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第1話 遺跡の少女

挿絵(By みてみん)

 ホコリとカビの臭いの中、俺は打ちつけた腰をさすりつつ周囲を見回した。

 天から差し込む光は俺が落ちてきた穴の高さを教えてくれている。結構な高さだ。

 この高さから落ちて助かったのは、足元の大量のガラクタと砂の山がクッションになったからだろう。

 俺は立ち上がりつつ自分の体の機能を確かめる。どうやら骨折などは無いようだ。

「おーい、大丈夫かー!」

「お兄ちゃーん、返事してーーー!」

 俺が落ちてきた穴から二人の声が聞こえる。

 ここはオルニトから見放された土地、新天地にある遺跡の下。

 遥か古代、オルニトがまだ浮遊大陸に建国される前の古代文明時代の遺跡に俺達は来ていた。

「大丈夫ー! 無事だよー!」

 上の二人に返事を返しつつ俺は落下した砂とガラクタの山の周りをぐるりと回りこんだ。

 特に意味のある行動じゃない。好奇心からの行動だ。何かあるかもしれない、そう思ったからだ。

 そうして山を回りこむと光が見えた。天井からの光とは違う。楕円形の、もっと人工的で冷たい感じのする光だ。

 こんな遺跡の地下に光る人工物が?好奇心をくすぐられた俺は急いでその光に近づいていった。

「え――」

 やがてその光の中にあるものの姿に俺は衝撃を覚える。

 光の中にあったもの、それは人間の女の子……に見えるものだった。

 そしてその光の正体は、見た事も無い機械のようなカプセル、或いはベッドか生命維持装置のような物。

 上の方から「今助けに行くね~」と言う声が聞こえてくるが、もうその時周りの声など耳に届かなくなっていた。

「ひ……と……?」

 この異世界の遺跡であまりにも在り得ないものを目にして、俺の思考はすっかり遥か彼方に飛んでいってしまったのだ。

 それが俺とカプセルの中の美しい少女――ソラリアとの出会い。

 これから待ち受ける運命の始まりだった。



【異世界冒険譚-蒼穹のソラリア-】



「……」

 ほのかに青白く光るカプセルの中で眠る少女に俺は心を奪われた。

 可愛いから、と言うのもあるがそうじゃない。この異世界と言う只でさえ現実離れした世界で、なお一層現実離れした光景に出くわした事にだ。

 この異世界に来る人間――バックパッカーと呼ばれる旅人達――は多かれ少なかれ皆、好奇心が強いから危険を冒してまでここに来る。

 俺もご他聞に漏れず好奇心が強い方で、こうして学生の身分でありながら親の脛をかじって異世界に来ている。

 史跡巡りが好きな俺は、この異世界でもまだあまり発掘されていないオルニト辺境の遺跡を見に来た訳だが、まさかこんな体験をする事になろうとは……。

「君……寝てるの? 大丈夫?」

 なんてとんまな事を言ったのは、何の反応も抵抗も示さない少女とカプセルに触る免罪符が欲しかったからだろう。

 ドキドキしながら俺は好奇心に従い、恐る恐るカプセルに触れてみた。すると――

『○×△■◎★※』

「わっ!?」

 カプセルから何語か分らない音声が聞こえ、上面の透明部分が開かれていった。

 ゲート神の翻訳が機能していない。いったい何故?しかしその疑問の答えを考える間も無く事態は進行していく。

 中からは冷気のような白いモヤが溢れ出て俺の足元をさらう。

 俺は自分から触っておきながら、自分の行動が発端で起こった今の現状に驚き、情けない事に後に倒れ尻餅をついてしまった。

 こんな時、人間は本能的に逃げようとするものなのかもしれないけど、俺はその場で目の前の光景に釘付けとなったのだ。

 モヤの中からゆっくりと上体を起し目を開く少女。

 先程から静かなこの空間にはパソコンが立ち上がる時のような音が微かに響いている。きっとカプセルからの音だろう。

 遺跡の風化具合から見て、ここが数千年の時を超えた場所である事は想像に難くない。

 しかし目の前にあるカプセルも名年劣化はみられるが、明らかに地球の科学力さえも超えたオーバーテクノロジーの産物である事は疑いようもない。

 それが何故、どんな理由で、どう言う経緯で何の為にここに存在するのか。全く俺の理解の範疇を超えている。

 俺がそんな思考の混乱、或いは凍結に陥っている間に、目の前のカプセルの少女は周囲を見回し俺の存在に気付いた。

 少女がゆっくりと立ち上がりカプセルから出ようとしている。俺に向かってくる気だ。

「え……あ、待って……止めて。止めて!」

 少女は何も身に着けていない生まれたままの姿だ。

 その姿はどう見ても亜人ではない、頭に大きなカチューシャを付けている以外、地球人の人間の姿そのものだ。

 俺は恐怖と気恥ずかしさが無い混じりになり、あわずった声で後ずさる。

 自分で自分の顔を覆った手指の隙間から、生まれて初めて見た生の女性の裸を隠れ見ながら、俺は何も出来ずにその場に仰向けに倒れこんだ。

 もう何も声が出ない。少女の手には大きな鍵のような形の棒が握られている。あれで俺をどうにかするつもりだろうか。

 体、手と見て俺の注意がようやく少女の表情に向いた時、俺のそれまでの気持ちは一変する事になった。

 少女の表情は人間で言えば、とても切ないような、嬉しいような、そんな顔をしているのだ。

「タクト……やっと逢えた」

 少女の口から俺の名前が紡がれる。

 どうして俺の名前を知っているのだろう? さっきの上からの声を聞いていた? いや、その時まだ彼女は眠りについていた。では何故?

「君はいったい――」

「逢いたかった」

 「逢いたかった」その言葉を残して少女は俺に向かっては前向きに倒れ掛かってきた。まるで糸が切れた人形のように。

 逢いたかったとはどう言う意味だろう。昔俺に会った事があるのだろうか?

