いざ寮へ
さて、唐突だが、私の右手には折り鶴が握られている。
青い模様の入った折り鶴の翼には、馬鹿な兄さんと可愛い妹のメッセージが書かれている。
兄さんはともかくとして、よく紗紀もこんな細かい字が書けたな。
右の翼には小さいけど見事な字で言葉を連ねている兄からのメッセージ。
左の翼には幼いながらも頑張りが見て取れる可愛い妹からのメッセージ。
きっと兄さんからの手ほどきがあったに違いない。
兄さんの器用さといったら、お米に字を書くのは朝飯前、この折り鶴だって本当に芸術と呼べるほどの作品なのだ。
「辛いことがあったら少しは頼れよ」
なんだか定型文みたいだが今更だ、兄さんの応用力の無さは今に始まったことじゃない。
嬉しいこと言ってくれてることには違いないんだから。
「お姉ちゃん、長い休みには必ず帰って来てね」
キラキラした幼い瞳を思い出す。
紗紀はまだ小学二年生だからな、いきなりお姉ちゃんがいなくなるのは少々酷だったかな。
最後に抱きしめた時の、あの小さな体から伝わる温もりが、妙に恋しくなってきた。
お別れの時は顔を真っ赤にして泣いてくれてたもんな。
いかん、思い出してしまった。
それもこれも、私が受験に失敗して、遠くの私立に入学してしまったこと。
どうせ落ちないだろうとたかをくくって決めた学校、だが現実は甘くはなかった。
第一志望校は見事不合格、仕方がなしに滑り止めに受けておいたその高校に入学。
男子のいない女子高に受けたのは私の意志だけど、真逆寮制の学校だったとは。
どの道家からは通える距離じゃなかったので、悲しくも空しい現実を受け入れることにしたのだ。
で、今現在進行中で私はその寮へ向かっている最中であります。
市営のバスにゆらり揺られて、手の平にとまっている紙製の鶴を眺めていた。
何度も読み返した小さな文字、止めていた涙が溢れてくる。
嫌だよ、兄さん、紗紀……
離れ離れなんて……
溢れ出た涙は、流れては落ちてを繰り返していた。
頬にツーっと流れる感覚が嫌になる。
全部自分の責任。
受験に失敗したことも。
離れ離れを強いられることも。
他の誰のせいでもない。
まごうことなく私のせい。
兄さんの、裏がありそうな笑顔を思い出す。
いつもなにかを考えていて、時々もの凄いことをやらかす兄さん。
目の前の紙を、発火器具を使わずに燃やす兄さん。
種も仕掛けもありませんとかいいながら、いつもそれらを考えている兄さん。
紗紀ちゃんの、屈託のない笑顔を思い出す。
大好きと言って、いつも抱っこをせがむ紗紀ちゃん。
兄さんの不思議現象を見て、キャッキャと喜ぶ可愛い紗紀ちゃん。
ぷにぷにほっぺをつつくと、顔を膨らませて怒る紗紀ちゃん。
どれも遠く懐かしく、全ては過去の幻想のように思われた。
手を延ばしても届かない、彼方の星のように思えた。
『次は城が原、城が原』
いけない、降りるところだ。
ポケットからハンカチを取り出し、涙のついでに悲しい思考回路も拭い去ったあと、停車ボタンを押した。
『次、止まります』
車内アナウンスが流れて、また静寂が訪れる。
太陽が傾くこの時間なのに、お客さんは数えるほどしか乗っていない。
私と運転手さんの他には、子連れのお母さんが一人と、年老いた老夫婦が一組しかいない。
随分へんぴなところに来ちゃったな。
こんなことなら勉強頑張っとけばよかった。
そんなことをボーっと考えていたら、目の前からお目当てのバス停が近づいてきた。
私はバスが止まるまで待ち、前まで行って料金分の小銭を払い、ゆっくりとバス停を降りた。
ぷしゅー、という音と共に扉は閉まり、バスは次の目的地へと向かっていった。
「さてと……」
地図によるとここから5分東に行くらしいけれど、土地勘の全くない私にとっては十分くらいかかるかな。
お日さまは大分傾いてきちゃったし、急ごうか。
私は手提げ鞄を持って、地図を片手に東へと向かった。
「ここ……ですかね?」
目の前には、何やら怪しい洋館のような建物がそびえ立っていた。
てかどこの国ですか、ここは。
どこかの映画のセットにでも迷い込んできましたかね?
