来ましたので、その……ちょっと行ってきます!」

「あ、ソラリア?」

 ソラリアは事情説明も碌にしないまま、買い物袋をシエラに渡し先程の影が消えていった路地裏に走り出した。

「……どうしたんだろう」

 その光景を、シエラは渡された買い物袋を支えるのに必死になりながら、不思議そうに見送ったと言う。



【異世界冒険譚-蒼穹のソラリア-】



「やっぱり私、ソラリンの事探してくるね」

 そう言ってシエラが腰掛けていたベッドから立ち上がった。

 ソラリアが単独行動をするなんて珍しい事だが、たまにはそう言う事もあるかと思い軽い気持ちで分かれた事を、今は後悔している。

 時刻は丁度午後5時を回った所。シエラが宿について1時間が経過していた。

「そうだな……うん、頼むよシエラ」

 エルはまだ取れない顔の包帯を擦りながら言った。

 エルがあの戦いで怪我をして以来、シエラは本当によくエルの世話をしていた。

 少し遠慮がちに恥ずかしがるエルに、シエラは良いから良いからと手厚く世話を焼きたがるのだ。

 それは何だか世話をすると言うより、妹が大人ぶって姉にじゃれ付く様な、そんな雰囲気の光景。その姿に、タクトとソラリアは癒されていた。

(ソラリンどこ行ったんだろう)

