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「話題がない」

わだいがない 10

藤川くんの場合


「け、結婚してほしい。」

 数日前から考えていた長いセリフは実際には、どこかに吹き飛んでしまった。

指輪のケースごと、彼女に渡した僕が言う。僕は目をできるだけ彼女からそらさずに、言った。だが、それはつもりだったようで、言い切ったころには、僕は彼女の足元を見ていた。本当は、ケースもあけて渡すつもりが、箱のまま渡してしまった。

「ハイ。」

 顔を見上げると、相手が顔を赤くしながら微笑んでいた。箱を開けることもなく、握りしめたまま立っている。

「ホント?」

つい聞き返していた。

「はい。」

そのとき微笑んだ彼女を見て、僕はなんて美しいんだろうと本気で思った。きっと同じくらい僕も真っ赤だったに違いない。僕は笑った。幸せだった。


 それから数か月後。結婚式はまだ先の話だが、休みの日に婚約者となった彼女と一緒に、結婚式に呼ぶ人のリストを考えていた。両親や親戚もそうだが、職場の上司、職場の同僚、友人たち。

そんなときに、ふとあの人が浮かんだ。

「誰に嫌われていようと関係なくない?あたしが平気なんだから。」

 高校時代のクラスメイトの彼女は、毅然と言い放った。

30半ばに差し掛かって、やっと彼女の強さに気が付くと同時に、自分もそんな風になりたかったと思うのだ。好きだという気持ちよりも、尊敬の気持ちが大きかったのだろうと今になって思う。


 中学時代からそうだったが、高校時代も僕は太っていた。しかも身長が低かった。太っているだけで、友人も太っている奴がよってくる。当然、そのことでからかう奴もいる。それでも、ケンカもできない僕は、ひたすら静かにそこにいた。

いま、考えると原因は容姿だけではなかった気はするが、当然のことながら、女の子にもてるような僕ではない。そんななかで、誰も話しかけなかった地味な僕に彼女はまるで、なんでもないかのように話しかけてきた。それは、僕には不思議な感覚だったが、彼女には普通のことだったのだろう。

僕もだが、勉強とか、スポーツが何か特別に出来るというわけでもないのに彼女は人々を惹きつけた。僕もその中の一人だったのかもしれない。

一か月もしないうちに友人ができていった。数か月もたたないうちに、本だけの世界で生きていた僕に、ほかの女の子の何人かが話しかけ始めた。別に彼女が配慮したとか、紹介してくれたとか、そういうことではない。僕に話しかける人は増えたけれども、彼女の態度は何も変わらなかった。

 彼女は、公平な子だった。僕がからかわれていると、「そういうことは言わないの!」と、相手を怒るが、そのことで彼女を嫌う人は誰もいなかった。どんな相手でも、言葉使いや態度や声のトーンも変わらなかった。


僕は彼女に迷惑をかけるような気がして、彼女に自分から話しかけるようなことはできなかった。なにを話していいのかわからない、ということもあったし、せっかくの話し相手を失いたくなかっただけなのかもしれない。嫌われたくないという思いもある。

ほかにも、僕のせいで彼女まで他の奴らにからかわれると困るなど、たくさん言い訳をして、僕は彼女をそっと見つめているだけになった。

そんな僕とは関係なく、彼女の周りには人が増えていった。学校行事関係の委員を色々やりだして、いそがしくなって、よく走ったりしていた。


年上の人たちといることが多くなって教室にはあまりいないことが多くなった。教室にいても寝ていたり、音楽を一人で聞いていたりしていた。つかれているのか、ぼんやりと空を見つめたりしていた。それでもなんでもないときに、席の近くにやってきては僕と話していた。彼女には、話し上手というより聞き上手というほうが合う。

今日の天気について、電車内の出来事、学校内の話、授業内容の話、先生の話、と話すことも多いけれど、僕の話を聞いてくれることも多かった。

僕はひそかに彼女にほのかな想いを抱いていたのかもしれないが、彼女の態度にそんなものはまったく感じられず、僕はすっかりあきらめてもいた。


一年目の夏休みを過ぎたころに、僕は不良たちに地味にからかわれていた。なにが原因かわからない。おとなしかったクラスメイトの何人かは、髪の色が変わり、制服もだらっとした格好に変わっていた。暴力的になり、反抗的になり、学校を休んだり、授業を抜け出したりと、少しずつ変化していった。

