copper 9 (終)
9
僕は大木に叩きつけられた。
銃弾を反射させる間もなかった。
彼女は中・遠距離の銃弾を全て反射する『僕』の一番の解決策を発見していた。
それは至近距離での高速攻撃だ。僕が反応しきれないような速度で、銃弾の運動量を計算し終えない内に、蹴り続ける。蹴り続ける、蹴り続ける。
つまり、僕に引き金を引かせなければいいのだ。
「最初に会った時が、お互いに一番のチャンスだったようね」
彼女は空中を蹴って僕に近づく。僕は背中を向けて逃げ出した。追いかけっこで彼女にかなう訳もなく、すぐに背中を蹴り倒される。丸太で貫かれたような衝撃が肩に走り、僕は地面に突っ伏した。
拳銃が手から離れた。僕はそれを掴もうと手を伸ばす。だが、彼女は拳銃を薄暗い茂みへ蹴り飛ばした。
なんてことをするんだ。
これじゃあ君を射殺できないじゃないか。
「あの警官がかばった時に、あなたを殺せば良かった。オウチャクしたのが悪かったわ」
「僕も、そう思う」
肺が痛く、呼吸ができない。
僕は足で蹴られ、仰向けにされた。綺麗な月が見えている。そこにもっと白く、綺麗なバレリーナがこちらを見下ろしている。彼女の顔はますます紅潮し、落ち着くように一度、目を閉じてから、深呼吸をし始めた。ビスチェを翻しながら、彼女は腰を下ろした。
僕は抱き起こされた。
「あなたを殺せることが、幸せなのに、悲しい」
そういって、唇を押し付けられた。抱きかかえるような形で行われたそれは延命措置のようにも感じられた。プラスチックと鉄錆の匂いに混じり、森に冷やされたバレリーナの汗の匂いが漂う。
『戒めなさい』
今更、何を戒めろというのか。
さっきまで熱かった体が急速に冷めていく。彼女の金属の足が僕から熱を奪っていくようだ。それとも際限なく吸われているこの唇から、文字通り命が奪われているのだろうか。
動けなくなった僕は、全てを諦めはじめていた。バレリーナに屍体愛好みたいな妙な癖がつかなければいいが。いや他人の命の灯が、消える瞬間の僅かな発熱を、僕たちは愛していたんだった。
つまる所、僕もバレリーナも、似た者同士だったんだ。
走れなくなった馬は何を願うのだろう。やっぱり死にたいんじゃないか? もげた足に蹄鉄を無理やり繋げられて、誰かが殺してくれるまで走り続けるんだ。僕だったら耐えられそうにない。日本のアニメでも見ないと、正気を保てそうにない。
『私はお前達が憐れでならない』
僕たちは憐れか。
そう思うと、死ぬ瞬間に彼女を一人おいていくことが可哀想に思えてきた。僕たちは想いあう男女というより、兄妹のようなものだったんだろう。
僕は妹にするみたいに彼女をゆるく抱き返した。世界は君に辛いかもしれないが、負けるなよ。君が走るのを僕は応援するよ、と。彼女は震えた声で何かを呟いた。
そこで――うっすらと開いた片目が、彼女の頭蓋骨でくるくると回転し始めた9ミリパラベラムバレットを見つけた。
ようやく、僕は自分が人類にとって、いかにおぞましい存在であるかを認識した。
リビングで撃った弾丸は。
彼女の頭蓋を貫けなかった弾丸は、そこに留まっていた。そして今。息を吹き返したように、ゆっくりと回転運動を始めた。
僕が彼女の匂いまで嗅げるような至近距離に近づいたから、動き始めた?
この期間に手術で摘出しなかったのか?
彼女の機能が損なわれるからあえて摘出しなかったのか?
湧き出る疑問とともに、弾丸の回転数は大きくなっていく。
弾丸が頭蓋を削る音。それがうるさくても、バレリーナは取り乱したりはしなかった。少し驚いた顔で僕を見た。「なにをしたの?」彼女の目からの赤い涙が溢れた。鼻から出た血が泡となって弾ける。
彼女が最後の力を振り絞って、僕から離れようとしているのが分かった。
ここで距離を離せば、弾丸は動きを止める。
拳銃を取り戻す前に僕は蹴り殺される。それでもいいような気はしている。彼女はまだ人に制御されている。僕は自分を制御できない。生きる権利は彼女の方にある。
……いや、そうだったな。ここで僕が死んだら、ピアニストとドクターが死ぬ。あの二人には生きていてほしい。それに、なにより。
僕を守るために、彼女に殺されてしまった人がいたんだ。
僕は逃げようともがく彼女を抱きしめた。そして人差し指を拳銃の形にして、彼女のこめかみに押し付けた。
「大丈夫だよ」そういって、頭を撫でてやった。「死は誰にも訪れるんだ。落ち着いて……。暴れないで。一瞬だよ。最後の一瞬を味わっていって。ほら暴れないでくれ、手元が狂う。悲鳴をあげても駄目だよ。ほら、撃つ。撃つよッ! …………まだ撃たないよ。せっかく君を射殺できるんだから、もっと楽しもう。悲鳴をあげないでくれ。静かに。早く撃て? 嫌だよ。撃つタイミングは僕が決めるんだ」
彼女は血をまき散らしながら、さっさと殺せと喚いた。
美しいバレリーナが台無しだ。
「……落ち着いた? うん、いいよ。死ぬのは初めてだよね」こめかみに人差し指を突きつけると、腕のなかで彼女が震える。「この一発で、すべて終わるんだよ。君の苦労も悲しみも幸せも意識も、これからも、存在も、『なくなる』んだ。アニメも恋愛感情も、誰かの心が覚えていても、君は『なくなる』んだよ」
僕を罵る言葉と、哀願が聞こえる。命乞いをして僕が喜ぶのを見たくないのだろう。そういうつもりではないんだけど。彼女はもう「殺せ」の一点張りだった。「どうしてこんなことをするの」とも。
「君に伝えるためだよ」
僕は彼女の意識が朦朧となり、まともな会話ができなくなっても、彼女のこめかみに人差し指を突きつけ続けた。彼女が気絶しそうになったら頬をはたいて無理やり起こした。意識を手放して楽に死のうなんて許さない。
彼女は「死にたくない」と言った。
やれやれ、僕は射殺した。
copper(終)