 シエラが市中に出た頃、空は徐々に夕暮れに向け空が朱色にわ染まり始めていた。

 もうすぐ訪れる夕焼けの空、人々は心穏やかに空が美しく変わり行く時を待つのだ。

「あ、おじさん。ちょっと聞いていい?」

「おう、何だい嬢ちゃん?」

 昼間訪れた市場からシエラは捜索を始めた。まずは手近な店に居た店主に声をかけてみる。

 こう言った時に物怖じしないのがシエラの良い所だ。ソラリアは人見知りだからそう言った事が苦手だ。その点、時々シエラの方がお姉さんのように見える事もあった。

「長い黒髪に青い瞳の……えっと、人間の女の子見なかった?」

「人間? さぁ、見なかったねぇ」 

「ありがとーおじさん」

 最初の聞き込みは収穫なし。

 シエラは少しガッカリしながら、まだ最初だから仕方ないと割り切りすぐ次の捜索に移ろうとした、その時――

「シエラ?」

「え?」

 突然背後から声がかかった。

 シエラを呼ぶその声は、彼女にとってとても懐かしい声。3年前に離れ離れになって以来、一度も聞けなかった待ち焦がれた人の声。

「やっぱりシエラだ。久しぶりね」

「カイラ……お姉ちゃん……」

 振り向いたその先に居たのは、シエラとそっくりな鳥人の女性。

 カイラ=ウィンザード。シエラ=ウィンザードの実の姉だった。




 シエラは思い出していた。3年前、カイラが家を出る前にした最後の会話を。

 それは雲一つ無い、蒼穹の空を見上げながら、浮遊島の芝で話した事だった。

『ねぇシエラ。神様は何で私達に空を飛ぶ翼を与えてくれたのかって……考えた事ある?』

 カイラは優しい顔でシエラに問いかけた。

 唐突な質問だったが、当時から活発で、どこに行ってもすぐ友達を作って帰ってくる明るい子供だったシエラは、さして疑問を持たずにこう答えた。

『どこにでも自由に行けるように?』

 カイラはそれを聞いて、妹の頭を撫でながら嬉しそうに、でも少し悲しそうに笑った。

『ふふ、シエラらしい答えね』

 カイラは立ち上がると翼を広げて風に晒した。

 浮遊大陸であるオルニト本土では風が止む事はない。上空に浮かぶ奇跡の島は、風神と風精に愛されているのだ。

 そんな場所で、その時不意に風が止んだ。

『でもね、私はこう思うんだ』

 風の音が消え、静寂に包まれた二人だけの会話。カイラの表情は太陽と逆光になって見る事が出来ない。

『世界中にいるめ色んな種族の中で、私達が一番高く空を飛べるのはきっと――』

 シエラはこの時、言い知れぬ不安感に襲われていた。

 カイラが、自分の姉が、手の届かない所に行ってしまうような気がして……

『きっとこの空が、私達だけの物だからなんだ、って』

 逆光で見えない筈のカイラの顔。なのに瞳だけは爛々と輝いていたのが、シエラには恐かった。




「シエラ?」

「え? あ、ごめんなさい。ボーっとしてた」

 シエラはカイラと一緒に市内を歩いていた。

 目的地など無い。ソラリアを探して行く当ても無く歩き回っているだけだ。

「もお、大丈夫? 一人で暮らすようになったからしっかりしたと思ってたのに。お姉ちゃん心配だわ。あ、すいません長い黒髪の人間の女の子見ませんでしたか?」

「人間の? あ、そう言えばさっき見かけたなぁ。確かあっちに行ったような……」

「ありがとうございます、おじ様」

 カイラはシエラの事情を聞くと、自分も一緒に探してあげると言い出した。

 シエラからソラリアの特徴を聞き出すと、カイラが率先して聞き込みを始めたのだ。そしてその成果はすぐに現れた。

「う~~~、大丈夫だよ。私一人でもしっかり暮らせてるもん」

 シエラは、久しぶりに会った姉だったが昔と変わらない様子で安心していた。妹の事を可愛がるカイラは少し過保護なくらいシエラの世話を焼くのだ。

 それがシエラにとってくすぐったくもあり、こっ恥ずかしくもあり、そして嬉しかった。

「……ごめんね。あの時勝手に出て行ったりして」

「お姉ちゃん?」

 黄昏時の路地裏で、二人並んで歩く姉妹。

 シエラは姉の言葉に顔を見返したが、夕暮れの暗さからその表情を読み取る事は出来ない。

 しかしカイラの口調はとても穏やかで、シエラは優しい姉の言葉にすっかり心を許していた。

 一時は姉を恨んだ事もあった。自分一人残して出て行った姉に、幼いシエラは憎悪を向ける事でしか、心の痛みを誤魔化す術を持ち合わせていなかったからだ。

「あの時、私ちょっとおかしくなってたのよ……だけど、これからはちゃんと守ってあげるから。ね? 許してシエラ……」

「お姉ちゃ――っ!?」

 だがそれも過去の事。こうして再び出逢えた事の方が何倍も大切だと思った矢先、シエラはいきなりカイラに体を引っ張られ、背中に隠されるような形となった。

「危ないなぁ、そんな物を人に向けたら」

 若い女性の声だった。

 声の主は夜の帳に溶け込むように黒い格好をしている。まるでこれから葬式にでも行くような格好だ。

 カイラその人物を鋭く睨み、自慢の美しい翼腕に握った短刀を向けていた。

「血生臭い奴に近づいて来られたら誰だってそうする」

「獣臭いとか埃臭いとはよく言われるが、血生臭いとは初めて言われたよ」

 その黒尽くめの人物は、短刀を向けられながら余裕の表情を見せている。

 精気の感じられない顔に奈落のように深く暗い瞳。シエラにも一目でその人物が尋常でない事がんかった。

「お姉ちゃん、この人……」

「シエラは下がって」

 不安気に姉の肩に隠れるシエラを庇うように、姉のカイラは雄々しくその翼を広げた。

 すると途端に路地裏に風が吹き込み始める。風精の仕業だ。

 演唱も舞も捧げ物も無しに精霊が力を貸すなど、信じ難い光景だ。

 だが世界には居るのだ。精霊に愛され、精霊と心通わせる者が。

「少し話を聞きたかっただけなんだが、こりゃ飛んだ大物に出くわしちまったね。今日はついてない」

 そんな『風に選ばれし者』を前にしても、黒衣の女は困ったなと肩をすぼめるジェスチャーをするだけだ。

 その様は、よほど自分の実力に自信が有るか、死なない保証でも有るかのようだったが、恐るべき事にこの女にはその両方が備わっていた。

「カイラ=ウィンザード。『テンペスター』の称号を持つ最上級風使い。そっちの妹さんに用があったんだが……まぁ、君でも同じ事か」

 黒衣の女がずいと一歩踏み出した。

 カイラの構えた短刀の先が胸先に食い込む。

「一体何の用なの? カタギの人には見えないけれど」

「正体を言ったらきっと仲良く出来ないから言わないよ。ただ害意は無いとだけ言っておく」

 黒衣の女性は両手を広げて見せた。武器を持っていない事のアピールだ。

 だがそんなものがここ異世界で如何程の意味を持とうか。この世界には武器無しで、猛獣を殺せる猛者が山と居るのだから。

「あなた……まさか元老院の聖騎士!!」

 カイラが何かを察してそう叫んだのと、路地裏に小規模の竜巻が発生したのはほぼ同時だった。




「キャーー!」

「お前達何やってるんだ!? こんな所で!」

 街は突然路地裏に発生した竜巻に騒然となっていた。

 幾千のシルフの光がカイラとシエラを包み暴風から守っている。

 そして、それ以外の全てを竜巻は砕き、飲み込み、天高く舞いあげて行った。

「これはシルフ!? お姉ちゃん何するの!?」

「シエラはもっと下がって隠れてて!」

 カイラはシエラにそう指示すると、また真っ直ぐに黒尽くめの女の方を睨んだ。

 相手は建物の間に渡された洗濯用のヒモに掴まって風に抗っている。

 体が浮く程の強風に、何故あんな細腕で耐える事が出来るのか?カイラには疑問だったがじっくり考えている余裕もない。

 これ以上風を強くすれば黒衣の女を吹き飛ばせるかもしれない。だがそれは同時に周囲の建物まで一緒に破壊してしまう事を意味した。それは出来ない。

「詠唱も無しに精霊魔法とは恐れ入る。では私も――」

 その時、黒衣の女の体がうねった。

 まるで、やがて訪れる解放の時を、服の下で何かが待っているように。

「アルトメリア=リゾルバの名において命ず! 出でよワイバーン!!」

 そして唱えた。

 聖騎士アルトメリアが、獣魔術の演唱を。

「キャーーーー!!」

「うわーーー! ドラゴンだー!」

「何でこんな所にぃ!?」

 次の瞬間、ヒモに掴まり絶体絶命の体だったアルトメリアは、竜巻をも切り裂いて飛ぶ、翼竜ワイバーンの背に跨り空を駆けていた。

「お前、“獣魔術師”アルトメリア!?」

「この術はいちいち名乗らなきゃならないのが欠点だな。正体がバレてしまう」

 肉体ごと魂を己が体に封印する事で隷属 させる忌まわしの術。

 「人を食べたくない」ただその思い一点から生じたこの術は、欠損した身体を補う為の行為から、いつしかより強い力を身につける為の行為へと変わっていた。

 時刻は丁度夕刻を回った頃、鳥目のカイラには不利な時間帯。そしてスラヴィアンの宴の時間でもあった。




(どこ? どこに行ったの?)

 ソラリアは昼間見た影を追って街外れの方まで来ていた。

 そこは穀物や香辛料などの食料を多く備蓄してある倉庫が立ち並ぶ所で、人影が殆ど無い寂しい場所だった。

 それまで道の曲がり角を曲がる度、進む先が分かる程度に一瞬だけ見えていた影。その影をここに来て全く見失ってしまったのだ。

(見失った……)

 ソラリアが追跡を諦めかけた時、その影は現れた。

「あなたを探していた」

 突然ソラリアは背後から声をかけられ、反射的に飛び退った。

 そこで見たものは、ソラリアと同じようなバイザーを頭に付け、この辺りでは見た事の無いタイプの服を着た、ソラリアと同い年くらいの少女だった。

「あ、あの……私」

「自分と同じだと思った」

(っ!?)