 だが俺は彼女の事を覚えていない。全く記憶に無い初対面の筈だ。

 第一、異世界に来たのだって三日前が初めてで、それ以前に異世界に来た事など、俺が物心付く前の話で親が隠してでも居ない限り無い筈なのだ。

「お兄ちゃんーん、今から縄降ろすねー」

 穴から俺が落ちてきた小山に縄が降ろされた。等距離に結び目が作ってある、何かあった時用に俺が持ってきておいた縄だ。

 その縄を伝って下りてくるのは、俺がお世辞にも治安が良いとは言えないここ新天地で用心棒に雇ったダークエルフのエルだ。

 その後に続いて現地ガイドのハーピーのシエラが飛び込んでくる。

 ひとまず助かった事に安堵しつつ、俺は次に裸の女の子を抱きかかえているこの状況を果たして二人にどう説明したものか、そんな事で頭を悩ませるのだった。



「全く破廉恥な! 人間のオスは年中発情期と聞いていたが、まさかこれ程とは!!」

「だから違うんですよエルさーん」

 俺達三人――いや、今は四人か。俺達四人は遺跡の地下から脱出すると、宿を取っている近くの町まで戻ってきていた。

 太陽は中天を過ぎこれから夕暮れに向かおうとしている。

 今日は殆ど調査を進める事が出来なかった。俺が途中で穴に落ちてしまったからだ。三日目にして大ちょんぼだ。

 と言う訳で今日は調査はほとんど出来ずに宿に帰ってきてしまった訳だが、今はそれどころじゃない。

 遺跡の地下で出会った少女……他のバックパッカー達も見ているあの遺跡よりも、今はこの娘が何者なのかの方が遥かに興味深い。

 風化が始まり古ぼけた遺跡群の地下にあった近未来的なカプセル。その中に眠っていた人間のような少女。

 神秘的で謎に包まれて、おまけに可愛い。好奇心をそそられる。

 服はエルとシエラの手でもう着せてある。ハーピーであるシエラの服は少女に適さなかったので、体の似ているエルの予備の服だ。

 少女を着替えさせた二人だったが、その体を見ても少女が何の種族なのか検討もつかないと言う。いや、正確にはまるきり人間のようだと言うのだ。

 頭の大きなカチューシャの様な物は何故か取れなかったらしいが、それ以外は地球人の人間としか思えないと言うのである。

 しかしこの異世界の遺跡で、カプセルに入って眠って居た人物が人間だとは到底思えない。

 では彼女は何の種族なのか?亜人か?人か?或いはもっと別の……。

「そんな事よりこの娘ずっと目が覚めないよ? 大丈夫なのかなぁ、お医者さんに見せた方が良いかなぁ」

「そ、そうだな一度医者に見せた方が良いかも」

 少女を寝かせたベッドの横で考え込んでいると、夕食の買出しから帰ってきたシエラにそんな当たり前の事を言われた。

 そうだ、俺はこの神秘的な少女に思いを馳せていて、肝心な事に考えが及んでいなかった。

 宿屋に帰ってきて二時間、二人への事情説明の後もずっと少女は眠り続けている。外傷は全くないし、寝姿があまりに安らかだった為思いつかなかった。

 シエラが「すやっぴーすやっぴーって寝てるよ」などと言いながら少女の頬を羽でツンツン突いているが、当の本人は一向に目覚める気配がない。

 全体的に木製の宿だ、涼しさを得るには窓からの風に当たるしかない。幸い新天地は乾いた気候なので、風は故郷の蒸し暑い熱風と違って爽やかに感じられる。

 風に揺らされる安い生地のカーテンの下、ベッドでは少女が汗一つかかず静かに、眠り姫のように眠りについていた。

 もしこのままずっと目が覚めなかったら……そんな恐い考えが頭の片隅をよぎる。

 シエラの言う通り医者に見せに行った方が良いのだろうか。改めてそう考える。しかし俺の中の何かがそれを固く止めていた。

 古代遺跡のカプセルの中から目覚めた少女――只者である筈がない。

 その正体は自分には想像も付かなかったが、この少女の事をあまり他言しない方が良いような気がして、こうして宿屋に帰って大人しくしていた。

 しかしこうも目が覚めないといい加減心配になってくると言うのも事実だ。やがて俺は思考の堂々巡りに陥っていく。

 外傷こそ無いものの、見えない所で何か悪い所がないとも限らない。それに医者に見せれば何か分かるかも知れない。

「うう~ん」

 エルの冷たい視線に晒されながら悩んでいると、ベッドに寝かせていた少女が軽いうめきと共に寝返りをうった。

 俺とエルの注意が一気に少女に向く。

 シエラに見守られていた少女はそのまま再び反対側に寝返りをうちなおし、ゆっくりと閉じられていた両の眼からスカイブルーの瞳を覗かせた。

 美しい黒髪にスカイブルーの瞳。もし俺と同じ地球人ならハーフと言う事になるのだろうか。

 ただ、亜人だった場合そう言った常識は一切通用しない。外見的特徴だけでは何とも判断が付かない。

「お、起きたのか?」

「大丈夫? どこも痛くない?」

 上半身を起しベッドから周囲を見回す少女にエルとシエラが声をかける。

 少女はまだ意識が覚醒していないのか、ボーっとした様子で俺達を眺め、そして最後に俺の方をジッと見ながら止まった。

 気まずい……少女は何故か初対面である筈の、俺の事を知っていた。もしかして俺が忘れているだけなのだろうか?

 異世界に来たのは初めてなのに以前に出会っている筈がない。

 そう思いながらも忘れているだけと言う可能性は否定できず、或いは他の理由だったらと俺はドキドキしながら無難な挨拶だけをした。

「や、やぁ」

「タクト……」

 再び俺の名を呼ぶ少女。しかし俺は少女にどう返していいか分らずやぁと言ったきり次の言葉が続かない。

 本当なら体は大丈夫かとか、名前はとか、どうしてあんな所にいたのかとか、色々と聞くべき事はあったのだが、それらの言葉が出てこない。

 エルやシエラが少女の言動を固唾を呑んで見守る中、暫し訪れた沈黙の後、始めに口を開いたのは少女だった。

「ここは……どこ? 私は……だれ?」

 少女は記憶喪失だった。



「君、ひょっとして記憶喪失なのか?」

「記憶……喪失?」

 俺の言葉にシエラが疑問符を浮かべて聞き返してくる。

 こちらの世界でもきっとそう言った現象はある筈だろう。エルが俺の言葉に黙って頷いている事からもそれは分る。

 目覚めた少女は俺やシエラやエルの顔を交互に眺めてオドオドと戸惑っていた。無理もない、何も思い出せない上知らない人三人に囲まれているのだから。

 俺は不安そうな少女に出来るだけ優しく話しかけた。

「俺の名前は久我タクト。地球、あ~……ここから言えば異世界から来た人間だ。君の名前は?」

「ソラリア……ソラリア=ソーサリーです」

 少女の名はソラリア=ソーサリー。とりあえず自分の名前は覚えているようだ。

 ではそれ以外の事は何を覚えているだろうか。自分が何人か、どこに住んでいたか、何をしていたか、そして何故俺の名前を知っていたか。

 色々と聞きたい事はある。だがその問いに対してソラリアは、俺が質問する前に答えを提示してくれた。

「私は……何故、ここにいるのでしょう? どこに行けばいいのでしょう? 私は……私は……分からない。何も分らない」

「どうやら本当に記憶喪失らしいな」

 ここでエルが話の輪に入って来る。

 彼女を着替えさせ服を貸したのはエルだ。ソラリアが目覚める前、エルはソラリアの体を見て「人間のようだ」と言っていた。

 亜人は皆人間とは大なり小なり違った所を持っている。それは身体的特徴から明らかだ。

 ダークエルフのエルは褐色で耳が長い。ハーピーのシエラは両腕が翼だ。他の種族も鱗だったり尾っぽだったり皆特徴を持っている。

 だがソラリアにはそう言った種族的特徴が一切何も見受けられなかったと言うのだ。スラヴィアの人間素体のゾンビにしても体温で分る筈なのにだ。

 ソラリアは人間なのだろうか?

「ソラリン何も覚えてないの?」

「そ、ソラリン?」

 と、今まで後で大人しく話を聞いていたシエラが、ひょこりと顔を出し話に加わってくる。

 突然あだ名で呼ばれ戸惑ったソラリアは、質問に答える事も忘れ鸚鵡返しに聞き返した。

「あぁ、この娘はハーピーのシエラ。俺の仲間だ。ソラリンってのは……あ~、この子なりの親愛の証だよ」

「よろしくねっ、ソラリン」

 シエラがソラリアの両手を握って笑顔で挨拶する。ソラリアは戸惑いながらもシエラの邪心の無さを分ったのか、悪い気はしていないようだった。

 そんな二人の様子を見届けてから、エルは落ち着いた様子で自己紹介と質問をした。

 やはりこんな時、一番冷静沈着なのは数々の修羅場を潜り抜けてきた彼女なのだろう。

 エルは冷静に、だが口調が冷たい印象にならないようゆっくりとソラリアの目を見て話しかけた。

「私はダークエルフのエルと言う。彼に雇われて用心棒をやっている者だ。名前以外、何か他に覚えている事は無いか?」

「はい、何も思い出せません……記憶喪失……私、いったいどうしたら」

 今度はちゃんと質問に答えられたソラリアだったが、その答えはあまり芳しいものではなかった。

 ソラリアは本当に自分の名前と、そして何故か俺の名前以外何も覚えていないようだった。

「そうだ! 少し外に出てみようよ」

「外に?」

 その答えを聞いて一同の空気がまた重く変わり始めた時、シエラが外に行こうと提案した。

 それがどんな意味を持つのか、本人が言わずとも俺とエルはシエラの考えている事が何となく分る。

 外にでも出て気分転換すれば、気持ちも落ち着いて何か少しは良い方向に道が開けるかもしれないと思っての発言なのだ。

「うん。実は香辛料買い忘れちゃって……一緒に歩いて色々見てるうちに何か思い出すかも」

 シエラはペロリと舌を出して、おどけた様子でそう言った。優しい心のある娘なのだ。

「そうだな、少し外の風に当たりに行こうか」

 その提案を受け入れ、俺もみんなに外に行くよう提案した。

 エルも同じ気持ちなのか、何も言わなかったがスッと立ち上がり部屋のドアを開けた。

「ここでじっとしてても仕方が無い。行こう。その……ソラリア」

 俺はベッドのソラリアに手を伸ばした。ずっと寝たきりだったなら起き上がるのも辛かろうと思っての行動だ。

 しかしその行動に別の意味を感じ取ったのか、ソラリアは頬を染めながら躊躇しつつ俺の手にソッと自分の手を重ねてきた。

 その手は白く、細く、力を込めて握ったら壊れてしまいそうで。慎ましく照れる少女の所作に、俺の方まで恥かしくなってしまった。

 そして俺は触れるか触れないかの距離に重ねられたソラリアの手を、優しく握って照れ隠しにこう言った。

「こ、これで立てるかな?」

 視線を外し照れながら言った俺を見て、ソラリアはまるでその手を取るのが初めてでは無いかのように、不思議と落ち着いた様子で返事をした。

「はい。タクトさん」



「もぅ、結局香辛料以外の余計な物まで買って」

「エヘヘヘ、ごめんなさーい。でもこれ楽しいよ~ほらほら~」

 市場での買い物も済ませ、一同は宿屋に帰ってきていた。

 シエラとエルが泊まっている部屋はベッドが二つしかなかったが、うら若き乙女であるソラリアを男と一緒のベッドに寝かせる訳にも行かず、結局ベッドを二つピタリと並べて、三人雑魚寝のような形で眠る事となった。

