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第2話 水龍の遺産

「貴公の部下が消息を絶ったそうだな」

 烈風吹き荒ぶ空中宮殿。その入り口の階段に腰掛けた大柄な鳥人が、奥の闇に向かって話しかけた。

「よえー奴ぁ俺の部下じゃぁねー。どーでもいーこった」

 そう答えた声の主は、闇がそのまま具現したかのような、真っ黒な姿の鳥人。

 その姿は石灰岩で純白に飾られた神殿に、およそ相応しくない闇色の雰囲気を作り出した。

「……まぁいい」

 大柄な鳥人は黒い鳥人が来た事を確認して立ち上がった。その手には男と同じくらい長い柄の付いた槌――大槌が握られている。

 飛ぶ事に特化し、骨格の弱い鳥人でなくても持ち上げる事さえ難しいであろう巨大な大槌、しかしその男は体の通り巨大な翼腕で持ち上げて見せた。

「問題は我等が軍の顔に泥を塗った者共が居ると言う事実。その恥辱、晴らさねばなるまい」

 大柄な鳥人――ファルコ軍四元魔将が一人『土の将イーゲル』は忌々しげにそう語る。

 手にした大槌を天高く振り上げ、宮殿のすぐ外の土、浮遊大陸の周りに浮かぶ大小様々な島の一つであるこの土地の、地面に思い切り叩きつけた。

 するとどうだろう。大槌に叩かれた地面に亀裂が走り、その亀裂は小さい浮遊島の端から端まで、ほぼ瞬間的に広がったのだ。

 いや、端から端だけではない。その亀裂は島の底面まで達し、浮遊島の端はその亀裂で分断された所から、綺麗に割れて分離・漂っていったのだ。

「おめーはそーゆー小難しー理屈好きだよなー」

 今度は逆に神殿の奥から出てきた黒い男が階段に腰を下ろす。

 その男――ファルコ軍四元魔将『焔の将グロウ』は、面倒くさげにイーゲルは割った島の行方を眺めていた。

 しかし次の瞬間、不意にその手元が閃いた。振り払われたその手の先に握られた物は、太い両刃の先が刀のように斜めに尖り、イストモス騎士が使うソードよりも大分短めな剣。

 グロウが剣を振った軌跡、その延長線上に何かが現れる。

「俺ぁよ、もっとシンプルだぜ。やられたからやり返す、そんだけだろ」

「フッ、違いない」

 明るい空の中微かに見えるそれは火だった。紐のように細く長く、グロウの手元から大きく円弧を描いて焔が走っているのだ。

 焔が走った先を見るとそこには先程、イーゲルが割った小島の破片があり……。

「んで、そいつ等どこに居んのか分かってんのかよ?」

「交易都市ハサトの東にある街に向かったとの情報がある」

「あの遺跡守ってる街か。ついでにぶっ潰してやんのも悪かねーな」

 グロウがそう言い終った時、小島の破片が巨大な炎に包まれた。まるで巨大な隕石が大気圏突入しているような、一種異様な光景が二人の気紛れ、或いは遊びによって出来上がったのだ。

「我等の翼なら三日とかからぬ場所だ。奴等羽無し共には大変な場所であろうがな」

「はっ! 羽無しは羽無しらしく、地べた這い蹲らして殺してやんぜ!」

「我等四元魔将に仇成した事、死を以って償わせてくれる」

 宮殿外で高笑いする二人の男を、宮殿内の闇の中から冷ややかに見つめる視線が一つ。

「ザイールの古代遺跡……ちょうど良い、あたいの探し物も、ついでに頂くとするかねぇ」

 妖艶な女の声がそう一人ごちた。

 こちらは黒いグロウと正反対に、闇の中でもハッキリと分かる程白い白い姿をしている。

「フフフ……ハハハハ……アーーーッハッハッハッハ!」

 その白い女もやがて、外の二人と同じように虚空に笑い声を響かせるのだった。



【異世界冒険譚-蒼穹のソラリア-】



「何か物々しい街ですね」

「何でも古代遺跡を守護している街なんだと」

「遺跡を守護?」

 タクト、ソラリア、シエラ、エルの四人は、前回の騒動で街にいられなくなり、他の遺跡がある街に来ていた。

 街の名はザイール。同名の”遺跡を守護”する為に作られたと言う街だ。

 古代部族の末裔だとか、遺跡の墓守の末裔だとか、色々説はあるようだが、確かな事は分かっていない。

 ただ一つ確かな事は、この遺跡は保存状態が極めて良好であり、タクトが卒業研究の材料とするには打って付けと思われる遺跡であると言う事だ。

「現在は十一神と幾柱かの神しか確認出来ないが、かつて世界にはもっと多くの神が存在したと言われている。ここの遺跡はかつて水神の神殿だったと言われているんだ」

「はぇ~エル物知りぃー」

「そ、そうでもないさ。ハハッ」

 シエラに褒められてエルが珍しく恥ずかしがりながらも喜んだ。

 四人は前に居た交易都市ハサトからの長旅で疲れていた。元オルニトだったここ新天地は、未踏は地帯に近付くほど土地が荒れてゆく。

 ここザイールの街はハサトから見て東側であり、新天地の中央やや東よりとは言え、ハイキング気分で歩けるほど楽な旅路でもなかったのだ。

 見渡す限りとは言わないまでも、それなりに長い距離荒野を通って来たりもしている。

 そこまでして来たのだからと、宿を取る前に遺跡への渡りだけでも付けておこうと向かったのだが、それが間違いだった。そう、ここは『遺跡を守護する街』なのである。


「で、結局遺跡は見れません、と」

「まぁ、タクトは有名な学者でも何でもない、ただのバックパッカーだからな。いきなり警備厳重な遺跡に卒研の為入らせてくれなんて、無理だろ」

「お兄ちゃん見た目モヤシでチャライもんね~」

「モヤシでチャライってなんですか?」

「細身で格好良い外見って意味だよソラリア」

「へぇー! 私もそう思ってましたぁ! タクトさん本当モヤシでチャライですよね」

「うん、それ他の人の前で言わない方が良いと思うぞ。ソラの為に」

「俺の為じゃないのか」

 記憶喪失の娘にまた一つ、間違った知識を植えつけながら、一同はますます疲れた調子で宿屋を探し街を歩いていた。

 そう、遺跡を調査目的で見せてくれと頼みに行ったら、一も二も無く追い返されてしまったのだ。

 まさに取り付く島も無いとはこの事であろう。タクト達はこの街にとって、遺跡がそれ程までに大切なものだと知らなかったのだ。

「けどこの遺跡はとても魅力的だ。前の街には居れなくないしどうしたものか……」

「……すいません」

 タクトの無神経な一言にソラリアがシュンとなる。

 無理もない。前の街、サハトでファルコの部隊を退けたソラリア達だったが、ソラリアの見せた力は余りに強大すぎた。

 明らかなオーバーキルに、街の人々は助けられた感謝こそすれ、それより遥かに大きな恐怖を、ソラリアに抱いてしまったのだ。

 街の四人に対する態度は変わり、街を出ざるを得なくなったんだ。

「あ、いやいやいや! 別にソラリアが悪いとか言ってないよ!? そもそもアレはオルニトの変な軍人達が悪いんだし! いわば降りかかる火の粉を払っただけと言うか」

「火の粉……」

「あーーーいやいやいや! 火の粉じゃなかった。そう、その……つまり何だ。やられたからやり返しただけだ!」

 またしてもタクトの無神経な一言にソラリアが反応する。火の粉と言う単語であの時の事を思い出したのだ。

 だがソラリアが落ち込んでいるのは、殺し合いになっていたとは言え、一度に何人もの人を殺めてしまった事についてではない。

 ソラリアが気に病んでいるのは、その事でタクト達に迷惑をかけてしまった事、そしてそんな力を持っている自分、人殺しにさして罪悪感を抱いていない自分に対する不安と恐怖なのだから。