 ソラリアは自分の考えを言い当てられドキッとする。

 心を読まれているのだろうか?いや、そんな筈がないと頭を切り替え、屹然と目の前の少女に向き直った。

「私はミィレス=アストレス。あなたと同じ魔神マシンの一体」

「マ……シン……?」

 そう言えばスワンと言う人にもマシンと呼ばれた事をソラリアは思い出した。

 『マシン』それが自分の種族なのだろうか。ソラリアが疑問を感じ、難しい顔をしていると、ミィレスがそれを聞いてきた。

「あなたもしかして記憶を?」

 ソラリアは黙って頷いた。

 今にして思えば、つい衝動的に追いかけてきてしまったが、この追跡は始めからおかしい物だったと気付いたからだ。

 まるでこのミィレスと名乗った少女は、ソラリアが追いつけず、また、見失わない距離を保ちながら歩いていたように思える。

 そして人気の無い街外れまで誘導して、姿を表したようだった。

 ソラリアは身構えた。

 自分の事は知りたい。仲間にも会いたい。しかし今の状況は危険すぎる。

 ソラリアがそう思っていた時、ミィレスは意外な事を打ち明けたのだった。

「私は感情を失っています。あなたは記憶、私は感情、似ています」

「似……てる……」

 この少女も自分と同様に大切な物を失っているのか。そんな思いがソラリアの心を駆け巡った。

 自分と同じ種族、大切なものを失った者同士、その事がソラリアの中で親近感となり、急速に信用を増して行った。

「取り戻したいですか?」

 ミィレスが語る。ソラリアの望みを知っているかのように。

 タクトの事が好き。絶対に守る。その想いと同じように、ソラリアは自分が何者か知りたかった。

 だからソラリアはミィレスの言葉が、最早真実でも嘘でも、それにすがるしか無かったのだ

「取り戻す方法があるんですか!?」

「黒い月まで行く事が出来れば取り戻せます。私の感情も、あなたの記憶も」

 とうとうミィレスは黒い月の名を口に出した。

 ミィレスの今のマスターはファルコだ。そのマスターが黒い月に行きたがっている。

 だが黒い月の門を開くには『鍵』が二つ必要だった。

 そう、ミィレスの任務はもう一つの鍵を持つ、ソラリアを黒い月に連れて来る事だったのだ。

「一緒に行きませんか?」

 ミィレスは抑揚の無い声で語りかける。

 ただ命令に従うだけのロボットのように。

「黒い月まで……」

 二つの鍵が揃った。

 数千年誰も辿り着けなかった黒い月の確信への道が、今、開かれようとしていた。




「切り刻めシルフ! そのデカブツを片付けろ!!」

「お~恐いね~」

 あの後、カイラとアルトメリアは交戦状態に突入していた。

 ワイバーンのブレスをカイラはシルフの風で防御する。

 竜巻を切り裂いて飛翔し、狭い路地に建物を砕きながら突撃してくるワイバーンを、負けじとカイラも華麗な飛行テクニックでかわす。

 やがて戦いは空中戦となり、月明かり照らす街の夜空に、巨大な翼竜と風の妖精が舞い踊った。

「お姉ちゃん!」

「シエラは下がって!」

 カイラはワイバーンとのすれ違いざま、手にした短刀をアルトメリアに振った。

「ファルコの軍は倒す。だがそれより百倍魔神はヤバイ存在でね」

「……」

 それをアルトメリアはいつの間にか召喚していた大亀の甲羅で弾き返す。

「君は分かっているのか? 魔神がどれほど危険な存在かを」

 アルトメリアが次々に大きな鳥を召喚し始める。

 戦場はいつしか竜巻から離れ始めており、体の大きな鳥なら飛行出来る位の風速になっていたのだ。

「そんな事……言われなくても痛い程……!!」

 大きな鳥が獰猛にカイラに襲いかかる。そのクチバシと爪で獲物の肉を引き裂き、殺してしまう大鳥だ。

 カイラはそれらの突撃を紙一重で交わしながら、手にした短刀で次々と大鳥を無力化していった。

「シルフッ!」

 一見互角のやり取りが続いているかに見えるこの戦いだが、実際はカイラが不利だった。

 今は夜、スラヴィアンの時間帯だ。しかもカイラは鳥目の為、今まで風の流れを読んで戦っていたのだ。

 それもシエラが戦いに巻き込まれないよう計算しながら。

 アルトメリアの召喚獣も有限だが、それよりカイラが神経をすり減らせてミスを犯す方が先だろう。

 現に、既にカイラは防戦に回る事が多くなり始めていたのだ。

「むっ!?」

 だがそんな状況を理解していないカイラではない。

 その時、突然一陣の風が三人を襲った。

「……逃げられたか」

 するとどうだろう。

 先程までアルトメリアと激闘を繰り広げていた筈のカイラとシエラの姿は、風が吹き抜けた後の空にはもうなかったのだ。

 実に鮮やかな逃げっぷりだ。カイラは冷静に戦況を判断した上で、撤退の街を選んだのだ。

「さて、どうやって魔神を探そうかねぇ」

 戦いが激しくなる程、撤退の決断は難しくなる。

 それをあっさり行ったカイラの柔軟さに、アルトメリアは逃げられれば追跡は無理と判断し、残りの獣魔を体に戻した。

 空を見上げる人々の喧騒に、アルトメリアは頭を抱えるのだった。




「な、何!?」

「あれは……翼竜」

 一方、ソラリアとミィレスの方も、二人の戦いに気付いていた。

「シエラさん!? 襲われてる!」

 ソラリアは目を凝らし、暗い中、遥か遠くのシエラの姿を発見する。

 仲間の危険にもう黙っているソラリアではない。即座に自分も飛んで助けに行こうとするが、それを制したのはミィレスだった。

「今行ったら駄目」

「どうして!?」

「とにかく駄目。私を信じて」

「でも……」

 ソラリアはミィレスの言葉の意味する所が分からず困惑する。

 何故今はダメなのか?ミィレスは自分の知らない何を知っているのか?そうしている内にも戦いは激しさを増し、破壊音と街の喧騒は一層大きくこだましてくる。

「私達魔神はこの世界の敵。居ればみんなを不幸にする」

「どう言う事? 何でそんな事分かるの?」

 ミィレスの言葉を聞き、ソラリアはスワンに言われた事を思い出していた。

 『悪魔』たしかにそう呼ばれていた。マシンとは何なのか?何故悪魔などと呼ばれるのか?それをこのミィレスは知っている。

 そしてソラリアの記憶を戻す方法も。

「何故なら私達は――」

 ミィレスが何か言おうとした時、大鳥の死骸が落ちてきて、倉庫の天上を破った。

「きゃあ!」

「っ!?」

 辺りに響く大音響に驚いたのも束の間、いつの間にかカイラとアルトメリアの戦いは、二人の方に移動してきていたのだ。

 カイラとアルトメリアは戦いの被害を抑える為、意識的に人気の少ない方に移動してきたのだろう。

 だがそこには丁度二人が居た。

 このまま此処に居れば戦いに巻き込まれる事は必至だった。

「明日の夜明け、町の西の外れで待ってる」

「待ってミィレス! 待ってー!」

 ミィレスはそう見るや、スッと建物の影に消えてしまった。ソラリアも追うが、ミィレスの姿はもう遥か先。

 低空飛行で飛ぶミィレスをソラリアがまた追ったとしても、今度は追いつけまい。

「……」

 そう思いつつ、少しの望みにかけて倉庫地帯を進んだソラリアだったが、ミィレスは完全に姿を消してしまった。

「居ない……」

 ミィレスの残した言葉。「明日の夜明け、町の西の外れで待ってる」。

 ソラリアが彼女に会うには、もうこれを信じて行くしかなかった。

(私の記憶……タクトさん、私……)

 罠かも知れない。でも少しでも可能性があるなら行ってみたい。

 ソラリアは未だ揺れる心の中で、タクトの事だけを思い出した。




「遅いぞタクト! こっちだ!」

「ま、待って……ちょ、速すぎ……!」

 その頃、カイラとアルトメリアの騒ぎを聞きつけ、タクトとエルは夜の街を疾走していた。

 エルは街を進む内耳に入ってくる断片的な情報から、何と無くシエルの身に何かが起こっているような、嫌な予感がしていた。

「シエラ!」

「あ、エル」

 そして傷の癒え切らぬ身体でタクトがへばる程ダッシュを続け、ようやくシエルを見つける事が出来たのだが……

「大丈夫だったか? さっきこっちの方で騒ぎがあったようだが」

「うん、もう平気。お姉ちゃんが守ってくれたから」

「お姉ちゃん?」

 その言葉にエルは我が耳を疑った。

 話には聞いていたのだ。生き別れの姉が居ると言う事は。ただ、シエルがもう会えないかもしれないと言っていたのを、エルは間に受けていた。

 いや、そう思いたかったのだ。

 何故なら、本当の姉がいない間は、自分がシエラの姉で居られるから。

「私はカイラ=ウィンザード、シエラの姉です。妹がお世話になっています」

「あなたが……」

 だがエルは、自分がそんなショックを受けている事など悟られたくなかった。

 シエラに変に思われたくなかったからだ。

 そうしてエルが必死で感情を隠している間にも、話は続いていた。

「私はエル=カレナ。ダークエルフで、今はこの男の用心棒をやっている」

「久我タクトです。人間です。はじめまして」

 タクトはそんなエルの微妙な気持ちに全く気づかなかった。

「さっき偶然お姉ちゃんと出会ったの。それで怪しい人から守ってくれたんだよ」

「つまり先程の戦闘はあなたの……」

「獣使い(ビーストテイマー)に襲われて。理由はよく分からなかったけれど」

「……そうか」

 エルはまたしてもショックを受けた。遠目に見えた戦闘は、自分などでは到底太刀打ち出来の化け物同士の戦いだった。自分がもしあの場にいても、シエラは守れなかった、それがハッキリ分かったからだ。

 今度は感情を隠し切る事が出来なかった。

「立ち話もなんだし、みんないったん宿に戻ろうよっ。お姉ちゃんにお礼もしなきゃいけないし、ね?」

「そうだな。そうしよう」

「ありがとうシエラ。同行させてもらうわ」

 暗い顔で何も言わないエルにタクトは気付いたが、姉との再開にはしゃぐシエラは気付かなかった。




「へぇ、あなたも傭兵を」

「傭兵と言っても、町の自警団とかそう言うのだけどね」

 宿に帰ってからタクトとエルは、カイラにパンとバターとエール酒を出して歓迎した。

「お姉ちゃんすっごかったんだよー! 詠唱も無しにシルフ使ったり!」

「へぇ、そりゃ凄い。私も見てみたかったよ」

「別にそれ程の事では……」

 謙遜するカイラだったが、シエラは宿に帰ってから姉は凄いと言うばかりだ。

 それを聞いてエルは笑いながら、握った拳を震わしていた。

(ソラリアどこに行ったんだろう)

 そんな和やかなムードの中、タクトはソラリアの事を考えていた。

 元々シエラはソラリアを探しに行った筈だったが、生き別れの姉と再開し、敵に襲われ、怪獣大決戦のような戦闘に巻き込まれて、色々な事が起こりすぎてすっかり当初の目的を忘れているようだ。

