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13 hands  作者: さんどまん
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copper 2



 津島メンタルサポートは目黒のオフィス街のテナント2階に入っていた。予約時間は一時間単位できっちりと決められている。待合室が用意されていないため、早く来てしまったときは1階の喫茶店で待つことになった。老夫婦が淹れる珈琲は美味しくて、手作りのオレンジケーキとよくあった。


 津島院長は僕に会うなり、日焼けした手で握手を求めた。


「よろしくね。お兄さん、頭良さそうね。ぶっちゃけるけど、お兄さん、それ治したいですか?」


「はい。いえ」


 津島院長は禿げかかった頭をぺしり、と自分で叩いた。


「お兄さん、それ自分では問題だと思ってないでしょう。周囲の要請や、社会的通念から治さなきゃいけないって思っていませんか?」


 僕は圧倒された。まだ予約時のオンラインシートに、最低限の情報しか記していなかった。それだというのに、津島院長は僕の問題がどこにあるか僕以上に理解している。


「もう少し、生きやすくしたいな、とは思います」


 それを聞くと津島院長は勢いを落として、僕に座るように促した。


「できるよ。手伝わせてくださいよ」


 それから改めて、僕の症状についてのカウンセリングが始まった。


 最初の三週間は気が向いたら来るように、と伝えられ僕はその通りにした。津島院長はお喋りな人で、診断の半分が雑談で終わることもあった。


 僕も安心しきっていて、自分の気持ちを話した。この話をするのは人生で三度目だった。先生は僕が話している間も表情を一切変えずに聞いていた。


「射殺する相手は、たとえば家族だったりしてもいいの?」


「いえ、それは、どうでしょう。悲しいと思います」


 ときどき、先生は僕の嗜好を窺うような質問をしてきた。


 その時の目も瞳孔が開いていて、研究対象として興味を持たれているような気分だった。先生の質問のおかげで、僕は自分のことを少し言語化できるようになっていた。


 先生は根気があった。


 診療で緩和されないと分かると、対症療法や薬物療法を勧めてくれた。


 僕は先生の言う通りに様々な療法に手を出した。


 それらに効果が感じられないというと、逆に解消させてみるのはどうか、と銃への愛着を示すように言われた。


 一度など、銃を撃つゲームを勧められた。


「面白かったです。敵軍に囚われた上官を助けるシーンは感動しました」


「うんうん。衝動の方は、何か変わりました?」


「どうしてですか?」


 先生の顔が呆けてしまった。人生で三回目の異常性の発露だった。銃を撃つゲームを体験することで、僕の異常性に進退が起こるとこの人は思っていたのだ。


 僕は慌てていたし、先生はもっと慌てていた。


「ははは……、まったく、変化はないんだね?」


「いえ、すいません。そういう観点で勧められていたとは思いませんでした」


「ああ、うん、うん」


 先生は医者の癖に演技が下手だった。患者の前で狼狽する姿を見せまい、と必死になっているのがよく分かった。


 先生とのカウンセリングに効果を感じなくなり、僕は深夜の日課を再開していた。


 衝動は少しずつエスカレートしていたが、野生動物を殺したりはしなかった。生き物を殺すのが可哀想、というレイヤーの少し上層に、動物を射殺することへの猟奇性が控えていた。僕は明らかな異常性を備えているくせに、世間からの評判みたいなものを気にしていた。


 カウンセリングが終わり、その足で車を取りにいった。


 アディダスのトートバッグに釘打ち機とゴミ袋、消毒用のアルコールを入れて、高速を走らせて長野まで遠征した。


 夜十時を過ぎた頃、パーキングエリアに到着した。

 

 景色を見る客を装って森の中へ入っていった。左手の防音ペットケージががたがたと揺れている。


 深呼吸をして周囲を見回した。薄暗い湿った森の中に風が葉を鳴らす音だけが響く。


 僕はケージを開いて、みぃみぃ鳴くアメリカン・ショートヘアを取り出した。


 ペットショップで見た時から、よく懐いていて僕の腕の中で匂いを嗅いでいる。乾いた葉の上に降ろしてやると、踏み心地が楽しいのか、かさかさ、と周囲を小さく回った。


 猫は僕を見上げ、問うように森の奥へ目を向けた。


 いいぞ。逃げろ、と僕は思った。

 

 逃げている獲物を、後ろから撃ち殺すのが純粋に楽しいのと、今すぐ逃げて、僕の情けない自己愛を満たしてほしかった。


「逃げ切られてしまった」「高かったのにな」と残念がりたかったのだ。


 そうして、また先生のカウンセリングに通えばいい。いつか、今日のことを話せれば良い。先生はこの僕の判断を許してくれるだろうか。


 引き金に手を添えると、頭がすうっとして猫の逃走経路が視界に浮かぶようだった。


 いつか会った老人は僕に「いたぶる趣味がない」と褒めたが、それは違う。


 僕は必要であれば、脚を穿ち、動きを止める。


 ぬいぐるみはもともと動かない。あんなものを撃ってもなんの意味もない。

 