 その事が薄々わかってしまうタクトとエルも、また同様にソラリアを心配し、また、少しの恐怖心も抱いていたのだった。

「そうそう、やられたらやり返すよなぁ。普通ーよぉ」

「え?」

 その時である。四人が急に何者かによって攻撃を受けたのは。

「うわぁー!」

「タクトさん危ない!」

「キャーーー!」

「くっ、突然なんだ!?」

 市街地の道に突然吹き上がる焔の柱。

 不意打ちとは言え余りにも遠慮の無い攻撃。エルとソラリアが一瞬早く攻撃を避けていなければ、全員今頃火達磨にされていた事は確実だ。

 この攻撃だけでもう、相手が躊躇無くそれをやれる、「人を殺しなれている」敵である事が分かる。

「鳥人とエルフと人間二人、多分おめーらだよな? 俺の元部下やったのってよぉ」

 爆炎から飛び退った四人に話しかけてきたのは、物陰から現れた黒ずくめの鳥人グロウ。

 グロウは四人に対して『多分お前等がターゲットだと思ったから殺そうとした』とのたまったのだ。それは人違いの可能性もある事を知りながら、関係なく殺しにかかった事を示している。

 まさに狂人、いや、凶人が相手である事をグロウの言動は如実に表していた。

「俺ぁファルコ軍サラマンダー部隊隊長、焔の魔将グロウだ。よぉ、俺の元部下やったんか? おめーらさぁ」

 第一撃目を外された事にグロウは些かも拘っていなかった。

 もしかしたら第一撃目は彼なりに手加減していたのかもしれない。そして、絶対に逃がさないと言う自信があるのかもしれない。

 何れにせよ、四人はこの危険な男とまともに関わる気などさらさらなかった。

(まずいまずいまずい! こいつらこないだの奴等の仲間か? しかも隊長って言ってた。つまりこないだの奴等より強いって事か?)

「タクト、逃げるぞ」

 しかし、エルがそう言って四人が路地裏に逃げ込もうとした瞬間、その行く手を阻むように地面が割れたのだ。

「っ!?」

「どわぁ!」

 僅かな地割れだが歩みを止めるには十分すぎるインパクトがある。逃げようと振り向いた瞬間、目の前にいきなり地割れが発生したのだから。

「じ、地面に亀裂が! 地割れかこれ!?」

「く、こっちだ急げ!」

「危ない!」

 地割れに怖気づき反対方向に逃走経路を取ろうとした瞬間、四人を襲ったのは巨大な槌の一撃だった。

 かわしたのか、それともわざと外したのか、その大槌は空を切り、命中した先の建物の壁を見事に粉砕して見せたのだ。

「逃走……やはり貴殿らが犯人か」

 その大槌の持ち主が細い目をさらに細くして四人を睨みつける。

 見た事もないような大柄の鳥人が、広く長い翼腕を天高く掲げ、巨大な槌を構えつつ名乗りを上げた。

「我は土の魔将イーゲル。貴殿らにはここで死んで頂く」




「タクトさんこっちです!」

 グロウとイーゲルに襲われ、四人はバラバラになって逃げていた。

 タクトはソラリアと一緒に逃げ、エルはシエラと共に四元魔将の迎撃に当たっている。

「くっそー! 何なんだよ一体!? あいつ等いきなり襲ってきやがってくそったれー!」

 四元魔将二人の暴挙に、街の自警団はすぐ行動を起こした。

 遺跡守護の街だけあって、日頃からの心構えや訓練が違うのだろう。実に迅速な対処だ。だが今回は相手が悪かった。

「エルとシエラが戦ってる! 街の武装自警団もだ! なのに何故なんだ!? 何なんだよあいつ等!」

 化け物のような強さを持った二人が、既に市街地に侵入してから始まった市街地戦である。まとまった数での人海戦術が取れず、戦いは自ずと少人数同士での戦いになるのだ。

「何でたった二人に百人以上の人達が押されてるんだよぉ!」

 確かに味方は百人以上の人数だ。だが相手にとっては実質、せいぜい一対四程度の戦いの連続でしかない。

 個人間の戦力差が大きすぎれば、こちらは相手に大した損害も消耗も与える事が出来ずに、悪戯に戦力を失っていくだけだ。

(まただ、また私のせいで……私があんな事をしたせいで)

 ソラリアはこの時も後悔していた。

 今回のこの戦闘は、前の街ハサトでの一件を引きずっての戦闘だ。ソラリアは自分に事の発端、ひいては責任の一端があると思い責任を感じていたのだ。

魔道具マジックアイテムよ! ゲヘナの剣よ! 逆して巻われ! 巻して逆され!」

「く、この炎――ただの炎じゃない」

「こないだのサラマンダーの比じゃないよー! シルフィードの風じゃ熱風を抑えるだけで精一杯ぃ~!」

 シエラとエルが自警団と共に戦っているが、その言葉から苦戦を強いられているのが分かる。

 邪霊サラマンダーの時も苦戦していたが、一般的に目にするシルフより一格高位にある風の精霊シルフィードの力を以ってしても、魔道具の焔は消しがたい霊威を持っているようだ。

「割れろぉーーー!」

『うわぁぁぁー!』

 街を焔で包むグロウだけではない。イーゲルもその魔道具の大槌で、いくつ物建物を傾け、半壊にし、倒壊させている。

 この二人の戦闘力は「街一つ壊滅させる」と言われる四元魔将の噂通りだった。

(私が……何とかするしかない!)

 そんな中、ソラリアはとうとう自らも戦列に加わる決意をする。

 みんなが戦っている。これ以上自分だけ逃げ続ける訳にはいかない。そうした思いの表れだったが、それはタクトにとって最も恐れていた事態そのものだったのだ。

「鍵の剣よ、再び私に力を貸して!」

「ソラリア!? お前また――」

 ソラリアが鍵の剣を抜き、その先に火を集め始める。集積火粒子砲を放つ準備だ。

 タクトはそれがどれほど恐ろしい威力を持っているか知っている。そして、それを使う時、ソラリアがおかしくなってしまう事を。

 一遍の躊躇無く、全力を持って眼前の敵を滅ぼそうとする姿――普段優しく気が弱いソラリアからは想像も付かない冷たく恐ろしい姿。

 それはソラリアの中に眠る本性なのか?ソラリア本来の姿なのか?それがタクトには恐ろしくて仕方なかったのだ。

「ん? 炎が……そーか、これが雑魚共をやったっつー力か! おもしれぇ!」

「これはサラマンダーの時と同じ」

「ソラリンだめ! その力を使ったら!」

 もしかしたら戦えば、ソラリアは記憶を取り戻せるかもしれない。だがもし、万が一、取り戻した元の自分が、あんな殺人マシーンのような存在だったら。タクトはこれ以上、ソラリアに戦って欲しくなかったのである。

「精霊の力でも魔道具の力でも、まして神の力でもない。これは面妖な……」

 精霊魔法も神力による奇跡も、広義の意味では皆『奇跡』である。

 だがソラリアが起こす奇跡は、精霊の力も神の力も、まして魔道具や神器の類の力でもない。それがどんな原理で引き起こされる現象なのか、異世界の理論では説明が付かない。

 奇跡を原理が違うので、精霊の力でも神の力でも止める事が出来ないのだ。それは精霊文明とも呼べる異世界にとって恐るべき……

「お前の力と炎の神の力を借りるこの魔剣、ゲヘナの剣の力、どっちが強ぇーか、ケリぃつけよーぜ!」

「タクトさんに害を及ぼすなら……私、あなたを殺します」

 力の高まりと共にソラリアの表情は消えていった。冷酷に、非情に、トリガーを引く瞬間を狙い定めるだけと言ったように。

 タクトの恐れていた事態が起こってしまった。ソラリアは、このまま優しい心を失ってしまうのか?