 ソラリアは強い。それはタクトのみならず今や皆の知る所であった。

 だからソラリアに限って大丈夫と言う気持ちはあったが、それでも記憶喪失の女の子にも違いは無い。

 タクトがソラリアの身が心配だから探しに出たいと言おうとした時、宿の部屋のドアが開いた。

「あの、ただいま……」

「あ、ソラリン!」

 そこでようやっとシエラは自分がソラリアを探していた事を思い出したようだった。

 バツが悪そうに頭を掻くシエラとやれやれと安心して嬉しそうな顔のエル。

 そしてタクトは扉の前まで来るとソラリアの肩をポンと叩いた。

「ごめんなさい、勝手に一人になってしまって」

「無事帰ってきたから別に良いさ。気を付けてくれれば」

「はい」

 これで全員が揃い再び部屋に安心が戻ってきた、その時ーー

「……」

「どうしたのお姉ちゃん?」

 カイラがソラリアを見た途端、一瞬目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。

「シエラ、その人は?」

「彼女はソラリア=ソーサリー。前の町で仲間になったんだ」

「ソラリアです。宜しくお願いします」

「……カイラです。宜しく」

 カイラはすぐに表情を作り直すと、ソラリアに対して至って普通に挨拶をした。

 だがその時、カイラは思い出していたのだ。忘れもしない、幼い頃魔神と出会った日の忌まわしい記憶を……

(人間の様な外見。あの頭の飾り。間違いない、こいつが……)

 それはカイラだけではない、シエラにとっても辛過ぎる過去であった。




「あ~~~ん! あぁ~~ん!!」

 幼い鳥人の子供が泣きじゃくっていた。

 場所は空中にある巨大な建造物の表面、入り口と思しき門がある所だった。

「カイラ……シエラを連れて逃げろ……」

「やだよぉ! パパも一緒じゃなきゃやだぁ!!」

「お願いカイラ……妹を連れて逃げて」

「ママァ~! あーーーーん!」

 今、子供ーーカイラの目の前には彼女の両親が横たわっている。

 その大きな両翼はズタズタに裂かれ、身体も血塗れで、最早子供の目にも、この二人が助からぬ事は明白だった。

 それでも、幼い子供にどうして親を捨てて逃げる事が出来よう。

 カイラはただただ、何も出来ず、死を待つばかりの両親を前に絶望するしかなかったのだ。

「駄目だ……もう奴らが来た……あの悪魔が」

 やがて、巨大建造物の輪郭に三人の人影が降り立った。その人影に翼は無い。翼無しでここまで飛んできたのだろうか?

 だが幼いカイラにとって今そんな事はどうでも良かった。

 ただただ奇跡が起きるのを願っていたのだ。

 貧しいながらも家族四人幸せな日々が戻ってきますようにと。

 こんな酷い夢早く覚めますようにと。

 だが現実は残酷にも、そんな現実逃避する暇は与えてはくれない。

 三人の悪魔は建造物の絶壁を重力を無視した角度で歩いてくる。

 カイラとしエラにも死が迫っていた。

「ママとパパはもう助からないわ。だからお願い、お姉ちゃんとしてシエラを連れて逃げて」

「嫌だ~~~~~! いやぁ~~~!」

「あ~~~ん! あぁ~~ん!!」

 やがて気絶から目を覚ましたシエラも、カイラと一緒になって泣き始める。

 その光景を見て思うのだ。

 二人の両親はこんな地獄に幼い我が子を巻き込んでしまった事を、己が死ぬ事より遥かに強く悔いていた。

「やっぱり言い伝え通り黒い月には触れてはいけなかったんだ。これは禁忌を犯した罰か」

「でも子供達だけは、せめて子供達だけでも……」

 カイラの両親は最後の力を振り絞って叫ぶ。

 もう悪魔はそこまで来ているのだ。子供など一溜まりもなく殺されてしまう。

 一刻の猶予も無い、一秒でも早くこの場から逃げて欲しかった。

「カイラ行くんだ! 行きなさい!」

「行ってカイラ! お願い!!」

 悪魔達が迫る。

 三人の美しき、清廉なる悪魔が今……

「ママー! パパー!」

 三人の一人が囁いた。両親の息の根が止まる、その時にーー

「ッ!?」

 カイラはそこで目を覚ました。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 夢はいつもそこで終わる。その後、自分がどうやって助かったのか、何故殺されなかったのか、両親の遺体はどうなったのか、何も覚えていない。

(アクシズ……三姉妹……)

 ただ一つ覚えている事、それは頭に大きなバイザーを乗せた女達の一人が言った言葉。

(そうだ、私が魔神からシエラを守らなきゃ。あの、パパとママを殺した悪魔から)

 カイラは流れ落ちる汗も気に留めず、上着を引っつかんでベットから立ち上がった。

 もうあの頃の無力な自分とは違う。

 カイラは翼に力を込めた。




「本当の姉……か」

 エルは珍しく酒をあおっていた。

 昼間の事が忘れられず、飲まずにはいられなかったのだ。

(何をバカな事を……シエラは本当の妹じゃない)

 エルには妹がいた。血を分けた実の妹だ。

 歳の離れた人懐こい妹をエルは溺愛した。身体を壊してた母に代わって、愛情を注いだ。

 今はもういない。

「身勝手な代償行為だ……我ながら情けない」

 自然の厳しさ、或いは抗い様の無い運命。そんな物に妹も母も奪われ、エルは怒りや悲しみのぶつけ場所もわからぬまま、一人生きるしかなかった。

「罪滅ぼしをしているつもりで……結局、私はただ逃げているだけなのかもな……」

 声が似ていた。性格も似ていた。初めてシエラに会った時、エルは運命を感じたのだ。

 まるで妹が帰ってきたような。楽しかった時を取り戻したような。

「自分の力で守る事も出来ず、自分の力で得た訳でもなく、そしてまた……私は……」

 エルは再び自らに訪れる運命を受け入れようとしていた。抗う事なく、ただ流されるままに。




『明日の夜明け、町の西の外れで待ってる』

 ミィレスのその言葉に、ソラリアの心は揺れていた。

 ミィレスの誘いは考えるまでもなく「一人で来い」と言う誘いだ。

「ミィレスさん……私と同じ魔神……」

 同種族の同胞とは言え、出会ったばかりの相手を簡単に信用して良いのだろうか。

 だがこれは千載一遇のチャンスかもしれない。そう思うと、ミィレスを信じたくなってくるのだ。

「黒い月と言う所に行けば……本当に私、記憶を取り戻せるのでしょうか」

 ソラリアは可能性を示されたのだ。記憶を取り戻し、タクトととの大切な何かを思い出す可能性を。

 ミィレスは感情を取り戻したいと言った。それが本当なら、彼女もソラリアと同じ、可能性に縋っているのでは無いのか?ソラリアはそう思った。

 もし黒い月に行くのに一人では無理な理由があるなら、ミィレスが自分を誘う事の説明も付く。

 ソラリアが自分に都合の良い理論展開を考えていた時、宿のドアを叩く音が聞こえた。

「はい、どなたでしょう?」

「カイラです。少し良いですか?」

「はい……?」

 夜、ソラリアの部屋のドアを叩いたのはカイラだった。

 カイラが会ったばかりのソラリアに一体何の用があるというのか?

 カイラは理由を告げぬまま、ソラリアと共に宿を出て行った。

(ん?)

 しかしその光景を目撃した者があった。一人部屋で酒を飲んでいたエルだ。

(あれはソラリアとカイラ。こんな時間に一体?)