 猫は逃げなかった。

 

 逃げれば、撃つ。僕は初めて、自分の衝動の正体に思い至った。これは動物の本能みたいなものだ。三大欲求に加わる四つ目の欲求だ。


 興味深そうに、こちらを見る猫の瞳が瞬いている。瞳孔が、広がる。興奮、狩りの欲求。


『戒めなさい』


 僕が初めて殺意を向けたあの老人の言葉が浮かんだ。


 僕がこの異常性を顕わにしている時、皆が瞳孔を見開いていた。未知のものへの恐怖、もしくは興味、好奇心、僕以外すべての人が僕を異物と見做しているようだった。


 あの時、声をかけてきた老人だけは、僕をどんな目で見ていただろうか。


 射殺の欲求で、ぐちゃぐちゃになっていた僕を。




 猫を撃ち殺したら、その時は捕まるまで続けてみようと思っていた。猫を撃ち殺せなかったら、釘打ち機を咥え、僕の欲求を自分の命一つで賄おうと思っていた。


 結局、僕はそのどちらも選べなかった。


 僕はゆっくりと人差し指を剥がして、鳴き続ける猫を拾い上げた。


 腕の中で釘打ち機の匂いを嗅いでいるこの猫は、逃げたら殺されると分かっていて逃げなかったのかもしれない。だとしたら賢いやつだ。


 僕は車にペットケージを載せ、パーキングエリアで猫のエサを買って東京に帰った。津島院長にはカウンセリングのキャンセルの連絡を入れた。


 院長の返事は軽かった。


「うん、わかりました。でもたまには話を聞きに来てほしいね。ソウマくん、ウチの息子らと違って僕の話をちゃんと聞いてくれるからね」


 経過観察みたいなものだろうか。変な勘繰りをしてしまった。僕は二つ返事で答えた。津島院長のことは嫌いではなかった。


「はい。じゃあ、以前に言っていた珍味を持っていきますよ」


「ありがとう。治ったついでに会わせたい人がいるんだけど、いいかな」


「はい、ええ」


 何一つ問題は解決しておらず、自暴と自棄であやふやになった頭で車を走らせていた。だから、この時の通話をあとで思い返すと、不思議に思う。


 津島院長は「治ったついでに」と言っていた。クリニックに行かなくなることを「治った」と称する彼なりの気遣いだとその時は流していた。


 まるで最初から何の問題もなかった、と錯覚するみたいな物言いだった。


 猫の鳴き声がする、と大家から苦情を言われた。


 私生活での問題に反比例して、公務員としての評価を上げるのは容易だった。昔から試験は得意だ。


 交番勤務の期間が終わるとともに、僕は住居を都内に移した。ペット可のマンションだった。


 津島院長の会わせたい人とはまだ1度も会えていない。その人はオーケストラの指揮者をやっている人で、とても忙しいのだそうだ。


「本名はなんだったかな。僕も学会のツテで知り合っただけだから、ハンドルネームみたいな業務用の名前しか知らないんだよね」


「それって知り合いなんですか?」


「あはは。どうだろうね。でも、そういえば、あの人が誰かに名前で呼ばれているのを見たことがないな。みんな『指揮者』とか『あの人』って呼んでいるよ」


 学生の頃に観た映画の黒幕が思い浮かぶ。


「かっこいいですね。名前を呼んではいけないあの人みたいだ」


 普段の生活で、ユーモアを間違えたことはなかった。僕が間違えたのは三回だけだ。二十五年もの間、擬態して生きてきた。人並みの社会性はあるつもりだった。


 だから、津村院長の顔から一切の笑みが消えた時、僕は自分の想像が間違えていなかったことを知った。


 院長の会わせたい人は社会の黒幕のような存在なのだろうか。


 僕は黙り込んでしまった院長に向けて言った。


「まさか本物の社会の敵に、下っ端の警察官を会わせようとしたんですか?」


 冗談めかすと、津村院長はようやく緊張を解いた。


「彼は決して社会の敵ではないよ。社会の味方だ。君とはきっと仲良くやっていける」


 なぜだろうか。


 院長の言葉に棘を感じた。棘というより、嫌悪感。差別意識。お前達は仲良くやっていける、お前達のような生物は。


 まるで、同類と言われているような。


 僕は微笑んで言った。


「ええ。そうなるといいですね」

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