 三人は寝巻きに着替え思い思いの夜の時間を過ごしている。

 シエラは市場で衝動買いした地球のおもちゃ、丸めた長い紙を振って伸ばす物をエルに当ててちょっかいを出している。

 その紙による可愛い攻撃を受けて、鏡の前で髪を梳いていたエルは、寝る前のお手入れも途中にシエラを叱った。

「ちょっ、止めなさいってこら。シエラー!」

「アハハハハッ、エルが怒った~」

 そんな、このパーティを組んでから珍しくなくなった光景を見て、ベッドで一人楽しそうに微笑んでいるのはソラリアである。

「どうだい? 何か思い出せた事はあった?」

 そんなソラリアのリラックスした姿を確認して、エルは市場に行った目的の一つ、ソラリアが何か思い出せなかったかを訊ねてみた。

 一緒に市場を巡る内、シエラのお陰もあって少しは打ち解けたソラリアだからこそ、今一度「思い出したか」と言う質問をする事が出来たのである。

 そしてソラリアの答えも行動を起した甲斐あって、少しは何かのヒントになるようなものだった。

「いえ……でも、何だかとても懐かしい感じがしました。前にもこうしていた事があるような気がします」

「そっか」

 具体的に何か思い出したわけではない。しかし懐かしい感じがしたと言うなら、ソラリアがタクト達と一緒に居る事は間違いではないのだろう。

 ソラリアが前居た環境に似ていれば、それだけ思い出せる確率も上がる筈だからだ。

 無理に思い出そうとしても仕方が無い。

 焦らずゆっくりと、ソラリアが記憶を取り戻し一人でも大丈夫になるまで、シエラはソラリアを自分の所に置いてもいいと思っていた。

 そしてエルもタクトとの契約が切れても暫らくここに滞在して、二人を守ってもいいと思っていたのだった。

 だが肝心のタクトがどう考えて居るのかまだ分らない。タクトは学校の研究が終われば地球に帰るだろう。そうなった時いったいどうするのか。

 ソラリアはタクトの名前だけ覚えていた。きっと何かその事には深い因縁がある事は確かだろう。

 始めにソラリアを見つけたのはタクトだ。地球に帰るにしても、何らかの形でその責任は取るべきだろうと、今日半日、エルは考えていたのだ。

「さ、そろそろ寝ようか」

「うん」

 とは言うものの、こればかりは当人同士の意思が大切な問題だ。タクトがソラリアを見捨てるのか、はたまた異世界に残り面倒を見るか、地球に連れて帰るか……。

 エルはランプの明かりを消すのをシエラに任せ、一足先にベッドに寝転がり先の事に思いを巡らせていた。

「じゃあランプの火は消しておくね」

 そう言ってシエラがランプの火を消そうとカバーを取った時、俄かに小さな火は炎となり、とても自然の燃え方とは思えない勢いを見せた。

「わっ!?」

 その炎の明るさに驚いたシエラは急いで火を弱めようと、思い切り息を吹きかけた。

 だが炎はその風の向きに一瞬流れただけで、シエラの息が止むと今度はまるで炎の蛇のように、ソラリアに向かって伸びていったのである。

「なっ、何だ急に!?」

「え? え? えぇ?」

 炎は今や完全に魔法で操られている時の、不自然な動きをしている。しかしこの部屋には火の精霊にそんな事を呼びかけた者は居ない。

 第一、森の民であるエルは火の魔法は嫌いで使いたがらないし、シエラにしても風以外の魔法は苦手で、こんな火を動かすような真似は出来ない。

 ならばこれは火の精霊自身の意思なのか。

 元がランプの火と言えども触れれば火傷はする。それが今や赤い蛇となってソラリアに噛み付こうとしていた。

「危ないソラリア!」

「きゃーーーー!!」

 寝ていたため対処が間に合わないエルの眼の前で、火はソラリアに襲い掛かるように向かって行き、そして当たる前に無数の火の粉に変わって爆ぜた。

「た、助かった……の?」

「何だったんだ今のは?」

 目を瞑って頭を覆っていたソラリアは、自分の身に何も起こらなかった事を認識すると、ゆっくりと目を開けて周囲を見回した。

 部屋の中は空中の火の粉が消えて行くと共に、窓からの月明かりのみが頼りになる闇に飲まれていく。

 三人は今起こった少々やり過ぎとも思える火の精霊の悪戯に驚いた心を、夜の闇と共に静まるまで待って互いの顔を見合わせた。

「火の精霊の悪戯だったのかな? こんなの初めて見るよ~」

「驚きました。私、火の精霊さんに嫌われるような事してしまったのでしょうか?」

 シエラとソラリアは羽と手を合わせて良かった良かったと落ち着き合っている。

 しかしエルは一人、今の勝手に精霊が起こした悪戯以上の事を思い、何か不穏な事が起こるような気がして眉根を曇らせた。

「悪戯……なら良いんだがな」

 再びベッドに入り夏掛けを被ったエルは、そう誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。



 その夜……

「シエラ……シエラ」

「ん~~……なーにー? エルゥ」

 ベッドを二つくっつけた即席のダブルベッドで眠る三人。

 その内の一人、エルが隣で眠るシエラの耳元でその名を呼んだ。

 時刻は地球で言う所の草木も眠る丑三つ時。ここ異世界の新天地の町では、外で微かに聞こえる虫の声以外、何も聞こえない静寂が支配していた。

 その暗闇と静寂の中、エルはぐっすり寝ていたシエラを起して、自分が起された原因――音について話しかけたのだ。

「何だか時計の音がしないか? ほら」

 そう言って耳を澄ますと、確かにカチ、カチ、と規則的な音が微かに聞こえてくるのだ。

 外で鳴く虫の声が生命のメロディーを織り成しているのに比べ、ただ機械的に規則的に同じ音を刻み続けるそれは、虫の声で無い事は明らかだった。

「ホントだ……お兄ちゃんの腕時計って言う小さい時計の音じゃない?」

 その音を聞いてシエラは、部屋の向こうにある机の上に置き去りにされた、まだ蓄光塗料がぼんやりと光り続ける腕時計のほうを指差してみせた。

 腕時計の針の動きは確かに、エルとシエラが聞く音とリズムが合っているように見える。

 懐中時計くらいなら普通にあるものの、こんな小さな時計は異世界では珍しい。

 エルはその珍しい小さな時計の音が、今彼女が聞いている小さな時計のような音の正体だと納得した。

「そうか……きっとそうだな」

 そう言ってエルは再び布団を被り直し瞳を閉じる。

「もう眠いから寝るね……おやすみぃ……」

「起して悪かったな。お休み、シエラ」

 その様子を確認してシエラも寝惚け眼を擦りながら再び寝る体勢に入った。

 エルとシエラは再び夢の世界へと入っていったのだった。



 次の日、俺達四人は朝食の後、遺跡に向かって歩みを進めていた。目的は遺跡の調査とソラリアの記憶のヒントになる物を探しに行く事。

 その道すがら、少々遠回りにはなるが昨日ソラリアが懐かしいと言った市場をもう一度通ってみる事にした。


 朝から市場は大変な賑わいで、昨日と変わらず楽しかった夕方の空気そのものだった。

「おじちゃんこんにちはー。今日も暑いけど良い天気だねっ」

「おっ、シエラちゃん今日は早いね。ほら、これ持っていきな」

 小さな町とは言え市場は流石活気に満ち溢れている。道を埋め尽くすのは地球では見慣れないものばかりで好奇心をツンツン刺激された。