「ソラリアー!」

 タクトが叫んだ。

 その瞬間、天から大粒の水滴が次から次へと降り始めた。

「――!?」

「……雨?」

 その雨に当たり、グロウの振りまいた災いの焔はどんどん消火して行く。

 そしてまた、ソラリアの鍵の剣先に溜まったプラズマ火球も、すさまじい水蒸気を上げ散り散りに霧散していった。

 一気に静かになる戦場。天の恵みによって、戦いは一時の安寧を得たのだった。

「なんだか冷めちまったなぁ」

 グロウがゲヘナの剣を腰の鞘に収める。

 正直、これ以上戦っても勝てる保障はなかったし、雨で敵の焔が封じられたと考えるには余りにおめでたい相手だった。

 自警団の団員達も、グロウの言葉に続いて次々と武器を引っ込めて行く。

 このまま終わってくれ、皆がそう願った時、グロウはその願いを打ち砕く衝撃の言葉を言い放った。

「三日後だ。三日後、改めててめーらを殺しに来る。んでこの街もぶっ潰す」

 三日後、またこの二人は来ると言うのだ。たった三日後に……。

「また勝手な……だがまぁ良し。貴殿らの命、三日だけ預けておく。それまで――」

 イーゲルも大槌を収めながらグロウに合流する。二人は建物を背にしながら巧妙に自警団の正面に回り、空に飛び立った。

「首を洗って待っていろ」

 その一言を残しながら。




「どうしよう、これから……」

「……」

 タクト達はあの戦いの後、宿をとって休んでいた。

 と言っても気が休まる筈も無く、取り敢えずの寝床を確保した程度の話である。

 そんな中、幸運だった事が一つあった。狙われたのがタクト達と分かっても、相手がオルニトのファルコ軍と分かった事で恨みが全て向こうに向いてくれた事だ。

 むしろエルとシエラの戦いぶりに、自警団の人々は賞賛すら送ってくれている。これは本当に四人にとって意外な事だった。

「街の自警団は共闘を申し出てくれている。正直、私もそれがベストだと思う」

「また……戦うしかないんですね」

 既に避けられない戦いと知り覚悟を決めているエルに対して、ソラリアとシエラは消極的だ。

 無理も無い。シエラはもともと戦闘系の人じゃないし、ソラリアは色々な不安材料を抱えている。勿論、戦いたくないと言う思いはタクトも同じだった。しかし……

「きっと大丈夫さ! 相手の武器は分かったんだ、今度は作戦を練って戦えば――」

「でも相手は二人とも魔道具を持った武将なんでしょ? こないだだって……」

「それに、あれがあの二人の実力とも思えません。まだ何か力を隠していそうな……そんな気がするんです」

 タクトもエルと同じく避けられない戦いと分かっていた。その為には、この街の自警団の人々と共闘するのがベストである事も。

 だがソラリアの事が心配な事に変わりは無いのだ。戦いは避けられない。だがソラリアは戦わせたくない。それを素直に言ってしまえる程、タクトは子供ではないのだから。

 そんな時、部屋の戸をノックする音が聞こえてきた。

「はーい」

「あの……皆さん、団長がお呼びです」

 返事をして開いたドアから覗いたのは、白い鳥人の娘だった。




 そして三日後、運命の日が訪れた。

「遺跡での防衛線、か」

 結局タクト達は街の自警団と共闘して、ファルコ軍四元魔将を迎撃する事となった。

 あれから二日間、エルを中心に自警団と対四元魔将の作戦が練られた。まずこれ以上街に被害を出さないよう、決戦は遺跡の前、岩場になっている所で行うと言う事。

 次に、焔とその放射熱を防ぐバリケードを築く事。そして岩場から攻め込んで来た相手を包囲するような陣形を取り、焔で燃やされない矢を用意して使う事。

「遺跡を守る街だけど、やっぱり本当に大切なのは遺跡より街みたいだな」

「仕方ないよ。大切なのは過去より未来だから」

 三日後と言う約束自体守られるかどうか分からなかった為、作業は急ピッチで進められた。街の見張りを二倍に増やし、夜間も警備した。

 そのおかげか、こうして三日後までに準備不足の戦闘を強いられず済んだ訳だが……

「……」

「ソラリア」

 ソラリアはあれからずっと悩んでいるようだった。

 タクト達と出会ってからまだ日は浅いが、共に死線を潜り抜け、同じ釜の飯を食った仲間である。それなりに絆は育っていた。

 だがそれより何より、ソラリアにとってはタクト達がこの世で唯一頼る事の出来る人達なのである。

 記憶が無いソラリアが生きて行ける程、新天地の情勢は今甘くない。そしてそれを分かっているからこそ、タクト達もまた、ソラリアを見捨てられないと言う思いが強いのだ。

「気にしてるのか? こないだの事」

「私がやりすぎたせいで、あの二人が仕返しに来てるんですよね? なのに私はまた、あの力を使おうと……」

 そんな大切な人達の為に、ソラリアは何も出来ないと感じていた。

 いや、返って迷惑ばかりかけていると感じていたのだ。ソラリア自身、戦いとなった時の自分を制御出来ていないのだろう。

 だから今度こそ、戦えば敵だけでなく他の、大切なものまで壊してしまうのではないかと不安だったのだ。もし見捨てられたらと思うと、心配で仕方が無かったのだ。

「でもそれって、俺達を守ろうとしてだろ? だったらお前は悪くないって」

「タクトさん……ありがとうございます」

 タクトはそんなソラリアの気持ちを慰めるように、優しく声をかける。

 絶対に見捨てたりなんかしない。それがタクトの気持ちだった。

 遺跡で出会った不思議な少女――ソラリア=ソーサリー。この少女は恐ろしい程の力を持っているのに、タクトには何故か今にも壊れてしまいそうな儚さが感じられたから。

「皆さん、準備は整いましたか?」

「あ、スワティさん」

 白い鳥人のスワティ。彼女は今日までタクト達と自警団の間に入り、色々と調整役になってくれた人だった。

 戦う力は無いが、エル達の戦いに勇気を貰ったと言い、こうして仕事を買って出てくれているのだ。

「オルニトのファルコ軍は新天地に住む私達にとっては共通の敵です。悪逆非道を重ねるあいつらは絶対に許せない」

 そんな彼女もファルコ軍に酷い目に合わされた者の一人らしく、こうしてファルコ軍の事を口にする時は語気を荒げるのだった。

「皆さんもあいつらに狙われているなら私達と同じ、仲間です。相手は最強の四元魔将ですけど、一緒にがんばりましょうね」

「う、うん。こちらこそ宜しくね」

「宜しく頼む。お互いがんばろう」

 スワティはシエラとエルと固い握手を交わした。

 前線で戦う者と後方で支援する者、戦う場所は違えど、共に戦場に向かう同士と言うわけだ。自警団の人々と戦う。エルはその事に、軽い喜びすら覚えるのだった。

「来たぞー! 全員持ち場に付けー!」

「来たか!」

 そんな時、見張り台の上から刻を告げる声が響いた。

 戦闘開始だ。エルの顔にも緊張が走る。それを見たシエルは少し不安な顔になったがその顔をエルに悟らせたくなくて、とっさに遠くを向いて顔を隠した。

 だがその仕草が逆にエルにシエラの不安な気持ちを伝えてしまったらしく、エルはシエラの肩を叩いてこう言った。

「敵は最強、四元魔将。相手にとって不足なし」

 得るのその言葉を聞いて、シエラもまた、エルに自分の気持ちが伝わっていた事を知る。

 これから戦いなのに、エルに心配はかけさせられない。そう思ったシエラは力強くこう言った。

「私、エルがいるから恐くないよ。頑張ろう! 絶対!」

 一方、スワティと共に後方へと下がるタクトとソラリア、二人は共に心に誓い合っていた。

(タクトさんは……私が守ります)

(ソラリアは俺が守る)