相手には、ちょっとしたことなのだろうが、僕にはいじめのように感じられて、そして誰からも嫌われているような気さえもしていたのだ。

だんだん顔を隠すようになり、誰とも話さなくなり、ため息だらけの日々だった。彼女は、そんな人からかう側の奴らにも変わらずに話しかけていた。

なんとなく腹が立って聞いてみた。

「あのさ、なんであいつらと話すのさ?」

 彼女はちょっと首をかしげた。

「用があるから。」

 僕は何も言い返せなかった。


冬に入った頃には、背の伸びた奴らは僕を本気半分、冗談半分でからかう。でぶ。ちび。のろま。ぐず。金銭的要求はないが、痛いと感じる程度に叩かれることなどしょっちゅうだった。

なぜ、ほっといてくれないんだろう。僕の体型が、なんの迷惑だというのか。僕がなにをしたというのか。僕はまた本の世界に入っていくようになった。だが、彼女に僕の心のうちは関係なかったようだ。

「なに、読んでるの?面白い?」

 顔を上げると、僕の目の前には彼女が微笑んでいる。しかし彼女の後ろには、にやにや笑う不良の奴らの姿があった。あとでなにか言われるだろうか。

僕は、なにかが切れた。

「あのさ、なんで、嫌われ者の僕に話しかけんの?同情?」

 大き目な声だったのか、クラスメイトたちが静かになった。

 その言葉に、彼女は首をちょっと傾げただけだった。

「なんで、同情?」

 そして、続けた。

「あのさ、藤川君が誰に嫌われていようと関係なくない?あたしが平気なんだから、いいじゃない。あたしが嫌っているわけじゃないんだから。あたしが話しかけることになんか問題があるの?」

 僕は、やっぱり何も言い返せず、そこから不良は僕をからかうのをやめた。理由は僕にもわからなかった。そのあとも、彼女は不良にも僕にも変わらずに話しかけていた。


そして次の年に彼女とクラスが分かれた。時々姿を見かけてはいた。あいさつや何気ない会話をするだけだけど、やっぱり彼女はそのままで、何も変わらずに忙しそうに走っていた。

そのまま、同じクラスになることはなかった。卒業が近づいたころ、僕はやっと彼女に勇気を振り絞って、進路を聞いた。すると、いつもと変わらない口調で彼女は海の向こうへ行くといった。もちろん驚いたが、僕にはなんとなく、それがわかっていたような気がした。彼女は羽ばたいていくのだ。そして連絡が取れなくなった。僕が聞けなかったせいもあるけれど。

それでも、彼女にとってなんでもなかったあのセリフが僕の命をつないだ。

落ち込むことがあっても、彼女の言葉を思いだしては、また僕は歩き出している。自分から動くことが増えて、たくさんの人に自ら話しかけることも増えて、容姿に関係なく友人も増えて、仕事も決まり、大好きな女性は今度、奥さんになってくれる予定だ。僕の世界は確実に広がる。


あの高校時代、彼女がなぜ僕に話しかけたのか、いまだにわからない。僕が理由を考えているときも彼女は側で笑っていた。きっと理由など彼女にはないのだろう。

そして、それがそんなに簡単ではないこともいまならわかる。あのときの彼女はどれだけのものを見て、そしていまはなにを見ているのかと、僕から話しかけて、聞ける気がしている。

彼女はいまでも、僕に会ったら昔と変わらずに話しかけてくれるだろうか。身長が伸びて、痩せて、体型も昔とはずいぶん変わったけれど、そんなことは気にもしないだろう。肌の色も目玉の色も彼女には関係なさそうだ。

彼女がどんなものを見て、誰を思い、何を思うのか、今の僕にはわかないけれど、彼女といても誰かに悪く言われるようなことがない自分でいたいと思うのだ。


「できた?」

 隣で婚約者が覗き込んだ。

「ん?あ、いや、まだ。ごめん。」

「ううん、なんかさぁ、友達とか考えていると、昔のこととか思い出すよねぇ。」

「うん。」

「ちょっと?昔の恋人とか呼ばないでよ!」

彼女が肘で僕をつついた。

「呼ばないよ、君こそ呼ばないでくれよ!」

僕の膨れた顔に婚約者はにこにこ笑った。

「なに?呼ぶの?」

僕が聞く。

「ううん、やきもち焼いてるーって思って。」

僕も笑った。


 その笑顔を見て、彼女を探そうと思った。僕の婚約者を彼女に見てほしいと本気で思った。

高校の卒業後、クラス会など開かれたこともないし、高校時代のクラスメイトとの交流など10年以上たったいまでは、一つもない。そもそも、彼女が卒業後にどこの国に行ったのかさえも聞かなかった。いや、聞いたのかもしれないが、覚えていない。どうやって探そう。

それでも僕は、結婚式までに探せなくても、何年かかっても、彼女を探そうと思った。今の時代、本気を出せばどうにかして探せそうな気がしている。

話したいことは、なにもない。おそらく、なにも聞くことはない。それでも、彼女を探して、今の僕と僕の婚約者を見てほしいと思った。


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