 ガヤガヤと混雑する道を所狭しと行きかう人々。その中を俺達も雑踏に揉まれながら歩いていた。

「にーちゃん人間かい!? こりゃ珍しい、おまけしとくよ!」

「何か珍しい物持ってたら買い取るぜ~! こっちの珍しい物も買ってきなぁ!」

「お姉さん方今日は日差しが強いよ! 俺っちんとこの日焼け止めでも買ってもらいなって!」

 そんな声が通る先々から聞こえてくる。勢いに圧倒されながらも、周囲のパワーが自然に自分の中にも染み込んで来るようだ。

 立ち並ぶ商店の数々は実に多種多様であり何度来ても飽きさせない。市場の活気だけはどこの世界でも変わらないなと俺は感心した。

 そんな太陽の光よりも明るい市場の空気の中、真っ白なシーツに垂れた一滴のインクのように浮いた空気の少女が一人。

 シエラの横に並んで歩く記憶喪失の少女だった。

 ソラリア=ソーサリー、それが少女の名前。タクトとソラリアと言う自分の名前以外、少女は何も覚えていない。遺跡地下で目覚めた時の事さえも……

 少女の過去に何があったのか、少女が何者なのか、暗い話になりそうだった俺達を市場に誘ったのはまたしてもシエラだった。

「おぉ、シエラちゃん新しいお友達かい? 人間のお友達かな、良かったねー」

「は、はじめまして。ソラリアと言います」

  店屋のおっちゃんの微笑みにさえ押され気味のソラリアは、おずおずと少し照れくさそうに挨拶した。

 そんなソラリアの態度を見て、シエラは前に出てフォローするように会話を進める。

「ソラリンは記憶喪失なんだよ。だから何か思い出す為に、こうして歩き回ってるんだー」

「それは可哀想に……ほら、これでも食べて元気をお出し」

 そう言っておっちゃんが差し出した赤い果物を、シエラは「ありがとー! はい、ソラリン良かったね」と言って細く白いソラリアの手に渡す。

 実はこうした光景は初めてではない。シエラは市場に出ると大抵何かしら貰って帰ってくるのだ。

 飛べる鳥人なのに飛べない鳥人の町で愛される。

 そんなシエラの姿を見ていると、いつか鳥人達も分かり合える日がきっと来るような気がしてくるのだ。

「人がいっぱい……楽しいです」

「そうか、それは良かった」

 そんなシエラの明るさに触れたおかげか、ソラリアも次第に「これは何ですか?」「あれは何ですか?」と色々と尋ねるようになってきた。

 しかしその問いに答えたのは殆どがシエラで、俺はここ異世界の事についてあまりソラリアに答えてあげる事が出来ない。

 シエラは有翼種の鳥人でありながら地上で暮らしている珍しいハーピーの娘だ。勿論、立派に空も飛べる。

 何でも幼い時に両親を亡くし、浮遊大陸の下に広がる飛べない鳥人達の村で拾われ育てられたのだそうだ。

 そんな暗い過去を持っていながらシエラは明るく、独特の人懐こさでここ新天地の市場でも、仲良くなった気の良いおじさん達に食べ物を分けてもらっている。

 頼りになるガイドだ。

 それに引きかえ俺は……。

「しっかりしろ」

「エルさん」

 そんな年下のシエラと自分との対比に落ち込みかけた時、ふと背中を叩かれて声を掛けられたのはダークエルフのエルだ。

 エルは詳しい事情は知らないが、故郷のエリスタリアを離れ、ここ新天地で傭兵や用心棒のような仕事をして生計を立てているそうだ。

 シエラが俺より年下なのに対してエルは年上、身長も男の俺とそう変わらないくらい高いし、おまけに弓の名手で強い。

 あまり自分から何か発言する方ではないが、みんなの事はしっかり見ていて戦闘以外の事でも助けてくれる良い人だ。怒ると恐いけど。

「お前が暗い顔をしていると、その娘も心細くなるぞ」

 そう言われてソラリアの方を見ると、ソラリアはぱっとにこやかな笑顔を作って俺に見せてくれた。

 こんな雑踏の中でも彼女は俺を見ているんだ。

 自分の事は名前以外何も覚えていないのだ。今は唯一覚えていた俺だけが心を支えるものなのかもしれない。

 こんな不憫な娘を放っておけないと思い、力になりたいと外に連れ出したが俺に出来る事はこれっぽっちの事しかないのだろうか。

 何か大義の為でもない。仕事でもない。勉強の為にここに来て現地の案内も身の安全も他人に頼る俺が出来る事なんか……。

「お、お止め下さい!」

「うるせー! ケチケチすんじゃねー!」

「俺達ゃ十個も買ってやってるんだぜ? これくらいおまけしろ!」

「しかしいくらなんでもそれは……」

 そうして俺が悩んでいると、市場の向うから大きな声が聞こえてきた。

「何だ? 向こうが騒がしいけど」

「あまり近づくんじゃない。巻き込まれるぞ」

 そう言ってエルに止められた先では人々が囁きあい異様な喧騒が起こり始めていた。

 少し先を行っていたシエラとソラリアも立ち止まっている。

 一体何が起こっているのかと耳をそばだてて聞いていると、それはどうやら物騒な客が店の主人にいちゃもんをつけて暴れているようだった。

「嫌ね、軍隊だからってあぁして威張って」

「飛べる奴らは昔っからあーさ」

「ここはもう独立したんだ。なのにまだ主人面かよ」

 鳥人の軍人と呼ばれていた荒くれ者達を囲うように眺める観衆は次々にそんな悪口を言い合っている。

 遠目に見えるのは果物屋台で老主人に絡む屈強の軍人五人。きっとあの五人の後ろには数十人の部隊が控えているのだろう。

 だからこんな理不尽に腹が立っても、町人達はそう容易には手が出せなかった。

 ここはかつて飛べる鳥人達にとって奴隷のように扱われていた、下層階級の飛べない鳥人達によって独立した土地だ。

 多種族の力も借りて勝ち取った土地だが、まだ歴史は三十年あまりと浅い。その為、飛べる鳥人達への感情もまた、独立当時のものが根強く残っていたりもする。

「何だてめーら、何見てやがる!」

「俺達はファルコ様の軍勢だぞ! おめーら下級鳥人とは身分も生まれも違うんだ、あぁーん!?」

 そんな新天地の辺境で今、オルニトの戦闘神官ファルコの軍勢が暴れ回っていると言う話は、ここ新天地に来た時すぐ耳に入った事だった。

 これだけコケにされて手が出せないのは、彼ら飛べない鳥人が弱いからじゃない。

 落ちぶれたとは言えかつて軍事国家として名を馳せたオルニトにあって、未だに軍勢を持ち続ける神官ファルコ。

 戦闘神官と呼ばれるこの鳥人の悪逆非道ぶりを耳にしたら、とても物を取られたとか殴られた程度の事で逆らおうなどと思わなくなる。

 浮遊大陸に住む他の飛べる鳥達や神官達が、地上の事に興味が無い事は広く知られた事だった。

 飛べる者にしか辿り着けない浮遊大陸は、上流階級の鳥人達にとって神の奇跡が生み出した聖地であり、絶対的な安住の地でもある特別な土地だ。

 その浮遊大陸さえ無事ならば、その下に広がる荒野の大地など、彼らにとってどうでも良かったのだ。

 そんな中、地上の鳥人達の叛乱を面白く思わない人物が居た。戦闘神官ファルコだ。

 聞く所によれば彼は皆が地上に無関心なのを良い事に、領地を奪還する名目で新天地の各地で軍勢を使い略奪の限りをつくしていると言うのだ。

 大義名分の下略奪行為が許されるとあっては、荒くれ者どもはいくらでも集まってくる。

