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奇しくも。
その森は『森のキッチン作戦』の作戦領域だった。僕の周囲の木には銃弾を何度も跳ね返したせいで、穴が空いたり形の変わってしまったグロテスクな調理器具がぶら下げられていた。
葉のすれる音と風の音。樹々と焼けたプラスチックの匂い。僕の眼は既にバレリーナを捉えていた。彼女は100メートルほど先の茂みの中で踊っている。
音楽なんてないはずなのに、彼女の足踏む音やセラミックの擦れる音はリズムを形作る。近づくにつれて、彼女が環境と一体化していくのが分かる。しかし、人間も元は自然の一部なのだから、森の中で踊るバレリーナが自然と融合したっておかしくない。
僕は少し離れた所からバレリーナが踊るのを見守っていた。
彼女は僕に気付いてからも舞い続けた。
人生には驚くような瞬間がいくつもあり、そういう時の選択肢は限られている。
僕に彼女の踊りの技術や、芸術的な価値なんてものは分からない。ただ、いまこの時は踊りを見守るべきだった。僕はただ無感動に客であり続けた。唯一それを乱すのは、八月の夜の山の寒さだった。尿意が少しだけ高まった。
「顔が強いんですね」
声をかけられた。
彼女は踊りを終え、お辞儀までして見せた。湯気立ちそうな白い肌は、仄かに紅潮していて彼女が下半身を機械に置き換えた存在とは思えないほどだ。
「褒めてくれたのかな。だとしたら、文法を間違えているよ」
「かっこいい、なんて褒め言葉は聞き飽きているでしょ?」
彼女はおどけて言った。想定していたものと全く異なる感情を当てられていて、混乱する。彼女は出来の悪い生徒に教えるみたいに早口で言った。
「オタク文化のジャーゴンよ。顔面偏差値の高いキャラクターに対して『顔が強い』って言うの。日本に住んでいるのに知らない?」
「さあね」と僕は言った。「ウクライナに住んでいたのに、日本に詳しいんだね」
「ごめんなさい。でも、私のことを知ろうとしてくれたのね? ちょっとだけ嬉しい」彼女は誤魔化すようにはにかんだ笑みを見せた。
「嘘。けっこう嬉しい」
彼女のビスチェは、月光の下で赤黒く染まっている。
ピアニストの首を斬った時の返り血だろう。
彼女は照れ笑いとともに目を伏せた。僕は尋ねた。
「なんで日本に?」
「日本のガクセイっていうのをやってみたかった」
「別に日本じゃなくても」
「日本のアニメのガクセイってみんな素敵だもの。信念があって、理想があって、とても人間的で。欲望と理性のバランスが取れていて、道を踏み外すことがあってもトモダチが助けてくれる。素敵じゃない」
それは、アニメの中だけの話だ。
「あと、何より彼らはドラッグをやらない」
「それは、そうかもしれないね」
薬物が出てくる漫画やアニメを僕は知っている。でも、彼女がそんな話をしている訳ではないのは、分かっている。
「僕たち三人を殺せば、君は帰国してまたアニメを観る生活に戻れたはずなのに。どうしてピアニストだけ殺して、僕を誘い込んだんだ、この間の決着をつけるためか?」
彼女の笑顔が少しだけ引き攣る。
「あなたと話をしてみたかった」
「君の命には傭兵部隊十名と無垢な三人の大学生の命がかかっているんだ。知ってたかい?」
「トウヤたちは、ドラッグを売っていた。生きる価値なんてないわ。『Andel』の皆は優しかったけれど、それが仕事。私をあなた達の近くに送り込むことには成功している。……だから、私がどうしようと、気にする人はいない」
この局面で、彼女が何を考えているのか理解できない。だけど、研ぎ澄まされた感覚が、彼女の弱点を探す『視線』が、彼女の心臓の鼓動を捉えた。僕がリビングで撃ちこんだ銃弾が、半ば肋骨を貫いて、彼女のペースメーカーを震わせ『殺させろ』と振動を続けている。
ああ、彼女は、この女は。
「あなたはきっと、モラルを守る人。日本のおまわりだもの。ドラッグもやらないし、交通違反もしない。動物にも優しい。殺すのは悪い人だけ」
熱に浮かされたように、彼女は語り続ける。胸に手を当てて。
「私は一度、あなたに撃ち抜かれてしまった。あなたを殺さない限り、この銃弾は動きを止めることはない」愛おしそうに、銃痕の残る左胸を摩った。「あなたを殺してしまえば、このドキドキも静かになる。これって、運命的?」
悪い意味で、僕もドキドキし始めていた。殺し損ねた訳ではなかったんだ。僕の銃弾は彼女の心臓へと向かっている。
「話が見えない。わかりやすく言ってくれないか」
彼女はじれったそうに首を振った。
「私と一緒に逃げませんか?」
彼女は告白するティーンエイジャーみたいに切羽詰まった様子で言った。それから条件を付け加えた。
『狩り』の最中に敵の参加者に裏切らせる行為はルール違反ではない。もちろん、そんな者は裏切者の烙印を押され、『狩り』以外の場でも狙われることが増えるだろう。彼女の、というより合衆国の提案はこうだ。
僕本人が楽団を裏切り、ピアニストとドクターの二名を殺害する。そうすれば、狩りは合衆国側の勝利となり、僕は「バレリーナ」とともに回収される。僕は国籍を変え、アメリカ海軍に移籍することになる。彼女の謡う文句の中に『銃殺し放題』とあり、心が揺れてしまった。
「なるほどね」
僕は言った。きっと全部、顔に出ていた。
「残念だけど、断るよ」
「ウソ、いま私振られたの?……足が金属になってから嫌な事ばかりね」
彼女の声には震えが混じっていた。
僕は首を横に振った。
「……君が考えるような、アニメの主人公みたいな奴なんていないよ。学生は自分のことしか考えられないし、警察も汚職ばかり。でもね」
僕は銃口を彼女に向ける。
「おまわりは、仲間殺しだけは許さないんだ」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。それでこそ、というような元気に溢れた微笑みだった。次の瞬間、赤黒いフレアスカートが翻り、音速のソバットが僕の腕を貫いた。