キーキーいいながら飛び回っている、ドラキュラの遣いが真面目に恐い。
手提げの鞄に地図をしまい、玄関に近づきノックをする。
コンコン……
硬い木の音が向こうにいって、反射してくるような感じだ。
それだけ静かで音がない。
見上げると、窓から光が漏れているから、人がいないわけじゃないんだろうが。
もう一度ノックしてみたが、相変わらず返事はなし。
新手のイジメかと思えるほどに、完全なる静寂が私を包む。
しびれを切らした私は、向こうの返事を待つことなく玄関を開けることにした。
冷たい金属製のドアノブに手を掛けて、ゆっくりと手前に引いてみる。
少々重かったが、キィィという古びた音を立てながら、玄関は開いていった。
その開いた隙間から中を伺えど、ここからでは人の姿を認視できない。
私は覚悟を決めて扉の中に入っていった。
中は豪華なエントランスルームで、左手には受付、右には休息室のようなロビー、奥には上層部への階段があった。
ヒュー、パタン
後ろで扉の閉まる音を聞いた。
さてさて、いったい私はどうすればいいものか。
辺りを見回しても管理人らしき人はおらず、受付の奥ももぬけの殻だった。
「不用心ですね〜……」
こんなの泥棒にとっては絶好の獲物じゃないか。
この街には泥棒さんはいないのかな?
治安がいいのは良いことだ。
たとえそれがどんな田舎街であれ。
私はふと、受付のところに一つの冊子が置いてあることに気がついた。
ここから見る限りでは何かの帳簿のような感じだった。
近づいて、表紙を見てみる。
『一年棟管理帳簿』
質素な字でこう書かれていた。
その隣には、『一年必読』とご丁寧に書かれたメモが置いてあった。
なんとまぁ、管理がずさんなこと。
呆れながらも内容を読む。
『この帳簿には、出掛ける時と帰ってきた時に印を入れて下さい。門限となる八時までに印がなかった場合、校則違反となり、それ相応のペナルティーを負ってもらいます。各々の部屋は次ページから載っております』
だとさ。
面倒臭いったらありゃしない。
とまぁ、規則なんだから仕方がないんだろうけどさ。
私はページをめくって、自分の名前が書かれた部屋番号を探す。
え〜と、深海真由、深海真由っと……
どうでもいい話だが、こういう場合同姓同名の人がいたら、学校側としてはどういう対応をしてくれるのだろうか?
きっと何もしてくれないんだろうな……
どうせそれが現実さ。
本当にどうでもいい話を頭の中で展開していたら、あった、深海真由。
部屋番号404号室。
「………………」
うわ〜、幸先悪っ!!
何この呪われた数字。
しかも444なら呪われてる感がびんびんなのに、404とか中途半端すぎるよ。
兄さんに教えたら、この数字を利用して何か召喚でもしそうだな。
冗談で考えてみたら、あながちあの兄さんならやりかねないと思いつつあるので思考を強制終了させる。
兄さんに不可能という言葉を教えれる人は未だ現れない。
種だろうが仕掛けだろうがありとあらゆるものを総動員させて不可能を可能にするのだ。
本当に愉快な兄さんだ。
見ていて飽きないが、巻き込まれた場合何をされるかわからない。
そんな兄さんから紗紀ちゃんを守るのが私の役目。
でも紗紀ちゃん、私にへと同じくらい兄さんにも好意を寄せているから守るのも一苦労。
まぁ兄さんも可愛い妹にはあんまり危険なことはしないけどね。
おっと、話があらぬ方向へ行っている。
何の話をしてたっけ?