 今やファルコの軍勢は、飛べる鳥人に多種族の傭兵も合わさって千人規模にまでなっていると言う話だった。

「おっ?」

 誰も逆らえず果物を十個分の値段で五十個も奪われていった帰り、取り巻きの群衆の中から荒くれ男が一人の鳥人の娘を見てそんな気持ち悪い声を上げた。

「ねーちゃん田舎者にしちゃ可愛いじゃねーか」

「俺達と一緒に来いよ。良い思いさせてやるぜぇ?」

 そう言って軍人の一人が鳥人の娘の腕を掴んで連れて行こうとした。

「い、いや! 放して下さい」

 娘は羽を撒き散らしながら激しく抵抗するが、男の腕力には到底敵わず引っ張られていく。

 それを見て先程大切な商品を奪われた店の老主人が、男達に取り縋る様にして許しを請おうとしている。だが男達はそんな声聞こえていないようだ。

「お止め下さい! どうか、どうか孫だけは……!」

「放して下さい、だってよ。可愛い~」

 こんなモノを見せられて黙っていると言うのか。

 新天地は治安が悪いとは聞いていたが、今、目の前で繰り広げられる光景の酷さは聞きしに勝る理不尽なものだ。

 だが俺はただの学生、あいつらの一人にも勝つ自信は無い上、揉め事を起して責任を取る力もない。

 その気持ちは周りのギャラリーも同じのようで、皆一様に悔しそうな顔をしている。

「んださっきから? おらジジイ離れろ!」

 そしてとうとう孫娘を助けようと一人立ち向かっていた老主人が男の一人に殴り飛ばされた。

「いやーーーっ! おじいちゃん! おじいちゃーーん!! 誰か助けて下さい! 誰か! 誰かー!」

 男達に連れ去られようとしている娘が、それを見て悲鳴にも近い助け声を上げた。

 もう限界だ、後先なんか考えていられない。

 俺が怒りを辛抱する為に握り締めていた両拳を、ついに胸の前まで持ち上げたその時、俺より先にこの状況に戦いを挑んだ者が居た。

「止めなよっ!」

 その場に響き渡る鈴のように澄んだ声。

 古来より、その歌声は魔性の美しさと言われ海の魔女セイレーンと並び称される一族の末裔。

 飛べる鳥人の軍人に真っ先に立ち向かったのは、なんとハーピーであるシエラだった。

「その娘嫌がってるよ? 女の子に乱暴な事するの良くないよ」

「なんだぁお譲ちゃん」

「有翼種なのになんで下級種の味方してんだ?」

 いかにも柄の悪いそうなのが二人、シエラの方にメンチを切りながら近づいてきた。

 どうしてこう言う類の連中は世界共通でメンチを切るのだろう。何か遺伝子以上にそうした情報を伝えるものが体に入っているのだろうか。

 何れにせよ仲間は娘を捕まえたまま、残りの二人は目一杯シエラを威嚇するように睨み付けているのだが、シエラはそんな視線にも屈せず反論した。だが――。

「人種とか関係ないよ。悪い事は悪い事だよ。だから放してあげ――キャァ!」

 シエラが反論している途中、突然それは襲ってきた。

 予告も警告も無しの裏拳による張り手だ。その大きな毛むくじゃらの手はシエラの顔を大きく弾いて、自分より遥かに小さい少女の体を地面に倒れこませた。

「シエラ! あいつ――」

 俺がもう考え無しにギャラリーの列から飛び出した瞬間、腕を抱くように止めた者がいた。

「ソラリア!?」

「戦っちゃ駄目……タクト……」

 それはソラリアだった。

 ソラリアは怯え切った表情で俺の腕を力いっぱい掴んでいる。

 それは何かを酷く恐がるように、だがその何かが今目の前に居る相手ではなく、もっと抗いようのない何か巨大なモノのような……そんな表情だ。

 一体何故、この状況を目の前にしても止めに入る何かなのか。俺は振り上げた拳の行方を失いながら、憎き相手の意外な声を聞く事となった。

「ぎゃああぁ!!」

「だ、誰だ!? いま弓を射った奴は!」

 悲鳴の方向を向いてみると、さっきシエラを叩いた男の手を一本の矢が貫いている。

 そして後から声が聞こえた。静かに怒りを燃やす声だ。 

「その娘を放しな。さもなきゃ次はあんたの両の玉をぶち抜くよ」

 放たれた矢は弓の名手、エルが放った物だった。軍人達は総毛立ってエルに剣や槍を向ける。

 それに対してエルは既に第二射の準備が整っており、横に構えた複合弓コンポジットボウにつがえた二本の矢の先は、正確に先頭の二人の眉間を狙っている。

「駄目……戦っちゃ駄目です……戦っちゃ……」

 震えるソラリアの願い空しく、鳥人軍人の怒号が開戦の合図となった。



「てめー! よくもライルを!!」

「オラくたばれぇー!」

「目が! 俺の目がぁぁぁぁあああああ!?」

 エルの始めた喧嘩は周囲の露店を巻き込みながら激しく続いていた。

 五人居た軍人は今や三人に減っている。一人は矢を腹部に受け、うずくまって倒れている。もう一人は右目だ。

 ここまでやられれば普通逃げ帰るのが常道なのだろうが、そこは屈強の軍人。仲間がやられようと闘争本能に些かの陰りも見られない。

 相手の武器は剣と槍。ここまで接近されてから弓矢を射ち込めたエルの技量は並大抵のものではない。

 しかもまだ残るギャラリーに矢が行かぬよう、射る方向を限られている為エルは攻撃を読まれてしまっていた。

「く、やり辛いっ!」

 エルは後退しつつ相手との距離を取ろうとする。

 弓を射るには時間が必要だ。矢を弦につがえ、弓を引き、狙いを定め、手を離す。ここまでやって初めて一回の攻撃が完成するのだ。

 しかし相手は腐っても軍人。そんな事は百も承知で、相手に武器が弓矢しかないと見るや、徹底的に弓矢を射るタイミングを与えないよう攻撃してくる。

 それはまさに絶え間なく続く刃の舞。エルは何とか二人まで弓で仕留める事が出来たものの、残り三人の連係プレーに押されていた。

「戦いを止めて。お願いだから、戦いは……戦いは……」

 俺はソラリアとシエラを連れて観衆の中に隠れていた。二人をこれ以上危険な目に遇わせる訳には行かない。

 特にソラリアのさっきからの怯え様は可哀想になるくらいだ。

 そんな中、シエラは落ち着きを取り戻してソラリアにゆっくりと近づいてゆく。

 俺は戦闘は出来ない。こんな時エルもソラリアも助けてあげる事が出来ない。この状況を前に何も出来ない俺に代わって、シエラは今何かを成そうとしているのだ。

 地面にしゃがみ込み頭を抱えて怯えるソラリアの肩に、シエラは自分のお日様の陽を吸って暖かくなった羽の手を乗せた。

「ソラリン」

 羽根布団に包まれたような心地良さにソラリアは顔を上げた。目の前にはシエラの顔がいっぱいに映っている。

 その口の端には血が滲んでいた。先程ぶたれた時に口中を切ったのだろう。それでもシエラは今まで見た事も無いような真剣な顔で、ソラリアに話しかけてきたのだ。

「ソラリンごめん……私も戦うよ。だってエルは私の為に戦ってくれてるんだもの。それに――」

 シエラの口調は穏やかだったが強い決意の意思が篭っている事が感じられた。

 エルは最初の二人を倒したきり、その後の三人には押され続け誰の目にもピンチとしか言いようの無い状況だった。

 そんな窮状の友達を、シエラは絶対に放っては置けないのだ。

「それにエルは友達だもん」