 時刻はとっくに深夜と呼べる時間帯だった。

 シエラとカイラの出来すぎた出会い。そしてカイラがソラリアを見た時に見せたあの表情。エルの背筋に嫌な汗が溢れ出た。




「あの、魔神について知っている事って」

「……」

 カイラがこんな深夜に初対面のソラリアを呼び出せたのは、魔神について教えると誘い出したからだった。

 ソラリアは今ミィレスの誘いに乗るか否か迷っていた。

 それを判断する為の情報を少しでも欲しかった矢先、カイラの申し出は渡りに船だったろう。

 勿論、カイラはミィレスの誘いの事など知らない。魔神の情報をダシに使ったのは、単に事前にソラリアが記憶喪失と言う情報を得ていたからに他ならない。

 だが運命の悪戯か魔神とカイラの宿命か、二つの歯車は全くの偶然に、完全に噛み合ってしまったのだ。

「魔神……黒い月に居る悪魔」

「悪……魔?」

 カイラは俯いたままゆっくりと語り出す。

 それはあたかも、ソラリアに向けられた呪言のように、ソラリアの心に深く深く浸透して行く。

「精霊無しで魔法を使う、この世界の住人ではない存在。神と精霊に嫌われた世界の異分子。我々の天敵」

 カイラの言葉にソラリアの中で昼間の光景がフラッシュバックする。

『私達魔神はこの世界の敵。居ればみんなを不幸にする』

 ソラリアの中にミィレスの言葉が蘇る。

 実感のなかった大げさなセリフが、今確かな真実味を持ってソラリアの中で再生された。

「あ……あぁ……」

 ソラリアは後退りペタリと尻餅をついた。

 信じたくなかった言葉が今、現実の物となったのだ。

 それまで平和に暮らしていたタクト達が、何故急にこれ程過酷な運命に巻き込まれてしまったのか。

 ソラリアにはその理由が今こそ分かったような気がした。


『もしかしてぜんぶ、わたしとであったせい?』


 天地がひっくり返りそうな衝撃に、最早ソラリアは正気を保つ事は不可能であった。

 焦点の定まらぬ瞳は虚空を彷徨い、すがるべき何かを探している。

 だがカイラはそんなソラリアに、追い打ちをかける一言をかけるのだった。

「そして、私とシエラの両親の仇」

「ッ!!??」

 ソラリアは目を見開きカイラを見返した。

 カイラも真っ直ぐにその瞳を見返す。

 カイラの瞳に嘘は無い。全て偽りなき真実だからだ。

 古き言い伝えにこうある。「魔神の征く所、必ず戦乱の嵐が吹き荒れると言う」

 その伝承の通り、魔神は、ソラリアは、周囲に戦乱と死を振りまく存在だったのだ。

 己の意思とは不関係に、それが魔神に科せられた宿命、いや、呪いであるかのように……

「あなたに直接怨みは無いけれど……シエラから離れてもらうわ。永遠に」

 カイラは放心状態となったソラリアを見て、彼女がもう抵抗する力も気力も失った事を確認した。

「死んで」

 そして翼腕を構え、心で風の精霊にカマイタチを願ったその時、何かが二人の間の闇を切り裂いた。

「っ!? 誰っ!?」

 カイラが振り向いた先、宿の方向を見た時、そこに居たのは悲しそうな顔をしたエルその人だった。

「カイラ……」

「ダークエルフの!? くっ、着けられていたとは!」

 カイラが目撃者を消すべく、起ったカマイタチをエルに向けて放とうとした時、エルの影から一番巻き込みたくなかった人物が姿を見せた。

「お姉ちゃん!」

「シ……シエラ……」

 それはシエラだった。

 エルはカイラがソラリアを連れだしたのを見た時、怪しいと思いシエラを連れて二人を追っていたのだ。

 そして間一髪、ソラリアがやられる前に間に合った。

「どうして!? どうしてこんな事するの? 教えてよ、お姉ちゃん!」

「シエラ、私は――」

 カイラがシエラに手を伸ばす。だがその翼腕が可愛い妹の肩を掴む事はなかった。

「シエラ下がれ! そいつは傭兵なんかじゃない、ファルコの手下だ!」

 そう、エルがシエラを下がらせたのだ。

 エルは思い出したのだ。ファルコの四元魔将はまだ一人残っていた事を。

 そしてその者の名は、災厄を齎すテンペスターと言った事を。

 昼間見た翼竜と竜巻を起こす程の風の精霊術師との戦い。そんな使い手など、大陸にもそう居なかったからだ。

「シルフ!」

「くっ、風で矢の軌道を……!」

 次に放った矢はカイラを狙って射った矢だったが、これはいともアッサリと風で防御される。

 エルは唇を噛んだ。やはり正面から挑んでは実力が違いすぎるのか!?

「いかにも私はファルコ軍四元魔将が一人、風の魔将テンペスター・カイラ」

「四元魔将!?」

 シエラが驚きの声を上げる。それもその筈、四元魔将とはファルコ軍で最強の称号を持つ軍団長だからだ。

 その軍団長に何故、優しい自分の姉がなっているのだろうか。シエラには理解出来なかった。

「何故妹の友達に手を出そうとした! 何故妹を騙した!」

「こうするしかなかったのよ!」

 エルは続け様に弓を射るが、その悉くが風に煽られて決して当たる事が無い。

 エルは自分が手加減されて居ると感じ、またしても己の無力さに唇を噛んだ。

「シエラ、聞きなさい! 私達の両親はね、本当は殺されたの」

 一方、カイラは防戦一方に見え、その実全く本気を出していなかった。エルと戦う事が目的ではなかったからだ。

 カイラの思いはシエラを守りたい事、エルの思いもシエラを守りたい事。

 何故同じ思いを持つ者同士戦わなければならないのか?

 それはきっと、エルの思いがカイラよりも純粋でないから……

遺跡探索者ルーインエクスプローラーだった私達の両親は黒い月に近づき、そして魔神に殺されてしまった」

「そ、そんなの……そんなの聞いてないよ! 殺されたって何!? どう言う事なの?」

 エルはその話を聞き、弓を引く手を止めた。

 シエラが本当の事を知りたがっている。この場にもう自分の役割は無い。

 シエラに必要とされていないと思った時、エルの手から世界樹の枝で作った弓がスルリと地面に落ちた。

「魔神は世界の敵、遥か古代の負の遺産! 絶対に倒さなければならない!」

 それを見てカイラはシエラに近づいた。

 この場にはもうそれを止める者はいない。カイラはシエラの両肩を掴み、未だ地面にへたり込むソラリアに向けて叫んだ。

「そしてそのソラリアと言う娘が、現代に甦った魔神なのよー!」

 ソラリアとシエラの視線が交錯する。だがソラリアはシエラの目を真っ直ぐに見る事が出来ない。

 それは先程のカイラとの会話によって、ソラリアの心に後ろめたさが植え付けられていたから。

「ソラリンが、私のお父さんとお母さんを殺した種族の……仲間……?」

「わ、私……私は……」

 ショックを受けるシエラに何か言ってあげたい。だがソラリアには何も返す言葉が浮かばなかった。

 自分の事も分からない者の言う事など、一体どうして信じる事が出来ようか。

 再びグラリと視界が回り、ソラリアはその場に倒れそうになる。そこにやっと異常を察知してやって来たタクトが、倒れるソラリアの肩を支えた。

「ソラリア! 一体どうしたんだ!? 大丈夫か!?」

「タクト……さん……」

 タクトはソラリアを後ろから抱きしめた。

 あんなに強いソラリアが、今は力を入れたら砕けてしまいそうな程儚く、か細い。

 それ程までにソラリアの心は今、ダメージを受けていたのだ。

「確かに私はファルコの手先となった。けどそれは魔神に復讐する為。そしてシエラ、あなたをファルコと魔神から守る為よ」

 それでもカイラは構わず続ける。シエラの瞳を真っ直ぐ見つめて、伝えるべき真実を全て、心まで伝える為に。

「私達は空のオルニトも地のオルニトも追われた。そのせいであなたには辛い思いをさせてしまったけれど……全てはファルコの仕組んだ事だったのよ」

 ファルコの企み、魔神の恐ろしさ、全て妹に伝えて、そして共に手をとって戦う為に。妹を守り抜く為に。カイラはーー

「風神ハピカトルに見えない”空の死角”の軌道を進む、黒い月へ行った事があるのは私達だけ。だからあの男は――」

 あぁ、しかし何と言う事か。

 カイラはシエラに想いを、真実を全てを伝え切る事が出来なかった。

「えっ!?」

「あぁ!」

 シエラの脇を抜け地面を焦がした一筋の光。

 続いて漂ってくる肉の焼けた匂い。

「お――お姉ちゃーーーん!!」

 シエラに崩れかかるように倒れたカイラの胸には、ハッキリと金貨大の風穴が空いていたのだった。

「くそ!」

 これにはそれまで力なく立ち尽くしていたエルも反応する。

 猛禽類の目を除けば、最も目が良い部類に属するエルの目でも、暗闇の中カイラを狙撃した相手の姿は、影も形も見つける事が出来なかった。

(い、一体何をされたんだ? 光……光の精霊魔法なのか?)