そうそう、部屋の話。
え〜と、同居人はっと。
寿終……
う〜ん。
何か字的にとっつきにくそうな子だな〜。
まぁ字で何かを判断するのは偏見とかそういった類だから止めよう。
明るい子かも知れないじゃないか。
それにしても。
ことぶきつきか。
長い命に命の終わり。
矛盾してるよね。
私は取り敢えず帳簿に入館と書き、パタンとそれを閉じた。
さて、場所も覚えたし、我が新しい部屋へと行きますか。
奥の階段を昇り、目指すは四階404号室。
さっきの帳簿を見ると、寿さんの欄には入館という文字が書かれていたから、既に部屋に居るのだろう。
なに大丈夫。
私ならどんな人とでも友達になれるさ。
その後裏切られるかは別として。
裏切るのも裏切られるのも慣れている。
結局のところ、私は家族しか信じられない。
俗にいう人間不信ってやつである。
だって、相手は人間だよ?
簡単に人を傷つける生き物なんだよ?
信じるだけ無駄だって。
どうせ最後は裏切るんだから。
タン、タン、タン、と、淡々とした音を立てて、漸く四階に辿り着いた。
え〜と、404号室は……
あった。
階段より左手のルームプレートには、私の求める部屋番号が書かれていた。
私は部屋の前に立ち、ノックをしようと片手を挙げた。
と、その時。
不意に扉が開いたので、私は扉に強く手を打ってしまった。
いや、最初から手を打つつもりだったんだけどさ。
ノックってそういうものだし。
でも予想外の出来事に弱いもので。
モナド論至上主義です、はい。
全然関係ないけど。
扉の向こう側、ていうか私の目の前にいる少女は、漆黒の髪の毛を腰辺りまで伸ばしていて、細長眼鏡を掛けた無表情な女の子だった。
真っ黒い服に真っ黒いズボン、白いインナーを着た少し小さめな少女が、私に冷たい視線を向けてくる。
なんか友達になれるかも怪しい。
モナド論至上主義です、私。
なんのこっちゃ。
「何?」
少女の氷のように冷たい声。
「え〜と……」
ここで怯むな。
ここで引いては私は負けだ。
先手必勝絶対勝利。
「私、今日からあなたと相部屋になる深海真由っていうの。ここは一年棟だから同じ学年よね。よろしくね、寿終さん!!」
キャラを壊してまでエクスクラメーションマークをつけた私。
これでその氷のような声を溶かして差し上げようぞ。
「あっそ。よろしく」
素っ気ない。
なんだか冷たさが増したぞ。
「ねぇ、寿さんのことシュウって呼んでいい?」
私は気にせずお友達になろうと努力する。
そのドライアイスのような声を昇華して差し上げようぞ。
いや、昇華させてどないすんねん。
頭の中で一人ツッコミ。
もはや悲しいひとではないかという疑問はごみ箱へ。
「どうしてシュウなの?」
「だって、ツキって普通シュウって読むでしょ」
「……どうぞ、お好きに」
おっ、もしかして友達になれそうかな?
「私に必要以上に関与しないと約束できるなら、なんと呼ばれようが構わないわ」
全然ダメだった。
効果なしも甚だし。
もはやエネルギーの無駄遣い。
私のATPよ、還ってこい。
むしろ高エネルギー燐酸結合が復活して欲しい。
相変わらずなんのこっちゃ。
「とにかく入れば?ずっとそうされてても欝陶しいし」
うわ〜、冷たいよ。
そんな目で私を見ないでくれ。
凍傷になってしまう。
むしろ石になる。
ってシュウは妖怪か。
またもや空しく一人ツッコミ。
もはや哀しいひとなのではないかという疑問はごみ箱へ。
ポイ捨ては私の主義に反します。
皆さんも心掛けましょう。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
私は部屋の中に入ってゆく。
かくして私の不安に満ちた学園生活が始まるのだった。
ってまだ今日は終わってねぇよ。
はぁ……
いい加減この哀しい癖直そう。