 その言葉を最後に、シエラはエルを追い詰める三人組の後方に躍り出た。奇しくもエルと敵を挟撃する陣形だ。

「大地にあまねく精霊よ」

 シエラは風の精霊に願う。普段飛ぶ事にしか使ってこなかった魔法を、人を傷つける為に使う事を許して下さいと。

「我が力、我が威となりて」

 精神を集中させるように、目を閉じ前方に翼を出す。演唱を行うのは大きな現象を伴う魔法を使う為だ。より多くの精霊に願いを聞き届けてもらう為だ。

「共に眼前の敵を葬らん」

 人を、敵を攻撃できるくらいの風を呼び起こす風の魔法。

 その演唱にようやく気付いたのか、エルを攻めていた三人がシエラの方を向いた。

 演唱はもう完成しかかっている。シエラの周囲を風が取り巻き、周囲には砂埃と風の魔法力を表す緑のマナが輝き始める。

「ま、まずい! 後の奴、風の魔法を!」

「あいつを先にしとめろー!」

 三人は取って返したようにエルを放ってシエラの元へ駆けた。しかし到底間に合うタイミングではない。

 一人は大切な武器である剣を投げつける動作をしたが、その時、シエラの演唱は完成したのだった。

「唸れ! 精霊――シルフィード!!」

 一人の手から剣が投げ放たれる。その凶悪な刃は真直ぐシエラを狙って飛び込んだが、直前で何か見えない壁に弾かれたように飛ばされてしまう。

 風自体は見えないが、周囲に空き起こる土煙でその存在を知る事は出来る。

 市場の中央通を猛烈なスピードで、一陣の風が吹き抜けたのが見えた。

『うわぁあああ!』

 その風の直撃を受けて、屈強な男三人の体はまるで木の葉のように弾かれ中を舞った。

 吹かれて浮いた、と言うより、空気の壁に突撃されて弾け跳んだような、そんな飛び方だ。

 空に弾け上り落ちる前に、風の衝撃に絶叫した男三人は意識を失っていたのだった。



「いやー姉さん方強いねぇ」

「ぶっ飛ばしてくれてありがとな! これで俺っちも気が晴れたぜ」

 戦いに勝利した二人は市場の人々に囲まれ、周囲はお祭りのような熱気に包まれていた。

 皆、口々に賞賛と感謝の言葉を口にし、エルは何とも恥かしそうな顔を、シエラは愛想良く笑顔でこれに答えている。

 戦いに参加していなかった俺とソラリアはその光景を見て、この町の爽やかさ、いや、この異世界に暮らす人々の心意気のような物を心地良く感じた。

 と、そこに人波を掻き分け、先程まで軍人達に絡まれていた鳥人の娘が輪の中に入ってきた。

「あの、ありがとうございます。本当に何とお礼を申し上げてよいか……」

 娘は深々と二人に頭を下げ、自分の為に危険を冒し戦ってくれた労に最大限の感謝の意を表している。

 そうか、異世界に地球の故郷と同じような頭を下げると言う文化もあるんだな。などと、俺はその光景を見ながら妙な所で感心してしまう。

「あはは、気にしないで。私達が勝手にやった事だから」

 尚も謙遜するシエラとエルだったが、市場の熱気は収まらない。

 これは今日一日二人はヒーローだな、などと思いながら俺はその場を離れようと後ろを向いた。流石に蚊帳の外と言う感じがしたからだ。

 そう、あの時俺は何も出来なかった。いや、何もしなかったんだ。

 ソラリアに止められたからとか、自分には戦う力は無いからとか、そんな言い訳を心の中に思い浮かべて俺は仲間を助けようとしなかった。

 結果として、俺が何かしなくとも二人でどうにかなった。それでも俺は、何もしなかった自分の勇気の無さを今更になって恥かしく思う。

「っ!?」

 そんな時、さっきまで完全に気絶していた軍人達の一人が意識を取り戻し、何か持っている事に気付いた。

 俺だけが後を振り向いていたせいで気づく事が出来たのだ。

 後ろ手に縛っておいた筈なのに何故?その答えを見つける暇も無く、俺は状況が切羽詰った物である事を知った。

 軍人の手に持たれた物を俺は知っている。地球にもある道具、いや、武器と同じ形だ。

 クロスボウ――板バネの力で矢を発射する飛び道具。その矢の先がソラリアを狙っていたのだ。

「あぶないっ!」

 俺は後ろに気づいていないソラリアを突き飛ばした。咄嗟の行動だった。

 出会ってからまだ一日と経っていない女の子。不思議な出会いを果たした不思議な女の子。その女の子が危ないと思った瞬間、俺の体は考える間も無く勝手に動いていたのだ。

 さっきは考えても動けなかったのに、今どうして動けたのか分らない。

 分らないが――俺は胸に感じる焼けるような痛みと薄れ行く意識の中、ソラリアが助かった事に心底ホッとしていた。



「きゃっ!」

 突然、私は誰かに突き飛ばされて地面に突っ伏した。

 腕に感じる砂と土の感触、そして自分が倒れた音。私がもう一つの倒れた音に気付いたのは、倒れた時の痛みが大した事なかったからかもしれない。

 私はその場ですぐに体を起すと、隣に倒れている男の人に気付いた。

 その人は私が唯一、私の名前以外で覚えていた男の人。地球と言う場所から来た異世界の旅人。

 さっきまで私と一緒に二人の戦いを見守っていた、戦っちゃいけない人の筈なのに。なのにそのタクトさんが私の横で怪我をして倒れている。

「え? た、タクトさん……?」

 胸の辺りに刺さっているのは矢だ。エルさんの使っていた物より大分短い。その矢が刺さった所から、赤い染みがみるみる広がっていった。

「いやぁぁぁぁぁあああ!! タクトさーーーん!」

 私は絶叫した。

 人が傷つくのを見るのは嫌い。でも何故自分がこんなに焦る気持ちになるのか分らない。

 ただ私の心の内に、タクトさんが倒れた事に対しての絶望と恐怖が、まるでこの服に広がって行く血のように広がっていった。

「これはクロスボウの矢!? 誰だ! 出て来いっ!!」

 エルさんが私の叫び声に気付いて駆けつけてくれた。倒れて気を失うタクトさんの傷を見て、横にしながら矢を射った敵を見据える。

 その時、私の中に記憶の断片が甦って来た。

 私はタクトさんの事を知っていた。そしてタクトさんが危険に晒される事も知っていた。だからさっき絶対に戦っちゃいけないと感じたんだ。

 自分が何者なのか、何故あんな場所で眠っていたのか、何故何も覚えていないのか。今は何も分らないけれど――。

「ヒッヒヒヒヒ」

「きっさま~、さっきの!!」

 さっきシエラさんとエルさんに倒された軍人の一人が目を覚まして血走った目で笑っている。

 その人に向けて、エルさんが再び弓矢を向けて狙いを定めている。

 軍人は自分の荷物か何かを前方に構えて、矢の斜線を遮るように体を守っているようだった。そのせいでエルさんも狙いを付け辛くて矢を射る事を躊躇していた。

「そっちの大人しそうなお仲間を狙ったんだけどなぁ。邪魔されちまったよ」

 軍人は怒りに狂った顔で狙いは私だった事を告げる。

 それを聞いて私は、自分のせいで、自分の為にタクトさんを傷つけてしまったのだと再認識した。

「タクトさん! タクトさん!!」

 私は泣きすがる様にタクトさんに呼びかける。目を覚ましてほしい。折角出会えたのに、ずっと出逢えるのを待ってたのに。


 ――ドクン――


(え?)

「不意打ちとは、この卑怯者!」

「うるせー!!」

 いま私、出逢えるのをずっと待ってたって思ったの?