「お姉ちゃん! お姉ちゃーん!」

「動かしちゃ駄目だ! 早く医者のところへ――」

 突然の事に慌てふためく一同。

 シエラはカイラの胸の穴から溢れ始めた、どす黒い液体を止めようと手で押さえながら泣き叫び、タクトがそれを止めようとする。

 エルは周囲を警戒しながらシエラに覆いかぶさり次なる攻撃から守ろうとしている。

 一瞬にして混乱の坩堝と化したその場で、ただ一人冷静なのは以外にもカイラだけであった。

「私は……もう助からないわ……」

「そんな事無いよ! きっと助かるよ! 助かってくれなきゃやだよ!」

 シエラの顔を撫で、落ち着かせようとするカイラ。

 その一方で考えていた事は、誰が自分を攻撃したのかと言う事。

 光――それはファルコとミィレスが得意とする魔法の属性。だがこの攻撃の瞬間、精霊の息吹は全く感じられなかった。

 だとすると犯人は……

(これは……ファルコの精霊魔法じゃない……そうか、結局私も両親と同じように……)

 カイラは両親が死んだ日の事を思い出した。

 ――あの時、お母さんお父さんはこんな気持ちだったのかな――

 不思議と犯人への怒りや憎しみは無い。いや無いと言うより、そんなものどうでも良くなってしまうのだ。

 犯人や自分の事よりも、もっと遥かに大切な事が他にあるから。

「シエラ……逃げて……」

「嫌だー! 絶対やだーーー!!」

「シエラ……」

 シエラの姿に昔の自分を思い出すカイラ。

 もう自分の事は良いから早く逃げてよ。あなたさえ助かってくれるならそれで良いのに。そんな思いに反し、シエラは固くカイラを抱きしめて放さない。

 そんなシエラが愛おしくて、大切で、涙が出るほど嬉しいのが悲しい。

 カイラはシエラに何も言えなくなって、もうどうして良いか分からなくなって、そんな時、シエラのもう一人のお姉ちゃんがシエラをカイラから引き離した。

「何か……言い残す事は?」

「シエラを……頼みます……」

「分かった」

 カイラはそれを聞いて、安心して目を閉じる。まるで、もう思い残す事は無いと言うように。

「お姉ちゃーーーん!!」

 冷静になったタクトとエルの手によってカイラは医者の所へと運ばれていった。

 その場に残ったのは、子供のように泣きじゃくるシエラと、呆然とただ虚空を眺め続けるソラリアだけだった。




「……」

 カイラを担ぎ込んだのは、地球式医学を学んだと言う触れ込みの、怪しい街病院だった。

 そこの廊下で、一同は暗い空気に包まれていた。

 カイラは面会謝絶で、地球で医学を学んだと言う怪しい若い医者から手術を受けている。

 ハッキリ言って生死不明の重体だ。

 廊下の椅子で一言も喋らないシエラに対し、皆何と声をかけたら良いか分からずに居た。

「シエラさん、あの……」

 そこで初めて口を開いたのは、以外にもソラリアだった。

 もし万が一カイラが死ねば、シエラは天涯孤独となる。

 その最悪の事態を考えた場合、根拠も無く下手に希望的観測を述べて励ますのは、返って悲しみを増大させる結果となる。

 希望を持ちたい。だが希望が潰えた時、人はより深く絶望する。

 きっと、シエラも姉に助かって貰いたい反面、心の何処かで覚悟を決めなければならないと思っているのだ。

 だがその覚悟を持つ事自体、姉が助かる事を信じない事になるのではないか?

 そして非科学的な考えだが、姉が助かると信じ切れなかった為に、祈りが足りずに助からないかもしれないと言う思いもあるのだ。

 ソラリアは自分が魔神で、人々に不幸を撒き散らす存在だと知ってしまった。

 事の責任の一端は自分にあると思っているのだ。

 だからシエラを少しでも励まそうと声をかけたものの、やはり何と言っていいかわからず、こうして再び黙ってしまったのだった。

 だがこの事が、シエラに珍しい怒りと言う感情を呼び起こす結果となってしまった。

「……何で何も言わないの?」

「えっ」

 シエラが椅子からゆらりと立ち上がった。

 そしてそのままゆっくりとソラリアの前まで来ると、翼腕をだらりと垂らしたまま虚ろな瞳で話し出したのだ。

「あの時、精霊力を感じなかった……前にソラリンが魔法を使った時と同じだったよ」

「っ!?」

 感情の籠らない声でそう言うシエラ。

 いつもの明るく元気な声からは想像もつかない、ゾッとする程冷たく静かな声に、ソラリアは身動き一つ取る事が出来なかった。

(まさかミィレスさん? そんな、どうしてなの?)

 幽鬼の如くソラリアの前に立つシエラを見て、エルは嫌な予感しかしなかった。

 これから最悪の事態になる。戦闘種族であるダークエルフの感がそう告げて居た。

(やっぱりカイラは魔神に……ソラリア以外にも魔神がこの街に来て居たのか)

 魔神には気配が無い。気配を消して居るとか気配が薄いとかではなく、初めからそんな物魔神は持ち合わせないのだ。

 あの時、エルの視界の外からミィレスはカイラを正確に撃ち抜いた。

 それはカイラが潜在的にマスターであるファルコの敵であった為か?いや、或いはもしかしたら、カイラと戦闘になりそうだったソラリアを守る為に……

  エルはもう一人の魔神よ目的が分からず考え込もうとしたが、それを止めたのだ突然の怒声だった。

「お姉ちゃんはソラリンと同じ魔神にやられたんだよ! 私の両親だって!!」

「私は……私はその……」

 その大声はシエラの声だった。

 誰も見た事が無いシエラの怒り。もうこの先何が起こるのか、一番付き合いの長いエルにも分からない。

 ただ一つ言える事は、今のシエラは何をするか分からないと言う事。

「ソラリンも魔神なんでしょ!? 何とか言ってよ! 何か言ってよぉ!!」

「もうよせシエラ!」

 エルはシエラを後ろから羽交い締めにした。今やシエラの顔はソラリアに噛みつかんばかりに近づいていた。

 エルがあと一瞬、動くのが遅ければシエラはソラリアに掴みかかっていたろう。

 シエラの怒気はそれ程の物だった。

「お前が悲しいのはみんな分かってる! でも、これ以上は……ただの八つ当たりだ」

「う……」

 そう、エルの言う通りだった。

 シエラのソラリアへの怒りは完全な八つ当たり。そんな事誰もが、シエラだって分かって居た事だったのに……

「うわぁぁぁぁぁん! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 シエラはエルに抱きついて泣いた。

 エルはシエラの頭を撫でながら、もう何も言わなかった。

 エルがシエラを守り始めたのは、彼女のセンチメンタルだった。

 そのセンチメンタルはシエラの実の姉が現れた事で崩れ去った。

 今は違う。これからは、エルはシエラを大切な仲間として守るのだ。大事な友達だから守るのだ。

 エルの中で何かが変わり始めた。

「ソラリア、行こう」

「タクトさん、私……」

 どうして良いのか分からず、ただ下を向いていたソラリアを助けたのは、やはりタクトだった。

「今はそっとしておこう。時が経てば……シエラも分かってくれるさ」

「はい……」

 ソラリアはタクトの優しさに素直に甘えた。

 しがみ付いた腕は思っていたよりもずっと太くて硬く、それだけでソラリアは不安を忘れる事が出来るようだった。

「わあぁぁぁぁぁぁぁ……」

 廊下に響くシエラの泣き声は、深夜まで続いた。




『あの時、精霊力を感じなかった……前にソラリンが魔法を使った時と同じだったよ』

 宿に戻ったソラリアはベッドで今日起った事を思い返していた。

 カイラ、シエラ、二人の姉妹を襲った悲劇は今も続いている。

(カイラさんを攻撃したのはミィレス……あなたなの?)