 こうして、運命のザイール攻防戦は、その幕を切って落とされたのである。




「おらぁー! 出て来いよぉ雑魚共ぉー!」

「ぬぅぅぅん!」

 開始早々、遺跡前の防衛線は早くも混乱に陥り始めていた。

「あのカラス野郎、飛びまわって包囲できねぇ!」

「矢が全部届く前に燃やされちまうぞ!」

「バリケード破られた! そっちに移る! 援護してくれぇ!」

 遺跡に進行する相手を包囲するように陣取った警護団とエル達だったが、グロウは空を飛んで直接、陣地に攻め入って来たのだ。

 まるで最初から突破など考えていない、全員虱潰しに殺すつもりであるかのように。

 そしてその戦略が包囲陣形を破る結果に繋がっているのだ。

「圧倒的だ……」

「これが魔道具マジックアイテムの力!?」

 焔を恐れ弩弓や投石による攻撃を主体にしたのだが、こうも接近されては同士討ちの心配から対岸の援護が行き届かなくなる。

 そしてゲヘナの焔は瞬時に木製の矢を焼き落とし、短く細い弩弓の鉄矢を蒸発させる程の火力を持っていたのだ。

 その焔が防御と同時に攻撃となる。猛烈な焔に焼かれ、瞬く間にバリケードで囲われた陣地は、陣形の翼端から崩壊して行ったのだった。

「エルどうする!? あいつの火、強すぎてシルフィードが消しきれないって!」

「手はある。こいつを使えれば……」

 そんな中、中央付近に陣取っていたエルの手には、ここ二日で用意した対グロウ用の切り札が握られていた。

「わぁ! 秘密兵器ってやつ? か~っこいぃ!」

「そんなに大した物でも便利な物でもないさ。矢が重いから弓も重すぎて、足を使わなきゃ引けない。投石器に当たってくれる玉でもないしな」

「砲筒があれば良かったのにね」

「ふっ、あっても趣味じゃないさ」

 エルの得意武器は弓矢である。弓の名手と言っても過言ではない彼女は、やはり勝負をかけるべき武器として弓矢を選んだ。

 だがただの弓矢ではない。鉄で作った通常の1.5倍はある矢を、これまた通常の2倍の張力を持つ巨大な複合弓で打ち出そうと言うのだ。

 上記でエルが述べる通り、この弓は最早手で引ける代物ではない。まして足で引けたとしても、それを当てるなどとても不可能である。

「オラオラオラぁ~! なんもかんも燃えて無くなれぇー!」

 だが出来る。出来るのだ。

 確かに動き回る相手にこれを当てる事は不可能だ。だが例え一瞬でも相手の動きをとめる事が出来れば……

「シエラ! 一瞬だけ道を開けてくれ! 風の精霊よ! 我々にご加護を!」

「大地に遍く精霊よ 風の精霊シルフィードよ 邪なる炎に一陣の風を穿ち給え! お願い――頑張ってー!」

 そしてとうとうグロウが中央付近にまで迫ってきた。

 シエラが精霊シルフィードに願い奉る。それと共に巻き起こる突風。だがグロウはその風を読み、巧みに飛び回りながら焔を放ち続ける。

「無駄なんだよぉ~!」

「うっ――まだだ!」

 エルは弓矢を構えるが、相手の動きが早過ぎて狙いが定まらない。

 シエラのシルフィードも焔からシエラ達を守る事に精一杯で、グロウを捕らえるまでは至っていない。

 四元魔将と呼ばれるだけあって、その強さは魔道具の力だけではないようだ。グロウの飛行能力は鳥人随一だった。

 このままでは焔で焼き殺されるのは時間の問題。そんな時、自警団の一人、飛べない鳥人の男がグロウに飛び掛った。

「あんな女の子達ばかり、頑張らせられるかよー!」

「うおっ!? こいつ!」

 その男、クックはオルニトで差別される身分の男だった。飛べるか否かで天上人と家畜の如き身分分けを行うオルニト。

 そんな思想が嫌で国を飛び出した男が、神聖な浮遊大陸でも身分の高い神官であるグロウに、一矢報いようとしているのだ。

「ぐわぁぁぁああああ!! い、今だ早くぅー!」

「クックさん!」

 グロウは魔道具の力で燃え盛っている。だが自身は決して燃え尽きる事は無い。

 だが、焔の塊と化しているグロウにしがみ付いたクックは、その灼熱の焔に焼かれ全身大火傷を負いつつあった。

 それでもクックは手を放そうとしない。動きが止まったグロウは矢を防ぐ為、火の手をますます強めている。それでも放さないクック。辺りには焼ける肉の臭いが充満し始めた。

「おおおぉぉぉお!」

「放せぇ! 放しやが――しまっ」

 クックは最早助からないだろう。

 その思いを裏切らない為、エルは懇親の力を持って強弓を引き絞り、そして――

「――ぎゃばっ!」

 鋼鉄の矢がクックごとグロウの胸を貫いた!