「さっきはよくも魔法で攻撃してくれたなぁ!? こっちが下手に出てりゃ図に乗りやがって!」

 頭の上で今も繰り広げられる争い。その下で、私は今、確かに一つ思い出した事があった。

 そうだ、私は待ってたんだ。ずっとずっと待っていたんだ。

「な! 火の魔法だとぉ!?」

 エルさんが意を決して、荷物に守られていないギリギリ見える頭を狙って矢を射った。

 しかしその矢は途中で炎に包まれて目標に到達する前に散り散りの灰になってしまう。そう、火の魔法だ。

 そしてその瞬間、軍人が持っていた袋が一瞬で燃え落ちて中の荷物が顕わとなる。

 ルーン文字が刻まれて、厳重に封印処理が施された丈夫そうな鉄籠の中に見えたのは、全身に燃える炎を纏ったトカゲのような物。

 見るからに分る凶暴な火の精霊。口から炎の舌をチラつかせ、燃える眼は獲物だけを求めている。

「あれはサ、サラマンダー!?」

「まさかお前、サラマンダー部隊か!!」

 シエラさんとエルさんが同時に驚く。

 火蜥蜴サラマンダーと呼ばれた火の精霊は、軍人の手の中で溢れる火の魔法を吐き出したくてウズウズしているようだ。

 エルさん達だけじゃない。その姿を見て今まで冷静に見守っていた市場の人達も途端にざわつき始めていた。

「た、大変だ……あいつら、村や集落をいくつも潰してきた、あのサラマンダー部隊だったんだ……」

「みんな逃げろー! 巻き込まれるぞーーー!」

 よほど恐ろしい精霊なのか、今まで後ろで私達を見守っていた町の人達も、サラマンダーの姿を見て慌てて逃げ出していく。

 でも私は逃げない。タクトさんを置いてなんか逃げられない。

 軍人はサラマンダーを掲げながら、相変わらずの荒々しい口調で私達に怒声を浴びせかけてくる。

 そんな相手に、エルさんは尚も冷静に一本の矢を向けて射放った。

 さっき放った矢は全て届く前にサラマンダーに燃やし尽くされていたというのに、エルさんはそれでもまだ矢を射ったのだ。


「もうこんな町どうなったって構うものか! サラマンダー! この町ごと奴らを焼き尽――ぐえっ!」

 次の瞬間だった。無駄だと思われた矢先、しかし次の瞬間軍人の呻き声と倒れる音が聞こえたのだ。

 なんと今度の矢は、火を浴びても燃え尽きる事無く正確に、籠に遮られていない軍人の頭部を射抜いていた。

「クルスベルグで買った鉄製の矢だ。飛距離は出ないが、サラマンダーでも止められなかったろう?」

 鉄の矢。

 そうか、エルさんは木も一瞬で焼き尽くすサラマンダーの炎でも、鉄製の矢なら燃え尽きず目標を射抜けると判断したんだ。

 やっぱりエルさんて凄い……そう思ったのも束の間、倒された軍人が持っていた籠を、後ろにいた誰かが取り上げた。

「危ねぇ危ねぇ。油断も隙もあったもんじゃねーな、あのダークエルフの女は」

 何とそれは、後ろで気を失っていた残りの軍人二人だった。

 なるべく殺めたくないと思い縛るに留めて置いたのが災いしたらしい。二人は怒りに血走った目をしながらも、不敵な笑みを浮かべ警告も何もなくサラマンダーを市場の店へと向けた。

「っ!? お前ら起きて――」

 そして放たれるサラマンダーの炎。隣接して立ち並ぶこうした商店通りは、一軒でも火が出れば連鎖的に炎は広がり大火事になってしまう事は目に見えている。

 誰でも分るそんな行為を、軍人達はただ自分達の怒りに任せて何の躊躇も無く行ったのだ。

「うわあぁあ大変だぁーー!」

「お、俺の店がぁ!?」

「きゃーーー!」

 こうなっては町の自警団や人々の協力で火を消し止めるしかない。

 ただ問題となるのは尚も火を放とうとする軍人達。サラマンダー部隊と言われる彼らが悪名高い所以が良く分る悪逆非道ぶりだ。

 彼らを先に倒さなければ被害の拡大は免れない。

 エルさんはそう判断したのか、弓矢のような物理攻撃が通じない火の化身であるサラマンダーに、再び魔法で攻撃するようシエラさんに指示を飛ばした。

「しまった! シエラ、もう一度魔法だ! 精霊だが、あのサラマンダーをやるしかない!!」

「わかった! 大地にあまねく精霊よ――」

 炎の灯りと立ち上る熱気の中、町の人達は自分達の町を守ろうと水の魔法や飲料水として取っておいた水まで使って、懸命に過酷な運命と戦っている。

 タクトさんも私を守ってこんなに傷ついてくれた。それなのに私は……。

 さっき思い出した微かな記憶の断片。私にも今出来る事がある事を私は思い出しかけていた。

 タクトさんと出逢う為に私はあそこに居た。なら何故私はタクトさんと出逢う必要があったのか?何故私の中でこれ程タクトさんの存在が大きいのか?