 そしてその悲劇をもたらしたのは、ソラリアと同じ魔神のミィレスだ。

 ミィレスは何故そんな事をしたのだろうか?誰かに命令された?一体誰に。

 そう考えてまず頭に浮かんだのはファルコと言うオルニトの神官だった。

 だがその考えは矛盾している事にソラリアはすぐ気付く。

 ファルコ軍の精鋭である四元魔将のカイラを、何故ファルコが殺そうとするのか。

『私達魔神はこの世界の敵。居ればみんなを不幸にする』

 再び頭の中でミィレスの言葉がリフレインする。

 あの時カイラはソラリアを殺そうとしていた。もしミィレスがカイラを攻撃した理由が、ソラリアをカイラから守るためだったら?

(だとしたら、カイラさんがあぁなった原因の一つは、紛れもなく……)

 ソラリアは思う。自分が目覚めてからの戦いの連続を。

 きっとこんな事普通じゃないんだ、と。

「世界の……敵」

 スワンもミィレスもカイラも魔神の事をそう言っていた。魔神とは一体何なのか?

 何故こんなに憎まれ、そして戦いを呼んでしまうのか。

 考えても考えても答えは見えてこない。ただ一つ確かな事、それはソラリアが紛れもなく魔神であると言う事。

「シエラさんごめんなさい……カイラさん……エルさん……タクトさん」

 その答えを見つけるには一つしか方法はない。だがそれは今まで共に戦って来た仲間への裏切りになる。

「みんな、ごめんなさい……」

 それでもソラリアは答えを求めずにいられない。

 自分が何なのか分からなければ、これ以上一歩も進めない気がするから。

(こんなに悲しいのに、シエラさんのように涙が出ない)

 ソラリアは自分の選択が自分勝手な選択だと分かっていた。罪悪感も孤独感もあった。

 それでも、ソラリア黒い瞳からは、一滴の涙も流れ落ちないのだ。

「私は……悪魔なんだ……」

 ソラリアは、そのまま静かに目を閉じた……




「シエラ落ち着いたか?」

「うん……」

 翌日の朝、シエラが落ち着きを取り戻したのは、カイラの手術が成功したとの報せを受けてからの事だった。

 それまでエルはずっと、付きっ切りでシエラを落ち着かせようと頑張っていた。

 シエラにとって今が一番辛い筈だ。誰かが支えてあげなければならない。それが今出切るのは自分しかいないとエルは思った。

「私、ソラリンに酷い事言っちゃった……」

 一方、平静を取り戻したシエラは、自分が仲間に言ってしまった事を後悔していた。

「ソラリン、許してくれるかなぁ」

 あの状況で、ソラリアがシエラに何か言える筈がない。

 にも関わらず、ソラリアは何とかシエラを励まそうと思ってくれていたのに、その思いを完全に踏みにじる行為をしてしまったのだ。

 こんな事をしたら嫌われて当然だとシエラは俯いた。

「きっと分かってくれるよ」

「エル」

 そんなシエラをエルがまた励ます。ソラリアは心の優しい娘だ。それが分かっていたから、エルは二人は仲直りできる筈だと信じていたのだ。

 だが事態は、エルが想像していたよりも遥かに悪い方向に進み始めていた。

「あれ? 居ない」

 朝方宿に戻ったエルとシエラは、ソラリアに謝ろうと真っ先に泊まっている部屋に向かった。

 しかしノックをしても反応がない。仕方なくドアを開けてみると、そこにソラリアの姿はなかった。

「もう起きてたのかな?」

「……そのようだ」

 シエラがキョロキョロと部屋を見回す中、エルの目はもぬけの殻となったクローゼットを見ていた。



「そんな……ソラリン、私のせいで……私があんな事言ったから」

 ソラリアはどこを探しても居なかった。

 宿にも、宿の近くにも、三人で街中探し回ったが全く姿が見えない。

 昨夜の事を考えれば、それは誰の目にも「出て行った」としか思えなかった。

「シエラは悪くない。誰も悪くない。悪いのは――」

 再び宿に戻って結果を報告しあい、芳しくない結果に責任と罪悪感を感じて泣くシエラ。

 それをエルが慰め、タクトがソラリアの行きそうな所はまだ無いかと必死で考えていると、窓の外から誰かが話しかけてきた。

「あ~まんまとしてやられちゃったね」

 三人が一斉に声のした方を振り向く。

 そこにはこれから葬式に出るのかと思うほど、全身黒尽くめで顔も見えない喪服の女性が立って、こちらを見ていたのだった。

「朝からデバガメみたいな真似して申し訳ない。私は元老院の聖騎士アルトメリア」

「聖騎士だと!?」

「嘘、本物? 本物の聖騎士!?」

 素早く弓を構え臨戦態勢を取るエル。一方、噂でだけ聞いた事がある都市伝説めいた存在に、妙に浮き足立つタクト。

 そんなタクトを殴って静かにし、エルはシエラを庇うように立ちアルトメリアに向き直った。

「で、スラヴィアの戦闘貴族にも匹敵すると言われる聖騎士様が、私らに一体何の用だい?」

「魔神を退治しに来た」

 と、アルトメリアは事も無げに話した。

 しかし実際ソラリアの戦いを間近で見た事のあるエルは、昨日の怪獣大戦争めいた戦いを見ても、聖騎士が魔神をすんなり倒せるとは思えなかったのだ。

 いや、今はそんな事が重要なのではない。この聖騎士が、何を目的に昨日からちょっかいを出して来ているのかと言う事が大切なのだ。

 その目的、何を知り、何をしたいのか。それを聞き出す必要がある。

 エルは駄目元で顔の見えないアルトメリアに話を聞いてみる事にした。

「魔神の――ソラリア事を知っているのか?」

「多少はね」

 案外簡単に、エルの呼びかけにアルトメリアは答えた。

 まるで待っていたかのような気軽さだ。これがこの聖騎士の性格なのだろうか?

 とにかく、アルトメリアは聞かれてもいないのに、エル達に情報を与え始めた。

「かつて魔神は聖剣を持つ聖騎士によって倒された。だが今はその聖剣も殆ど残っていないからね」

 かつて魔神を倒す為、神が人に与えた兵器――それが聖なる剣『聖剣』だった。

 そして現代に残る数少ない聖剣の所持者の一人が、アルトメリアが所属する聖騎士団の団長、スパイク=エンフィールドだった。

 だがその彼とて、魔神と戦った事がある訳ではない。遥か古代から甦った魔神と、現代でも戦える者がいるのか?