 強弓の威力は止まらず、グロウを背後の遺跡の壁に磔にして止まる。

「く……そ……ぉ」

 胸を貫く矢を掴んだまま、グロウは息を引き取った。

「グローーー! くそ! 貴様等ぁ~よくもグロウをぉ!!」

 その様子を近くで地割れによってバリケードを破壊していたイーゲルが目撃した。

 この二人は仲が良いと言うほどの関係ではなかったが、それでも幾度と無く共に死線を潜り抜けて来た戦友だ。

 イーゲルは戦友を失った怒りに震えた。

「炎の障壁が消えた! 今だ! 弓隊放てぇ!」

「なめるな! まだ土の壁があるわぁー!!」

 今までグロウの焔の障壁で矢は防がれていた。故に今が好機と見た自警団は、イーゲルに一斉に矢を射掛けた。

「ダメだ! 矢が届かない!」

「わーーーーーははははっ! 貴様等全員、地割れに飲み込んでやろうぞ!」

 だが事はそう簡単に運ばない。

 焔の壁が無くともイーゲルは、地霊の大槌で周囲の地形を巧みに隆起させ、土の壁を作って矢による包囲攻撃を防いだのだ。

 そして防御から攻撃に転ずる際は地割れによって土壁ごと敵を奈落の底に叩き落とす。攻撃と防御が目まぐるしく入れ替わる、表裏一体の戦法だった。

 土の壁の質量はシルフィードの風ではどうにもならない。矢も通らない。万事休すと思われたその時、エルがもう一つの特技を見せた。

「そいつはごめん被るな」

 矢の雨を遮る為地面を隆起させた壁の裏で、イーゲルは信じられない声を聞いたのだ。

「炎さえなきゃ、あんたに近づく事くらい訳ないんだよ!」

「き、貴様!」

 それは身軽さを最大限生かしたエルの特攻だった。

 グロウには焔があった為近づけなかったが、ただの土ならいくらでも近付く事が出来る。

 険しい山脈を抜けるように、エルは激しく波打つ土の森を抜け、イーゲルの背後を取ったのだ。

 イーゲルはすぐさま迎撃しようと大槌を構えなおした。しかし時既に遅し。エルが手にしたダガーの刃は、大槌よりはるかに素早くイーゲルの喉元をかき切っていた。

「……無……念」

 イーゲルは大槌を取り落とし、喉を押さえながら鮮血の海に沈んだ。

 元傭兵、ダークエルフのエル=カレナは、その返り血を浴びて真っ赤に染まり、珍しく勝利のガッツポーズをとって見せた。

「雪山よりは歩きやすい地形だったよ」

 二人の四元魔将を相手に、自警団は百人以上の損害を出した。戦いが終われば街は悲しみにくれるだろう。

 だが今だけは、今だけは勝利の美酒に酔いしれるとしよう。その方が、散って逝った者達も喜ぶだろうから……

「や、やった……」

「勝てたんだ……俺達、あのファルコ軍に勝てたんだ!」

「四元魔将を倒したんだ!」

「やったぞーーー!」

 今だ焔燻る戦場に、自警団の男達の雄叫びが上がった。

 黒鉛に染まる青空に、眩い太陽の光が戻り始めていた。




「ん?」

「お、おいちょっと待て。あれ……何だ?」

「鳥……?」

 遺跡前防衛戦線に勝利の凱歌が上がった頃、ようやく黒煙晴れた空の彼方に黒い影が見えていた。

 最初の内は何か分からず、気に留める者も殆ど居なかった。しかしその影は徐々に、しかし確実に戦場に近付いていたのだ。

 そしてそこにいる者達の誰もが分かるようになる。破滅の時は過ぎ去ってはいなかったと言う事に。

「違う……あれは鳥じゃない! あれ、全部鳥人だ!」

「ファルコ軍だ……正規部隊が動いたんだ!」

 今や空を埋め尽くす程の勢いとなったファルコ軍一千の大軍勢。大してこちらの戦力は、総崩れとなった防衛の陣地と百数名の自警団員だけ。

 こんな状態で戦いになれば、その結果は火を見るより明らか。一方的な虐殺だ。

「こ、こんなの勝てる訳ねぇ。なぶり殺しにされるだけだ!」

「四元魔将を斥候に使うだなんて! 本体が後ろに控えてるなんて!」

「殺される、俺達みんな殺されるぞ!」

「いやだー! 死にたくないー!」

 自警団陣営は混乱の坩堝と化した。皆が口々に絶望の言葉を吐き、逃げ場の無い戦場で右往左往するだけだった。

 そんな中、エルとシエラでさえも希望を失い、これから始まる破滅に打ちひしがれるのみとなっている。

「万事休す、か」

「みんな……お姉ちゃん……ごめんね」

 そんな前線の様子を見つめるソラリアは、同様に絶望の淵に沈む後方部隊の中で一つの決意をする。


(タクトさんは私が守ります)


 例えこんな一縷の光も見えない闇の中でも、その誓いだけは絶対に捨てない。

 ソラリアの中に眠るたった一つの確かな記憶。

 ――タクトさんが好き――

 その記憶、その想いだけは決して嘘にしてはならないのだ。例え自分の身がどうなろうとも……

「っ!」

 ソラリアが後衛の陣から一人飛び出した。

 その手には鍵の剣がしっかりと握られている。

「ソラリア!? 止めろソラリア! ソラリアー!」

 タクトはそれに気付いたがソラリアを止める事が出来なかった。何故ならタクトも、他の者達と同様絶望していたのだから。

 ソラリアの強い決意を秘めた横顔を見てタクトは自分を恥じた。

 あの時、ソラリアを守ると誓ったのは嘘だったのか?自分の心の弱さをタクトは心の底から恥じた。

 絶望なんてしている暇は無かったのだ。いや、今だって、この瞬間だって、今すぐ駆け出さなければならないのだ。間に合わなかったとしても。

「皆さんは、タクトさんは傷つけさせません……絶対に!!」

 それがソラリアの気持ちに対する、タクトが出来るせめてもの答えなのだから。

「ソラ……リア……」

「すごい……あんな戦い、そんな……」

 空に上がったソラリアは鬼神の如き戦いぶりを見せた。

 一千の敵の大群に突撃し、炎を放ちながら戦っている。圧倒的不利な状況にも屈せず、たった一人で戦い続けているのだ。

「武器を貸してくれ! 俺も戦う!!」

 タクトは駆け出していた。弓と矢を引っつかんでソラリアの舞う戦場へと。

 その姿を見て、残った自警団員達の心境に変化が生じ始める。

「な、なぁ。これならひょっとして俺達、勝てるんじゃないか?」

「ありえるぜ。あの娘スゲェよマジで」

「俺達も戦うぞ! まだ武器はあるんだ!」

「最後まで戦って戦って、戦い抜いてやるぜー!」

 自警団の男達が再び武器を持ち立ち上がった。タクトに続き蒼穹の戦場に向かって走り始める。

 ソラリアの想いが、タクトの誓いが、再び一同に戦う勇気を与えたのだ。

 タクトは思う。ソラリアの姿を見て、改めて思う。

(それにしても……ソラリアの、あの強さは普通じゃない。本当に何者なんだ? 君は)

 たった一人、蒼穹に舞うソラリアは、戦場の女神か死神か……

「あっ、もう矢が! 俺ちょっと矢を取りに行って来るから!」

 そんな折、武器となる矢が尽きたタクトは前線から離れた。

「あぁ、頼む」

「ここは任せて! お兄ちゃん」

「あぁ!」

 この時、タクトはみんなより一足先に知る事になる。本当の恐怖はまだ別に居た事に。




「こ、これは――!?」

 遺跡内後方にある資材置き場に来たタクトは、そこで信じられない光景を目にした。

「みんな……死んでる……?」

 それは後方支援で控えていた団員達。その誰もが、一人残らず頭の穴と言う穴から血を流して倒れている光景だった。

 誰一人動く者は居ない。完全に死んでいるようだった。

「何故だ!? 四元魔将は倒した筈なのに、誰がこんな――ぐわっ!」

 と、その時突然、タクトは頭部に強い衝撃を感じ地面に叩きつけられた。ガンガンする頭と回る視界の中、必死で何が起こったのか情報を得ようと模索する。

 だがその望む情報は、意外な形ですぐにもたらされる事となった。

「来てしまいましたね、タクトさん」

「君は……スワティさん?」

 倒れ伏したタクトの前に姿を見せたのは、宿で四人の世話をしてくれていた白い鳥人のスワティだった。

 彼女もここで物資の管理や武器の運搬をしていた。だが今、彼女以外の人は全員死んでいる。彼女だけが生き残ったのか?どうやって?

 いや、そうじゃない。タクトは状況をありのまま、冷静に見る事にした。スワティの手に握られている鉄製の扇、その端から赤い液体が滴っているのだから。

「ずっと待っていたんですよ。遺跡の警護が最も手薄になる、この瞬間を」

「まさかこれは、全部君が?」

「フフッ……」

 スワティがタクトの頬を撫でながら微笑を浮かべた。だがそれはタクトへ向けられたものではない。その鉄扇を手にした悦び故だ。

 タクトの目の前に鉄扇が広げられた。その鉄扇には見た事のない文様と、流麗な絵が描かれている。意味は分からないが、何となく水を思わせる図柄だった。

「全てはこれを手に入れる為、水神の神器ミズハミノノリトの為なのです」

「神器……だと?」

 『神器』地球の神話にもよく登場するそれだが、この異世界においては大きくその意味を変える。

 ただの伝説上の存在ではないのだ。古臭いだけの文化財ではないのだ。それはこの世界の神の力を注がれた、確かな力を持った神聖な道具。

 精霊の力が込められた魔道具とは比べ物にならない、まさに人が使えば神の如き力を発揮できる脅威のマジックアイテムなのである。

「そうです。これさえあれば神の力を行使できる……もうファルコなど恐くない。私……あたいこそが、ここ新天地の支配者になってやるよぉ!!」

 スワティ――いや、水の魔将スワン。彼女が本性を表したのは、自分の勝利に絶対の自信を持った時だった。




「?」

 ソラリアが、戦火の中何かを感じ取ったのは、時にして丁度タクトがスワンの前に倒れ伏した時の事であった。

 タクトに続き自警団がソラリアの援護に回った時感じた安心感や心強さのような感覚が消えたのだ。

 彼女の中にある魂のような物が、最愛の相手に何かが起こった事を感じている。それは何億光年離れていても感じ取る事が出来る人と人との絆の力。

(おかしいです。タクトさんの身に何か……何か妙な――!?)

