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鈴鳴奇談【針千本】

作者: 頭蓋堂
掲載日:2026/05/23

 静かな声だった。

「戸を開けてはいけないわ」

 白い指を唇に当て、黒い少女は云う。

一度(ひとたび)ひらけば、(まじない)いの効果は消えてしまう」

 ――に。と、薄い唇の端が上がり、黒々とした瞳が私を見下すのです。

「い、いつまで、こうしたらいいのでしょう」

「少なくとも、朝を迎えるまでは」


「ぴったりと締め切って。

見ても、聞いても――喜んではいけないわ」






 隙間風がびゅうびゅうと吹く。

 四畳一間の部屋は狭くって、風が吹くと屋根も、壁もがたがた揺れて、それから隙間風が入ってくる。

 私はそれがたまらなく嫌で。だって、寒いでしょう、寒いと指が(かじか)んで、針が上手く刺せなくって。あの人が帰ってくる前に仕上げないと、叱られてしまうでしょう。

 けれどね、炭を買う余裕もなければ、油を買う暇もなくって――。


 家のことは女の仕事。朝の食事、お勤めの支度(したく)、掃除、洗濯、夕餉、子はまだですから、後は服を繕ったり、新しい布を都合したり。

 私ね、食事はあまり上手く作れもしないけれど、けれど針事だけはそれなりにできますから、母から頂いた漆塗りの裁縫箱と五本の針は、数少ない私の花嫁道具で、仕事道具なんです。

 びゅうと風が吹いて、

 がたがたと、戸が揺れる。

 開かないだろうかと、心が(しぼ)む。

『戸を開けてはいけないわ』

 あの言葉ばかり、思い出す。

 決して開けず、決して開かず、あの襖から朝の光が射した時だけ、開けて(よろ)しい。

 一日、一晩、たったの数時間、我慢すれば、いいのだと。

「針を、動かしていれば、」

 いつもだって、朝が来るまで夢中で針を動かしているのだし、今日が特別に不思議な日という訳でも、ない。裁縫箱に残り三本の針が入っているのを確認して、少しだけ意気込む。

「あっという間だわ」

 母曰く『私達は一生を衣服の世話になっているのです。衣服だけでなく、布団や畳、帽子から、足袋もそうですね。

ですから、それに感謝し丁寧に扱わねばなりません』

 物には心が宿ることも、あるのだと聞く。

 だからせめて、針も、服も丁寧に縫ってあげたい。私というのはとんだぐずだけれど、それくらいは出来るのだから。


 母が若い頃、その頃は未だ和装をすることが多く、余計に針仕事が多かったのだと云う。

 おくるみに、おむつ、着流し、足袋(たび)――その全てに針仕事が必要で、だから母の針を動かす手は早く正確だった。

 母の横に座って、若い母の姿を思い返す。

 日の当たる縁側、痛んだ母の手、裁縫箱は半分開いていて、その中に残り()()()()。広げられた着流しの横に、こんにゃくの載った皿が置いてあって――それに、()()()()が刺さっている。それがある日は決まってこんにゃくとふろふき大根が出る。

 ()()()は嫌っているけれど、私は、好きだ。

「あれは――なんだったのかしら」

 あの、こんにゃくに刺さった、針、

『柔らかいものに刺すのです』

 微かに記憶した、母の言葉。


 ――ちりん


 遠くで、音が鳴る、

 何の、音かしら。


未だ、戸の隙間は暗く。風もない。

 母は、ははが、


「嗚呼、いやだわ」

 考え事をしていたからか、ようやくその時、針が一本足らないのだと気が付いた。母から頂いた針は確かに五本あったのに――。この場には四本しか、



「ヲイ」


 戸の向こう、声がした。


「あなた、」


丁度良かった。

 針が、母の大切な針が見当たらないの。

 けれど先ずは急いで、立ち上がって、お出迎えをしなくては。叱られてしまう。

 ()()()、帰ってきてくれたのだもの。私、何事も上手く出来ないけれど、少しばかり服を繕ったから、一寸(ちよつと)はお給金が貰えると思うの。

 これで、少しは――。


「おかえりなさい」





 女が戸を開けると、そこで男が死んでいた。

 頭には針、手には針が、足には針を、胴にも針が無数に刺さる。その数およそ――千本。

 女はその中から、折れた針を見つけると、ほっと胸をなで下ろして


「あははははは!」

 

 そう笑った。

 


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