 それは正直な所、やってみなければ誰にも分からない。

 ただ、これまでのソラリアの戦績、そして発掘されて即ファルコの右腕となったミィレスの実力から考えて、人の身で太刀打ちできる者は殆ど居ないだろう。

「だから代わりに腕の立つ者達が聖騎士の役割をやっているって訳さ」

「ソラリンを殺すの?」

 シエラは核心を突く質問をする。

 そう、タクト達にとって重要なのはそこだ。ソラリアはタクト達の仲間だ。その仲間を殺すと言うのであれば、アルトメリアはタクト達の敵と言う事になる。

 聖騎士と戦って勝てる見込みは殆どないが、それでも我が身可愛さに仲間を見捨てるような薄情者は、ここには一人もいない。

 三人に緊張が走る。次のアルトメリアの返答いかんで、聖騎士と戦うか否かが決定されるのだ。

「そのつもりだったが……どうやら、ソラリアと言うその魔神は悪い奴じゃなさそうだね」

 アルトメリアはそう言うと、表情が読めない三人に気遣ってかオーバーなジェスチャーでやれやれとやって見せた。

 一安心した三人だが、アルトメリアの話はまだ終わらない。

「だがファルコとその右腕、魔神ミィレス……そして黒い月は許さない」

 アルトメリアはやれやれのジェスチャーを止めて、片手の拳を握り締める動作をした。

 聖騎士にしてもファルコは、そして魔神はそれ程忌むべき相手と言う事らしい。

 ここに来てだんだんと、朧気ながらエルとタクトにはアルトメリアの目的が見え始めた気がした。

 そこでタクトは更に突っ込んでみる事にした。

 ソラリアと出会い、四元魔将と戦い、度々登場する『黒い月』と言う単語。

 それが一体何なのか?タクト達はまるで知らないままだったからだ。

「カイラも言っていたがその黒い月ってのは一体何なんだ? それが重要なものなのか?」

「行けば分かるよ」

「何?」

 アルトメリアはそう言うと、顔を覆っていた黒いレースをめくって見せた。

「その為に私はここに来た」

 レースの下から出てきた顔は、まだ歳若い女の顔。それも地球人女性の顔だった。

 日光が顔に当たり、アルトメリアは顔に火傷を負い始める。太陽光に弱い、それはスラヴィアン独特の特徴だった。

 もともと与えられた神力が少なく、スラヴィアンとして最低ランクの力だった為、こうして太陽光への拒絶反応も比較的弱くて済んでいるのだ。

 これがもし強力な神力を持った古い貴族だったなら、一瞬で石のように固まり、ものの数分で風化して自然に還る事だろう。

「シエラ=ウィンザード。黒い月へ至る道を教えてほしい」

「なっ――」

 だがそんなアルトメリアとて太陽光に長く当たっていられる訳ではない。

 シエラを見詰めるアルトメリアの顔は、その僅か数秒間で火傷を負い、女の顔がどんどん傷付いていった。

 その光景を前にしてシエラは戸惑った。何故なら黒い月の事など、小さい時の事すぎてほとんど覚えていないからだ。

 この聖騎士が自らの弱点を曝け出してまで、願い乞うような情報をシエラは持ち合わせていないのだ。

「アルトメリア=リゾルバの名において命ず。出でよワイバーン!!」

 シエラがそうこう考えて居る内に、アルトメリアが昨日カイラと激戦を繰り広げた時に使役した翼竜を召喚した。

 この翼竜に乗って飛んで行こうと言う事か。

「ソラリアも、もう一人の魔神とファルコと共にそこにいる筈だ。再び神魔戦争を起こさない為に……頼む」

 辺りは早朝だと言うのに、昨夜に続き現れた翼竜に驚いた住民達が集まりざわめき始めている。

 アルトメリアはそのざわめきの中、翼竜の上でシエラを誘うように手を伸ばしている。

「シエラ……」

「……」

 ソラリアがどこに行ったかわからない。だがもし本当にソラリアが、ファルコやもう一人の魔神に連れられて行ったのだとしたら?

 その可能性は高いとエルとシエラは直感した。

 このアルトメリアと行く事が、ソラリアを探す一番の近道かもしれないと。

 『行こう! 黒い月へ‼』

 シエラとエルの声が重なった。




「ミィレス……本当に黒い月まで行けば、私もあなたも失った物を取り戻す事が出来るの?」

「行ければ取り戻せる。絶対に」

 ソラリアとミィレスは街の外に出た広野を飛んでいた。

 目指すはファルコ軍の野営地、ファルコの下である。

「ミィレス……あなたも……」

 ソラリアはミィレスの表情を窺った。しかしミィレスは相変わらず無表情のまま前を向いて飛行するばかりである。

 ミィレスは心を失っていると言った。心を取り戻したいと。

 心が無ければ悲しみや苦しみや罪悪感に苦しめられる事も無いのだろう。

 しかしそれは同時に喜びや楽しみや感動もないと言う事になる。

 何も感じない、それは死んでいる事と何が違うと言うのだろうか。

 ソラリアはミィレスを可哀想だと思った。

「よく来てくれた、もう一体の魔神よ」

 そしてとうとう着いたファルコ軍陣営で、ソラリアはファルコに出会った。

 立派な体格に手入れの行き届いた翼。服は一目で良い物を着ていると分かる物で、首や足首や体の至る所に金銀宝石の飾りが輝いている。

 これこそ、今までこの男がどれ程の村を襲い、奪ってきたかを証明する姿に他ならない。

 ソラリアは目覚めてからの短い生の経験の中で、初めて嫌悪感と言う物を感じた。

「私はオルニトの神官ファルコ。私が君達を黒い月へ招待しよう」

「イエス、マイマスター」

「お願い……します」

 ソラリアはその嫌悪感を抑えてファルコと握手を交わした。

 この場で感情のまま握手を拒めば、ソラリアを連れて来たミィレスの立場を悪くする。

 それに何より、ソラリアはみんなの事を裏切ってここまで来たのだ。今更立ち止まるわけにはいかなかったのだ。

「ふふふ……コマは全て揃った。後は行くだけだ」

 ファルコが今までの失敗の繰り返しを思い出す。

 カイラから聞き出した黒い月の軌跡から辿り着いた『門』には二つの鍵穴があった。

 一つはミィレスの持つ鍵の剣で開く。だが鍵の剣はもう一本必要なのだ。

 二本の鍵の剣を同時に回さなければ門は開かない構造らしく、また、鍵の剣の複製はドワーフ達の技術力を持ってしても不可能だった。

 開門に失敗し、現れた門番三人に部隊を壊滅させられる事数回、ファルコが半ば諦めていた時、ソラリアの噂が耳に入った。

(私が魔神達の王となりオルニトを、いや、世界を手に入れる日も近い)

 学者達の見解によれば、黒い月には魔神達が眠っていると言う。そして目覚める時を待っている。そこに最初に到達して、ミィレス同様自分がマスターだと言ってしまえば……

「ふふふ……はーーーっはっはっはっはっ....」

 ファルコは込み上げる気持ちを堪える事なく、高らかに勝利の笑い声をあげた。




 異世界の空を漂う黒い球体型の建造物。その軌道はカオス理論によって算出した空の死角を縫って航行するように設計されている。

 嵐神の力で浮遊している浮遊大陸オルニトとは違う原理で飛行するこの物体は、悠久の時をこうして過ごしてきたのだ。

「そうですか。ここに向かってくる者がいると」

 その巨大球状物体の中、色取り取りで大きさも様々な灯りが灯る暗い部屋の中で、一人の女の声が響いた。

「本当ですか? もしそうなら我々が待ち望んだ時がついに……」

 微かな灯りに照らし出される一人の女。その視線の先には光る窓のような四角い灯りがあり、その中で別の女が何かを話している。

「あの悲劇の日から幾星霜……早く、早く来て下さい。我らが主様……早く……早く……」

 明るい窓が消え、部屋にはまた元の静寂が戻った。

 まるで時が止まったかのような闇と静寂が支配する場所で、女は男の到着が待ちきれないように、その手を下腹部に伸ばすのだった。

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