 地球で言う「虫の知らせ」と言う感覚にソラリアが困惑していると、遺跡の中から見た事のない、恐ろしい何かが現れた。

「何だアレは! 水が龍のようになって――人々を食らっている!?」

「こっちに来るぞ! 逃げろー!」

『わぁーーー――』

 その水の龍は瞬く間に百人余りの自警団の面々を飲み込み、その水で出来た体内に取り込んでいった。

 圧倒的だった。

 誰も何も抵抗できないまま、一方的に一瞬で水龍に取り込まれてしまう。中には苦し紛れに矢を放った者も居たが、そんなもの水に射ち込んだ所で何の意味も無い。

 ソラリアは味方があっと言う間に負けてしまう様を、ただ眺めているだけしか出来なかった。

「タクトさん! みんな!」

 突然の事にファルコ軍の者達も動きを止めている。ザイールの遺跡は遥か昔、水神と崇められた水の大神龍を祭っていた遺跡だ。

 その遺跡から水龍が現れたのだから、神の怒りに触れてしまったのかと思い、恐れ戦いたのだ。

 だがすぐに、ファルコ軍にとって、その心配は無かった事が判明する事となる。

「動くな!」

 遺跡の入り口から出てきたのは、真っ白い鳥人、スワンだった。

 ソラリアには訳が分からなかった。何故自分達を世話してくれていたスワティが自分に動くななどと命令するのか。

 だが次の彼女の台詞で全てを理解する事となった。

「動くなよ魔神。動けばこいつらを殺す」

 スワンは裏切り者だったのだ。いや、最初から裏切るつもりでこの街に潜入していたのだ。そして時が来たから裏切ったのだ。

 ソラリアがそう理解した時、自体はもう既に取り返しの付かない状態になっていたのだった。

「ファルコは新天地、いや、世界支配にはお前が必要だと言っていたが、あたいにはどーもそうは思えなくてねぇ」

 スワンの言う言葉の意味は分からないソラリアだったが、何となく彼女が望んでいる事は察しが付いた。

 そうしてソラリアがスワンの次の言葉を想像するより早く、スワン自らの口から、その残酷な言葉は放たれたのだ。

「あんたにはここで死んでもらう。あんたが大人しく死んでくれるってんなら、こいつ等の事は特別に見逃してやってもいい」

「タクトさん……」

 水龍の中で息が出来ずもがき苦しむタクト達。その姿を見て、ソラリアの答えは一つしかなかった。

「……分かりました。私一人の命で、皆さんが助かるのなら……」

「そうそう、いー娘だねぇー――よっと!」

 スワンがソラリアの答えに笑顔で答えたのと、水龍の鋭い爪がソラリアの体を裂いたのは、ほぼ同時の事だった。

 水圧カッターのような一撃を受けて、ソラリアの胸部は大きく十文字に爆ぜ、鮮血を散らしながら地面へと落ちていったのだ。

 その光景を見ながら、やっと水龍の体内から顔だけ開放されたタクトは絶叫する。

「っぷはっぁ!! はぁっ! はぁっ! ソッ、ソラリアーーーーーーーーーーーーーー!!」

 巨大な水龍の胴体から下を見下ろすタクト。

 ソラリアはどうなったのか?生きていて欲しいと願いながら、落下地点に目を凝らした。やがて落下の衝撃で上がった土煙が晴れると、そこには大きな赤い花が咲いていたのだった。

「ソラリアぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーー!! うわぁぁぁぁぁあああ!」

「あーーーっはっはっはっは! 何が災厄の存在だ! 何が滅びの具現化だ! やっぱり魔神なんか大した事ないじゃないか! 神の力の前にはゴミクズ同然さぁ!!」

 守れなかった。

 あの可哀想な娘を守れなかった。自分を好いてくれた娘を、頼ってくれていた娘を守れなかった。あまりにあっけなく訪れた結末に、タクトは悔恨と絶望の悲鳴を上げる。

 タクトの慟哭とスワンの笑い声だけが、タクト達の敗北終わった戦場にこだました。




(タクトさん……ごめんなさい……)

 ソラリアの意識は闇の中に沈んでいた。

 何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。完全なる闇。

[損壊率45% 戦闘継続不可能 自己修復装置起動 回復予想時間――秒]

 その闇の中、ソラリアの心の中に直接響く声があった。

(なんだろう……頭の中でおかしな声が聞こえる……何だか……懐かしい)

 その声にソラリアは覚えが無い。だが知らない声なのに何故か懐かしさを感じるのだ。

[必要元素 鉄……確保 炭素……確保 珪素……確保 マグネシウム……確保――]

 ルーチンワークをこなすだけの、抑揚の無い声なのに、何故そんな感覚を覚えるのか。

[システム再起動まで残り――秒 頑張ってね、ソラリア]

 その声はもしかして、もしかしてソラリアの――

 ソラリアがその答えを求めようとした時、彼女の意識はそこで途絶えた。




「さて、これであんた達は用済みな訳だけど……どうしてほしい?」

「くっ……」

 勝負がつき、自警団とタクト達を縛り上げたスワンは余裕の笑みを見せていた。

「くくく、悔しそうだねぇ、悲しそうだねぇ、恐そうだねぇ、いーよその表情。そうやって楽しませてくれてる内は生かしておいてあげるよ」

 スワンは既に自警団の何人かを殺している。

 縛られ、動けない相手の頭に水の玉を被せ、窒息する様を眺めて楽しんだのだ。

 その残虐性、悪趣味さに、同じファルコ軍の兵士達まで恐れ戦いている。

「お前、神の力と言ったか。その扇が神器なのか?」

 エルがスワンに質問した。時間稼ぎとターゲットを絞る為の質問だ。

 今エルは縄抜けを試みている。手の関節を外し、手枷を取ろうとしているのだ。手が自由になれば砥いでおいた親指の爪で縄を切る事が出来るかもしれない。

 だがスワンはそんなエルの企みを知ってか知らずか、いきなり顔面に蹴りを入れたのだ。

「エル!」

 顔を蹴られ頭を遺跡の石柱にぶつけたエルは意識を失った。

 そんなエルを心配して這いずってでも近付こうとしたシエラの背中を踏みつけて、スワンは憎憎しげにこう言った。

「生意気にお前とか言ってんじゃないよ! スワン様、だろう? このブス女」

 横たわるエルに対し乱暴に唾を吐きかけるスワン。目を背けたくなる暴虐さだ。

 だがスワンは怒りつつも上機嫌だった。その理由は長年追い求めてきた神器を手に入れる事が出来たからに他ならない。

「……ふん。ダークエルフはこれだから嫌いだよ、生まれつき目つきの悪い女ばっかりさ」

 もはや好き放題といっていい傍若無人ぶりを発揮しつつ、スワンは手に入れた神器『ミズハミノノリト』に頬ずりした。

「だけど今日は気分が良いから教えてやるよ。これはね、かつてこの地に居た水神の力を宿した神器なのさ」

 神器である碧い鉄扇を満足げに、何度も開け閉めしながらスワンはうっとりとした表情で語り始める。

 もうこれさえあれば他何もいらないと言った様子だ。

「ここ新天地や未踏破地帯には、そうした物がいくつも眠ってる。遺跡や大地の恐れとなってね。あたいは昔からそーゆうのに興味があってね、黒い月の伝承をファルコに教えたのもあたいさ」

 ファルコが捜し求める『黒い月』の伝承。

 異世界には三つの月――即ち『セレ』『ニア』『コス』が存在する。だがその月とは別に、この世界を小さな黒い月が回っていると言う伝承があるのだ。

 その伝承によれば黒い月には悪魔達が封じられていて、誰にも見つからない空の軌跡を通っていると言う。

 スワンは古代の伝承を研究する内、この黒い月が実在して、悪魔達がかつて本当に居たと言う確証を得たのだ。

 そしてそれをファルコに教える事で、オルニトの大図書館で司書をしていただけの女が、神官と四元魔将の地位を得た。

「おかげであたいは地位を与えられ、自由に遺跡探索出来るだけの資金と力を得た。けど、それも最近はやり辛くなってきてねぇ……アストレス、あいつさえ現れなけりゃ今頃……」

 その成果として発見したのがミィレス=アストレス。ソラリアと同じ太古の眠りから目覚めた少女だ。だがその発見が彼女の地位を脅かす事となったのは、スワンにとって皮肉と言う他ない。