 私とタクトさんが出逢う意味。出逢った意味。そして、私のこの気持ちの意味も……。

 こんな所で死ぬわけにはいかない。タクトさんを死なせるわけにはいかない。

 私がそう決意した時、タクトさんの体が微かに動くのを感じた。



「わーーはははは! 燃えろ燃えろー! あはははははっ」

「う……」

 俺が目を覚ましたのは焼け付くような熱気と何かが燃えるような臭いの中だった。

 どうやら俺は気を失っていたらしい。胸に受けたと思っていた矢も、実際は肩の根元に当たっていたようで命に別状なさそうだ。

 致命傷ではないとは言え、初めて矢で打たれたと言うショックで気絶していたとは恥かしい。しかし今は恥かしがっている場合じゃなさそうだ。

 目の前に見える泣き出しそうなソラリアの顔以外、周囲は火の手と大変な喧騒で、既にこの町は危機的状況にある事を否応無く知らせてくれる。

「ソラリア……逃げろ……」

「タクトさん!? 大丈夫ですか! タクトさん!」

 俺は肩口の痛みも気にせず言った。

 ソラリアは戦いの前も酷く怯えていた。きっと気弱な優しい娘なのだと思う。その証拠に今も泣き出しそうな顔をしている。

 こんな所に居ていい娘じゃないんだ。俺を庇ってまでこんな所に。

「俺の事は大丈夫だから……早く」

 俺は今まで出くわした事も無い、一種の極限状況とも言える現実を目の当たりにして、正直腰が抜けそうだった。

 しかし俺がそんなではソラリアも安心して逃げられないだろう。

 俺はもうそんな、意地だけとなって脚にありったけの力を込めて再び立ち上がった。

 肩の痛みは意外と大した事は無い。恐らくアドレナリンやら何やらのお陰だろう。脚だってこうして気合を入れれば全然動ける。

 ソラリアを連れてこの場を逃げる事だって出来る……だが。

「そんな!? シルフィードの風じゃ効かない!?」

「ひゃーははははっ! その程度の風じゃサラマンダーの炎を煽るだけだぜー!」

 頼みの綱であるシエラの風を受けても、サラマンダーは散り散りとなった炎から再び現われ消す事が出来ない。

 風は火と相性が悪いのだ。

 女の子を助けようとしたとは言え、こうなった原因の発端は俺達にある。

 シエラもエルも懸命に戦っている。町の人達も戦っている。なのに仲間であるあの二人を置いて、ここで俺が逃げ出す訳にはいかなかった。

「俺……何の力もないから」

 俺は逃げられないけど、昨日会ったばかりのソラリアは別だ。俺達の問題にこれ以上巻き込むわけにはいかない。

「偶然だけど、君の事勝手に起して……守ってあげたいのに」

 だから俺はソラリアだけを逃がそうと思った。

 ソラリアが俺の名前を知っていた事は気になるけど、俺なんて何の力もないただの一般人だ。俺よりこの娘の力になってあげられる奴などきっといくらでも居る。

「だけどごめん。俺がここで逃げ出す訳にはいかないんだ。だから……」

 せめてソラリアだけでも逃がしたい。逃げて欲しい。

「だから、せめて君だけでも逃げてくれ」

 俺はソラリアに伝えた。ありのままを伝えたつもりだ。

 だと言うのに、ソラリアの返事は違ったのだ。

 自分だけ逃げても良かったのに、ソラリアの瞳にはサラマンダーの火より熱い、決意の炎が燃えていたから。

「……偶然なんかじゃありません」

「え?」

 ソラリアがスッと立ち上がり俺の前に歩み出た。炎と風に煽られた黒髪の輪郭が金色に光って俺の顔を撫ぜる。

 背中越しで表情は見えないが、その後姿に先程までの怯えた影は微塵も感じられない。

 ソラリアの中で何かが変わったようだった。

「私はずっと、あなたに出逢うのを待っていたんです」

「どう言う――ソラリア?」

 ソラリアが遺跡で目覚めた時、一緒に持っていた大きな鍵のような物を取り出した。

 それは鍵のような、銃のような、剣のような、とにかくその時ソラリアが持ったソレは、何かの武器であるかのように俺の目に映ったのだ。

「だから……これは、きっと運命!」

 その鍵をソラリアが軍人二人に向けて構えた。すると……。

「な、なんだ? 火が……炎がソラリアに集められて行く!?」

「町が、火事が治まっていく?」

 ソラリアの構えた鍵の先端に、店の軒先や商品、シート、テントを燃やしていた周囲全ての炎と言う炎が、火の粉までも集まってきた。

 まるで火が元居た物を燃やすのを忘れ、ソラリアの鍵に吸い取られて行くように次々集まりだしたのだ。

 その光景はまさに魔法のようだった。しかし火の精霊は周囲にその存在を感じられない。

 精霊無しに魔法を使っている。この現象は、光景は、そう表現するしかない不思議なものだった。

 そしてソラリアを中心に近い炎から同心円状に炎の消えた範囲は広がり、今やサラマンダーの放った火は殆どがソラリアの鍵に集められてしまっている。

「な、何だ!? 何をしてやがんだ! お前はぁ!?」

「ソラ……リン?」

「ソラリア……お前……」

 軍人達は今起きている現象が理解できず、肩を寄せ合いサラマンダーをソラリア一人に向けて構えている。

 状況を一変させたソラリアが恐いのだ。切り札であるサラマンダーだけが頼りなのだ。

 同じように状況を理解できない町の住民達は、突然消火の必要がなくなり、その場に立ち尽くしただ状況をじっと見守るだけとなっていた。

 エルとシエラも攻撃の手を止め、目の前で起こっている魔法で無い何か――奇跡としか言いようが無い現象に唖然としていた。

「サラマンダー! あいつを攻撃しろーーー!!」

 軍人の一人が命令する。

 サラマンダーは自分が放った火を吸い取られ腹が立っていたのだろう。今までで一番火力の大きな炎をソラリアに向けて放射した。

 その大火は一瞬にして俺とソラリアの居た場所を火の海に変える。

「ソ、ソラリア! タクトー!」

「ソラリン!? お兄ちゃーーーん!!」

 絶望的光景。

 飛びかかる矢を空中で一瞬にして灰に変える火力が、まさに火の塊となって俺達を飲み込んだのだ。

 エルとシエラがこちらの名を叫ぶ声が聞こえる。だが俺は目を閉じたまま周囲の状況を見回す余裕など無い。

 もう死んだ。そう思った時、同時に自分が無事であり熱くもない事に気が付いた。

「大丈夫ですよ、タクトさん」

 聞こえたのはソラリアの声。

 その声に俺がようやく目を開けた時、周囲を囲っていた火の海は弾けるように四散して無数の火の粉となり飛び散った。

「げぇ!?」

「綺麗……」

 周囲はまるでルビーの粉を散らしたように光り輝き、町の娘達は思わず感嘆の声を漏らす。

 しかしそれは同時に敵にとって、サラマンダーの炎が効かなかったと言う事実でもあった。

 火の精霊、いや、炎の邪霊サラマンダー。その炎をもソラリアは自身の鍵へと集めていってしまう。 

「私が運命を切り開きます。タクトさんも……私も……絶対に死なない!!」

 今や周囲全ての炎を鍵の先一箇所に集めた物は、炎と言うよりプラズマの塊のように凄まじい放射熱と光を周囲に放っていた。

 それはまさしく小さな太陽。

 その太陽のような光球を前に、敵は成す術を失い最早立ち尽くすしかなかった。

「こいつ炎が効かないのか!? 何故!? 一体何だと言うんだお前はぁーーー!!」

 半狂乱となった軍人の一人が叫ぶ。

 もう一人は尚もサラマンダーを構え抵抗の意思を示しているが、それが本当に抵抗の意思なのかサラマンダーに縋っているだけなのか、俺にはわからない。

 ただ一つだけ言える事は……。

「サラマンダーの火の制御を奪ってるの……? ソラリンが? 精霊の力も借りずに???」

 精霊と心通じるシエラは先程から感じていた違和感を口に出す。

 火の精霊の存在をソラリアから感じないのだ。それなのに、サラマンダーより強い支配力を持って火を操っている。その事が理解出来ないからだ。

「これって……いったい……」

「昨晩のランプの火はやっぱり……しかしこれは……」

 同じようにエルも事の理屈が理解できないで居た。

 エルも簡単な水と風の魔法は使える。

 精霊の力を借りて行使するのが魔法。しかしソラリアはまるで精霊の力無しで魔法を使っているように見えるからだ。

 そんな事が出来るのは神の力を分け与えられた者か、或いは精霊自身しか居ない。ならソラリアの正体とはいったい?

「何をしているサラマンダー! 早く次の火を放て! 放つんだー!!」

「ダメだ……こいつ怯えてる!? 逃げろーーー!!」

 考えがまとまらない内に軍人の一人は狂ったようにサラマンダーの籠を振り回して火を吐けと命令している。

 しかしサラマンダーはその命令に応えようとしない。籠の中で丸まって身を隠そうとするばかりだ。

 その様子を見てもう一人の軍人が逃げ出した。だが――。

「集束火粒子砲――ファイヤー!!」

 ソラリアの眼が光った。

 勝負は既に着いているのに、鍵に溜められた火の力を解き放ったのだ。

 全ての火の力を一度に放出した光は、炎と言うよりまるで漫画かアニメで見た事のあるビームかレーザーのように、一瞬にして軍人達全員を飲み込み地面の土をも焼き尽くした。

「ソラリア……君はいったい……」

 後に残ったのは抉れた地面と人型の黒い地面の染み。

 その圧倒的火力に、町の人々は唖然として立ち尽くす。

 子供は泣き出し年寄りには膝を付いて拝みだす人まで居た。

 軍人やサラマンダーを倒し平和が戻った市場だったが、炎の邪霊を炎を以って五人の軍人ごと消滅させたソラリアの残した爪痕は、トラウマと言う形で町に深く刻まれたのだった。



 一羽の白鳩が新天地の町から飛び立った。

 鳩の行く先は神の奇跡がもたらした永遠楽土の浮遊大陸。オルニト。

 そのオルニトの豪奢な石造りの神殿に、ソラリアとサラマンダー部隊が激突した町から飛び去った白鳩を待つ、一人の男が居を構えていた。

「ほぅ、精霊から火の制御を奪った女がいた、と」

 かつての隆盛を窺い知る事が出来る巨石作りの神殿の中央。

 まるで王の座る椅子のような、金銀作りの豪華な椅子に座る男が白鳩を受け取りそう呟いた。

「やはり私は運が良い。運命は私に『黒い月』を取れと言っているよ」

 鳩、と思われたものは光の精霊の一種だった。町であった光景を、自分の体を通して主に見せたのだ。

 男は鷹のように精悍な顔付きの鳥人だった。

 体は鳥人に多い痩せ型の体系とは違い、がっしりと大柄に見える。それでいて鳩をとまらせた立派な腕の羽は、男が飛べる鳥人である事を物語っている。

 男の横に人影が現われた。一歩下がった位置に居たのを、男の呼びかけに応じて前に出てきたのだ。

「ミィレス、お前の仲間が見つかったよ。嬉しいか?」

「イエス。マイマスター」

 椅子の陰から現れた人物――ミィレスと呼ばれた女性は、男の着る白い神官の衣装でもオルニトの一般的服装とも違う、異世界では見た事も無い形の服を着ていた。

 その腰には大きな鍵型の物が専用の鞘に収めて下げられている。

 感情の起伏がみられない抑揚の無い調子で答えた女性の顔は、やはりその声と同じで無表情そのものだ。

 無表情だがこの女性の顔は、タクトやソラリアと同じ地球人の顔そのものだった。

「我が野望の成就も、そう遠くないな……クックックッ」

 そう言って男は手に止めた光の鳩を握り締める。

 一瞬グェと言う声が聞こえたような気がした後、鳩は光の粒子となって四散した。

 他の誰にも今、自分が見た光景を見られないようにする為だ。男にとっては精霊さえも、自らの目的を果たす為の道具でしかなかった。

「行くぞミィレス。『黒い月』はもう目の前だ」

「イエス。マイマスター」

 男の名はファルコ。オルニトの神官の一人。

 極右思想で私兵集団を持つ彼を、人は戦闘神官と呼んだ。

 そして彼が従える女、ミィレス=アストレス。彼女もまた、ソラリアと同じ『世界に仇成す存在』の一人だった。

 運命の歯車が今、動き出そうとしている……。

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