「少し喋りすぎたね。ま、とゆー訳だから。あんたらはあたいが神器を手に入れる為の犠牲になりましたって事さ。分かったら処刑を始めるよ」

「そんな! 約束が違――きゃあ!」

「う……シエラ……」

 ソラリアとの約束を破り全員処刑すると言い放ったスワン。

 その酷さに異を唱えようとしたシエラに、スワンは言い終わらぬ内に蹴りを入れた。

 意識を取り戻したエルだが、まだ完全に覚醒していない為に何も出来ない。こんな時にシエラを守ってあげられない自分の不甲斐なさに、エルは唇を噛んだ。

「うるさいねぇ! 気が変わったんだよ! ここはあたいがルールなんだ!」

「くっ、こいつ……」

 もう時間稼ぎも出来そうにない。縄抜けも間に合わなかった。

 完全に打つ手無しの状態となったエルは、最早限りなく望みは薄いが、残された唯一の可能性に賭けるしかない。そう覚悟した。

「さぁて、どいつから殺してやろうか……やっぱり目つきの悪いあんたか? それともさっきから一番恐がってるあんたかい?」

「私だけやれ」

「あん?」

 エルは吐き気を催す邪悪な女、スワンに対してこんな真似をする事だけは嫌だった。嫌だったが最早これしか手は残されていないのだ。

「この娘は何の罪もない、ただ巻き込まれただけの鳥人なんだ。その地球人も何もしてない。二人とも無関係なんだ。だから……あぐっ!」

「エルー!」

 命乞いだった。

 敗北が決定した時、情けなく敵に助けて下さいと懇願する行為だ。それをエルはシエラとタクトの為に行ったのだ。自分の命はいらないから二人を助けて下さいと。

「だからあたいに指図すんなって言ってんだろうが! 頭の悪いブスだよ全く! お願いする時は……」

「ブッ――ぐ……っ」

 だがしかし、そんなエルの切実な気持ちを、文字通り踏みにじるように、スワンがエルの顔を踏みつけた。

 いや、踏んだだけではない。何度も何度も、エルの恥辱に歪む顔を楽しむように、踏みにじり続けるのだ。

「こうして、地に頭擦り付けながら懇願するんだろうがぁ、あぁ!?」

「お願いします……どうか……この子達だけは……お助け下さい……」

「あぁん? 声が小さくて聞こえない――よっ!」

 そして極め付けにエルの顔面を再び蹴りつける。エルはおびただしい鼻血を噴出しながら、再び意識を失った。

「うぁっ!」

『エルーーー!』

「あーーーっはっはっはっはっは!」

 シエラはそんなエルの姿を見て、涙と鼻水で顔をビシャビシャにしながら這いずりながら近付いていった。

 自分達の為にあれだけやったエルの為に、シエラは何もしてあげる事が出来ない。そしてそんなエルをゴミのように扱ったスワンに対して、何も出来ない。それがシエラは悔しくて仕方なかったのだ。

 だがそんな時――

「スワン様ー!」

「なんだい! 今良い所だよ!」

「そ、それが! 外の魔神が突然また動き出しまして!」

「なにぃ!?」

「ソラリア!?」

 タクトにとって、そしてシエラにとっても喜ばしい、驚くべき知らせが入ったのだ。

 こんな時、願うべくもない喜ばしい知らせが。




「うわぁぁぁあ!」

「ぎゃぁあーー!」

 スワンは急いで遺跡の外に出た。

 魔神は先程、確実に自分の手で仕留めた筈だった。だがそれが何故か復活して、再び自分の邪魔をしているというのだ。

 スワンは思った。いや、願った。あれだけのダメージを与えて立てる筈が無い、と。

 だが部下の何かのみ間違いだと願いながら、半信半疑のまま表に出たスワンの目に飛び込んできたのは、上空、遺跡の直上で巨大な火の玉を形成し続ける火の悪魔の姿だった。

「ダメだ! 火が強すぎて、近づくと翼が燃えてしまう!」

「スワン様! 奴に近づけません!」

「えぇい!」

 既にソラリアを撃墜しようと接近を試みているファルコ軍の兵士達だったが、ソラリアがチャージする集積火粒子砲の余熱だけで近付く事が出来ずに居た。

「もう一度くらいな! 青龍演舞!!」

 魔神相手に部下達ではどうにもならない。

 それが分かっていたスワンは、一度倒した自信もある為か、すぐさまもう一度、水龍による攻撃を敢行した。

 今度は爪ではない。水龍が真正面からぶつかる、大質量の水による破砕攻撃である。山をも削り、砕く力のある水の流れ。その力をソラリアにもろにぶつけたたのだ。

 小さな火球程度一瞬で消し去る水の量。スワンは自信があった。

 今度こそ倒した。ソラリアの周辺は水蒸気で何も見えなくなっていたが、そう確信していた。だが……

「っ! な、なにぃ――!?」

 だが水蒸気が晴れたそこには、変わらず火球を構え続けるソラリアの姿があった。

 ソラリアの火球はただの火ではない。超高温の火は既にプラズマ状態にシフトしていたのだ。

 大質量の水龍(水流)は、鼻先が触れた瞬間に蒸発。いわば水蒸気爆発の状態となって残りの水を吹き飛ばしてしまっていた。

「く、くそ! 青龍乱舞! これならどうだぁ!」

 その光景にスワンは戦慄した。水は火に対して相性の良い属性ではないのか?その水属性のトップクラスに位置する力を、水神の神器を手にしたのに、魔神の炎に勝てないというのか。

 スワンは今度は水龍を同時に五体出現させて、ソラリアに向けて突撃させた。その威力は山をも砕く力を持とう。

 だが……

「そんな……そんなバカな……くそぉ!」

 再び起こる水蒸気爆発。その白いモヤが晴れた空には、ボロボロに成りながらも健在の、蒼穹のソラリアがそこに居た。

 スワンが遺跡の方に飛ぶ。その手にした扇から放たれた水龍が、遺跡内から誰かを引っ張り出した。

 その人物とはソラリアの守るべき、愛する者。

「おい! こいつを見な!」

 遺跡から引っ張り出したのは地球人、久我タクトその人だった。

 そう、スワンは再び人質作戦に出たのだ。

「今すぐその炎を消して投降しな。こいつらの命が惜しけりゃね」

「ソラリア……」

 だが今度はタクトは暴れたりしない。

 タクトも誓ったのだ。絶対ソラリアを守り抜くと。それは人質になってソラリアの足枷になるくらいなら、このまま殺されても構わないと言う覚悟。

 タクトは静かに目を閉じてソラリアの名を呼んだ。

「どうした! 早くその火を消せ! こいつが死んじまっても良いのかい!?」

 人質のそんな態度に、そして今度は無反応なソラリアの態度に、スワンは今までに無い焦り様を見せる。

 もう今のソラリアには人質作戦は通じない。そう踏んだスワンは速やかに、次なる手に出た。

「~~~~来い!」

 再びタクトを連れて遺跡に戻るスワン。その心にはもう先程までの余裕など微塵も無く、ただただ一つの感情だけが湧き上がっていた。

(くそ! 一体何なんだあいつは!? 正真正銘の悪魔だとでも言うのかい!?)

 それは恐怖。

 敵わないと言う畏れの感情。

 だがこのままそれを認めてしまう訳には行かなかった。負けを認めれば死、あるのみだからだ。

 ここまでやった自分を許す者など誰も居ないだろう。ここは何としても・・・

「おい魔神! 一旦勝負はお預けだよ! 今遺跡は水神の結界で守ってある! 絶対に破れない水神の障壁だ!」

 そう、勝てないと分かれば逃げの一手しかない。

 タクトを人質としたまま遺跡内を通る地下水脈を使って逃げるのだ。勿論、安全圏まで逃げたら途中で人質は捨てて行くつもりだろう。

「次の勝負まで、こいつはあたいが預かっとく! 追って来たら殺すからね!!」

 ここで追わなければタクトは殺される。それがソラリアには分かった。

 だからこそっこで引くわけにはいかないのだ。ソラリアはタクトに出会う為、タクトを守る為、気が遠くなる程の悠久の時を超え、ここに居るのだから。

「本当に、その水の結界は破れないんですね?」

 ソラリアが言った。

 静かに、澄んだ声ではっきりと。

 今やこの場には誰も口を聞く者はいない。だからこそソラリアの声はスワンにはっきりと届いたのだ。

「絶対に破れないんですね?」

 返事が無いスワンにソラリアはもう一度聞く。

 この問いが一体何を意味するのか、スワンには何となく分かった。だが彼女の勝気な性格が、逃げると言う戦術的敗北と呼べる手を取る以上、これ以上弱腰になりたくないと言う気持ちからこう答えるしかなかった。

「当たり前だ! 神の力の前に、己の無力さを思い知れ!」

「分かりました」

「っ!?」

 その瞬間、最大限までチャージされたソラリアの集積火粒子砲が遺跡に向けて放たれた。




「きゃーーー!」

「うわぁぁぁあ!」

 遺跡の中は物凄い爆音と振動に包まれた。

 ソラリアが水神の障壁がある事を無視して、全力で集積火粒子砲を放ったのだ。

「な、何をしている! 全員かかれー! さっさとそいつを叩き落せー!」

 その一撃で百層の複雑な水流から成る水の障壁は、第七十層まで蒸発してしまっている。

 しかしそれだけの大出力で放ったソラリアも無事とはいかない。一撃目の砲撃で、衝撃を吸収する間接部が悲鳴を上げ、熱量のノックバックで全身至る所が焼け始めている。

 それでもソラリアは間髪入れず、次の砲撃準備を進めているのだ。

 再び鍵の剣の先に収束されていく火の粒子に、突撃を命じられたファルコ軍の兵士達は次々と翼を焼かれ落ちて行く。

 だがそれでも突撃を止めないのは、命令されたからと言うだけではない。ソラリアに対する恐怖が、それを誤魔化す為の蛮勇とも言える攻撃を行わせているのだ。

 そして、第二撃目の火粒子砲が放たれた。

『うわぁーーー!!』

 凄まじい炎の奔流に群がっていた兵士達がまとめて蒸発する。集積火粒子砲はその発生原理から、砲撃の射線上周辺にプラズマ過流が発生する。それによって大半の兵士が燃え果てた。

 そして放たれた第二撃目によって起こった水蒸気爆発も、まだ地表周辺にいた兵士達を薙ぎ払った。

 今ソラリアの体は、鍵の剣を両手で支える事も出来ない程ボロボロになっている。撃てば撃つ程自分をも壊していっているのだ。

 最初にスワンから受けたダメージが完全に直る前に動き出したツケが出ているのだ。

 だがそれでもソラリアは止まらない。

 機械の如き正確な砲撃は、水の障壁を一撃目と全く同じ箇所を砲撃する事で、残り三十五層にまで消滅させている。

「み、惨めな女だよ! そんな事をしても、無意味だってのに!」

「恐いのか? スワン」

「く!」

 もしもう一度砲撃されれば障壁は持たない。

 スワンはまさか神の防御壁が突破されるなど、いや、中に仲間がいるまま砲撃してくるなどと思いもしなかった。

 ソラリアの第三砲撃目のチャージは始まっている。このままではスワンが地下水脈に逃げる暇はない。

「や……止めろーーー! ここにはお前の仲間が居るんだぞー!」

 スワンが祈るような気持ちで叫ぶ。

 だがソラリアは止まらなかった。

「ソラリアーーー!!」

 タクトの叫びと共に、ソラリアの最終砲撃が放たれた。




「へ、へへ……バカや奴だよ。神の力に逆らうから……そうなるのさ」

 障壁は破れ、遺跡は殆ど跡形も無く吹き飛んだ。

 その瓦礫の中、いち早く這い出してきたスワンは、瓦礫の上に転がるソラリアを見下しながらそう言った。

 ソラリアは今、瓦礫の上に片手片足を失った状態で転がっている。もうピクリとも動く事が出来ない。

「勝負はあたいの勝ちだ。死ね、悪魔め!」

 そんな無抵抗のソラリアに止めを刺そうとスワンが鉄扇を振り上げる。その手に纏われる水龍は、小さいながら今の状態のソラリアを殺すには十分な威力を持っている。

 その水龍鉄扇を振り下ろそうとしたその瞬間、何かがスワンの手を射抜いた。

「な!?――がっ!」

 スワンの手を射抜いたのは矢だった。続けて放たれた矢がスワンの喉に命中する。

「カハッ! ……ガフッ、て……めぇ……」

 スワンは鉄扇を取り落とし、喉を貫通した矢を抑える。そしてそのまま喉に溢れる血を我慢出来ず吐血しながら倒れこんだ。

 完全に致命傷だ。スワンを射抜いたのは、まだ瓦礫から半分抜け出せていないエルの愛弓だった。

「ソラリン!」

「ソラリア!」

 そのエルの後ろからシエラとタクトが駆け出す。目指すはソラリアの所だ。傷ついたソラリアの元に一直線に向かって行く。

「タクト……さん……みん……な……」

 タクトに助け起こされたソラリアは、今にも意識を失いそうな弱弱しい調子で辛うじてそう答えた。

「あぁ……ああぁ……こんな、こんな大怪我……」

「ソラリン! しっかりして! 死んじゃ嫌だよぉ!」

 タクトもシエラもソラリアのあまりにも酷い惨状に涙が止まらなかった。

 あちこちの皮が火傷でめくれ上がり、左手と左足は根元から失われている。残った右足も着地の際ににやられたのか、膝から下があらぬ方向に曲がっていた。

「大丈夫……です。私……何となく分かるんです……自分が……大丈夫だって……」

 そんな状態でもソラリアは、気丈に二人に笑って見せた。

「落ちた手と……足を拾って下さい……一週間ほどで……回復しますから……」

 そんなソラリアを二人は生きていて嬉しい気持ちと同時に、何故こんな状態で生きていられるのか、一週間で回復するなんて本当なのか、あんな真似が出来るなんて一体何者なのかと言う疑問に思う気持ちで一杯だった。

 もしかしたら、自分達はとんでもない事と関わり始めているのかもしれないと言う不安が、二人の胸に去来した。

「ソラ……リン……」

「ソラリア……君は……一体……」

 ソラリアが笑顔の中に悲しい表情を見せる。

 本当は分かっているのだ。こんな状態でも痛くない、自分はタクト達とは違う”何か”だと言う事が。

「私……一体何なんでしょうね……自分で……自分の事が分かりません」

 ソラリアは正直に今の気持ちを伝えた。

 目覚めた時、過去の事を何も覚えていなかった。ただ一つ、タクトの事だけは覚えていた。タクトを好きと言う気持ちだけを。

 だが一緒に旅をする程にソラリアは思うのだ。自分はタクト達とは違う存在なのだと言う事を。そしてそれがとても悲しいのだ。寂しいのだ。

「でも……お願いです……」

 そして実はその事をタクトも薄々考えていた。

 意識的に考えないようにしてきたが、今回の件でその事が、もう目を背けられない事実だと言う事を突きつけられた。

 それでもタクトは信じたかったのだ。

 ソラリアが、自分達と同じ『心』を持っている事を。

「私のこと……嫌いに……ならない……で……」

「ソラリア!? おい! ソラリア! ソラリアぁーーー!!」

 ソラリアはその一言を残すと眠りに付いた。

 その後三日間、彼女が目を覚ます事はなかった。彼女の傷は宣言通り見る見る回復していった。

 だがもうタクトはソラリアを疑ったりはしない。何故ならあの時、「嫌いにならないで」と言ったソラリアの目には、人と同じ涙が浮かんでいたのだから。

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